船上会話
船上から空を仰ぐが、優雅に飛行する海鳥を突如海上から現れた水竜に食われ、見るのをやめた。嫌なものを見てしまったと思い水平線を望めば今度は巨大な軟体動物が水竜に絡みつき、海中へ引き摺り込んでいった。まさに弱肉強食、見ているだけでげんなりとしてしまう。食欲も失せてしまう。
「にしてもやっぱ海に出ると暇だなぁ」
「それは残念だったな。だが転移魔法でも帰れないだろう?なにせ帰った瞬間に問題が待っている」
甲板に置かせた机の上につっぷすシドを彼の対面に座る鋼の鎧を纏った男がたしなめた。少なくとも彼の正体を知らない人間が見れば竜の形の鎧を着ているように見える。シドはそんな彼を恨めしげな眼でみながらぼやいた。
「ディコマンダーはそもそも船に乗る必要ないじゃん。その翼で帰れんだろ?」
「オレだって仕事はしたくない。ヤシュニナに帰れば師父としての仕事をしなくちゃならんからな」
ディコマンダーと呼ばれた男はせせら笑う。カチャカチャと鎧を音立てながらディコマンダーは紅茶を注ぎ、シドの前に突き出した。これでも飲んで落ち着けよ、と彼の眼は語るが、それはそれでシドとしては申し訳ない気もした。イスタリであるシドは飲食を必要としない。そのため消化器官はない。だが同時にいくら食べても飲んでも太ることはない。もうあと800年もすれば体は老け込むだろうが、それはあくまで外見だけの話で中身はまったく変わらない。
本当の意味でシドは娯楽として飲食を楽しむことができるのだ。だが一方でディコマンダーは飲食ができない。それは彼の種族、上古遺物竜は言ってしまえば機械生命体だ。設定としては上古の時代の人間達が迫り来る脅威から身を守るために作り上げた魔法科学の集大成らしい。機械生命体であるため嗅覚や味覚、触覚は存在せず、飲食は必要ない。コアとなる魔導核からエネルギーを常に供給され続け、半永久的に活動することが可能だ。
だがディコマンダーはプレイヤーだ。元々はちゃんとした肉体を持っていた人間だ。おおよそ160年前に世界が非量子世界と断絶された時、最も嘆いていたのは多分こいつだったんじゃないか、とシドは思い返していた。永劫に肉の快楽を味わえなくなった人間の前で紅茶を飲む、というのはいくら性格が悪いシドでも引け目を感じずにはいられなかった。
「ああ、気にするな。もう160年以上経っているからな。あの時の決断を今更悔いることはないし、そもそも文句を言っても意味がない。案外この体も便利だしな。なにせ別々のこと並列して考えられる。肉体の快楽がなくなったからってそれで自殺しようってほど威勢がいいわけでもないしな」
「ディコマンダーにそう言ってもらえると色々俺も助かるよ。あーそれはそうとさ。俺がルキアーノと話してる間にお前ってエイギルの役人共と話してたよな。なんか有益な情報ある?」
エイギルを出立して2日、情報もまとめ終わっている頃だろうと思いシドは真っ直ぐな眼差しでディコマンダーを見た。応じる彼は少しだけ間を置き、装甲の隙間から紙束を取り出し、シドの前に置いた。
「詳しいことはその中に書いてあるが、まぁまず挙げられるのはアレだな。帝国の商人共からの買い付けが最近増えているってことだな」
「やっぱムンゾの件か?」
「多分。それとアレだな。エイギルに入ってきた帝国金貨だが、ちょっと持ってみろ」
言われてシドは手を前に出した。ディコマンダーから手渡されたそれはまごうことなき帝国金貨だ。アインスエフ大陸東海岸部で信用値が高いヤシュニナ金貨、エイギル金貨と同じ上質な金貨だ。重量もさして変わっている気配はない。
一般的に金貨の価値は金の含有率で決まる。金は劣化こそしないが非常に形が変わりやすい。そのため金100%の金貨というものは基本的に作られない。大抵の金貨は合金製だ。そのため金の重量だったりは非常に重要で現在の帝国の純度は94%だったとシドは記憶している。
「これがどうしたんだよ」
「わずかにだが体積が変わってるんだよ」
「あぁ?それって混ぜ物してるってことか?」
だとすれば一大事だ。一般的に金貨の重量で価値が分かれる世界で混ぜ物をして誤魔化しているとなればそれはもう詐欺だ。しかもよりによって信用度が高い帝国金貨が、となればそれは市場を揺るがす大事と言える。
「てかなんで体積が変わってるってわかったんだ?」
一般的にこの世界で金貨の体積を図る方法は確率していない。そもそも金貨を重量で選別する秤がある時点で体積が変わっている、と言って理解できるのはせいぜいプレイヤーくらいなものだ。
「そこはプレイヤーの知恵って話だ。水の中に金貨10枚と同重量の金塊を入れて確かめた」
「アルキメデスかよ」
極めて原始的だが不用意に金貨を鋳潰すなんていう乱暴な行為をするよりも遥かに効果的だ。だが本題は体積の計り方ではない。金貨の含有率が変わっている点だ。
「これ、まずくないか?」
金貨の価値はその場その場で変動するが信用度が高い金貨ほどその変化の推移は低くなる。信用度が高ければそれだけ広く流通させやすく自国の権益にもつながる。だが金貨の価値が知らずに変わればそれはそれで問題がある。昨日までは価値があった金貨が実は思っていたよりも価値がなければ、となれば市場の混乱は避けられない。そんな国家にとっては自殺行為をわざわざするということはよほど帝国が切羽詰まった状況に陥っているということだ。
そもそも便所税なんてものを導入しようとしている国だ。財政が健全であるわけもなく、たまった側から使い潰すという借金漬け街道を時速300キロで走っていくような国家だ。
「しかもこの廉価版の貨幣で武器を大量に購入してるって?詐欺じゃん」
「詐欺だな。だがまだエイギルには言わないんだろう?」
「そりゃエイギルは商売敵だからな。俺らからすれば廉価版の貨幣に騙されてくれてる間はとても都合がいい」
とはいえこれはうちも気をつけなきゃな、とヘルガは帰ってからするべきことを脳内メモに書き込んだ。助言者であり採点者である才氏にとって国家の利益に損なう行為は認められない。それは誰であってもだ。
「色々とすることが増えるよ。なぁ釣りでもしないか?」
「構わんよ。何が釣れるか楽しみだ」
その日シドとディコマンダーが釣り上げた高レベルのモンスターのせいで船は沈みかけた。
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次話投稿は8月9日21時を予定しています。




