表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
30/31

第15話 北第三配分塔 中編

 作業者の申告が出たのは、次段階へ進んでから半刻も経たない頃だった。


 大きな変化ではなかった。

 零偏環(ZCT)は赤線に近づいていない。針は低い位置で揺れ、二拍目に少し遅れる。リゼの空気中測定も低い。封瘴井(※1話前編)蓋縁は、初期脱瘴(※1話前編)前の背景反応として低から中弱未満で、開始時とほとんど変わらない。


 その値だけなら、何も起きていない。


 その時、マルカが塔の方ではなく、配分所の南側にある封札整理場へ顔を向けた。


「あそこ。手が上がってる……」


 送魔塔から数十歩は離れていた。

 試験中の塔の下ではない。配分所の南側、封札や工具の控えを扱う、北第三の封札整理場だった。


 そこにいた若い作業者が、片手を半分だけ上げている。

 はじめは、遠慮がちだった。額を押さえ、仮札を見て、自分の作業台を見て、また札を見た。試験に直接入っているわけではない自分が、手を上げてよいのか迷っているようだった。


 隣にいた同僚が、仮札を指で示した。

 それから、作業者の肘を軽く押し上げるようにして、うなずく。


 作業者は、恐る恐る、手を下ろさずに残した。


「そのまま!」


 マルカが短く言った。


「手を上げた人、下ろさないで!」


 ラウレンが、すぐに操作員へ視線を向けた。


「現段階は保持。次段階へは進まない」


 カルムが停止申告欄へ筆を置く。


 申告番号。

 停一。


 レンは、零偏環の針を見た。

 赤線には遠い。


 封瘴井の測定値にも、明確な上昇はない。


 だが、止まった。


 現段階保持。

 次段階保留。


 グラントールで見た文字が、王都の北第三に置かれる。


 リゼが記録板を持って、封札整理場へ向かった。

 レン、カルム、マルカも続く。ガルトは少し後ろで、王都側の現場責任者とラウレンの位置を見ていた。


 作業者は、手を下ろしてよいのか分からない顔をしていた。


「もう下ろして大丈夫です」


 リゼが言った。


「症状を聞きます。断定はしません」


 作業者は、少し困ったように頭を押さえた。


「僕は、試験の担当ではありません。北第三の封札台帳と現物の番号を合わせていただけです」


「関係があるかどうかは、こちらで決めません」


 リゼの声は静かだった。


「症状を言ってください」


「少し、頭が重い。目の奥が鈍い感じがして。さっきから、ここに立っていると強くなる気がします」


 王都側の技官が、すぐに言った。


「封札点検の作業の疲労じゃないのか」


「疲労かもしれません」


 リゼは否定しなかった。


「そのために、場所と時刻と作業者位置を残します」


 カルムが、測瘴症状票を開く。


 場所。北第三配分塔南側、封札整理場、封札整理台横。

 時刻。第二段階保持中。

 役割。北第三の作業者。

 症状。頭重感、目の奥の重さ。

 湿り。作業場床、台脚元に水膜あり。

 作業者位置。試験測線外、送魔塔から数十歩、封札整理台から一歩半。


 カルムは、そこで顔を上げた。


「使用工具は」


 作業者が、戸惑ったように作業台を見た。


「工具は……古い封札の封泥を削る小型魔工具を使いました。いまは台に置いています」


 レンの視線が、封札整理台へ移った。


 作業台は、塔の基礎から離れた壁際にある。

 王都の現場らしく、道具は整えられている。柄の長い封泥削り、細い曲げ尺、封札切り、小型の魔工具。台の上には油引き布が敷かれている。


 ただし、その下の床は濡れていた。


 壁際の水が、作業台の脚に回っている。

 油引き布の端は乾いているが、台の脚元には薄い水膜がある。


 リゼが、作業台へ視線を向けた。


「作業台と工具を測ります。触らないでください」


 王都作業員の一人が、無意識に工具を片づけようと伸ばしていた手を止めた。


 カイウスが、少しだけ眉を動かした。


「試験に関係ない作業者の症状を、試験の停止理由に含めるのですか」


「北第三の同じ送魔下で起きています」


 レンは答えた。


「零偏環にも、封瘴井の測定値にも出ていません。だから、作業者申告を見ます」


 ラウレンが言った。


「確認を許可します。現段階は保持。次段階へは進まない」


 現場の動きは、すぐに分かれた。

 リゼが測る場所を決め、マルカが作業員の立ち位置を短い言葉に直し、カルムが停止申告欄の該当箇所へ筆を置いた。


 レンは、その流れを見ていた。


 見えるものを、ひとりで抱え込む必要はない。

 測る者がいて、動かす者がいて、残す者がいる。


 リゼがモノクルを下ろした。


「作業台上面、低。油引き布表面、低。台脚の内側、低から中弱未満。床の水膜、低から中弱未満」


 彼女は、細いプローブを小型魔工具へ近づけた。


「魔工具の柄元、低。導魔線の被膜部、少し反応があります」


「被膜部?」


 レンは、リゼが示した先を見た。


 小型魔工具は、封泥を削るための回転刃を持つものだった。古い封泥を削り、封札を貼り直す時に使うのだろう。柄の根元から、細い導魔線が出ている。


 その被膜が、一箇所だけ、めくれていた。


 完全に裸線ではない。

 裂け目は小さい。

 乾いた床なら、見逃される程度だった。


 だが、作業台の脚元には水膜がある。

 作業者は、その近くに立っていた。

 魔工具線は、濡れた床の上を一度通っている。


「その工具を、いつ使いましたか」


 作業者が答える。


「大声の号令が聞こえた辺りです。たしか、第二段階と言ってたような。封札の古い封泥を少し削りました。控えと現物の番号を合わせる、いつもの点検作業で」


「その後、作業台へ戻した」


「はい」


「濡れた床に、線は触れましたか」


「……少し、触れたかもしれません」


 リゼが、導魔線の下の床を測る。


「線が触れていたと思われる床面、低から中弱未満。柄元の裂け目周辺、局所反応あり。空気中は低」


 先ほど零偏環の値は、赤線未満だった。

 封瘴井の測瘴値も、低から中弱未満のままだった。


 零偏環でも、封瘴井の測瘴でも拾えなかった。

 だが、作業者は頭重感を訴えた。


「低度漏魔です」


 レンが言った。カイウスは、すぐに被せる。


「断定が早すぎる」


「断定ではありません」


 レンは答えた。


「停止申告上の仮原因です。魔工具の絶縁被膜剥がれ、濡れ床、作業者位置、頭重感。零偏環と封瘴井測定値には出ていませんが、これらが同じ場所にあります」


 リゼが頷く。


「症状だけでは断定しません。測定値だけでも断定しません。ただし、条件は重なっています」


 マルカが、すぐに短い札を書いた。


 剥がれ工具、使わない。

 濡れ床へ線を置かない。

 頭が重い時は手を上げる。


 封札整理場の作業者たちが、初めて見る札を読んだ。


「これを守れってことか」


 マルカは頷き、答える。


「置いておくね」


 マルカは仮札として作業台の横に立てた。


 カルムが、停止申告欄へ書く。


 申告者。北第三の作業者。

 見たもの。頭重感、目の奥の重さ。

 場所。北第三配分塔南側、封札整理場、封札整理台周辺。

 零偏環。赤線未満、二拍目収まり遅れあり。ただし遮断条件未満。

 封瘴井測定。低から中弱未満、開始時から明確な変化なし。

 設備。小型魔工具、導魔線被膜剥がれ。

 湿り。作業台脚元、床水膜あり。

 処置。該当魔工具を外す。封拭き待ちではなく隔離。封札整理場床面測定。次段階保留。


 カルムは、そこで手を止めた。


「工具番号がありません」


 王都側の作業員が言う。


「工具番号?」


「局の工具台帳にはあるはずです」


 セラが、王都側の記録係へ視線を向けた。


 記録係が慌てて台帳を開く。


「北第三配分塔、現場工具箱、封泥削り小型魔工具、二号。前回点検は……半年以上前です」


 バルツが、低く唸った。


「半年か」


 カルムは、停止申告欄に書き足した。


 工具番号。北第三工具箱、封泥削り小型魔工具二号。

 前回点検、半年以上前。


「番号と繋がりました」


 その言葉は、小さい。

 だが、王都の現場で意味を持った。


 ラウレンが確認する。


「該当魔工具を外してください」


 マルカが手袋を確認し、封札整理台の作業者へ言った。


「触る人は手袋。使った手袋は黄板。工具は線を引きずらない。持ち上げて」


 作業者は、それに従う。


 小型魔工具が工具台から外され、封拭き待ちの黄板へ置かれた。


 リゼが測る。


「工具外側、低。柄元裂け目、低から中弱未満。導魔線裂け目周辺、中弱。封拭きではなく隔離してください。再使用不可です」


「危険値ではないのに?」


 王都側の若い技官が訊いた。


「使用すれば、また漏れる可能性があります」


 リゼは答えた。


「危険値ではないことと、使えることは別です」


 その言葉に、レンは胸の奥が少し熱くなるのを感じた。


 危険値ではないことと、測れる状態であることは別。

 危険値ではないことと、使えることは別。


 彼らは、同じ形をしている。


 基準値は必要だ。

 だが、基準値だけでは、ものの意味を決められない。


 該当魔工具の隔離と封札整理台まわりの確認が一段落すると、試験関係者は仮制御台の側へ戻った。

 マルカは仮札を作業台の横に残し、リゼは封瘴井側の再測定へ移る準備をした。

 カルムは停止申告欄を抱え、レンの隣ではなく、王都側の記録机の近くに立った。


 カイウスは、静かに言った。


「該当魔工具が原因であれば、それを外した時点で再開可能ではありませんか」


 レンは、首を横に振った。


「まだです」


「理由を」


 今度は、ラウレンが訊いた。


「封瘴井周辺の背景反応が残っています」


 レンは、塔の基礎と封瘴井の蓋縁を見た。


「今回の低度漏魔は、零偏環にも、封瘴井の測瘴値にもはっきり出ていませんでした。作業者の申告がなければ、北第三はそのまま続いていたはずです」


 北第三で上がっていたのは、送魔を滑らかにしてほしいという声ではなかった。


 見分けられない。


 昨日から残っていたものと、いまの送魔で漏れたものが、同じ低い反応に見えてしまう。低唸りや床下の湿りを見聞きしている現場は、しかしその違和感を数字で表すことが出来ないと訴えていたのだ。


「また初期脱瘴か」


 カイウスの声は、少しだけ硬かった。


「はい」


 レンは答えた。


「初期脱瘴です」


 作業員の何人かが、顔を見合わせる。


 時間がかかる。

 手間が増える。

 王都の北第三は、生活線につながっている。長く止めれば、下町も治療院も困る。


 その重さは、レンにも分かる。


 だから、言葉を選ぶ必要があった。


「初期脱瘴は、送魔を安定させるためではありません」


 レンは言った。


「測るためです」


 同じ言葉を、規格局でも言った。

 だが、現場で言うと重さが違う。


「いま、魔工具を外しました。これで新しく漏れる成分は減るはずです。ですが、封瘴井蓋縁や井口泥に古い残瘴(磁化)が残っていれば、次に同じような低い漏れが出ても、いま漏れた分なのか、前から残っていた分なのか見えません」


 リゼが続ける。


「背景反応を下げて、基準を取り直します。その後、同じ段階負荷で再測定します」


 バルツが、工具袋を肩から下ろした。


「やるなら、蓋縁からだ。井口の奥は、いきなり掻くな。乾いた泥がある」


 リゼは頷く。


「噴霧してからです。乾拭きは禁止です」


 セラが、王都側の記録へ書いた。


 該当魔工具外し後、封瘴井周辺初期脱瘴を通常手順で実施。

 目的、背景反応低減および再測定条件の復帰。

 ラウレンが、短く確認する。


「所要時間は」


 バルツが答えた。


「蓋縁と井口泥、封札整理場の床面だけなら、半刻で一次処理。奥までやるなら、今日は無理だ」


 リゼが補足した。


「今日必要なのは、再試験前の測定条件をそろえる範囲です。奥の本復旧は別記録にしてください」


 ラウレンは頷いた。


「では、一次初期脱瘴を実施。対象範囲は、封瘴井蓋縁、井口泥、封札整理場の床面、封札整理台脚元、導魔線接触床面。奥の本復旧は別件とします」


 カルムが停止申告欄へ書く。


 再開条件。

 該当魔工具隔離。

 封瘴井蓋縁、井口泥、封札整理場床面、封札整理台脚元の初期脱瘴。

 背景反応再測定。

 同段階負荷で再試験。


 レンは、封瘴井の蓋を見た。


 王都の整った塔の下で、地方から持ち込んだ札が立っている。


 その光景は、少し不格好だった。


 だが、不格好でも止まれた。


 それでいい。


【一言メモ】

この世界の送魔では、誰かが体調不良になるのは日常茶飯事で、あとは誰がどこで声を挙げるかだけの話です。仕込みとかではありません。


【用語】

(ルビ:現代の電磁気・科学にて相当する語。)

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ