【紅】『オルガ』
「この部屋、実は昔オルガのご主人様たちが使っていた部屋なのです」
アマーリアは戻ってくるなり、いきなり部屋にやってきてそんなことを告げた。
「二十年前までこの部屋で寝ていたのですよ、貴方たちのように」
彼女の衣装はまた変わっていた。
ひらひらとたなびく青いスカーフを纏った彼女は、透き通る声で言う。
そんな彼女を前に、メイズとルーシィは互いに顔を見合わせる。
「ふうん」「なるほど」とどうでもよさそうな相槌を互いに打った。
食卓にてオルガとだらだらと話していたが、彼女が掃除を始めてしまうと途端にやることがなくなってしまった。
仕方なく部屋でごろごろとしながら二人で過ごしているところに、雪原で何かを探していたアマーリアがやってきたのである。
「それでゲスト方々、少し言語をお話ししましょう」
彼女はそこで不敵に笑った。
「……とあるところに少女がいました。少女には母親がおらず、一人の父親の下で育てられました」
そうして朗々と語り始めた。
透き通るような言葉で、とある言語を謳い上げる。
「……けれどもその少女の父親はある時事故で足を折ってしまいました。
それまで力仕事で必死に稼いでいた父親は、当然ながらうまくお金を稼ぐことができなくなりました。
どうしようもなくなった彼は、娘である少女を働かせることにしました。
そうして訪れたのは、街の真ん中にある大きなお屋敷です。
そこはこの街一番のお金持ちが住んでいて、父親は彼に頼み込んで侍女として少女を使ってもらうことにしました。ちょうどお金持ちには少女と同世代くらいの娘がおり、また新築したばかりのお屋敷だったので人手も足らず、彼女らの遊び相手も兼ねて働いてもらうことにしたのです。
お屋敷の姉妹は少女のことを歓迎しました。
少女は父親を養うだけのお金ももらったうえで、健やかに毎日を過ごしました」
「それってオルガさんの話?」
ルーシィが口を挟んだ。アマーリアは「さてさて」と言って、言葉を続けた。
「ただ一つ問題がありました少女がその屋敷に来る前のことです。
彼女は父親に対して、こう言われていたのです」
――あの姉妹に、復讐をしてほしい、と
【父はあの屋敷に関わる者すべてを憎んでいた。
屋敷の主人はもちろん、その妻も、娘も、親類も、お屋敷でぬくぬくと暮らす者たちすべてを殺したいほどに憎んでいた。
父が足を喪うことになったのは、お屋敷を新築するための現場だった。
そこで××××さまの誕生日に合わせるためにとにかく早くお屋敷を完成させたい。
そんな要望のために、現場はかなり無理を要求されたことで事故は起き、父は立つことができなくなってしまった。
かつて戦士だった父は、戦場でなく、こんな場所で己の足を喪った自分を歩けなくなったこと以上に恥じたのだ。
誰が悪かったのかは一概には言えない。
しかしそのような事故が起こってしまったことに、屋敷の主人にも負い目があったことは事実だったのだろう。だからこそ私を働かせることに同意してくれたに違いない。】
メイズは無言だった。
ただやれやれ、と息を吐き、枕元に置いておいた『フラグナッハ』を引き寄せた。
【そうして送り込まれた私は、なので、姉妹たちのことが本当は嫌いだった。
心の底から嫌いだった。
別に姉妹たちは何も悪くはない。そんなことは分かっている。
けれども私は今まで育ててくれた父のことを愛していた。
だから父の憎悪だって、同じくらいには分かっていた。
その憎しみに応えるべく、私は姉妹たちを八つ裂きにして、この家に対して復讐する機会をずっと窺っていた。
ただ――姉妹たちはひどく優しい人たちだった。
立場の違いを鼻にかけることなく、■■■さまも××××さまも新しくやってきた“家族”として私を受け入れてくれた。
そしてその事実こそが――最も許しがたいことだった。
立つことができなくなった父が、ああも醜い嫉妬と逆恨みに身を堕とすしかなかったのに、恵まれたこの姉妹は、こうも優しく、美しい存在であり続けている。
“家族”として私を見てくれる姉妹たちのことを、私だって当然好きになっていた。
でも好きになればなるほど、その現実が憎く感じられた。
だからその日、私は本当に姉妹を殺してしまうつもりだった。
なのに――】
「でも……二○年前のあの日、この街はすべて焼けてしまった……」
アマーリアの言葉を引き継いだのはオルガだった。
ゆっくりとした足取りでやってきた彼女は、顔を俯かせながらアマーリアの隣までやってくる。
「あの人たちは死んだ。■■■さまのも、××××さまも、お父様も死んだ」
すっ、とオルガは両手を上げた。
彼女の細い腕は、僅かに震えていた。
前髪の向こうに見える瞳は緊張に揺れていて、それを落ち着けるようにアマーリアが彼女の肩に手を置いた。
「“春”と“冬”の戦争に巻き込まれて、みんなみんな死んだ……!」
震える言葉と共に――オルガはその両腕を刃と化した。
放たれる高濃度の幻想。
右手には薄紅色が、左手には色鮮やかな緑色の色彩が渦を巻く。
異様な言語が彼女を貫くように生成され、世界へと吐き出されていく。
「今でも思うの……あの時の続きができるのなら……!」
「この二○年で持て余した殺意を発散するという訳か」
メイズはそう呟くと『フラグナッハ』を抜刀した。
装甲が飛び散り、細身の剣身が紅い幻想を纏う。
「ルーシィ、君は自分の身は自分で守ってくれ」
「……やれる限りはやるよ」
「最悪君は死んでもいいが、新型だけは守ってくれ」
「本当、ひどい人だよね、メイズさんって」
ルーシィも立ち上がり、また黒の魔剣『ノワレクォード』を起動させている。
メイズは視線をオルガとアマーリアから逸らさないまま、言った。
「正直、今回は君を守れる自信がない」
メイズは床を蹴り、窓をぶち破って部屋の外へと躍り出た。
身を襲う浮遊感と、突き放すような冷気。
「来るか、機械!」
魔剣に格納されていた翼が背中に展開され、メイズの身体は飛び上がり、画面を装着。
その一連の動作を狙って――オルガは襲い掛かってきた。
「困るの……今更、貴方みたいなのに舞台に上られても……!」
メイズの頭上に、オルガは突然姿を現した。
予備動作など一切なく、ただ当たり前のように彼女はそこにいた。
服に縫い付けられたフリルが空を舞う――そして彼女はその両腕を振るった。
二つの幻想が螺旋を描いてメイズへと襲いかかってきた。
「馬鹿みたいな言語の圧だ」
翼展開。
その巨大な砲撃を紙一重で避けていく。
MTコートを纏っていない今、少しでも攻撃を受ければ致命傷になりかねない。
そうでなくとも笑いたくなるような圧の言語なのだ。
魔剣のテクストコンバータなしでこれほどの幻想を操れるのは、それこそ妖精くらいなもののはずだろう。
と、そこまで考えてメイズの脳裏に塔での戦いがフラッシュバックする。
灰色の女王と、今目の前で必死の形相で迫ってくるオルガには何か通じるものが感じられる。
その直観が何を意味するのかまでは、メイズにはわからない。
――とにかく今はこの場を生き残る
そう思い、必死にメイズは空を飛ぶ。
眼下に広がるのは朽ち果てた街と、オルガが手入れをしていた庭園だ。
ここは二○年間、時が止まっていた場所だった。
その中を斬り裂くように、砲撃がメイズへと放たれる。
「やってくるか!」
メイズは叫びを上げる。
放たれた螺旋の砲撃はこちらをしつこく追尾してくるので、とにかく急旋回を繰り返すジグザグとした機動で立ち回るしかない。
「私はあの時、あの人たちに復讐することができなかった……!」
戦場の中心、館の真上に陣取る形でオルガは佇んでいる。
翼も画面もなしに空を舞う彼女の両腕からは、異様なまでに高濃度の幻想が収束している。
「それか――ちゃんとこの想いを伝えて、許してもらうことだってできなかった……!」
オルガの言葉。
それはきっと独白だ。誰にも伝えることができなかった彼女の言葉。
アマーリアが語った言語における結末。二十年前、彼女はすべてを喪った。
愛することも憎むことも、許すことも許されることも、受け入れることも拒絶することもできなかった。
決着を着けることができないまま、この館で止まった時間を過ごしていたのだろう。
――私たちは、食事いらないから
昨夜、台所に立っていたオルガが口にしていた言葉を思い出す。
機械である彼女らは、メイズが必要とするような食事はいらないのだろう。
にも関わらず二○年ぶりに来たメイズの言葉通り、すぐに食事が運ばれてきた。
それが意味することは一つだ。
「この二○年、ずっと同じことをしてきたのかい? 馬鹿だな、君たちは」
メイズは思わずそうこぼす。何の意味もない日々をずっと過ごしてきた。
すべてを喪う前の日常をただ模倣するだけの、無意味な行為。
それを続けてきたところに、メイズたちがやってきて、意味を与えてしまったのだ。
「貴方たちはこの言語の向こう側からやってきた……! 今更……! 私の言語を終わらせるために……!」
その叫びと同時に、オルガの存在が視界からかき消えた。
メイズは、はっ、とする。次の瞬間にはメイズの眼前にオルガが現れていた。
――速さじゃない!
オルガはどういう言語か不明だが、速度を上げたのではなく、跳躍を行ったのだ。回避機動中だったメイズは当然反応できない。
「貴方がきたところで……少女機械である私は……!」
オルガの顔が悲痛に歪む。同時に彼女はその腕をメイズへと振り上げた。
メイズは己の死を覚悟した。




