#29 ジュラ紀中世、北中国
マキナさんが木々のあいだを走っている。葉は緑が多いけれど、赤や黄に色付いているものもあった。羽毛に身を包んだ小柄な恐竜が、森の奥で植物を喰んでいる。
ここは、ジュラ紀中頃の中国だ。
俺は座席に坐って、流れてゆく外の景色に気を配っていた。ツキも窓のふちに摑まり、外をきょろきょろと見ている。モモンガのような姿の獣に化けていた。
ヒノキのような木々の隙間に、青空がちらつく。俺は、そこを飛び交う黒い影に気がついた。
「ツキ、あれ見て!」
俺は言った。マキナさんが停った。
ツキがダッシュボードに登り、木を仰ぐ。
木の中程の高さに、黒い鳥のような生き物が五羽か六羽うごめいていた。今、一羽飛び立った。ほかの鳥たちもそれに続いた。針葉樹の枝が反動で揺らめいて、橙色の葉がはらりはらりと落ちる。
俺は窓に頰を寄せた。
真黒だと思っていたけど、違う。木漏日に照されて、鳥の首筋が青や緑に光っている。見とれてしまうくらい綺麗な鳥だ。まるで夜の虹みたいだった。
「ツァイホン・ジュージーだ」
ツキが呟いた。
次の瞬間、ツキが俺の体にのしかかった。俺は「ぎゃっ」と悲鳴をあげた。千変鏡を使って、ツキが人間に変身したんだ。
マキナさんが慌てたように言った。
「トゥキ様、突然変身しないでください。私のダッシュボードが歪みますよ」
俺は息をひそめて、ツキの横顔を見上げた。手鏡を握ったまま、つぶらな瞳でツァイホンたちを眺めている。マキナさんの声や俺の姿は、ツキには聴こえても見えてもいないようだった。
白い髪が、俺の鼻をこしょこしょと擽っている。
「ツキ……くしゃみが出そうだ」
「あっ、羽揺。ごめんね」
ツキが座席の脇に寄ってくれた。直後、「くしゅん」と一つくしゃみが出た。
「ごめんね。なんか、ぼうっとしちゃって。どうしてだろ」
目を泳がせてツキが言った。口調がぎこちない。俺は自分の鼻をさすり、首を傾げた。
気を取り直して、ツキが千変鏡を構える。体がぐんぐんと縮み、ハトくらいの大きさの白い鳥に変身した。
ばさばさと車内で羽ばたく。
マキナさんがドアが開けた。ツキが颯爽と飛び出してゆく。真白な翼のなかに、ちらりと、小さな鋭い爪が覗いているのが見えた。
骨の通った長い尻尾、虹色の羽毛で被われた首。一羽の鳥が空中に留まりながら俺を見下ろす。
「羽揺も早くおいでよ」
ツキの声が頭のなかに響いた。
俺は笑って、千変鏡を構えた。ツァイホンたちはどんどん森の奥へと飛んでゆく。なんとか狙いを定め、鏡面に触れた。
視界が低く、鮮かになる。天井がずんずんと高くなって、俺の頭上に広がった。マキナさんのカメラが俺を見下ろしている。
小枝みたいに細い灰色の脚が、胴体の真下に伸びている。左右の足には、それぞれ四本の鉤爪があった。座席を引き裂かないように気をつけながら、座席のふちに立ち、黒い翼を広げた。俺はわくわくしながら翼を羽ばたかせた。
けれど、俺は地面に落ちた。何度ジャンプして挑戦してみても、ちっとも飛べなかった。ツキが頭上で旋回しながら、俺の姿を見下ろしている。
なんでそんなに簡単に飛べるんだろう。俺は言った。
「ツキって、鳥だったんじゃないの?」
ツキがぱたりと飛ぶのをやめる。枝に止まり、しばし考える。
「……そうかもしれないね」
やけに神妙な声が頭に響いた。
森の中を一人で歩く。
今回も二手に別れて過去のツキを探す。ツキとマキナさんは二人で探しに行った。俺は単独行動だ。
恐竜時代の森を、たった独りで、頼りない鳥の姿で小迷うんだから、こんなに怖いことはないと初めは思った。だけど、大きな葉っぱをくぐったり、倒木に登ったりしているうちに、この森の面白さに気づいていった。
季節は秋らしかった。空からひらひらと赤い葉が落ちてくる。枯葉の絨毯の下で、小さな虫たちがうごめいている。湿った倒木の上に、不透明の黄色い水飴みたいな物がへばりついていた。じっくりと観ていると、この水飴はじわじわと這っていることがわかる。可愛らしい白いキノコや、原始的な花もあった。
いろんな動物を見かけた。ほとんどは空を飛ぶ動物だった。木々のあいだを縫うように飛ぶ、尻尾のふさふさした黒い翼竜。枝から枝へ飛び移るのは、コウモリのような翼を広げた紫の鳥だ。
俺が一番気になったのは、木をするすると登る生き物だった。毛むくじゃらの体から細長い指を伸ばし、猿のように枝を渡っている。俺も近づいてよく見るまで、本物の猿だと思っていた。でも、驚いたことに、この動物の正体は恐竜なんだ。体は白黒の寄木模様で、長い尾羽は黄緑とエメラルド色だった。俺が今まで見たほかのどんな動物より、不思議な恰好をしていた。
歩いていると、地面の落葉が黄色に変った。立ち止まって葉の形を見る。見慣れたものとは少し違うけど、見覚えのある形だった。これって、もしかして。
前方に樹が生えていた。緑や赤の森の中で、一本だけ、眩しいくらい鮮かな黄金色の葉を茂らせている。イチョウだった。
俺はその美しさに圧倒された。それから、呟いた。
「イチョウって、こんな大昔からあったのか」
まるで、遠い外国で地元の友人とばったり出会ったような気氛になった。つい昨日見たばかりなのに、懐しかった。
根元まで歩いて行って、見上げる。体が小さくなっているので、とてつもない大木に見える。森から頭を突き出して、群青色の空へと伸びていた。梢に月が浮んでいた。
風が吹き抜けた。イチョウが葉をかさかさと鳴らして、俺を誘っている。
俺はこの木に飛び乗ろうと決めた。せっかく鳥の祖先に変身したんだ。飛び方の一つでも覚えて帰りたい。それに、上から見渡せば、過去のツキを早く見つけられるかもしれない。
息を整える。
さっきもやったように、翼を高速で羽ばたかせる。これでもかというくらい、速く動かす。そこら中の落葉が舞い上がった。けれど、体は全然浮き上がらない。
俺は荒い呼吸をしながら、思った。
(駄目だ駄目だ、このやり方は。ただ腕が疲れるだけだ)
次に、俺は樹から十分に距離を取った。イチョウの一番低い枝に狙いを定める。
助走をつけ、羽ばたきながら幹を一気に駈け登る。樹皮に足の爪を突き立て、一歩、二歩、三歩と登った。翼で推進力が得られるから、手足を使って攀じ登るより、ずっと楽ちんだ。いけるぞ、いけるぞ。枝まであと少しだ。
でも、四歩目、五歩目になると足に負担を感じるようになった。幹が垂直に近すぎるんだ。ダメもとで羽ばたくけど、もちろん効目はない。枝は目と鼻の先なのに。
そして、遂に樹皮から足が剝がれた。枝が遠ざかってゆく。
背中から地面に落っこちた。舞い上がった落葉が視界を遮る。地面が柔らかかったおかげで、怪我は負わなかった。
いつの間に来たんだろう。真赤なとさかの黒い鳥がさっきの枝にとまっていた。きょとんとした顔で俺を見下ろしている。
鳥が飛び立った。俺はその翼の動きを観察した。頭の中にパラパラ漫画を描くつもりで、目に焼き付けた。そうしたら、一つだけわかったことがあった。
俺は、ただ翼でばたばたと扇いでいるだけだった。上げるのも下ろすのも、同じ強さの力で動かしていた。だけど、本物の鳥は違う。翼を下ろす時より、上げる時に力を使っていたんだ。まずは肩の関節を使って、腕を大きく背中へ引く。そうして翼に空気を含ませる。空気の塊をやんわりと押し下げると、その分からだが宙へ浮く。
俺は早速、この方法を真似てみることにした。
幹の前に立ち、深く息を吸う。
肩から翼を動かす。初めは特に何も感じなかった。でも、だんだんと羽ばたくのを速くしていくと、何となく違いがわかった。ちょっとだけ、翼で空気を摑んだような感じを覚えたんだ。
練習していると、「あ、この動かし方がいいんだな」と分かる瞬間がある。でも、コツを摑んだと思ったら、次にやる時は忘れてしまう。一瞬の感覚を頼りに、そういうことを何十回も繰り返した。シダの葉の影を、ネズミの家族がちょろちょろと歩いていた。
でも、俺もくたばってしまった。落葉のベッドにあおむけに寝転がる。日が傾いていた。翼竜たちがねぐらへ帰ってゆく。
灰色の空を見上げながら、何をやってるんだろう……と自分を振り返る。飛ぶ練習をしている間に、歩いて探せたんじゃないか。
地面に翼をつけ、起き上がる。イチョウの落葉の隙間に土が見え隠れしていた。俺はそこに妙な窪みを見つけた。
初めは、動物の足跡かなと思った。不思議に思いながら、葉を翼で搔き分ける。窪みは人の足くらいの幅があった。形は長四角だった。
それにしても、いやに長い四角だなあと思った。搔き分けても搔き分けても、両端に辿り着かないんだ。窪みというより、溝と言ったほうがいいかも知れない。……と、そこまで考えた時、俺は気付いてしまった。思わず「あっ!」と声が漏れた。
辺りを見渡し、見当を付けた。そこまで走って行って、また葉を搔き分ける。やっぱり、俺の勘は当った。同じような溝がもう一本走っている。二本の線は並行して、森の奥まで続いていた。
この時代の動物が、こんな人工的な跡をつけられるはずがなかった。それは、過去のマキナさんがつけた轍だったんだ。




