幕間——160年前の慟哭Ⅱ
メリュザンド・ハルジオンはその話を手紙越しに聞いた時、思わず吹き出した。同腹の姉、メルクサンドが目を丸くするくらい高らかに、無邪気に、小気味良く、メリュザンドは笑った。腹を抱え、玉座から転げ落ち、両足をバタバタと痙攣させる彼女を見て、玉座の隅に控えていたメルクサンドはもちろん、それを間近で見ていたメリュザンドのレギオン「アルヴ・スリープ」の主要メンバーは狼狽し、慌てたように隣同士で顔を見合わせた。
彼女の手から手紙が離れた時、すかさずメルクサンドはそれを床の上からひったくると、集まった主要メンバーと共にその中身を覗き込んだ。しかし彼らはメリュザンドのように笑うことはなく、その眉間に皺を寄せ、難しく厳めしい表情を浮かべた。
「メルクさん、これって乗るべきですか?」
「うーん、俺は断るべきだと思いますけどね。だって乗ればもう引き返せない。どれだけの損失を生むかわかったもんじゃない」
「メルクさん、お願いしますよ。筆頭のあのご機嫌な笑い声を聞いてください。あれ、絶対に乗り気ですって!」
「ぼくはやってもいいけどねぇ」「馬鹿!あんなチートの権化みてぇなレイドなんかできるか!一年前に挑戦してボコられたばっかだろうが!」
ガヤガヤと「アルヴ・スリープ」の主要メンバーは反対の意見を口々に連呼する。一部の戦闘狂は乗り気だったが、それを多数派が説得しようとあの手この手で彼らを思い止まらせた。それほどまでにメリュザンドがもらった手紙に書かれていた内容は衝撃的だった。
改めてメルクサンドは手紙へ視線を戻し、眉間の皺を濃くする。差出人は大手レギオン「七咎雑技団」のレギオンマスターのシド。内容は極めてシンプルで、一年前に「アルヴ・スリープ」が攻略に失敗したワールドレギオンレイドクエストに連名で挑まないか、という誘いだ。そのワールドレギオンレイドクエスト「終焉戦争」はある種のエンドコンテンツ、この「SoleiU Project」のラスボスとも呼ぶべき超高難易度ダンジョン「界国首都ルグブルズ」を攻略することを示す。
ダンジョン内のレイドボスは全部で10体。その内4体を攻略したところで「アルヴ・スリープ」は撤退を決めた。半分も倒していないのに攻略にかかった日数は約145日、月数に換算して五ヶ月近くかかっていることになる計算だ。費やした資源、得た資源を考えれば割に合わない。
「いや、やろうよ!」
しかしメリュザンドは笑顔で話に乗る、と宣言した。メルクサンドや否定派は表情が硬直し、頭が真っ白になる。言葉にしてしまえば「ひどい結果」で終わるのだが、実際に「界国首都ルグブルズ」で起きた出来事は言語に絶する。有り体に言えば最悪な結果に終わったのだ。
「アルヴ・スリープ」は「SoleiU Project」内で最強クラスのレギオンだ。それはプレイヤーの質においても、達成してきた偉業においてもだ。数多くの難関ダンジョン、難関クエストを完全攻略し、成してきた偉業はまさにすべてのプレイヤーの羨望の的といえる。レギオンマスターのメリュザンドがプレイヤーランキングにおいて上位を常にキープしていることを始め、数多くの上位プレイヤーが流星の星屑のように所属している、それが「アルヴ・スリープ」だ。
その「アルヴ・スリープ」が唯一敗北を喫したダンジョン、それが「界国首都ルグブルズ」だ。十の強大なレイドボス、並のレイドボス並みに強化されたモンスター達、悪質なまでのダンジョンギミックはまるで攻略させる意図をもって作られたわけではないように、容赦無く「アルヴ・スリープ」の精鋭達をなぶり、潰し、彼らにダンジョンの攻略を断念させた。
「メリュクス、あんたが悔しい想いをしてるっていうのはお姉ちゃんもわかるけどさ。七咎雑技団と組んだって結果は変わらないよ。あそこには『剣聖』や『殲滅皇』、『黒』に『怠堕狂い』みたいな猛者がいるけど、数が足りない。必要総数1296人のワールドレギオンレイドを攻略するには人手不足なんだって!」
「だいじょーぶ!あのシドだよ?お姉ちゃんよりも頭が良くて、悪辣なシドだよ?それくらいわかってるって!だからきっと似たよーな手紙を色んなレギオンに送ってるんじゃないかな?」
その言葉、自分と同じ蒼銀の髪の毛を持つメリュザンドの当たり障りのない言葉にメルクサンドは息を呑む。確かに、と納得する反面、しかし彼女はそれで首を縦に振ることはなかった。
「仮にそうだとして、どうして事前に教えてくれないのかしら?予め教えてくれないってことはよほどあぶない連中と取引をするってことじゃない?」
「そうですね。メルクさんの言に賛成します。あの『黒』のことです。ひょっとしたら『赫掌』や『界龍』のような無法者を連れてくるかも」
「うーん。それもあり得るかな。シドとレー君仲がいいし」
メンバーの一人の発言にメリュザンドは頷く。レー君とはレギオン「赫掌」のレギオンマスターであるレーヴェ・ナイヒルヌームのことだ。かつて同じレギオンに属していただけにその人となりをメリュザンドはもちろん、メルクサンドもまたよく知っている。有り体に言えば畜生、あるいは魔王という言葉がぴったりな苛烈で残虐なレーヴェの率いる「赫掌」と「アルヴ・スリープ」は何度となく激突した過去を持つ。「赫掌」に悪質な嫌がらせをされ、「SoleiU Project」を辞めたメンバーも何人もいる。
はっきり言えばメリュザンド自身はさほどレーヴェを嫌っているわけではないが、「アルヴ・スリープ」内では忌避すべき対象のように扱われている。禁句も禁句、なんなら一部の「アルヴ・スリープ」のメンバーは「赫掌」を潰すべきだ、と豪語している始末だ。
「もし『赫掌』と組む、なんて話になったらレギオン内で不満が爆発する。レイドの攻略で重要なのはプレイヤーの強さ以前に連携よ?強いプレイヤーを集めるためにその大前提をかなぐり捨てるなんて、ひょっとしてシド馬鹿になったのかしら?」
「お姉ちゃん、口が悪いよ。あのシドがそんな、そんな……あ、でもこの前セナから送ってもらったメッセージで毒キノコ大食い我慢大会とかやって、死んだって言ってたっけ」
「——やっぱ馬鹿になったんじゃないの?あるいはそのキノコで馬鹿になったか」
まっさかー、とメリュザンドは笑顔を浮かべるが、メルクサンドらは冷たい視線を彼女に向けた。「アルヴ・スリープ」の方針の最終決定権はメリュザンドにある。元々は自由奔放で破天荒、とかく危なっかしいメリュザンドを放っておけない人間が中心となって結成されたレギオンだ。彼女の方針に従うのは「アルヴ・スリープ」の本懐と言える。
しかし、時として反対することも大事だ。特に今回のようなレギオン全体の結束を揺るがすような可能性がある場合は特に。誤魔化すような笑みを浮かべるメリュザンドの前に立ち、彼女の双肩に手をおきながらあやすようにメルクサンドは話しかける。
「メリュクス、一応確認させて。あなたはどうしたい?シド君に協力するの?それともしないの?」
かつてない真剣な瞳、黄金の瞳は同じ色の瞳を写し、メルクサンドの瞳には可愛げのない渋い顔をしている自分の表情が写り込んできた。自然と両手に力が入り、呼吸は穏やかになっていく。自分の妹がなんと言うかわかってるからこそ、口元は緩んでしまう。瞳は潤んでしまう。意を決したはずの瞳は揺らぎ、眉は下がってしまった。
「——うん。あたしはシドに協力してもいいかなって思ってるよ。だって楽しそうじゃない!大手レギオンによる合同攻略!これが成った暁には『デイリー・SoleiU』の誌面をあたし達の偉業が飾るんだよ?」
それってすっごいことじゃん、と無邪気にメリュザンドは微笑んだ。彼女の気に当てられ、それまで難しい顔をしていたメルクサンド以外のメンバーも自然と表情がほころんだ。当のメルクサンドは、と言えばすでに意を決していた。
「わかった。じゃぁ返事を書いてらっしゃい。ちゃんとシド君宛てにね」
「もぉ、そんなのわかってるって、お姉ちゃん!」
軽やかな足取りでメリュザンドは自室へ駆けていく。その後ろ姿を見送ったメルクサンドはすぐに背後に立つメンバーへ振り向くと、ダンジョン攻略に参加可能なメンバーの選定をするように指示を出す。
——そしてこれより八ヶ月後、前人未到の「終焉戦争」は大レギオン連合によって攻略された。
——それが160年前の出来事。160年前の栄光だ。
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キャラクター紹介
メルクサンド・ハルジオン。種族、龍人系統。レベル150。趣味、妹の観察、魔法の研究。好きなもの、犬、おやき、メリュザンド。嫌いなもの、シド、レーヴェ、ノタ以下メリュザンドに悪影響を与えかねないもの全般。メリュザンドの実姉。大手レギオン「アルヴ・スリープ」のサブレギオンマスター。世界最高峰の魔法使いの一人。かつてシド、レーヴェと同じレギオンに所属していた。




