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青い魔女の通過儀礼  作者: 籠り虚院蝉
Ⅰ 青い魔女と記憶失き獣
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Ⅰ-19 背負うは罪、宿すは真理

 しばらくして私は目を覚ました。途端全身に激痛が走り悲鳴を堪える。そして目だけで辺りを見渡すと、そこにある光景に息を飲んだ。


 目を逸らし何度か深呼吸して冷静になった。身を捩り体の上に置き放しだったナイフを手元に寄せ、革の拘束を切り外す。体に打ち込まれた釘を道具台のペンチとバールで抜いてゆく。胸骨を砕かれなかったのは幸いかもしれない。


 癒えるのに時間がかかる傷に耐えながら寝台からゆっくりと下り、転がる二つの亡骸を確認した。ためらいがちにそれぞれの肌に触れると氷のように冷たくなっていて、思わず手を離してしまうほどだった。それだけ時間が経ってしまったのだと。


 両の人物とも、私は知っている。


 一人は私を殺しに来た人。


 そして、もう一人は。


「……マルール」


 瞼を閉じ、伸ばされた腕は寝台へ向けられて、地に落ちていた。口の周りには血が乾き、胸にはナイフが刃の根元まで、深々と突き立てられている。


 脈をとるも、何も感じられない。


 マルールは死んでいた。


 私のせいで。


 私の。



━━━━━━━━



 大切な人の死は何度も見てきた。どれだけの罪をこの生で償えばいいのか。私にはもうわからない。


 冒した罪を、誰が、いつ、赦してくれるのか。


 多くの人を殺しておいて、それを差し置いて生きたいと、この生に縋り付いてしまった。多くの死んでいった人たちの報われない思いを一身に受けて、私は生きているのだから。


 Legion Graine。


 Legion Guiine。


 私が抱える罪の存在は、もはや名実ともに悪霊たちの軍団になって、この身体にいつまでも居座っている。


 そしてまた、私は人間の魂を。


「マルール」


 助けて──。


 死にたくない──。


「やめて……」


 彼女が望まない死を、私が運命を変えられるのなら──しかしそんなことをしてしまったら、悪霊よりも恐ろしい罪をこの身に抱えてしまう。


 もう何をしても起き上がらない、死んでしまった人を、またこの世によみがえらせる。


 マルールは私が死ねないことを知らなかった。どんなに惨い行ないをされても、私が自ら死を選んでも、死なないという事実を知らない。後を追うようにして死ぬことができたのならと彼女なら思うように感じる。だから私はまた人を殺した。私への罰はまだ終わっていないと。


 冷たくなって動かないマルールを見た。しかし罪ではなく運命でもなく、私と共にいていつかあなたが私を断じてくれるのなら、それは救いでもあるのかもしれない、あなたをよみがえらせたい。あなたの声で私を好きと言ってほしい。そんなの身勝手以上の我が儘かもしれない。でも、また一緒に生きたいのなら。


 物言わぬ亡骸となった彼女の顔に両手を添え、乾いた氷の唇に静かに寄せた。もし生き返っても、これからも私は素直にはなれないかもしれない。でもこれからは、生きること全てがあなたへの想いに溢れていたい。


 唇をゆっくりと離し、私は彼女の胸に突き立てられたナイフを手に取り、収縮した筋肉によって固定されたそれを力任せに抜き取った。血がゼリー状になっていて刃にこびりついている。もはやどんな手を施しても彼女が生き返ることがないのは明白だった。


 私には、それができる。


 真っ赤になってしまったクロークの裾で刃の血を拭き取った。その悪魔の瞳のような鈍い輝きは、私がまた罪を重ねる事を歓迎している。


 私は名実ともに魔女になるのだろう。


 そして服の上から自らの腹に、横にしたナイフを突き立てた。位置にして臍の右上辺り、胃より少し右下に斜めに刃を入れる。


「ぐ……っ!」


 壮絶な痛みを歯を食いしばって我慢して、横にナイフを入れてゆく。腹が横にかっ割かれ、ナイフと手が入る程度の穴を空けた。


「!……ふ、う……っ」


 私はそこに左手を突っ込む。目的のものを掴み、右手のナイフの刃を潜らせ必要なだけのそれを切り取る。そうして切り終え、刃と左手をゆっくりと穴から抜いた。血濡れた左手にはLegion Graineの赤黒い切片。脈打つようにかすかに黒い光を放っている。


「はあ……っ」


 私は一息吐いてからマルールを見た。ナイフで衣服を切って腹を顕にし、再び血を拭い取ってから刃を入れた位置と同じ位置に添えて、その位置に切れ込みを入れてゆく。真一文字に入った切り込みから血は流れない。私は大きく深呼吸してから、左手にLegion Graineを持ったまま、それを穴に潜り込ませた。Legion Graineをそこに置き去り、左手をそっと抜き取る。


 これでしばらくすればマルールはよみがえる。悪魔と悪霊たちに良心を売った魔女のゴーレムになる。


「ごめんなさい」


 意味があるとは思えない言葉を、虚空に向かって呟いた。


 マルールが目を覚ましたとき、どういう風に説明したらいいだろう。肺損傷、心肺停止、細胞壊死が進む時点からの修復だ。一ヶ月はかかるものと覚悟しておかなければならない。


 私は自分の傷とマルールの傷をクロークの切れ端を巻きつけて塞いだ。マルールを担いで家に帰るまでの間に内臓をこぼしたくはない。血だらけの服から着替え、いつものドレスと青のクロークを羽織る。


 フォルジェロの遺体もこの部屋も、マルールが眠っている間に処理してしまう必要がある。マルールにはどうか今回の件は夢だったということにしておきたいが、すでにLegion Graineを身体に取り込ませたあとで全てを隠し通すのは無理だ。ましてマルールの鋭い洞察力の前では不可能だと思う。せめて目覚めた時の精神的な負担くらいは軽くしてあげなければならない。


 これからしばらくは忙しくなる──そう思いつつ、私はあの時のようにマルールを背負った。死後硬直は解かれ始めている。それがLegion Guiineによるものか否かはわからない。


 一歩一歩踏みしめるように出口へ向かい、扉を開けた。外はまだ真っ暗だが牡丹雪はやんで、いつもの粉雪に戻っていた。長かった嵐がようやく過ぎ去ったような気がして、私は日が昇らないうちに家に着こうと歩き出した。


 家に着き、キッチンに行くと、そこには椅子に座りながらそわそわした様子で足をぶらぶらさせているクランと、毛布に包まれながらテーブルの上で寝息を立てているシュトートの姿があった。どうしてと思いつつも、マルールのことだから、と合点がいった。


 クランは私の姿を見るなり、椅子を蹴飛ばして私へ駆け寄る。


「エル姉……。よかった、よかった……無事で……」


 血のこびり付いた服や髪の毛を気にせず抱きつくクランの頭を、私は優しく撫でる。


「心配かけてごめんなさい……。私は大丈夫」


「……マルールは」


 一瞬だけ考えあぐねたのち、首を横に小さく振った。クランは血の気が引いたような顔をする。


「マルールには私のLegion Graineを移植したわ。だから、たぶん、大丈夫」


「え、移植した……の」


 私ははっきりと首を縦に振った。


「それでよかったの……?」


 クランが心配したように訊ねてくる。


「よかったかよくなかったかは、まだわからない」


「そっか……」


 クランはそれから黙って抱きつき、満足してから離れた。


「ボイラー焚いておいたから、とりあえずエル姉はお風呂入ってきて。そのかっこじゃ気持ち悪いし汚れも酷いでしょ。外歩いてきて寒いだろうし。マルールの世話はあたしがやっておくから」


「お願いするわ」


 私はクランの厚意に甘えることにした。


「とにかく考えるのは後だからね。……今はゆっくり、疲れを落として」


「……ええ、ありがとう」


 無理やり微笑んでリビングをあとにした。医務室で接合処置をして医療用の接着剤で傷を塞ぎ、お風呂場へと向かう。しかし、お風呂に入って汚れも疲れも落とすことはできても、心のわだかまりだけは落とすことができなかった。


 お風呂から上がって様々な処置と処理をし、しばらくの間は眠るのも休むも、紅茶で一息吐くこともなく、マルールが目を覚ました時のための準備を進めた。

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