閑話 アーサーのいない屋敷にて
アーサーが王都に出立した領主館は、どこか静かすぎると誰もが感じていた。
それは彼の存在の大きさなのか、それとも彼が引き起こすドタバタが原因なのかは、それぞれの立場による所が大きいだろう。
リーラはアーサーが出発した後、いつもの様に掃除とベッドメイクを済ませる。
部屋の主がいつ戻ってきてもいいように、一部の隙もなく仕上げられた部屋の様子に、リーラは少しだけ満足を覚えた。
もっともメイド長であり、リーラの母親でもあるエリーナに言わせれば、まだまだらしい。
幼いころには、いくつもの細かい指摘を受けて、落ち込む事もあった。
最近では指摘の数も減ってきて、内容も些細なミスというよりは、どちらかと言えば技術的な部分に移っている。
それを見越しているのか、エリーナは最近メイドの補充を、領主であるチェスターに願い出ていた。
たしかに最近は、領内の発展にともなって、来客や会合なども増え、人手が足りなくなってきていた。
これからは教わる立場から、先輩メイドとして教える立場に変わるのだ。
エリーナ曰く、教えるようになってはじめて気づく事も多いと言うことらしい。
そんなことを考えながら、アーサー不在の気持ちを紛らわせていた。
しかし、取り替えたシーツを運んでいる最中に不意に感じた慣れ親しんだ匂いに、リーラは思わずため息をこぼしてしまう。
「はぁ…… アーサー様と一緒に食べるおやつが、私の生きがいなのに……」
生まれた当初は主従の関係を通り越して、少し歳の離れた弟のように感じていたのだが……
思い返してみれば、アーサーから受けた驚きは、数え切れないほどだった。
リーラの認識は、いつしか弟から対等へ。そして、そこから目上へと急速に移り変わって行く。
神童などという言葉では、到底言い表せないアーサーの才能と実績、それに加えてまるで子供とは思えない気遣い。
いつの頃からだろうか?少しずつリーラがアーサーを意識し始めたのは……
使用人と領主の息子。貴族の屋敷では、掃いて捨てるほどによくある物語。
限られたコミュニティの中に生きるリーラが、そんな思いを抱くのはある意味では、当然の帰結だったのかもしれない。
だが、自分は使用人。妾程度にはなれるかもしれないが、決して日の当たる場所には出られないだろうと、リーラは思っている。
それは本当によくある話だった。
当主に手をつけられて身籠った末に殺される。ないしは、わずかな慰労金で暇を出される。
だが、セルウィン家に限っては、そんな心配はないだろうとリーラは考えていた。
当主であるチェスターと婦人であるディアナは、共に冒険者として平民達の世間を良く知っている。
貴族としての付き合いや形式めいた儀式などは、本当に最低限でその暮らしぶりは質素という他はない。
それでも平民から見れば良い暮らしであることには変わりなく、御多分にもれずリーラも些少ではあるがその恩恵に預かっていた。
代表的な物が、先ほどの独り言に漏れたアーサーとのおやつであったり、充実した食生活などである。
その恵まれた食生活の所為か、母親であるエリーナとは対照的に、豊かなボディラインを形成する大きな一助となっているのは、余談だろう。
リーラは少し名残惜しそうにシーツを洗濯カゴに放り込み、洗い場へと持っていく。
此処から先は後輩メイドの仕事になる。
リーラはそのまま厨房へと向かい、何の気なしにお茶の用意とおやつの支度をして、ダイニングへとカートを押していった。
そこで、はたと気づくのである。
アーサーは王都に向けて旅立ってしまったのだ。誰もいないダイニングで用意してしまったおやつとお茶を前に、リーラが小さく溜息をこぼす。
「まったく、習慣というのは怖いですね」
流石に用意した菓子を、主の許可無く勝手に口に入れるのは躊躇われる。
そのくらいの分別は、リーラも心得ていた。
調理長に詫びて、調理場へ戻そう。そう思って廊下に向かおうとした時に、カチャリとダイニングのドアが開いた。
リーラがふと見あげれば、そこにいたのはこの館の主であるチェスターだった。
リーラは領主であるチェスターに一礼し、内心でこのお茶が無駄にならずに済んだと、少しだけ安堵する。
「ああ、リーラ。お茶の支度を…… してあるな」
部屋の中を一瞥したチェスターが、何かを取り繕うようにリーラへ茶の用意を言いつけてから、カートの存在に気づいたようだ。
「ただいま、ご用意致します」
恭しく一礼して、いつものようにお茶の支度を始めたリーラと、少しさみしそうにドッカリとソファに腰を下ろすチェスター。
リーラにはチェスターの心境に、少しだけ共感できた。
彼もまた、アーサーとのお茶の時間を楽しみにしているのだ。
いつもならば、リーラと一緒にダイニングにやって来たアーサーが、領内経営についてあれこれとチェスターと語り合うのだ。
そしてチェスターも子供の戯言とは思わずに、真摯にその話に耳を傾け、理にかなうとすれば、その場で決済を下す。
そんな、驚くべき光景が毎日のように繰り広げられるのだ。
そしてここ数年でアーサーが提案し、手がけた事業はことごとく成功し、あっという間に領内の経営は持ち直した。
そこへ再びカチャリとドアが開き、ゆったりとした服装に身を包んだディアナがやって来る。
先だってダイニングへと足を踏み入れた2人と同様に、欠けたピースに気づき、少しだけ表情のトーンが落ちたのが判った。
「アーサーがいないと、部屋が静かね」
リーラはその言葉には何も言わず、ディアナの分の紅茶も準備をする。
そして4脚ある紅茶のカップを見て、思わず苦笑してしまった。
いつもの調子で、自分も含めた4人分のカップとおやつを準備している自分が、少しだけ可笑しく思えたのだ。
「リーラ、どうかしたの?」
「いえ、アーサー様の分を、いつものように準備してしまって」
そう言ったリーラの言葉に領主夫妻は納得したように頷き、そして寂しそうに笑い合う。
「不思議なものだな。今朝見送ったばかりだというのに、もう寂しく感じるとはな」
「今頃は、ホラーク男爵領まで入ったかしら?」
夫妻はそう言って静かに寄り添って、いつもなら間に座っているはずの旅立ったアーサーを思い起こしていた。
「たまには夫婦水入らず……だな」
「もう、そんなセリフを言うには、まだ少し日が高いんじゃない?」
そう言って仲睦まじい様子を見せる夫妻に、リーラは邪魔をしてはいけないかと思い、紅茶とお菓子を出して部屋を出ようかと考えた。
「リーラ、貴方も寂しいんじゃない?良かったら一緒にお茶にしましょう」
そう言ってニッコリと笑いかけてくれたディアナの声に、リーラは笑顔で頷きいそいそと自分の分のお茶を淹れる。
実のところ、すでに毎日のおやつが半ば習慣化してしまったリーラは、どう空腹を紛らわそうかと思い悩んでいた。
一家の食事が終わり、明日の用意が終わってから、使用人達はやっと遅い夕食にありつくのだ。
自分の紅茶を入れ、小さな丸椅子に一礼してから腰を下ろしたリーラに、チェスターが口を開いた。
「そういえば、こうしてリーラと話をするのは、随分と久しぶりな気がするな」
アーサーが生まれる以前は、まだ幼かったリーラを可愛がってくれて、よく一緒にお茶を飲んだものだった。
「そうね、アーサーが生まれてからは、一緒にお茶をする機会はあっても、じっくりとお話をする機会も少なかったわね」
そう言って笑いかけてくれたディアナの笑顔は、一児の母とは思えない若々しさと、変わらぬ美貌を保っている。
「そうですね、ここしばらくは仕事も増えましたし、何よりアーサー様のお付になったので」
そう言って懐かしそうに笑ったリーラに、チェスターとディアナも目を細めて柔らかな表情を浮かべた。
「あの小さな子供だったリーラが、すっかり立派になって一人前のメイドだからな。
俺も歳を取るはずだ。お前の変わらぬ美貌が羨ましいな」
そう言ってじゃれ合う夫妻は、そこから体型の話に及び、アーサーが開発した新しい料理について話が及ぶ。
「あの料理のおかげで、体型維持に一苦労なのよ?」
「確かに、あの料理は俺も驚いた。少し素振りの回数を増やそうか」
チェスターは、少し自分の腹に手を当てて、そうこぼしながらも幸せそうに笑ってた。
「そう言えば、リーラもそろそろいい年だな。誰か気になる人はいるか?」
仲睦まじい様子を見て、自分もアーサーとこうして穏やかな時間が過ごせるだろうか?と夢想していたリーラは、その言葉に慌ててしまう。
持っていたカップとソーサーが、リーラの身体のこわばりを敏感に拾って、カチャリと小さな音を立ててしまった。
「い、いえ。今はまだ、そんなことを考えているほどの余裕もなければ、仕事も忙しいですし!」
慌てて言い繕ったリーラに、夫妻はそれぞれ違った視線を向けていた。
「そうか?もし意中の人がいないのなら、騎士団から誰かを……」
そこまで言ったチェスターの言葉を遮ったのは、その隣で得物を見つけた猫のような視線を、リーラに向けるディアナだった。
「へぇ~っ…… リーラ、もしかして……?」
蛇に睨まれた蛙、目は口ほどに物を言う。
リーラの泳ぐ視線を見たディアナは、ニヤリと笑って皆まで言うなとばかりに、うんうんと頷き、リーラに身を寄せてゆく。
「ほんとに本気?ブラコンの気があるとか、そうじゃないわよね?」
何か言葉尻だけを捉えれば、きわどい気配のする会話ではあるが、おおよその事情を知る者同士、それだけで話は通じた。
リーラは少しだけ赤くなって俯きながらも、小さく頷くことでディアナの問いに答える。
それを見たディアナはと言えば、それだけでおおよその事情を察して、小さくため息をこぼした。
「まったく、誰に似て、どうしてこう、女を振り回すのかしら……」
その一言は、口の中でつぶやく程度の小さな囁きだったが、体を寄せていたリーラの耳にかろうじて届いた。
チェスターが意味がわからないと言った表情で、首を傾げているがディアナがそれを誤魔化し、茶話会が進む。
「しかし、本当に留守にすればあのこの存在の大きさが分かるわね」
ディアナの一言で、そこからはこの場にいない、アーサーの話題が中心になった。
はじめは出生について。
ようやく生まれた長子という事で、一家を上げて盛大に喜び、そこで初めてリーラが世話役として任命された。
メイドの仕事と平行して、屋敷の奉公人達の子供や赤ん坊の世話をしていたリーラにとって、まさに適任と言えたのだ。
「はじめは責任重大だと、内心ビクビクだったんですよ。
それでも、表情豊かなアーサー様を見ているうちに、どんどん責任感よりも楽しさが勝って行きましたね」
「あの頃はまだ領内が不安定だったから、アチコチ駆けまわっていて、アーサーには寂しい思いをさせたかもしれないわね」
母性あふれる女性陣の会話を聞き、チェスターが苦笑しながらそれに相槌を打った。
「それよりも、俺はリーラの報告を聞いて最初は耳を疑ったが、自身が魔法を喰らって本当に驚いたよ」
「ああ、アーサー様が初めて風魔法を発動させた時ですね!」
少し昔を懐かしむように笑いながらリーラが答え、それをディアナが茶化した。
「あの時、本当に足にキテたわよね?アーサーを落とさないか、心配だったんだから!」
「そうは言っても、自我も芽生えているのかわからない赤子が、誰からも教わることなく、魔法を使ったと言って信じられるか?」
「最初に報告に行った時の、旦那様の視線が未だに忘れられませんよぅ……」
少し涙目になりながらリーラがそう言うと、少し慌てたようにチェスターが、後頭部をガリガリと掻きながらリーラに菓子を薦めて場を繕う。
泣き真似をしながらも、ちゃっかりと菓子をせしめたリーラを見ながら、ディアナが笑いながら口を開いた。
「それよりも、あの子が物心ついてからというもの、一人で何をしていたのか聞いた時は、本当に驚いたわ」
「いや、それよりも3歳にして、ゴブリンを狩った時には、本当に肝を冷やした」
「それなら黒焔狼の話よ!あの時からアーサーの事を隠そうって、みんなで決めたじゃないの!」
息子が神童などとは呼ぶにも温い、神託の勇者にも似た力を持つことは、あの黒焔狼の一件より出来るかぎり秘匿することにした。
もし外に漏れればいらぬ勘ぐりや、嘲笑を買うだろうとの配慮からだった。
しかし、それも長くは保たず5歳の頃に初めて連れて行った王都で、王女から決闘を挑まれてしまい、それを返り討ちにしてしまった。
話はそれだけにとどまらず、知らぬこととはいえ、すでに婚約の決まっていた王女様に、『誓いのナイフ』を渡すという事までしてしまった。
そこからは違う意味で大わらわになったと、夫妻はあの頃を懐かしむように語り合う。
「もとより褒賞を受けて、ある程度の軋轢や貴族との交流は増えると見ていたが、あそこまでとはなぁ」
「そうね、あの年は手紙の代金だけで、結構な額だったわね」
アーサーはどこまで気づいているかわからないが、交易や領内視察の申し込みに混じって、相当数のアーサーへの縁談や婚姻の申し込みが届いていたのだ。
しかし、領地を運営するだけで精一杯、貴族的な野心など持ち合わせていない2人は、そのすべてを断っていた。
いらぬ血縁を結んでしまえば、内政への横槍や手出しが増えることも懸念されたし、なにより息子には好いた相手と契りを結んで欲しかった。
自分達が大恋愛の末に結ばれておきながら、我が子に政略結婚を強いるなど、心情的にも2人には許せなかった。
そんな話を聞きながら、リーラはアーサーから送られたミスリル製のナイフに、服の上からそっと手を当てていた。
リーラはアーサーから送られたこのナイフを、『誓いのナイフ』として肌身離さず持っていた。
「ああ、早くアーサーの顔が見たいわ!」
チラリとリーラの様子を横目に見たディアナが、そう言ってお茶を飲み干した。
少し切なそうな顔をしていたリーラがそちらに目を向けると、ディアナは少しだけ笑いながら、小さくウインクを送る。
その意味に気づいたリーラも柔らかく微笑み、茶話会はお開きとなった。
ティーセットを載せたカートを押していたリーラは、ふと立ち止まって廊下の窓から見える道の先へ遠い視線を向けた。
「アーサー様、無事に帰ってきて下さいね……」
その声は、はためいたカーテンのゆらめきと、夏の風に消えてゆく。
リーラは一瞬だけ懐のナイフを確かめるように触り、再びカートを押して歩き出した……




