#30 千変鏡と万化銃
三人で轍を囲んだ。
「どっちから来たんだろう」
人間の姿に戻り、俺は言った。ツキは腕を組んで「うーん」と唸っている。マキナさんが言った。
「星の目グラスをかければいいんです」
「あ、そうか」
おなじみの眼鏡を取り出す。目盛を合せながらツキのほうを見た。ぼうっと空を見上げている。
「……ツキ?」
ツキがぱちぱちと瞬いて、俺のほうを向く。
「あっ、ごめん。何?」
車内が薄暗くなった。マキナさんが気に掛ける。
「どうしたのですか、トゥキ様。今日は何だか変ですよ」
だけど、ツキはただ「うーん」と唸るばかりだった。
「――ツキ、マキナさん。過去のマキナさんは、向こうから走ってきたらしい」
俺は眼鏡を外し、薄暗い森の奥を指差した。
「わかりました。お二人とも、私に乗ってください」
マキナさんの席に坐り、また眼鏡を掛けようとする。
「羽揺、待って」
ツキが乗り込んできて、言った。
「最後は自分でやりたいんだ」
鋭いまなざしだった。
俺は、ハッと息を飲んだ。眼鏡を手渡し、トランクへ退く。ツキが眼鏡をかけた。
前照燈が点いた。
「マキナ、そのまま真っ直ぐ進んで」
「承知しました」
夜の森を走る。後のことは二人に任せて、俺は窓の外を眺めることにした。
マキナさんの光が木々をぼんやりと照している。そこでうごめく無数の影。真暗になっても、たくさんの動物たちが走り、羽ばたき、狩りをしていた。
途中、あの猿のような恐竜がいた。細長い指を、木に開いた小さな穴に差し込む。昆虫の幼虫を搔き出して、食べているらしかった。
「エピデクシプテリクス・フーイだよ」
声が聴こえた。そちらに目を向ける。ツキが眼鏡をちょっとだけずらし、あのオレンジ色の瞳で俺を見ていた。
わだちの始まりに辿り着いた。星の目グラスで時刻を確認したあと、俺たちはタイムスリップした。
朝方の森だった。マキナさんがいつも通りドローンを飛ばし、いつも通り映像を映し出す。ツキと俺は、立体映像を喰い入るように見た。
「紀元後六〇〇年の日本です」
マキナさんが告げた。ツキが嚙み締めるように、静かに頷く。俺は車内前方を見た。オドメーターには「999yr 364d」と表示されている。ツキとマキナさんの千年の旅が、あと一日で終る。
紀元後六〇〇年の日本――そこがツキのふるさとなんだ。
*
小望月が浮んでいる。その下で自動車が行き交っている。
灯りの落ちたスーパーを横目に、高校の前を通り過ぎた。角を曲り、あの道を歩く。
学校の塀の色が、一部分だけ違う。立ち止まってよく見ると、真新しいブロックが使われているのがわかる。崩れていたのを直したんだ。電燈のおかげで、くすんだ色の部分と白い部分との境目が、くっきりと見える。
俺は屈み込み、そこに手を触れてみた。ざらざらしていて、指の腹に引っかかる。ちょっと痛い。ここに人だかりができていたのは四日前のことだっけ。
「羽揺」
声をかけられる。振り返ると、公園があった。ツキとマキナさんと三人で隠れた植込が、目の前にある。その先のイチョウの木の下に、ツキは一人で立っていた。
「『話がある』って聞いたけど」
二人でブランコに腰かけたあと、俺は切り出した。ツキは千変鏡を握り締め、思い悩むように自分の顔を眺めていた。しばらくすると、張り詰めた表情で深く頷いた。
「マキナのことなんだけど……」
そう言って四次元ペンダントをいじる。手がふさがっていて、やりにくそうだ。俺は千変鏡をそっと取り上げた。「ありがとう」とツキが言った。
緑色の宝石がちらりと光る。ツキはそこからガラス製の小銃を取り出した。家々の灯りが銃身に映り込んでいる。
「昨日の朝のこと憶えてる? 羽揺が病気にかかった時。羽揺が嚙んだティッシュを処分するのに、この道具を使ったんだけど――」
「万化銃だろ」
俺の言葉に、ツキが目を丸くする。
「どうして知ってるの」
「アメリカのジュラ紀の森で、マキナさんに使い道を教えてもらったんだ。明日のことをね」
ツキの表情が歪んだ。万化銃を持った手を下ろす。電燈の光が銃口に集束した。
「羽揺……!」
銃が砂地に落ちる。ツキは自分の腰かけていたブランコを離れ、俺の胸に飛び込んできた。
「僕、マキナを消したくないんだ」
体が瞬時に強張る。頭が真白になった。空席になったブランコが振子になっている。小銃の中で薬品が不規則に波打っていた。
「ツキ、どうしたんだよ。急に」
ブランコの鎖にしがみついたまま、千変鏡を握ったまま、俺はやっとそれだけ言った。びっくりした。本当にびっくりした。自分の心臓がバクバクと鳴っていることに、俺は今更気付いた。
こんなふうに誰かに抱き着かれるのは、生れて初めてだった。しかも、何事にも動じないはずのあのツキが……。
「確かに僕は明日、万化銃でマキナを消すつもりだった。でも、その日が近付くにつれて、楽しかった思い出が蘇ってね」
ツキと目が合った。視線の高さは同じだった。瞳が揺れている。俺はその目に既視感を覚えた。あの時と同じだった。冷たい夜の海水が、また俺の体を包んだような気がした。
「白堊紀の海でマキナが動かなくなった時、僕、自分の気持がはっきりと解ったんだよ。『僕はマキナが好きなんだ』って。飛鳥さんが羽揺たちの家族であるように、マキナは僕の家族だったんだ」
ツキは俺の服にしがみついていた。その指先に力が籠るのがわかった。服が引っ張られて、皺が寄ったからだ。
「僕はマキナと一緒にいたい。でも、元の姿に戻りたい。どっちを選べばいいのか僕にはわからない。マキナには相談できなくて、一人で悩んで――」
また、ツキがうつむく。表情は見えなくなったけど、白い睫毛がさかんに動いている。俺はブランコの鎖から手を離した。千変鏡は地面にそっと置いた。ツキの体に腕を回す。触れた瞬間、ツキの背中がぴくりと跳ねた。
「辛かったよな……俺に話してくれてありがとう」
ツキが首を横に振る。
飛鳥が病気で苦しんでいたあの日。幼かった俺はただ動揺するばかりで、彼女に何もしてやれなかった。けれど、いくら悔やんだって飛鳥はもう皈ってこない。今の俺にできることを、精一杯やろう。
「ツキ。顔、上げられる?」
訊ねると、ゆっくりと面を上げてくれた。泣いているわけではなかった。妙に大人びた、澄ました顔をしていた。悪く言うと、老けた顔をしていた。ツキの精神年齢は、人間でいうと何歳くらいなんだろう……ここに来て、ツキの本性がよくわからなくなった。
「ツキ、まずは優先順位を決めなきゃ」
「うん。そうだね」
そばのベンチに移るよう促す。二人でまた腰かけたところで、俺は言い直した。
「マキナさんと離れたくない気持と、元の姿に戻りたい気持と、どっちが強いんだよ」
「……僕にも分らないんだよ。自分の正体が分らないことも、やっぱり怖い」
ツキの眉間に皺が寄る。俺はその背中をさすった。
「悩んでいいんだよ、時間がかかったっていいから。朝までに決まらなくてもいい。俺は何時までも付き合うよ」
千変鏡も万化銃も脇に置いて、俺たちは眠くなるまで話し合った。




