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SoleiU Project  作者: 賀田 希道
第二次ヤシュニナ侵攻
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戦前会話

 鐘楼が崩れ落ちる。尖塔が地響きを上げて藻屑となる。


 豪炎が火鉢の音を鳴らし、地面が何度となく曲がって見える。まるで陽炎。大地も空気も大空さえも紅蓮に染まり、宿怨が漏れ出たように火種がいたるところで燻り、燃え広がる。大通りを伝い、烈火は進む。屍肉を燃料とし岩肌さえも嘗めて溶かして。


 崩れ去るは城壁、白喪の都市。永らく人々の支えとなってきた誇りの牙城。


 踏み躙るは軍靴、黒衣の猟兵。崩壊した城壁を乗り越え、獣のごとき咆哮を上げ、尊厳を踏み潰す邪悪。


 終末は唐突に、何者も予期できぬ方向からやってきた。何者も争うことができない軍容でもってやってきた。人はそれを運命と呼ぶ。圧倒的で壊滅的で破滅的なまでの理不尽な陵辱すら運命と。


 尊厳、自尊心、誇り、そんなものは塵芥にすぎない。積み重ねてきた歴史の重みなど、ちゃぶ台を返せば藻屑にすぎない。絶対堅固の不敗神話など破ってしまえばいいではないか。


 業火は燃える。燃え残りすら許さずに。燃えないものも燃やしてしまえ。黒煙をは狼煙、黒煙は兆し。亡国の証。一切合切何もかもが燃えてしまう。冬季の雪原すら土色に染め、降る白雪すら、濃雲すら消し去って、まるで春が訪れたかのような暖かさがザルツブルク・エルベンリーテを包んだ。


 瓦礫を踏み潰し、黒衣の猟兵が城壁を乗り越えていく。まるで巨大なアギトに噛み破られたかのように城門は破り砕かれ、残るは廃墟のみ。天高く突き出された長槍の先端には無数の首が突き刺さり、壁上には帝国旗が高らかに掲揚されていた。猟兵達の後には手首を拘束され、太首に縄がかけられた鉄鎧の兵士達が続く。


 尊厳を踏み躙るかのように彼らの愛馬は皆足の腱が切られ、立つことすらままならない。それを引き摺らせ、あまつさえ鞭を打つ行為はまさに蛮行、あるいは凶行と言えた。


 猟兵達の前を行くは赤髪の乙女。雪下であるにも関わらず軽装で、肢体を際立たせる革鎧のみを付けていた。赤い肌の馬の馬上から不遜な笑みを湛えて彼女は背後の猟兵達に最後の城壁すら打ち砕け、と命令を下した。


 一気呵成に猟兵達は最内壁へ襲い掛かる。陥落までには一時間とかからなかった。兵力が違いすぎる。壁下の猟兵達はざっと五万。壁上の兵士は3000に満たない。そも、彼らの兵力の大半は眼下の猟兵達の虜囚となっていた。


 ロサ公国の正規兵は約五万人。その内四万がザルツブルク・エルベンリーテに駐屯している。残りの一万は王都だ。国民皆兵制度を導入はしているが、兵役義務の期間は二年程度で、多くは予備役に回される。予備役を入れれば十万程度の増員が見込めるが、それは難しいだろう。


 ザルツブルク・エルベンリーテの市街から立ち上る黒煙は雪下の中でも遠い彼方まで見渡せる。周辺の村々は黒煙を見て、ザルツブルク・エルベンリーテの陥落を知り、そして公国の終焉を予感するはずだ。そんな中に無理に徴兵しようなどとすれば暴動が起きかねない。義勇兵を募るのが関の山だろう。


 「んー。ちょっと予想外ですね。まさかザルツブルク・エルベンリーテが陥ちるとは」


 ザルツブルク・エルベンリーテ陥落の報せを聞いた界別の才氏(ノウル・アイゼット)シドは一人、地図と睨めっこしながら言い訳を垂れる。彼の対面に立つこの国の公王ヘルムゴート・ビョール3世は渋面を浮かべていた。


 カスト・グアンザムの一角にある一室。部屋の中央に置かれた机にはロサ公国全体の地図が置かれ、その周りにはより詳細な地形を記した地図が丸められていた。可燃物が多いということもあり、暖炉はない。暖気を逃さないために窓もない。蝋燭の灯りだけがたよりの薄暗い部屋だ。


 「随分とやってくれたな。貴様の流した誤情報に釣られ、北方方面軍が出張ってきたのはいい。問題はその戦果だ。我が国の最重要拠点であるザルツブルク・エルベンリーテが陥ちたぞ、どうしてくれる」


 「弁明のしようもないですね。ですがそうなるとこっちも対策を考えなくちゃいけません。まずは戦うか、降伏するかの二択ですが」


 「そんなもの、戦うの一択、と言いたいが、実際に勝てるのか?ザルツブルク・エルベンリーテの敗残兵も含め王都内の兵士は一万弱だ。かなり厳しいと言わざるを得ない」


確かに、とシドは視線を再び王から地図へと落とす。


 ロサ公国の地形は大まかに分けて平原と各所の丘陵地帯によって構成されている。ザルツブルグ・エルベンリーテの背後にはカスト・グアンザムがある王都を隔てる丘陵地帯がある。無数の丘が並び立ち、最も小高い丘は500メートルほどもある。


 一万対五万。地形を利用すれば戦えないことはない数だ。下策、奇策、暴策のすべてを用いれば、少なからず勝機はあるようにシドには見えた。


 しかしシドは軍略家でも戦略家でもない。ことに用兵に関しては素人だ。カルバリーを連れてきてよかった、とシドは心の中で胸を撫で下ろした。


 本職には及ばないまでも純黒の(ヘテル・)師父(ベクトマーフ)カルバリーは多少の用兵経験がある。彼とシドの私兵を組み込めばロサ公国にも勝ち目があるかもしれない、と思ってはいたが、ザルツブルク・エルベンリーテを陥落させた敵将の将器を考えると勝率は一割もないだろう。


 「丘陵地帯で戦う。カスト・グアンザムで戦うよりも勝率は高い、と愚考いたします」

 「それは言わずもがなだ。問題はどのようにしてこの丘陵地帯で戦うかだ」


 緒戦、ザルツ平原での敗北に始まり、ザルツブルク・エルベンリーテを陥落させるまでにかかった日数はわずか三日。しかもザルツブルク・エルベンリーテについては城内の兵士が少なく、まともな防衛戦すらできなかった、という話だ。


 帝国軍も連戦により疲弊はするだろうから、城内で二日から三日は休息を取る、と推察できる。今頃はザルツブルク・エルベンリーテ内で略奪、徴発、婦女暴行、児童虐待、斬首、斬獲あめあられのお祭り騒ぎだろう。


 「まさか、陛下と王太女殿下が病床にふせっているという情報、数日間の温暖化程度でここまで苛烈に攻めてくるとは思いませんでしたが」


 「天候を操れるのなら元に戻すことも容易だろう?」


 「あいにくとロサ公国の天候を変えるためにかなりの魔力を使ってしまったので、元に戻すことができるのは、そうですね、四日後か五日後、ですかね。魔法と言っても万能じゃありません」


 「全く面倒を」

 「陛下の御意は得ておりますれば」


 「ああ、わかっている。貴様を野に放った余がおろかだった。まさかこうも夙く亡国の憂き目にさらされるとはな」


 シドがカスト・グアンザムの地下牢でヘルムゴートにした提案、それは国家を危機に陥れるという提案だ。最初こそ難色を示したが、国家の対外へ対する嫌悪性を打開するため、鬼のような形相でヘルムゴートはそれを受け入れた。


 「恨むぞ、才氏(アイゼット)シド」


 「はい。それはもちろん。ですが陛下、往々にして悪魔(ヴァール)との取引とはこういうものですよ?何かを手に入れるためには何かを犠牲にしなくてはならない。事実、北方方面軍の半分の戦力だけでロサ公国は亡国の憂き目にさらされている。私が何かするまでもなく、春がくればロサ公国は滅びていたでしょうね」


 「貴様っ!」


 地図の上に飛び乗り、シドの元まで歩くヘルムゴートは彼の前に仁王立ちになるや否や、そのすかした顔に蹴りを入れた。わずかにシドはのけぞるが、その顔に傷はない。それでも何度も何度もヘルムゴートはシドの顔に蹴りを入れた。


 それは地図がぐちゃぐちゃに破れるまで何度も。


 「貴様っ。貴様のような異邦人が亡国などと軽々しく口にするなよ。我らの先祖の愚行を笑ってよいのは同じ祖を持つ我らのみだ。貴様らの嘲笑、帝国の陵辱、それらはすべて外野の孺子共の戯言に過ぎぬと知れ!


 確かに余は貴様の甘言に乗った。国家を再生させるという戯言になぁ。だが、そのために国民が血反吐を吐く行為を許容していると、思っているのか?だとすれば貴様は他人の心のうちを測れぬ愚か者よ。心の本質を解せぬ愚劣な輩が国家の名を背負うとは聞いて呆れる。いかなる心持ちで今この場に立っているつもりだ!」


 鬼の形相で、苛烈にヘルムゴートはシドをなじる。言葉にできない罵詈雑言を浴びせる。胸ぐらを掴まれたシドは憤怒の表情に赤くなるヘルムゴートに冷笑を浮かべた。


 「何がおかしい」


 「いえ、本当にそうだな、と思ったもので」


 ヘルムゴートの手を振り解き、シドは何もない壁へ向く。


 「亡国などと軽々しく口にすべきではありませんでしたね。撤回させていただきます」


 暗闇の中、灰髪の少年が笑みを浮かべる。卑屈に、卑猥に。ヘルムゴートの背筋に悪寒が走る。今すぐにでも殴ってしまいたい気持ちを抑えながら彼の次の行動を伺った。


 「ですから、まぁ、なんです。ちょっとだけ本気を出します。本気で帝国を潰しましょう」

 「難しい、と言ってはいなかったか?」


 「ええ、ですから」


 ゆっくりとシドは自分のこめかみを人差し指でつついた。


 「本気で考えて本気で準備して本気で潰すんですよ」


✳︎

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