#40 倉庫
俺は曲り角からこっそり様子を伺った。廊下は静まり返っている。
黒猫姿の俺は、尻尾を振って後ろに合図を送った。薄暗い廊下をこそこそと歩いてゆく。透明になったマキナさんが俺に随いてきた。
俺たちはツキを探していた。博士や車たちに見つからないよう気をつけながら、各所を見て巡る。猫の目なら暗い船内もよく見えた。
とある扉の前を通りかかった時、俺は部屋に引き込まれた。マキナさんが「きゃっ」と声を上げる。
暗闇で見上げた俺も悲鳴を上げた。俺を引き込んだのは、一頭の白いオオカミだったんだ。
「た、食べても美味しくないぞ」
ニャーニャー騒ぐ俺の口を、オオカミが前足で封じる。
「しっ! 僕だよ」
聞き慣れた声が聴こえて、俺は黙った。よく見ると、オオカミの胸で緑色の宝石が揺れている。
「ツキ!」
「トゥキ様! よくぞ御無事で」
姿を表したマキナさんがツキの胸に飛び込む。
「マキナこそ」
人間に戻ったツキは彼女を温かく迎え入れた。
嬉しそうな二人の姿に和んでいると、俺は重要なことを思い出した。
「そう言えば、過去のツキは?」
ツキが消え入りそうな声で答える。
「解剖室へ連れて行かれちゃった」
俺は返答に迷った。マキナさんがすかさず言った。
「急ぎましょう」
彼女に乗り込み、解剖室へ急行する。
ガラス張りの部屋が見えてきた。室内で明りが煌々と光っている。
「例のマキナと少年が、バリアを突破して逃げ出しました」
「なんだと」
バイクと博士の会話だった。マキナさんが静かに窓へ近づく。
バイクもそこにいるのかと思ったら、違った。室内にいたのは博士一人だった。彼は四次元ペンダントに話しかけていた。
「中央ホールに全てのマキナを招集しろ。餌係も、掃除係も、全部だ」
部屋は俺のクラスの教室くらいの広さがあった。銀色の解剖台が並べられている。その中の一つに白い羽毛の塊が乗っていた。ツキが言葉を失う。
四次元外套をばさりと翻し、博士が瞬間移動する。ツキはそれをじっと見ていた。
部屋の明りが自動で消える。
室内に誰もいなくなったのを確めてから、ツキはマキナさんから降りた。俺も人間に戻り、扉に駈け寄った。
扉に黒い釦のようなものが取り付けられている。俺はそれをぎゅっと押してみた。だけど、開かない。
「指紋認証だよ、羽揺。博士にしか開けられない」
「この私におまかせください」
四次元ペンダントからドライバーを取り出したツキが、手を止める。俺は首をかしげた。
「マキナさん、開けられるのか」
彼女は「ふふっ」と笑った。
「もちろんです。行きますよー」
助走をつけて扉に突っ込む。ドガシャーン、と漫画みたいな音が鳴った。ツキと俺は思わず耳を塞いだ。
見ると、扉は開いていた。硬いはずの扉が粘土のようにひしゃげている。マキナさんは「えっへん」と誇らしげに俺たちを見た。
ツキは無言でドライバーをしまった。
過去のツキのもとへ急ぐ。室内には解剖用のメスや鋏のような物など、いろんな道具が並べられていた。
台に一羽のトキが蹲っている。ツキは黙ってその前に屈んだ。
過去のツキは、動かなかった。
俺は、なんと声をかければいいのか分からなかった。マキナさんの車内が青く染まる。
ツキがなきがらを撫でようとした、その時だった。
過去のツキが叫んで飛び上がった。ツキは「わっ」と小さく声を上げ、珍しく驚いた。マキナさんもびっくりしたあと、嬉しそうな溜息をついた。俺は信じられなかった。
「生きてたのか……?」
過去のツキは床に降りていた。壁に寄りかかり、怯えている。俺たちが近寄っても逃げようとしない。翼を怪我していて、逃げたくても逃げられないらしい。
ツキが困惑する。
「でも、どうして。博士は『トキは片付けた』って……」
「『片付ける』は、『殺す』という意味ではなかったのです。本当に片付けただけだったのですよ!」
マキナさんの声に、ツキと俺は顔を見合せた。そして、笑った。
「よかった!」
「過去の僕は生きてたんだ!」
マキナさんが過去のツキに優しく話しかける。
「大丈夫ですよ。私たちはあなたの味方です」
俺は部屋を見回した。別の台の上に金属製の盆があった。いろんなものが一緒くたに入れられている。俺はそこからあるものを取り出した。
「これって、四次元ペンダントじゃないか」
「隠れコートもあるよ、羽揺」
どれも、博士に取り上げられた道具だった。俺はペンダントを首にかけ、過去のツキを見た。
「今からマキナさんのところへ連れて行ってやるからな」
透明になったマキナさんが車庫を目指して走る。ここは広々とした倉庫だ。暗い室内に動物の入ったコンテナや檻が並べられている。
今、通路の先で光が動いた。車の前照燈だ。マキナさんはふわりと浮き上がり、天井付近の歩廊に隠れた。
俺は窓の外を見た。真下をネットランチャー付の車が通り過ぎる。
「通気口も見張れ。ゴキブリ一匹、車庫には入れるな」
博士の声がした。マキナさんは歩廊を走り、声のほうへ移動した。ツキが眼下の光景に息を飲む。
倉庫中、見張りだらけだった。車たちがあちこちを飛んだり走ったりしながら、カメラのレンズを光らせている。中央でそれを指示しているのが博士だった。
「忍び込んだトキとマキナは、どちらもこの船の出身だ。一羽と一台は逃げ出したあと、千年のあいだ時空を旅して、また同じ時間の同じ場所へ戻ってきたのだ」
マキナさんのカメラとマイクが、博士の様子を記録する。
「今日、また同じことが繰り返されようとしている――トキは既に盗まれた。奴らはトキをマキナに積み込もうとしている――だが、筋書通りにはさせない。トキとマキナが出会うのを、何としてでも阻止しろ。歴史を変えるんだ」
「先生」
凛とした声が響いた。あの黒いバイクだった。バイクは華麗に停車して、博士に報告した。
「車庫の周囲にバリアを張ってきました。天井と床にも張ってあります。誰にも立ち入ることはできません」
ツキは過去の自分を抱えながら、首を横に振った。
「守りが固すぎるよ。一人なら……過去の僕だけなら、飛んでいけそうだけど」
「無茶ですよ。翼を怪我していますから」
ツキがうつむく。白い髪がさらりと揺れた。髪は青いリボンで一本に束ねられている。
「……そうか」
バラバラだった事柄が、俺の頭の中でブロックのように組み立ってゆく。俺は千変鏡を天井に掲げた。
「過去のツキを人間に変身させればいいんだ!」
ツキの顔が明るくなる。
「そっか。飛ぶのが無理でも、走っていくことならできる!」
「では、私が車たちの注意をそらします」
マキナさんが買って出る。俺は過去のツキの顔を見て、思いとどまった。
「でも、一人じゃ道が分らないよな」
「隠れコートを着て、僕が誘導するよ」
俺は頷いた。
「ツキ、よろしく頼むよ」
作戦を一通り立てたあと、マキナさんが言った。
「バリアは私が解除します。トゥキ様、羽揺さん。車庫で落ち合いましょう」
意気込む俺たちの姿に、過去のツキは首をかしげた。




