【紅】少女機械
【機械】
機械伯が用いる魔術。
本来の技術系統としては呪術に近いものと思われます。物質に既存の言語を転写することでその存在に自我を発生。成功すれば、自らの意識を別の器に移すことが可能になります。
また言語の完成度は、生まれる自我の濃度とでもいうべきものに直結します。
【私が■■■さまの衣装を選んでいると「むむん」と彼女は声を上げた。
いかがなさいましたか? と私が聞くと、彼女はこんなことを言うのだ。
「君、初めてだよな?」
■■■さまは寝ぐせのついた頭でそんなことを言った。
「確か父が新しい侍女が来るとか言ってた気がする。なるほど君がそうだったのか」
納得したように■■■さまは頷いた。彼女の声色はハキハキとしていて寝起きという風には見えない。
私はなんと答えるべきか少し考えたのち、
「いえ……もう三日目になりますが」
「え!?」
「一応、先日、父と合わせて挨拶もしたと思うのですが……」
「ええ!?」
■■■さまは大きく目を見開き、愕然とした表情で声を上げる。
話を合わせた方がよかったかと一瞬戸惑ったが、それを打ち消すような笑い声が後ろから聞こえてきた。
「姉さんは、とにかく感覚で生きている人だから」
××××さまだった。ずっと前に起きていた××××さまは既に整った身なりをしていて「あははは」と■■■さまと私のやり取りを笑っている。
「ごめんね、これから仲良くなっていきたいのに、失礼だよね。っていうか初めてあっときフレンドリーに『何でも聞いてくれ!』とか言ってたの、姉さんなのに」
ひとしきり笑い終えたのち、××××さまは私に対してそう告げた。
それを見た■■■さまは「むう……」と唸りを上げ、
「申し訳ない! 困ったことに全く思い出せない」
そう頭を下げて謝った。
その様に――私はただただ当惑してしまう。
私は彼女らの世話をする侍女に過ぎない。自分のことなど眼中にないのが当然なのだ。
だから端的に言って、私は面を喰らっていた。「あ」とか「え」とか変な声を出してしまったと思う。
うまい返しができなかったあたり、私も侍女としては失格だ。
「それで……失礼だが、もう一度名前を教えてはくれないか?」
顔を上げた■■■さまは、快活な表情でそう尋ねてきた。私は身を硬くしつつも己の名前を告げた】
……もしかするとそれが最初の記憶だったのかもしれない。
あの人たちが私の名前を覚えてくれたあの日、私は本当の意味で生まれ、ここまで生きてきた。
そう思える程度には、あの雪降る日での出来事は、私の目蓋にくっきりと焼き付いている。
◇
「寒すぎて死にそうだ、寧ろ何で自分が生きているのかわからない」
メイズは本当に、本当にげっそりとした顔でそうこぼした。
「寒いのなら、今までみたいに魔術で身体を守ればいいんじゃないの?」
と、隣を歩くルーシィが尋ねてきた。
彼女の真黒な修道服はそう厚手には見えないが、しかしこの寒さにおいても平気そうだった。
正気か君、とメイズは今まで以上にルーシィのことを怪訝な目で見た。
「君、寒さというものを知らないのか?」
「うーん、そうなのかも。塔にずっといる間に慣れちゃった」
メイズは大きく息を吐き、
「魔術はあんまり使えない。コンバータを稼働させればROUGE隊とかいう奴らに見つかるからな」
今のメイズは画面も翼も魔剣に格納する形で仕舞っている。
本当に僅かに魔術を行使して身体一帯を暖めているが、ほとんど気休めに近い。
メイズたちはROUGE隊の追撃を辛くも退けたが、とはいえ護衛の傭兵のほとんどを喪ってしまった。
彼らの死亡を直接確認した訳ではないので生きている可能性も十分あるが、だがむやみに探知魔術などを使って敵に居場所を悟られる訳にはいかなかった。
幸い一帯の幻想は濃いため最低限の魔術行使に限れば見つかることもないだろう。
なのでカールとの合流ポイントまで、メイズらは徒歩で移動することになった。
「こちらの被害は甚大だったが、向こうも相当な戦力を削れたはずだ」
少なくともカールの方で待ち伏せが成功した部隊に関しては、かなりの戦力を削れたという報告が上がっている。
――殲滅できなかったというのは気になるが
事前に確認してていた戦力比を考えればROUGE隊の母艦ごと撃破できていてもおかしくはなかった。
にも関わらず敵は残存し、こちらは六騎もの魔剣士を喪ったらしい。
カールが言うには敵も新型の魔剣を投入したとのことだったが。
それともあの青い精鋭さんかな、とメイズは戦場ですれ違った敵のことを思い出した。
「敵はいま戦力を必死に再編している最中のはずだ。いまのうちに補足できない距離まで逃げてしまいたい」
「迎え撃てばいいじゃないの? お兄さんの方の戦力と合流してさ」
「半端に戦闘を長引かせてどうするんだ。私たちは時間が経てば経つほど不利になる。正規軍の増援が来たら一気に形勢は苦しくなるんだ」
「へえ……そういうものなんだ」
ルーシィはぽりぽりと頬をかいた。
「とはいえどこかで休まないと身体の方が持たないな」
「でもこのままだと」
ルーシィが辺りを肩で示した。
辺り一面の銀世界がそこには広がっている。
「わかっている。野宿なんてしようものなら凍死一直線だ。だから君も考えなさい。これから私たちがどうすればいいか、どうすれば敵の追っ手から逃れることができるか」
メイズはそう言いながら、ルーシィとその両手で抱える魔剣を見た。
漆黒の魔剣はぴっちりと装甲を閉じている。
待機中となっているが、先の戦いでこの新型魔剣が見せたあの異常な魔術は記憶に新しい。
――過去の言語とか言っていたが
ルーシィの言葉を思い出す。
新型魔剣に搭載されていた見慣れぬ機構。
そして明らかにこの少女はその内容について知っていた。
加えて彼女はこう口にした。
クォード計画、と。
「なるほど……」
メイズは不意に、うんうん、と首を振った。
そして次に大きく胸を張って、
「分からんな、君が何者なのか、はっきり言って意味不明だ」
そう言い放った。
ひゅう、と風が吹いた。
風に巻き上げられた雪と幻想が、陽の光を受けて眩くきらめいた。
ルーシィは既に前を行ってしまっていた。
声が聞こえなかったのか、無視されたのか、どのみち寂しいものだ、とメイズは少し悲しく思う。
これがクアッドなら「メイズの応対が意味不明」「堂々と言うな」などバリエーションに飛んだ罵声を飛ばしてくれただろうに。
「いかんな、思いのほかアイツのことを引きずっている」
言いながらメイズは、しゃこしゃこ、と雪をブーツで踏み鳴らしてルーシィの隣まで進んだ。
「君、あの塔の一体何がそんな厭だったんだ」
「別に厭じゃなかったよ、前にも言ったでしょ」
「嘘だ。そうでなくては生まれ故郷を裏切るもんか」
しゃこ、しゃこ、と同じ音をルーシィも立てる。
「外に出られないことか?」
「違うよ」
「雪とか空とか」
「別に、嫌いじゃない」
「父か?
「まさか」
「兄か?」
そこで彼女はメイズの方を見上げて、
「兄貴のことは、大好きだよ、本当に」
ふふっ、と微笑んで見せた。
メイズはこう思う。やっぱり意味の分からない奴、と。
――いっそ拷問でもしてやろうか
こちらを煙に巻くようなことばかり言って本心が見えない奴だ。
丈夫な身体には見えないし、どこかで何発か殴ってみせてその本音を確かめてみるのもアリではないかという気がしてきた。
さっきまではROUGE隊の追撃からとにかく逃げることを第一にしていたため保留にしていたが、冷静に考えてみれば、出会いからここまで怪しさの塊のような奴なのだ。
ここまでこればこちらが不用意な動きをしない限り見つかることもないだろうし、ここで一つ確かめておくこともありだ――
「なんだか雪が急に少なくなってきたね」
「ああそうだな、私たちにとっては歩きやすくていいが、どこかで泊まれそうな場所はないか」
――などとそれなりに本気で考えつつも、表面上は和やかにメイズはルーシィと並んで雪原を歩いた。ルーシィの言葉通り、雪に深さが徐々になくなっていく。こころなしか空気も暖まってきたように思う。
「……あれは、家?」
そのまま歩を進めていくとルーシィが声を漏らした。
視線の先には、雪原のはるか先に立ち並ぶ建物がある。
近づいていくにつれてその輪郭は明確なものになっていく。
確かにそこには石でできたアーチがあり、塀があり、家があった。
それらが集まって、一つの街を形成している。
「…………」
ただしすべて朽ち果てていた。
屋根は崩れ落ち、壁は大きな罅が入っているものがほとんどだった。
近くでみれば、そこは既に終わった存在であることは明らかだった。
「なるほど少し暖かくなったと思ったのは、街の残滓のせいか」
かつてここが生きた街であった頃、この寒さを退けるための言語を刻んだに違いない。
それがメイズたちが足を踏み入れたことで多少なりとも機能し出したのだろう。
「……この街、戦争で焼けちゃったのかな?」
ぼそりとルーシィが呟いた。
「教会で習ったよ。この一帯は今でこそ戦場からも程遠いけど、何十年か前は“春”と“冬”が争っていたって」
「まぁそうだな。今じゃ完全に“冬”の勢力圏内だけど、当時はここで魔剣部隊が衝突して一帯の村を巻き込んだとかなんとか」
作戦前に聞いた内容を言いながら辺りを確認する。
道に刻まれた言語のおかげか道は固められ、歩きやすさは雪原とは比べものにならない。
ちょっと壁が大きいし、元々こことここの家には偉い人が住んでいたのかな、なんてメイズは街が生きていた時代を妄想した。
――ふとメイズは視線に気づいた
ばっ、とメイズは振り返る。
腰に挿していた魔剣『フラグナッハ』を抜き、両腕で構えた。
「ん? 誰かいたの?」
一拍遅れてルーシィがどこかぼんやりした声で振り返る。
メイズは彼女の質問に答えない。
突然の闖入者に対してどう対応するか、決めあぐねていたからだ。
「ごめんなさい。出会ってしまいましたわ」
そこにいた幼い少女は、メイズたちに微笑み、そこで、くるり、とつま先たちで舞ってみせた。
スカートに縫い付けられたフリルが愛らしく揺れる。
二つに結われた白金の髪がたおやかに踊った。
「話しかけるか、無視してしまうか、とても迷ったのですけど、見つかってしまったのだから仕方がありません。私たちは出会ったのです。さながら男と女が惹き合うように」
朗々と彼女は言葉を謳い上げる。
透き通るような声色が崩れ落ちた街に響き渡った。
「私はアマーリア。この地に解き放たれた少女機械の一人です。どうぞよろしく、血の匂いのするお姉さま方」
……その少女の在りように、何よりまずメイズは既視感を覚えていた。
そうまさに、隣に立つルーシィと出会ったときと同じ、現実のない出会いだった。
「変な人だね」
当のルーシィはそんなことを漏らしていた。正直、この時点ではまだ君の方が変だ。




