界別
ムンゾ王国最大の港イェスタの一角に建っている茶店。
数々の東方貿易の品々が行き交うイェスタでも珍しいはるか極東の国々の茶葉を取り扱う唯一の店であり、密かに茶葉の好事家達の間では人気な店の一つとして名が知れている。一見するとパブに見えるが、カウンターの背後には酒類ではなく茶葉の入ったガラス製の容器が飾ってありすぐに独特な雰囲気を感じることができる。
店内に流れる望郷を感じさせる和やかな音楽に耳を傾けつつ、客は運ばれてきた茶を口に含む。決してひっそりと音楽だけが流れているわけではなく、耳をすませばひそひそとした話し声が聞こえてくる。ただし何を話しているかまでわからない。
6月14日のこと、有力なヤシュニナ商人の一人であるノックストーン・カームフェルトはこの茶店を旧友に呼ばれて訪れていた。彼が店に入るとすぐに奥の席に座っていた青年が手を振った。外見年齢相応の可愛らしい仕草に山羊頭蓋の頭部をかき、ノックストーンは彼の対面に座った。
「……シド、話があると聞いたがなんだ?」
おかんむりな様子のノックストーンを見て、ニヤリと対面に座っていた少年は笑みを浮かべた。外見はエレ・アルカンで言うところの10代後半くらいだろう。灰色の長髪を後ろで束ね、漏れたわずかな髪が額にかかっている。瞳の色は角度によって変化し、金にも透明にも見える。エルフでも惚れ惚れするほど容姿にはすぐれている一方、体躯という意味ではさほどではない。170センチもない。
ムンゾ王国では珍しいスーツ類を着ており、白シャツの上にリバーシブルベストまで羽織っていた。一見するといいところのお坊ちゃんかなといった印象だが、なぜか彼の傍にはこの場には相応しくない黒い鞘の長剣が立てかけてあった。相応しくないと言えば逆となりに立てかけられた黒真珠の杖もそうだろう。足が弱いわけでもない若々しい外見の人間が持つにはいささか無骨すぎる。
「よぉ、シャーヴィー。相変わらず儲けてるか?」
唐突に呼ばれたあだ名にノックストーンは不機嫌そうに鼻を鳴らした。普段から使っている名前以外で呼ぶ時、目の前の少年は大抵ロクでもないことをたくらんでいるという合図だ。その性格は200年以上昔から変わることはない。性格という意味では最悪だった。
今の儲けているか、という問いもこの茶店の払いを押し付ける気概がありありと伝わってくる。金がないわけじゃないだろうと思いつつノックストーンは手短に「ああ」とだけ答えた。
「そいつぁ重畳。実はちょっとやってもらいたいことがあってね」
「あのなぁ、シド。俺は俺で忙しいんだ。時勢に乗り遅れたら首が飛ぶかも知れないんだ」
「つれないなぁ。一応シャーヴィーにもいい話なんだぜ?」
「お前さーロシアンルーレットって知ってるか?ぜってぇーお前のいい話ってそれじゃん!」
ああいやだいやだとノックストーンは両手を空で振った。
「頼むよぉ〜。俺が頼れる商人ってシャーヴィーくらいなんだって」
駄々っ子のように少年は懇願する。ノックストーンはそのあからさまな態度にややげんなりした表情を浮かべ、盛大にため息を吐いた。
「いいか?いくらお前が昔俺らのレギオンを率いていたからってなぁ、そうほいほい聞いてやれるほどの関係でもねぇだろうがよぉ。俺には俺の商会があるし、なんなら四日後にはこのイェスタから出港しなくちゃいけない身分なんだ。お前の頼みを聞いてる暇はねぇ」
きっぱりはっきりとノックストーンは少年の頼みを断った。ぶぅ、と唇をタコにして少年は不満げにうなる。しかし事実としてノックストーンは先を急ぐ身の上だ。ムンゾ王国の粛清祭りにかこつけてヤシュニナ商人を狙った嫌がらせが増えている、と既知の商人から聞いた以上、一刻も早く船を出す必要があった。港で臨時検閲なんぞ受けた日には色々と後ろ暗い商品が明るみになってしまう。
今までは役人を買収すればどうとでもなった。イェスタの市長や総督にも当然ながら賄賂を送り、密輸を見逃してもらっていた。目の前にいる少年の知人というだけあってノックストーンとてまっとうな人生は送っていない。そも彼の種族、邪霊に対してまっとうなど戯言以外の何者でもなかった。虚言と欺瞞が人生のすべてと言っても過言ではない種族だ。
そんな邪霊をもってしてなお目の前の少年、シドは言い知れない邪悪さを感じさせる。彼の目的を考えればそれはしょうがないのかもしれない。だがそのためにどうして今の仲間を犠牲にできるだろうか。そもそもヤシュニナ有数の商会を率いる長である以上、ノックストーンは過度に政府の人間に肩入れするなど、他の商人からすれば嘲笑の種になりかねない。信用だって傷がつく。ノックストーンの個人的な悪事はさておいて、信用されない商人など商人足りえない。
「そうか。残念だ。あーそうだ。最後に一つ」
「金なら貸さねぇぞ」
振り向き際に山羊頭蓋の紳士はシドを指差し、釘を刺した。その釘の刺しどころは正しかったようで、ぐぇと苦虫を噛み潰したような表情をシドは浮かべた。
「俺今文なしなんだよ」
「知るか。ていうか最初から疑問だったんだがなんでお前今ムンゾにいるんだ?世間じゃ行方不明扱いされてたぞ?」
「あーそれについては色々、ん?」
「ああ、感じた」
シドが何かを言うよりも速く、ノックストーンはどこからか杖を取り出し、軽く三度木床を小突いた。刹那、青白い膜が彼を中心に展開し、驚く店内の人々を飲み込んだ。その直後、大通りに面した窓をぶち破って龍の髑髏を模した仮面を被った人間が数ダースほど店内に乱入し、ノックストーンの展開した青白い膜に衝突した。
うわぁあああ、と悲鳴をあげたのは誰だろうか。ひょっとしたら仮面を被った人間達だったかもしれない。とにかく誰かの悲鳴を皮切りにノックストーンは地面を蹴った。洗練され、磨き抜かれた動きで膜の前で立ち上がろうとしていた龍仮面の一人の襟を掴むと、思いっきり膜へと引き寄せた。
悲鳴と共に龍仮面の体から青い煙が立ち上がった。そればかりか青い炎が龍仮面の体から熾り、瞬く間に膜に触れている箇所へ炎が広がった。その様子を見ていた他の龍仮面は恐れ、数歩後退する。下がる龍仮面らをノックストーンは赤い瞳で睨んだ。
「てめぇら、ちょっと待ってろよ。すぐにこいつをぶっ殺してやるからさぁ。その後はてめぇらだ。人の平穏ぶち壊しやがって。地獄の閻魔が残業する程度には殺してやるよ」
人の平穏を崩すのはシドという核爆弾だけで十分だ。シドはまだ元仲間ということで我慢できる。だが目の前の雑魚達は別だ。レベルもたかだか30から50前半。体は鍛え、レベルに頼らない戦いを会得しているのだろうが、圧倒的に地力が違う。
青い炎がノックストーンを、いやシャルヴィレン・アハトアハトの体を包んだ。それはシャルヴィレンの全力戦闘の合図だ。かつて「SoleiU Project」内で十三厄災の一人に数えられた男は、100年振りに己のタガを外した。
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次話投稿は9月7日21時を予定しています。
※シャルヴィレン・アハトアハト。レベル142。種族、上古邪霊。ノックストーン商会会長。普段は紳士的。しかしシド、アルヴィース、セナにだけは昔からぞんざい。邪霊の中でも珍しく、剣と鞭ではなく魔法を使う。彼と似た邪霊に魔導皇ディセンバーがいる。




