【青】お姫様
「やることもないから屋上に来てみたけど、退屈だわ」
「ごめんなさい、でも」
「この街、誰もいないの?」
「え、あ、はい、誰もいません。住むことは許されていませんし、そもそも内部まで作りこまれていないものがほとんどです。僕も何故だかここを見てると懐かしくて」
「ハリボテね」
「ハリボテ……まぁそういう言い方もできますが、実は元々」
「こんなものを眺めて何が楽しいというの」
「これは機械伯が元々子供の頃に見た風景の再現だと聞きました。元々あの人は」
「感傷ね。アホらしいわ」
「それは」
「別に感傷は否定しないわ。思い出というものは人に必要なものだから」
「なら」
「でも感傷を形にしてしまうのは、過去の持つ無二の輝きをくだらない物質に零落させてしまう行為に等しいわ」
「過去を、ですか」
「お前はそうは思わないの?」
「僕には、その、わかりませんね。ほとんど」
「ああ、面倒臭い。いっそ、お前がここに住めばいいのに」
「それはその」
「冗談よ。だって私大人だもの」
「えっと」
「大人だもの、冗談くらい言うわ」
「僕はまだ子供です、たぶん」
「この塔、何もないのね」
「…………」
「本当、何もない」
真っ白な街を眺めてクレイユはそう言った。ひどくつまらなさそうに。
クレイユが来てから、次の日、特段やることのない彼女は、暇つぶしに塔を見て回っていた。
が、異様なほどせっかちかつ、根本的に効率を求める彼女は、そもそも暇つぶしというものに向いていないらしく、これでは適当な散策では一日も持たない可能性があった。
「空の上に、真っ白な街を創って、ずっと眺めている。おセンチとしか言いようがないわ」
純白の街の中、びゅうびゅう、と風が吹く。
髪をたなびかせるクレイユをケイは無言で見上げていた。
最上層、教会や祈祷場などの施設があるこの場所は塔の中で、唯一気持ちよく陽の光を浴びることのできる場所だ。
雪原に立つこの基地にとって、最も開放感がある場所といってもいい。
そのため塔の内部で職人や私兵たちの精神衛生のためにも休憩の際には解放されている。
「ちょっと、飛ぶわ」
不意に、クレイユはそんなことを言い出した。
そしてケイが「はい?」と聞き返す頃には、既に彼女は魔剣を抜いていた。
青い画面が、ぼう、と展開され、その身体が浮き上がり――空を蹴った。
「逃げはしないから、安心して」
その言葉を残して、みるみる内に彼女の姿は遠ざかっていく。
反応すらできなかったケイは、呆気にとられたようにその様を見ていた。
「――――」
だが真っ白な空に青い軌跡を残して飛ぶ彼女の姿は、遠めに見ても自分といた時よりも楽しそうで、その事実が少しだけ寂しいと感じている自分に気が付いた。
「……ごめんね、あのバカが迷惑をかけているみたいで」
そのとき、不意に背後から声をかけられた。
びくりと肩を上げてケイは振り返る。
するとそこにはクレイユと同じ“冬”の軍服に身を包んだ女性がいた。
「こんにちは、ケイ君」
「……お疲れ様です!」
一拍遅れてケイは返事をする。
その少し元気良すぎる返事に対し、軍人の女性は「ははっ」と笑ってみせた。
その事実にケイは思わず赤面する。
「私はクリオ。クリオ・リリック、階級は騎士長補佐です。お疲れ様です」
クリオと名乗った女性は冗談めかして“冬”式の敬礼をする。
短く切り揃えれらた金髪に、碧い瞳。顔つきは少し幼く、少女から抜け出したばかり、といった印象を抱かせた。
と、そこでケイは気づいた。
彼女こそ、昨夜クレイユのことを「お姫様」と揶揄した軍人だと。
「何か御用でしょうか?」
「いや、別に何もないよ。ウチのバカの世話をしているとか、そういう話を聞いてね。大変でしょ? そう思って、休憩時間に様子を見に来たの」
クリオはそこで空を見上げ、溜息を吐いた。
その視線の先には気ままに飛ぶクレイユの姿がある。
「仕事しないでいい身分はいいわね」
呆れたように、そう呟いた。
そういえば、とケイは気づく。
昨日やってきた“冬”の正規軍の人々は、魔剣の到着が遅れると知っても、クレイユのように暇つぶしに興じてはいなかった。
今朝方も青い軍服を身に纏った人々が、船や魔剣の整備や、物資の補給の手続きなどに従事しているが見えた。
「差別するなってのも難しいわね。己の不遇に外向きの言い訳ができてしまう人には、私たちは逆らえないもの」
「クレイユさんは」
「ん?」
「クレイユさんは、その、何か他の方と違うんですか? 身分とか」
塔という狭い世界しか知らないケイにとってしてみれば、軍内部の人間関係の機微は、把握しづらいところがあった。
「うーん、そうね」
尋ねるとクリオは腕を組み、思案の表情を浮かべた。
「あのお姫様は、あれでもウチの隊の精鋭だから、勝手をできると思ってるの。でも、実際はそうじゃない……言いたくはないけど、あの人の、義理の父上が問題」
「義理の……」
「コネって奴。まぁ、いいけどね。コネって、ある意味最強の実力だと、私は思ってるし。とはいえ、集団たる私たちからしたらまぁ、何か一言くらい言いたいわね」
はぁ、とクリオは息を吐いた。
クレイユと違い、小柄な彼女とケイは同じ目線になる。
だから、彼女がひどく疲れている顔を浮かべているのがよく見えた。
ちらり、とケイは空を見た。そこでは気ままに飛んでいる、クレイユの姿が見えた。
「クリオー!」
そこで彼女を呼ぶ声が聞こえた。
見ると、青い軍服を来た男性がこちらに手を振っている。
クリオはケイを一瞥し「じゃ、私戻るから」と告げ、彼の下へと走っていった。
やってきたのはクリオと同世代くらいの若い軍人で、ケイから見ても中々に顔が整っているように見えた。
「クリオ、俺の『フラウ』チューンしてもらったんだぜ。いやここの魔術師良い腕してるよ。呪文符合の置換とかもささっとやってくれてさ」
「もうサキト、基地の人に迷惑をかけないの。それに、なんでそれを私に真っ先に自慢するのよ」
「だってクリオ以外に、言う人いないだろ?」
元気よく言う彼に、クリオは呆れたように笑っている。
だがクレイユに向けたような疎ましさはそこになく、寧ろ深い親愛が感じられた。
彼らがはた目からも気を置けない仲であることは明らかで、付き合いの長い友人か、もしかするとそれ以上の関係なのかもしれないと、ケイは思った。
「――――」
風を切る音がして、ケイはそちらを窺った。
すると、空から戻ってきたクレイユがいた。
彼女は近くで談笑しているクリオたちを一瞥し、次に一瞬だけケイに視線を移したのち、何も言わずにその場を去ろうとした。
それを見たケイは急いで彼女の後を追う。
「待ってください」と呼びかけるも、振り返ってはくれなかった。