【紅】全部消して
「あの部屋に、人が生きていた痕跡はなかった。何もかもがぴかぴかだった」
メイズはアマーリアに対して告げた。
「寝泊まりしたときに気が付いたよ。それに、そもそも戦争で全部焼けたのなら、何故このお屋敷だけ残っているんだ?」
メイズの言葉に対して、アマーリアは答えない。
ただ動かなくなったオルガの身体を抱きしめている。
「少女機械って何だ?」
そんな彼女に対して、メイズは『フラグナッハ』をその背中に向け、突き放すように尋ねた。
「……ここは三号舞台、正確には高次幻想干渉第三研究施設」
するとアマーリアは、ゆっくりと語り始めた。
その言葉は今までの仰々しいそれは打って変わって淡々とした、平坦なものだった。
「ここで行われていた研究は一つ。それは――機械に対して虚構の言語を刻むこと」
アマーリアはゆっくりと顔を上げた。
そこにあったのは、あらゆる感情の抜け落ちた表情だった。
笑みもなく、涙もなく、人形のような空虚な美しさだけがそこには残されていた。
「機械はその身に記憶の言語を刻むことで自我を形成する。それによって、朽ちない身体を得るも可能になる……それをさらに発展させたのが、少女機械。
存在しなかった虚構を基にした言語であっても、それが自我を形成するのかを確かめるために行われた実験」
メイズは合点が行く。
つまるところ、オルガが語ってみせた記憶は、すべて虚構だったのだろう。
彼女に傷を負った父はいなかった。
ともに過ごした姉妹もいなかった。次第に湧いてきた愛情も、胸に誓った復讐も、その狭間にあった葛藤も、そもそも存在しなかった。
そういうものがあったという、そんな記憶だけを与えられて、生きてきた。
そしてオルガが見せた圧倒的な戦闘能力も合点が行く。
自在に言語を改変できるのだから、最初から兵器として機械を生み出すことさえ可能になるのだろう。
「初期の少女機械には一つ欠点があった。
自我として刻む言語に“終わり”ともいうべき到達点を設定していなかったため。
“終わり”のない存在はあり得ない。存在がどこまでも膨れ上がり、果てには制御できなくなる可能性があった。
だから言語に意図的な“終わり”が組み込まれた。
少女機械は定められた結末で必ず消滅するように設定した。
疑似的な寿命だった。
そしてオルガは復讐と愛に揺る少女として生まれた。
だからその二つが“終わった”と、あの娘自身がどうしようもなく思ってしまった時点で、結末を迎えた」
アマーリアはオルガの身体をもう一度抱きしめる。
「貴方たちが、最後の登場人物だった。この施設に訪れることができるのは、少女機械に対して何かしらの変化を与えることができる人間のみ。そういう、研究所だったから」
「君はどうなんだ?」
メイズが尋ねると、再びアマーリアは表情を消した。
「君も少女機械なんだろう? じゃあ、君はどんな言語をその身に宿していたんだ。あんな雪の中で一体何を探していたんだ」
「……もう、どうでもいいじゃない、そんなこと」
アマーリアは顔を俯かせた。
「私も、オルガも“終わり”を迎えたかった……!
こんな嘘しかない人生なんて、意味がないと思ってた。思いたかった!
でも、この身に刻まれた記憶を、無価値だなんて切り捨てることもできなくて、だから――いないはずのあの人が来るのを、ずっと待ってたのに!」
アマーリアは口調はいつの間にか大きく変わってしまっている。
おそらく、この口調の方が彼女の本来の言葉なのだろう。
今までの、何かを演ずるような大仰な振る舞いは――きっと彼女なりの皮肉だ。
虚飾にまみれた、自分自身への。
アマーリアはそこで不意に、そんな皮肉まみれの口調に戻って、
「感謝しますわ、お客様方、オルガの幕を引いてくれて」
そう言い放った。
朗々と、表情豊かに、悲しみに満ちた表情を一瞬で彼女は作り上げていた。
「私は、まだここで待っていますから。あの日の奇跡が胸にある限り、ずっとここで待っていられるのです。それがたとえ、単なる虚構だとしても……」
「じゃあ、消そうか。その言語」
「え」とアマ―リアは声を漏らした。
振り返ったその先にいたのは黒の魔剣を起動させたルーシィだった。
その手に握られた『ノワレクォード』は漆黒の幻想を吐き出している。
「つらいのなら、貴方の中の言語をすべて消してあげる」
「できるの? そんなこと」
「うん。私ならできるよ、というよりむしろ……」
ルーシィはそこで少し息を吐いた。吐息はほのかに白く染まり、消えていった。
「そのために私は貴方に会いに来た」
「……そういうことね」
ルーシィはおもむろに『ノワレクォード』を振り上げた。
「おい、どういうことだ」
ついていけていないメイズは思わず口を挟んだ。
「一体何を知っている? 誘拐娘」
「クォード計画」
「それが何だ。その計画は――ただの新型魔剣の開発計画だろう?」
「この魔剣はね、刻まれた言語を消すために造られたの」
魔剣の剣身に漆黒の色彩が収束していく。
テクストコンバータがうなりを上げ、一面をすべて真黒に塗りつぶしていった。
「すべて“終わり”なの?」
アマーリアはその色彩を見上げ、何かに焦がれるような口調で呟いた。
「ううん、“終わり”じゃない。全部なかったことになるの」
「最初から、最後まで?」
「うん」
「――そう」
「厭?」
「いいえ、もう疲れたから――ないはずのものを、想い続けるのは」
だからお願い、とアマーリアは言った。
「全部消して」
◇
……実験騎弐号《X-002-RL》『ノワレクォード』の高次幻想干渉の動作は正常であることが示され、計画は第三段階に突入します。
ただ記憶ごと言語を消去された少女機械が、全く異質なものへと変貌することは、全く予期できなかったことでした。
次回、恒例の視点変更。




