【紅】少女、強襲
【魔剣戦争】
……まず“冬”が戦争を初めて、“春”がそれに応じました。
“秋”はその間をいったりきたり、“夏”は放っておいても勝手に内戦をやっています。
四季女神様たちは、もうこの時代では何も語ってくれません。
それが14世紀末の情勢でした。
どろどろに溶けた幻想が、雲の上にはかかっている。
赤黄橙緑青紫、とあらゆる色彩をカンバスにぶちまけたかのような空の下、四騎の剣士が、翼を稼働させて飛行していた。
彼らはテクストコンバータの搭載された魔剣を手に、機械仕掛けの翼を広げている。
艶のない画面で顔を覆われたその表情は読めない。
それは一般的な“春”の剣士の装備であったが、違ったのはその色だ。
通常“春”の正規兵が身に纏うのは四季女神の情熱に沿う橙のコートであったが、彼らが身に着けているコートは漆黒で塗り固められている。
正規兵と同じくMT処理が施されているため、機能的にはなんら変わりはない。
しかし、外観はまるで――
“修道士みたいだ”
剣士の視界を覆うバイザーに、メッセージが表示された。
“あらためて見ると、そのなんだ、お前たち僧侶みたいだな”
それを聞いた剣士たちはみな笑ってしまった。
なぜならば、一緒に表示された送信者の表情に茶化すような色はなく、むしろ真顔そのものだったから。
剣士の一人が魔剣のコンソールを操作して返信する。
「俺たちが修道僧なら、女神は貴方ですよ、メイズ」と。
“むむん”
するとそんな表示が帰ってきた。
わざわざ「むむん」と打ち込んだのだろうか。
そう思うと、その事実がまた剣士たちには面白かった。
彼らは互いに見合わせ、少しだけ口元を緩めた。
照れてやがる。表情は顔はよく見えずとも、互いに思っていることはよく分かった。
“そう馬鹿ばかりを言うな”
再びメイズよりメッセージ。
先に冗談を言ったのは彼女だったが、しかしそのことを言及するものは誰もいない。
代わりに少しだけ、微笑んでいた。
“さて、もう少しで目標地点な訳だが”
しばらくして、再びメイズからのメッセージがバイザーに表示された。
同時に探知魔術に変化が生じる。
肉眼ではただの混沌としか認識できないこの空だが、
コンバータより生成される言語が導となってくれる。
“死ぬなよ。君らが死んだら、私が悲しむ”
そんなメッセージを受け取ると同時に、彼らはその場所へと到達した。
それは、あらゆる混沌を突き抜けて、まっすぐと起立している。
白き、巨塔だった。
外壁にはところどころ汚れが見え、経年劣化によるひび割れなども見えた。
だがそれも百年を超える年季を感じさせ、より堂々たるものへと、かの塔を足らしめているように見える。
近づくにつれ、狂ったオーロラが消えていく。
代わりに澄んだ青と、透き通るような白が広がっていった。
剣士たちは息を吸い、吐いた。弛緩していた空気は、もはやそこにはない。
“手筈通りに行くぞ。まず私とクアッドがペアを組んで、部隊を正面から爆撃。
遅れてリットとケインのペアが第三域ら侵入、陽動を頼む”
バイザーに表示される文面を剣士は眼で追い、無言で頷く。
魔剣のグリップを握る。
自分たちは今、敵地の空にいる。
安全な大地は遥かな下で、無秩序な幻想の雲に阻まれ見ることすら叶わない。
この機械の翼を喪えば、その時点でおしまいだ。
それでも生きて帰るにはどうすればいいか。
答えは一つしかない。そしてこの部隊全員それをわかっている。
“目標の新型魔剣が奪取でき次第、撤退する。
見つからない場合にもフェイズ4突入と同時に即座に撤退だ。わかったか?”
“もちろんです”
誰かが返信を送った。そしてそれが全員の総意であった。
“では”
メイズがそう言葉を返した。
そしてそれが、最後の合図となった。
彼女の翼が大きく開かれる。無骨な灰色の翼が白と青の世界に陰を作った。
同時にテクストコンバータが稼働する。
祈祷、魔術、邪教、呪術、神言、占星術、あらゆる言語が乱舞し、辺りの幻想をソースとし、新たな色彩を構築する。
それは、紅だった。
純然たる紅を纏ったメイズが、潔癖の塔へ翼を広げる。
それをクアッドと呼ばれた剣士が追った。彼もまたコンバータを稼働させ、赤に近い攻撃的な色を形成した。
――奇麗な色をしている
メイズの後を追いながら、彼は思った。
これから世界を蹂躙しようというのに、その色彩は限りなく純粋に近い。
ばさばさと舞うメイズの後ろ髪を見ながら、クアッドはそんな想いに囚われていた。
そしてそのまま、彼らは閉ざされた塔の世界へと降り立った。
◇
メイズは堕ちる。
どこまでも速く、鋭く、堕ちていく。
翼で最低限の着地点を調節しながら、彼女は風と同化しようとした。
塔の世界が見えてくる。
近づくにつれ空の青すら薄れていく。
純白の世界だ。
汚れのあった外壁とは違う。
塔の最上層に広がる世界は、外とは隔絶されなければ決して生み出せないような、純度の高い白であふれている。
煉瓦造りの道も、
乱雑に立ち並ぶ建物も、
道に生える樹々も
すべて――白だ。
白しか存在を許されない世界にあって、紅を纏うメイズは明確な異物だった。
そうと知っていながら、彼女は、加速する。白の世界に飛び込もうとする。
“気付かれました”
不意にバイザーにメッセージが表示される。
クアッドだ。
彼女の部下にして、今背中を預ける相手。
彼の言葉通り、バイザーにはこちらの迎撃に向かう騎影が確認されていた。
“分かってはいましたが、早いですね”
“寧ろ気づいてくれないと困るさ、私たちは囮でもあるんだ”
言いつつ、メイズは敵騎を確認する。
正面から現れた謎の敵に対して、現れた魔剣士は三騎。
蔵書と照合。敵の魔剣すべては魔剣『フラウ・フラウ』と識別された。
“冬”の一世代前の主力に当たる騎種だ。
最も見慣れた魔剣といってもいい。レーダーに頼らずとも、あの丸みを帯びた特徴的なフォルムは目に焼き付いていた。
そしてそれを操る剣士たちの青い衣装も。
あれは“冬”の正規軍の軍服だ。“冬”の魔剣士たちはメイズたちのように翼を背負ってはいない。
代わりにコンバータより球状のバリアを前面に展開し、そこに飛行の言語を刻みこんでいる。
“まずは向こうも様子見といったところだろう”
メイズは言った。
“堕ち切る前に、蹴散らすぞ”
瞬間、彼女の魔剣に搭載されたテクストコンバータが音を立てて稼働した。
紅が舞う。そうしてメイズは己の愛騎たる魔剣『フラグナッハ』を解放した。
魔剣に供えられていた装甲が弾け飛ぶ。そしてその刀身が露わになる。
臨戦状態の『フラグナッハ』は不格好な形状をしている。
片刃でかつ細い剣身にアンバランスなほどに大きなテクストコンバータが鍔に据えられている。
「来たか」
ぼそり、とメイズは呟く。
敵の一人が『フラウ・フラウ』を駆り、こちらに先行して向かってくる。
警告すらない迎撃。本来ならば起こりえない。
だが、こちらのコンバータが大型の言語を展開していることに気付いたのだろう。
その時点で、メイズたちが明確な害意を抱いていると断定したのだ。
その判断は、正しい。
メイズの『フラグナッハ』の最大火力は決して高くはないが、だが上空からここに至るまでにチャージしておいた幻想の量は相当に及ぶ。
それを砲撃用の言語にすべて放り込めば、相当な威力が出る。
塔に穴をあける程度は可能だろう。
ピンク色の塗装を施された『フラウ・フラウ』がやってくる。
チャージ中の『フラグナッハ』を襲うべく、猛然と敵の魔剣士が空を昇り詰めんと下方より疾駆してくる。
メイズはそれを確認すると、さらに加速した。
逃げるのではない。
紅の魔剣士は、敵へ向かって――堕ちた。
翼を広げ、髪が舞う。
風を切る音がする。
眼前に迫るは敵の存在のみ。
そして彼らは空にてすれ違う。
ほんの一瞬のクロスコンバット。
引き延ばされた時間の中で、彼らは互いの顔を見た。
――なんだ。
意外とハンサムじゃないか。
すれ違いざま、メイズは敵の顔を見てそんなことを思う。
しかしきっとそれは錯覚だろう。
だってその瞬間には、もう、彼は――両断されていたから。
ぱちん、と水風船がはじけるような音がする。
それはバリアごと肉を斬り裂かれる音だ。
メイズを迎撃しようとした魔剣士。
彼は白の世界をおびただしいほどの赤い血で汚すことになった。
降り注ぐ鮮血の雨を、メイズはその身で受け止めた。
「一騎、撃破」
メイズはそう言い放つと同時に――白の世界に降り立った。
翼は陸上戦を邪魔しないように瞬時に格納された。
そしてニッと笑みを浮かべる。人を殺すときは――できるだけ笑って殺したい。
同時に敵の死体も落ちてくる。どさ、と鈍い音がした。
頬をつたう敵の血を気持ち悪く思いながら、メイズは顔を上げる。
「――――」
そこには上空より襲いかかる敵がいた。
迎撃に現れた『フラウ・フラウ』使いの中の一騎だ。
「――――」
その敵は先ほどより何か叫びを上げている。
甲高くて聞き取れないその言葉は、きっと今しがた喪った仲間への慟哭だろう。
「気持ちはわかるよ、私もこんなことをされたら怒る」
言い放ちながら、メイズは白の街にぶちまけられた敵の死体を一瞥する。
名も知らぬ兵士。名も顔も声すらも知らない相手だが、きっとそう悪くない奴だったのだろう、たぶん。
“クアッド! そっちに一騎いったようだ。やれるな”
“わかってます、そちらこそご注意を。隊長は腕はともかく頭の方は鬼の血が入っててアレなんですから”
厭味を言われた。メイズは「む」とこぼす。
クアッドはいつもこちらが気にしていることを言う。
と、そんなやり取りを交わしつつも、彼らは『フラウ・フラウ』と接敵する。
二騎目の『フラウ・フラウ』は地上に降り立ったメイズに強襲をかけてくる。
近づくにつれ敵の顔が見えてくる。
軍服をまとった青年は、血走った目を見開きながら、メイズの上空10メトラで急制動。
減速しつつ砲撃態勢へと移行するのが見えた。
下方のメイズに対し、敵は上空を取り、そして連射の用意はできている。
この構図の時点で不利なのは自分だ。
それ故に――
「盾がいる」
言って、彼女は手近にあったものを盾にした。
それは敵の死体だった。
殺したばかりで体温の残っているそれを、メイズは掴み上げ、思いっきり投げた。
言語により強化された彼女の膂力は、空高く放り上げることに成功する。
臓物から血が零れ落ちる死体が宙を舞う。
ちょうど、『フラウ・フラウ』の射線上だった。
その瞬間、彼が息を呑んだのがわかった。
だがそれでも敵は砲撃を開始した。
攻勢の言語が刻まれた光の弾丸が、ドドド、とメイズへと襲いかかる。
「躊躇ったな」
その光の中、メイズもまた動いていた。
空から弾丸を降らせる敵に対し、彼女もまた『フラグナッハ』のトリガを引いている。
乱射する敵に対し、メイズが放ったのは一発だけ。
だがその一発は宙を舞う死体を超え――敵の胸を貫いていた。
一方、メイズを襲った光弾は大半は狙いがブれ見当違いの場所へと着弾し、
それ以外もメイズの羽織るMTコートに弾かれた。
「撃ちたくない気持ちも、よくわかる」
とん、と地を踏みしめ体制を立て直しつつ、メイズは堕ちていく敵に対してそう告げた。
ドサ、と鈍い音が立て続けに響いた。
放り投げた死体と、撃ち殺した敵の身体、その二つを無感動に眺めながらメイズは通信を入れた。
“そちらはどうだ”
返事は爆発で帰ってきた。
破壊されたコンバータが爆音を轟かせながら、空で『フラウ・フラウ』が爆散している。
“今終わりました”
“見りゃわかる”
“じゃあ聞かないでください、だから鬼の血が入っている人は”
毎度の悪態にムッとしつつ、メイズは通信を入れる。
クアッドだけでなく、別ルートから潜入しているリットとケインにも伝わる帯域でメッセージを送信。
“こちらはとりあえず迎撃部隊を片付けた。これよりフェイズ2へ移行”
“了解、フェイズ2へ移行します”とこの場にいないケインより返答。
“とりあえず接敵したのは駐留していた正規軍だけだが、おそらく機械伯の私兵軍がいる。データがない分、そちらの方が厄介かもしれん。注意しろ”
通信終了。
速やかにメイズたちは速やかに動き出す。
メイズは格納されていた翼を展開。
とん、と地面を蹴り、翼から得られる推力に身を任せる。
一方のクアッドはある程度の高度を保ったまま、メイズに追随するように上空を飛んでいる。
“君は空から私を援護してくれ、クアッド”
“いいですけど、隊長はどうするんです、上からの方が何かと有利でしょう”
“今、依頼主からもらっていた地図データと地形照合しているんだが、思いのほか精度が悪い。これでは新型の位置が大体しかわからない”
“はぁ?”と小ばかにする返答のあと、一拍遅れて、
“じゃあ、どうするんです? 基地の情報は内通者がいるから安心って”
“そうは言ってもないものはない。嘆く詰るより行動だ!”
至言だな、とメイズは自分の言葉に頷いた。
“……どうするんです?”
“その辺にいる奴を捕まえて拷問して新型の場所を吐かせる”
だから下から行くんだ、とメイズは言外に滲ませた。
白い街を疾駆しながらも、辺りに出歩いているものがいないかを見逃さないよう、画面をチェックする。
“例の新型ってあちらさんにとっても機密情報でしょ、その辺にいる奴が知っているんですか?”
“任せろ拷問は得意だ。最上層に運び込まれているのはわかってるんだし、知っている奴が見つかるまで繰り返せば辿り着く。あきらめるな”
“正気ですか? ちっこい身体で何体力馬鹿みたいなこと言ってるんです!”
“ちっこいは余計だ! 気にしてるんだ”
“知ってます! だから言ってるんです!”
“性格の悪い人!”
言葉を投げ合いながらも、メイズは街を駆け抜ける。
レーダーにて照合してみると、どうやらこの塔の最上層には思ったよりも人が割かれていない。
白で塗り固められた木々や噴水を横切りながらも、メイズはまだ誰も発見できずにいた。
生活感の感じられない街――どうもここは、ハリボテらしい。
街としての機能は既に持っておらず、あくまで再現しただけの場所。
一応の軍事基地にこんな場所があるのも不可解だ。
内通者からのデータにもここのデータは記載されていたが“特に意味はなし”とし書かれていなかった。
ならば気にしない。
メイズはそうシンプルに割り切り、他に人がいそうな場所を探した。
最上層に存在するのは言語船の発着場に、管制室、あとは祈祷用の広場と――教会と記されていた。
“よし決めた、教会に向かう。印を打っておけ”
“教会ですか?”
“新型の魔剣はだいたいこの辺りにあるらしく、そしてここに教会がある意味がわからない”
“だから怪しいって訳ですか?”
“あと拷問がやりやすいんだ。いるのが四季僧なのかクシェ僧なのかわからないが、坊さんは殴れば基本的に吐く”
“本当に慣れてるんですね、メイズ……”
もちろんだ、とメイズは返した。そこでふと気づく。画面に敵影が一つ。それも『フラウ・フラウ』より余ほど速い。
“精鋭か!”
面倒だ、とメイズは呟いた。
しかし戦闘は避けられそうにない。剣を握る手に汗が流れた。