【紅】灰色の女王
“こちらメイズ、新型の位置がわかったぞ”
“本当ですか? それはよかった”
メッセージを交わしながら、メイズは翼を広げ――舞い上がる。
教会の屋根、白き女神の像が立ち並ぶ場所で、クアッドは待機していた。
制動をかけ、メイズは彼と同じ目線の高さに滞空する。
「誰ですそれ?」
クアッドが肉声で問いかけてきた。
バイザー越しに窺える視線の先には、メイズの腕に抱えられた少女がいた。
「誘拐した、情報源だ」
「はぁ?」
戸惑うように口を開けるクアッドに対し、漆黒の髪をした少女は柔和に微笑んで、
「ルーシィです。よろしくお願いします」
そう名乗った。
「だ、そうだ」
「なるほど、ルーシィちゃん。それはよかった……で、なんで彼女が情報源なんです?」
最もな疑問だ。
クアッドは口こそ悪いが、受け答えは常識的なものをする。
「私、ここで機械伯の子供として教育を受けているんです。だから、一昨日二騎の魔剣が、軍の人たちの手で運び込まれたのを見て……」
「だから場所を知っているってことですか? ううん……」
クアッドは合点が行かない様子であった。
確かにこの少女が機密である新型魔剣のことを知っているとは考えづらい。
よしんば知っているとしても、何故彼女が自分からそのことを告げるのか、それがわからない。
それは事実だ。
「嘘でもいいさ。私たちには時間もアテもない。罠にしては意味がわからな過ぎる。だからとりあえず行くんだよ」
だがメイズはそう言い切り、地図上に少女からの情報をマーキングした。
それは祈祷用の広場の隅だった。
「嘘じゃなかったら約束は守るよ、君」
「本当ですか? それはありがとう」
腕に抱えたルーシィにそう告げると、彼女は嬉しそうに微笑んだ。
「……わかりました。いや、よくわかりませんが、時間はないのも事実です。当てずっぽうよりマシと思って行くとしましょう」
クアッドも頷く。
それを確認すると、メイズは翼を再展開。
クアッドもそれに倣って、互いに一気に加速した。
言語で軽減されてはいるが、風圧はそれなりに強い。
メイズは片腕で少女を落とさないように、ぐっ、と力を込めて彼女の身体を押さえた。
「ところで君」
飛びながら、メイズは呼びかける。
するとルーシィは「何です?」と落ち着いた口調で返してきた。
「さっき君は魔剣が二騎運び込まれたと言っていたけど、それはどういうこと?」
少女は一瞬困ったように瞳を揺らして、
「そのままの意味ですけど……」
「新型の魔剣って、二騎あるの?」
「はい。私が見たときは、赤い魔剣と黒い魔剣がありました」
「なる、ほど」
メイズは眉をひそめた。数秒の沈黙ののち、彼女はコンソールを操作してメッセージを打ち込んだ。
“クアッド”
“どうしたんです? メイズ”
“目標はどうやら二つ存在するらしい”
一拍遅れて、
“僕は新型魔剣一騎を奪え、としか聞いてませんが”
“なんと私もだ”
“えっと、つまり?”
“情報にさらに穴がある。どちらを奪えばいいのか、一応両方狙った方がいいのか、それすらもわからない。というかもう事前情報は無視した方がいい気がする”
“舐めてるんですか? この依頼主!”
少し離れたところで飛行中のクアッドが、何やら口汚く悪態を吐いているのが見えた。
“わかっている。この仕事が終わったら詰め寄るつもりだ”
“僕等にも還元してくださいよ。メイズ、なぜか依頼主に丸め込まれるときがあるから”
“むむ”
“むむって可愛い反応すればいい訳じゃないですよ! これ終わったら僕はお金と休暇をもらいますからね!”
メイズは溜息を吐く。
まぁこの仕事を受けてきたのは自分なので、あまり強くは言い返せない。
「あ、あそこですよ、侵入者さん」
そんな二人のやり取りを知らないルーシィは穏やかな口調で声を上げ、広場の奥に存在するアーチ状の建物を指で示した。
メイズは共に翼を調整し、減速。アーチの目の前に着陸した。
「何もないが、ここに?」
「はい」
降り立ったルーシィはメイズの腕から抜け出し、アーチをくぐり向こう側に行った。
「魔剣は、この先にあります」
少女は静かに語り始めた。
「そして待っているんです」
「待っているって、何を?」
問いかけたメイズを、その赤い瞳が捉えた。
「クォード計画――貴方も知っているでしょう?」
その単語を聞いたとき、メイズは何も言うことができなかった。
“メイズ!”
「メイズ!」
その時、二つの言葉が重なるように響いた。
画面に表示されたのはクアッドよりの緊急メッセージ。
メイズは思考を中断し、振り返った。
“敵影あり! ものすごい勢いで近づいてきます。これは”
――空から、女が降ってきた
メッセージは途中で途切れた。
ごう、と鈍い音が空に轟く。メイズは飛んでいたクアッドが弾き飛ばされるのを見た。
「××××××」
彼女は甲高い声で何かをわめきながら。その両腕で自らの身体を抱いた。
その全長はメイズの十倍はあるだろう。
目元は包帯のような布にきつく縛られ、頬には涙がにじんでいる。
背負った翅は幾重にも重なり、まるで鎖のようだった。身に纏うドレスには絢爛な装飾を施されているが、そこには致命的に色彩というものが欠けていた。
――灰色の女王
そんな言葉が、脳裏に過った。
「クアッド!」
メイズは大きく声を上げ、翼を展開。
紅い幻想を振りまきながら、再度飛翔した。
“クアッド、無事か?”
“無事です。飛行も問題なくできます。直前に耐衝撃を効かせておいたのが効きました”
画面を確認。
広場の向こうで長身の剣士が立ち上がっているのが見えた。
クアッドだ。
報告通り、彼は戦線に戻ろうとしている。
“了解、それでこいつはなんだ?”
“蔵書と照合したんですけど、コイツ、妖精です”
“妖精? 何でそんなレアな奴が湧いて出てくる。異物じゃないのか?”
“違います。こいつは――人間です。でもってなんで妖精がいるのかは、僕に聞かないでください!”
言葉を交わしてる間にも妖精は動き出す。
「××××××!」こちらには聞き取れない言葉で彼女はわめき散らし、そして腕をゆっくりと広げ――その胸元より灰色の光の弾を雨あられと放出した。
「っ!」
その光に本能的な危険を感じ取ったメイズは翼を動かし上昇。
弾に当たらない軌道を描きながら上空へと飛び上がる。
“照合結果、呪術の一種と思われる。触れた場合、概念強度が一定以下の存在は存在を破壊される”途中、画面に光弾の解析結果が表示される。予想通り――これは攻撃だ。
“クアッド、この妖精を敵と認定。呼称は灰色だ”
“了解。識別を設定。コイツ、どうしますか?”
“出現時の速度を考えれば撤退は難しい。速やかに撃破する”
同じ高度まで飛び上がったメイズとクアッドは一瞬の通信を交わす。
そして止まることなく、共に翼を広げ、灰色と名付けた巨大な妖精と向き合った。
“私が前に出る。お前は奴を一撃で殲滅できるだけの言語を展開しろ”
“了解――どうか死なないで、メイズ”
その言葉と共にメイズは急下降。
上空より『フラグナッハ』を以てして灰色へと果敢に飛びかかる。
「×××××!」彼女の甲高い言葉がうっとうしい。猛然と迫ってくる巨体に、メイズは唾を吐いた。
「殺す」
灰色は光の弾を無数に放出する。
数は多いが、動きは早くない。画面に表示されるデータから軌道を計算。
示されるデータに合わせてジグザグなマヌーバを取る。
「敵は、殺さないと」
同時に『フラグナッハ』を砲撃態勢へ行こう。
テクストコンバータが稼働。
無数の紅い幻想が粒子となって吐き出されていく。
ドドドド、と音を立てて剣身より弾丸が射出。巨体で緩慢な動作しかできない灰色は直撃を免れない。
「××××××!」
叫び声が上がる。
うるさい、とメイズは吐き捨てた。
灰色は身を捩りながらも、再度手を振り上げ、メイズへと光弾が集中していく。
それを確認すると、一瞬、メイズは頭上を見上げた。
「――――」
そこには翼を広げ、魔剣『リカッソR』を構えるクアッドがいる。
テクストコンバータがけたたましい唸りを上げ、橙色の幻想が真っ白な空を汚している。
あの言語が完成するまで、自分は下で持ちこたえればいい。
“時間は?”
“あと十五”
画面越しに最低限の会話を交わす。それで十分だ。
メイズは『フラグナッハ』を振り上げ、灰色の光の中を舞うように飛んだ。
光と光の間を縫うように滑空する。一発だって当たりはしない。
「×××××!」
「殺す」
とっととそのドレスを引き裂き、中に積もった臓物をぐちゃぐちゃにかき乱してやる。妖精だとしても、生きているのならば血ぐらい流れる。ならきっと殺せる。跳ね上がる血まみれのコートを視界の隅に入れながら、メイズは笑い出したい気分だった。
昂る意識と裏腹に、同時に、自分の胸の底が醒めていくことをメイズは感じていた。
上も、下も、右も、左も、前も、後ろも、すべての動きを把握できる。
クリアな視界の下、彼女は飛んだ。そして――クアッドの攻撃が迫る。
残り五秒、あの異様な叫びはまだ止まらない。
残り四秒、クアッドの魔剣に幻想が収束していくのが窺えた。
残り三秒、苦し気に妖精が頭を抑える――死ね。
残り二秒、光弾がMTコートの裾を掠めた。
残り一秒、メイズは翼を展開、灰色から一気に距離を取った。
“爆撃開始”
――瞬間、空が割れた。
クアッドが構えた『リカッソR』より無数の幻想が爆弾と化して、雪崩のように落ちてい来る。
炸裂する光と灰色の悲鳴。眩い閃光が連鎖して敵の身を貫き、引き裂いていく。
メイズは爆風から顔を覆いつつも、無残にやられていく敵を見て、ほくそ笑んだ。
“解析終了”
同時に画面に文字が表示される。
“敵の言語の解析が終了。照合の結果、12世紀にこの地方で使用されていた地方言語と判明。低地クーゼリオン語からの派生と思われる”
その言葉と同時に、敵の言葉が聞き取れるものに置き換わった。
「愛シテ愛シテ愛シテ愛シテ愛シテ愛シテ愛シテ愛シテ愛シテ愛シテ愛シテ愛シテ愛シテ愛シテ愛シテ愛シテ愛シテ愛シテ愛シテ、誰カ私ヲ、愛シテ……」
爆撃されながらも、灰色はそんな叫びを上げている。
「意味不明、か」
照合されたところで、この妖精の正体はわからなかった。
ただ『リカッソR』による集中爆撃を受け、彼女が力なく倒れていくのが見えた。
静かに白い煙が上がる。
妖精の灰色は血は吐かなかった。ただ倒れたまま「愛シテ愛シテ愛シテ」と壊れた人形のように繰り返すのみだ。
“撃破、か。ご苦労だったなクアッド”
息を吐き、メイズはそうメッセージを送る。
想定外の敵だったが、しかし退けることはできた。ちら、と彼女は背後を振り返る。
アーチの陰に隠れるようにルーシィが立っている。
彼女は運よく戦闘の被害を受けなかったようで、無邪気な笑みと共にメイズを見上げている。
その笑みを、メイズは無感動に見返した。
“クアッド、とにかくここは”
“待って、ください”
その時、画面にノイズが走った。はっ、としてメイズはクアッドを見上げた。
「あああ、ああああああああ!」
“メイズ、逃げてください! 僕から”
二つの言葉が重なった。
クアッドが頭を抑え、口元は苦悶に歪んでいるのが見える。メイズはそんな彼の様子に「お、おい」と声をかけるが――
「愛し、て」
――クアッドの口からそんな声が漏れ出した。
メイズは思わず目を見開く。
そうしているうちに、クアッドは甲高い叫びを上げ『リカッソR』を掲げ襲いかかってくる。
「クアッド!」
「僕を、愛してください、メイズ」
『リカッソR』と『フラグナッハ』の刃が激突する。
紅と橙の幻想がぶつかり、混ざり合いながら明滅する。ぎりぎりと魔剣同士で押し合いながら
「クアッド!」とメイズは再度呼びかけた。
“ごめん、なさい。メイズ、どうやら僕は呪われたみたいです”
画面にクアッドの言葉が表示される。
その向こうには半狂乱となったクアッドの顔が見える。
「どういうことだ!」
“どうやらあの光弾に触れてしまっていたみたいです。初撃のときに”
メイズの脳裏に灰色出現時の光景が過る。
不意を突かれたクアッドはあのとき弾き飛ばされていた。
「愛して、ねえ、愛してくださいよ。僕は」
“どうやらあの光に触れた人間に強烈な呪いをかけるようです。魔剣と同調しているこの意識野はかろうじて解除できましたが”
だから画面での通信は可能なのか。
とはいえ、クアッドおよび『リカッソR』の主導権は完全に握られているようだ。
「汚染経路は!」
叫ぶようにメイズは問う。こうなった以上、外部から解除するほかにない。
“わかりません。僕自身に呪いをかけたのか、それとも魔剣のOSを狙ったのか……!”
「僕は、わからなかったんです。愛が……」
舌打ちし、メイズは『フラグナッハ』を力を込めて振り払う。
それだけでクアッドの剣は意図も容易く弾くことができた。
「愛して、愛して、愛して」
呪いを受けた彼の剣は、普段の彼の剣裁きとは全く違う。
単調な動きしかできず、コンバータの制御も滅茶苦茶だ。
――殺すことは簡単にできる
メイズは「クアッド!」と彼の名を叫ぶ。
「ここで解呪するための装備はない。解析するにしたって時間もない」
“はい、だから”
クアッドは剣を振るう。ぶうん、ぶうん、と風を切る音がする。
翼を広げ、メイズはその剣を避けつつ、彼とつかず離れずの距離を保つ。
その間にも、クアッドは言葉をかけてくる。
「僕を、愛してください」
“僕を、殺してください”