【紅】きっと、愛していた
『リカッソR』のコンバータがうなりを上げる。
橙の幻想が連鎖爆破を起こす。
メイズは、ばっ、とMTコートを広げ、その言語を受け止めた。
――考えろ
メイズはクアッドと打ち合いながら、思考を必死につなぎとめた。
駄目だ。ここで考えることを放棄してしまえば、すべて終わりだ。
「愛を、愛を、愛を」
“何をしてるんです! 殺せばいいじゃないですか! 今の僕は、敵ですよ! 敵なんですよ! いつもみたいに、殺してくださいよ!”
「黙ってろ! お前が敵かどうかは、私が決める!」
『フラグナッハ』で『リカッソR』の攻撃を受け流しつつ、メイズは判断を下した。
――賭けに出る
灰色による汚染がどのような性質のものだったかはわからない。
だが、その経路は二つに一つだ。
クアッド自身を呪ったか、あるいは彼と同調している魔剣を呪ったか。
呪いの対象がクアッド自身の場合、ここでは解呪の方法がない。
戦闘装備しか持ってきていな自分では破壊以外の行動は取れない。
未知の言語を解析し、それに対する抗体を用意することなど、どう考えても不可能だ。
――そう自分は破壊しかできない。ならば……
メイズは、かっ、と目を見開き、『フラグナッハ』を上段に構える。
汗ばむ手が震えぬよう、両手でしっかりと握った。
“メイズ?”
「一か八かだ。今からお前の魔剣を破壊する! 呪いの対象が魔剣なら、それで止められる!」
メイズは告げる。そして同時に翼を展開。急加速を駆ける。
急速接近に気付いたクアッドは『リカッソR』を振り回す。
だがそんな剣、何一つ怖くはない。極限の集中を以てして、メイズは『リカッソR』のコンバータを狙いを済ませた。
ここで求められる条件は二つ。
一つ、コンバータが爆発しないよう、動力部を一撃で潰すこと。
二つ、救うべき相手――クアッドを絶対に傷つけないこと。
“メイズ”
「なんだ!」
剣を向ける直前、画面に言葉が表示された。
“ちっこくて、残酷で、馬鹿で、アホで、鬼の血が入ったメイズ”
「僕は誰かを傷つける! でもみんな許してくれる! だからこそ!」
叫び過ぎて喉が枯れつつあるのか、クアッドの肉声はところどころ途切れていた。
“本音を言えば、僕は生きたいです”
「よく言った!」
ニッ、と笑って、メイズは魔剣を一閃した。
二人の身体が交錯する。
真っ白な空の下で、血まみれの剣士たちは、互いに剣を突き立てた。
……どさ、と音がした。
クアッドの身体が、堕ちていった。
魔剣のコンバータを破壊され、翼が動作しなくなったためだ。
彼の身体は数メトラ上から叩きつけられ、倒れ伏す。
からんからん、とコンバータに穴の空いた『リカッソR』が祈祷場を転がった。
「クアッド!」
メイズはその名を呼び、今持ちうるすべての力を速さに変えて、彼の下へと飛び立った。
着地し、走り寄り、抱き起し、もう一度彼の名を呼ぶ。
“――――”
画面には言葉は表示されない。
魔剣を破壊した以上、そこに残っていた僅かな意識もまるごと消し飛ばした。
クアッドのバイザーも既に砕け散り、その向こうから鳶色の髪をした青年の顔が覗いていた。
「目を開けろ、クアッド。君の、ちっこくて血なまぐさい、このメイズだぞ!」
クアッドは「う、ううう」と苦悶の声を漏らす。
頼む――言葉をかけてくれ。クアッドとして、確かな言葉を。
魔剣の破壊による解呪。
それはあまりにも強引な手だ。
魔剣が呪いの根源であるという楽観的な推測が前提となっている。
だが、メイズはそれに賭けた。一縷の望みが、そこにあったから。
「……メイズ」
不意に、クアッドが声を漏らした。
はっ、とメイズは目を見開く。名を呼んだ。これは――
「――愛してください」
彼はそう口にした。
「愛して、ください。愛してください。愛してください愛してください愛してください愛してください愛してください愛してください愛してください愛してください愛してください愛してください愛してください愛してください愛してください愛してください愛してください愛してください」
ぶつぶつと彼の言葉は続く。焦点の合わない眼差しで、彼はメイズに呼びかけている。
「愛してください」と。
わかっていた――魔剣の意識野が残っていた時点で、呪いの対象が、クアッド自身である可能性が高いことくらい。
だが――それでは彼は救えなかった。
なんの望みも、なかったんだ。
メイズは顔を俯かせた。その返り血にまみれた紅い髪が目元を覆う。
クアッドの身体を抱きとめる腕は震えていた。
けれども彼女は涙だけは流していなかった。
「僕は、不安だったんです、でも全部、貴方が許してくれると、思ったから、確かめたかったから」
「クアッド」
メイズは、絞り出すように、その名を口にした。
そして――最後に、微笑んだ。
「愛していたよ、きっと」
ずり、と奇妙な音が響いた。
それは、クアッドの首が跳ね飛ぶ音だった。
メイズは彼を斬り裂いた。
故あらば殺す。
それに偽りはない。
だから『フラグナッハ』でその肉を斬り裂いた。
彼の首からは血が噴水のように飛び出ている。
その赤い血を、メイズはその身体で受け止める。
その鮮血の紅はぞっとするほど美しく、そして温かった。
その温もりは深く、濃密で、淫靡な昂ぶりさえ感じられる。
一秒でも長く受け止めていたかった。
だが、その血の雨はすぐに止んで、クアッドの身体は無残に転がった。
「…………」
声はもう聞こえない。
紅に塗れた白き場所で、メイズはほんの少しだけ動きを止めていた。
「――シテ」
だが、その静寂も一瞬のものだった。
「愛シテ愛シテ愛シテ愛シテ、愛シテ」
メイズは顔を上げる。
そこには灰色の女王の身体がある。
倒れた彼女は、必死に絞り出すように、そんな声を漏らしている。
「誰モ、私ヲ。愛シテ、クレナカッタ、カラ」
「黙れ」
メイズは短くそう言い切ると『フラグナッハ』を砲撃態勢へと移行した。
テクストコンバータが獣のような唸り声をあげる。
画面にさまざまなウィンドウが開いては閉じ、ここまで裏で動かしていた『フラグナッハ』最大の言語を展開させる。
“駆逐”
その言葉とともに『フラグナッハ』より極限まで高められた真紅の刃が形成され――振り払われた。
白き世界を抉りながら刃は進む。
橙色も、灰色も、すべてを巻き込んで破壊した。
真紅の光が引くころには、白き広場にはもう、何も残っていなかった。
◇
「……これが、貴方の求めていた魔剣」
灰色の女王を吹き飛ばしたメイズに、背後から声をかけられた。
無言で彼女は振り返る。
そこには漆黒の少女が立っていた。
ルーシィ。
純白の世界の中、真っ黒な服を身に纏った彼女は、しかし、どこか周りの風景と馴染んでいるようにも見えた。
風に吹かれ揺れる前髪、アーチの向こうに広がる灰色の雲。それでいて瞳だけは鮮やかに赤い……
「黒の魔剣『ノワレクォード』」
彼女の手には細身の魔剣がある。
艶のない黒い装甲はぴっちりと閉じられ、刃も格納されている。
その様はまるで、眠っているように見えた。
「でもこの剣は、貴方には使えない。使われている言語を読み解くことができないから。でも……」
ルーシィが黒の魔剣を握りしめた。そして――目覚めた。
鍔に備えられたコンソールに光が灯る。
柄まで及ぶテクストコンバータが唸りを上げ稼働し、画面が展開された。
剣身を覆う装甲が開き、中から刀が姿を現す。
その刃が纏う色彩は――漆黒。
「この剣を、私ごと貴方に渡すよ。だから――連れていって」
“城へ”
少女の言葉が聞こえた。
そのとき紅のメイズは――
次回から視点人物が変わります。