【青】クレイユ・リクイエスト
クレイユがゆっくりと目を開けると馴染みのある天井が見えてきた。
飾り気のない無骨な造りの部屋、覚えのあるコンバータの振動音、そして寝心地の悪い硬いベッド。
間違いなくそこはキャロルフーケ2の中だった。
そう長い間ではないが、ROUGE隊として過ごした船に自分は帰ってきたらしい。
「お目覚め、おめでとう。何だか乱暴にされたみたいだけど」
不意に投げかけられた声にはっとしてクレイユが身体を起こすと、向かいのベッドに縮こまるレニの姿があった。
いつものだぼついた軍服を脱ぎ軽装となっていた彼女は、どこか投げやりな口調で言った。
「私らはVIP待遇。ほかの奴らは食堂とかに全員押し込められてる」
「……実質、貴方が隊を取りまとめていたものね」
クレイユは不明瞭な意識を覚ますために頬をパンパンと叩いた。
そして腹部に残る鈍い痛みに気が付く。
思い返せばメイズに捕まったあとの意識が途切れている。
恐らくあのあと、腹いせと言わんばかりにメイズに殴られて気絶したのではないだろうか。
だとすればトンデモない力だ、とクレイユはぼんやりと思った。
「まぁ貴方はそれ以上に色々面倒があると思うけどね、リクイエスト隊長」
レニはリクイエスト、という部分を強調して発言した。
何時もだったらきっとそこで会話が途切れていたはずだ。
だがクレイユはケイのことを思い返していた。
きっとどこかで、彼女のために戦っている彼のことを思い、再び口を開き、
「……ごめんなさい、全部押し付けてて」
クレイユは謝罪の言葉を告げた。
何時もの気丈な声より、少しだけ声のトーンを変えて。
するとレニは目を丸くしてこちらを見た。
「随分と殊勝な心掛けだ! ピンチになって優しくなった? リクイエスト宰相閣下の娘サン!」
そう言うレニの視線は醒めていて、口ぶりもこちらを突き放すものだった。
宰相の娘。それはつまり“冬”の最高権力者の娘に等しい。
たとえ血は繋がっていなくとも、数十人いるなかの一人に過ぎずとも、その一点だけで他の者とはすべて違う扱いになる。
「貴方だって貴方なりにつらいのはわかるけどね。
でもそれを言い訳として不貞腐れるのは、こっちとしては迷惑なんだよ!
子供か! 確かに義父上が義父上だ。
貴方はたとえ何をやって正当に評価されないかもしれないけど、でも逆に何をやったって許される立場にいるんだ。貴方が頼んだ物資はまず優先されるし、単独行動に命令無視だって、それが結果オーライでなくたって許される。許される前提の動きをアンタはしている」
それはクレイユへの糾弾だった。ぐっとクレイユは胸を押さえる。
それは心に鋭い刃を突き刺された気分だった。
だってそれはずっと彼女が気にしていたことで、目を逸らそうにもできなかった厭な真実だから。
思い起こされるのは最初に隊を率いたときのことだ。
20歳の頃、分不相応と知りつつも知りつつも隊長を務めた。
自分より経験も実力も上の部下たちに疎まれているのは知っていた。
知っていたからこそ必死に努力もしたつもりだった。毎日毎日剣を握って戦いに打ち込んだ。
厭な愛想笑いも浮かべた。
拒絶されると知りつつも必死に上に立とうとした。
だがそんなことを続けていった結果、心が軋んでいった。
それでまたミスをして――それなのに自分はどんどん立場が上がっていった。
異例の若さで騎士の立場を与えられ、その度にまた溝が深くなっていった。
そして――疲れてしまった。どうすればよかったのかは自分でもわからない。
クレイユは自分がどんな顔をしているのかわからなかった。
ただケイには見せたくないな、とぼんやりと思っていた。
「……何も、アンタだけじゃない」
レニはそこで乾いた笑い声を上げた。
「人望だけはあったのにはしゃぎ過ぎたサキトは勝手に死んで、クリオはあんな警告したのにブチ切れて死んだ。みんな、みんな、どっかで自分のことを優先しやがるんだ! くそう、くそう……勝手にしやがれみんな……私だって本当は……」
レニはそれから容量の得ないつぶやきをぶつぶつと漏らしていた。
それはひどく悔しそうな口ぶりだった。
「……クリオのこと、少しは悲しんでやってよ」
しばらくして、彼女はキッとクレイユを睨んだ。
「どうせあの娘がアンタのことをどう思っていたかなんて、想像したこともないんだろう?」「え……?」
クリオ。
クリオ・リリックの淡々とした口調を思い出す。
いつも快活な彼女も、自分の前に出るとなるとひどく事務的な口調になっていた。
だからクレイユもまた、ひどく醒めた対応を取っていた。
「ええと、大丈夫ですか?」
ふとそこで、扉の向こうから声が聞こえた。
クレイユとレニははっとして振り向いた。
「クレイユさんに、レニさん。どうも兄貴がお世話になりました。そんなお二方を閉じ込めてしまって、ごめんね」
「あの坊やの妹か」
レニが吐き捨てるように言った。
扉の向こうにいるのはルーシィ、ケイとうり二つの外見をした妹だ。
彼女がどうしてあの立場にいるのかはわからない。
だが状況を考えれば機械伯の息のかかった者はすべて敵と考えた方がいい――ケイ以外は。
「どうしたんだ? 私たちを笑いにきたのか!」
「違うよ、ただその、お腹とか空かないかなって思って」
扉越しに聞こえるルーシィの声に敵意は感じられない。
穏やかな少女のそれであり、ひどく状況にそぐわないものに聞こえた。
「ケイはどうなったの?」
クレイユは身を乗り出して尋ねた。
「アイツは、今どこに?」
「……大丈夫だよ、クレイユさん」
ルーシィはそこで少し笑ったようだった。
「兄貴はこっちに向かってる。それで私もそれに付き合う。それで全部おしまい――計画が終わったら解放してあげるから、それまで少し待っていて」
「付き合うって一体何なの? 計画って」
「大丈夫だから、安心して」
ルーシィは付け加えるように「食事、持ってこさせるね」と言って気配が遠ざかっていった。
クレイユは思わずその手で壁を強く殴りつけた。
鈍い音が響き渡り、打ち付けた掌が傷んだ。
だがそれ以上に、何もできない己の不甲斐なさが許せなかった。
「安心しなよ、私も同じ気持ちだからさ」
顔を上げると、レニがだぶついた軍服に袖を通しているのが見えた。
「こんな意味のわからない連中にやられるのは気に入らない」
レニはそこで眼鏡を、くい、と上げた。
「隊長《、、》さ、私の言うことを聞いてくれるか?」
「私は……」
「私のことを信じてくれるか! 私が貴方を別に嫌ってなんかないと、そう思える?」
クレイユは少しだけ、不安な心地になったが、それを振り払うように言った。
「私のことを嫌っているとしても、お前は割り切って戦える人だわ」
「正解! 私はそういう人間だ」
そこでレニはパチンと指を鳴らした。そして不意に眼鏡を外した。
「格納庫は既に抑えられている。だからここを脱出したところで魔剣を奪うことは難しい。だが……」
「あるのね、策が」
「ああ勿論。内通者がいることは見えてたんだ。策を打っておかない訳がないだろう? この船はもう機械伯のものじゃない、ROUGE隊のものなんだ」
そう言って不敵に笑っているところに、部屋の扉が開いた。
修道服を着た子供が軍用の携帯食料を持ってきていた。
「――自衛用の魔術を喰らえー!」
瞬間、レニが大声を上げて飛びかかった。
その手に握られた眼鏡が――次の瞬間、コンバータとなって光り輝いた。
子供は驚き、その目を覆った。その隙にレニがその身体に覆いかぶさった。
「行って隊長! 格納庫でなく、あのバカの部屋に一振りとっておきのが残ってる!」
その声と共に、クレイユは扉の外へと出た。
どこか胸に暖かいものを抱えながら、彼女は走り抜けるのだ。




