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THE RE-BUILDER —深宇宙の修復者—  作者: 寝不足魔王


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第46話:黒い噴水、機械の血液

 拠点の静寂を切り裂いたのは、断続的に響く「キィィィィン」という、鼓膜の奥を物理的に削り取るような高周波の金属悲鳴だった。


 エリックは自身の左腕――アステリアの意識を宿し、拠点の制御系と直結された義手の肘関節を見つめ、苦渋に満ちた表情で右手のスパナを握りしめた。ナノマシンによる自己潤滑機能が完全に消失した今、チタン合金の関節面は、剥き出しの金属同士が直接触れ合い、一動作ごとに凄まじい摩擦熱を発生させている。動かそうとするたびに、内部のギヤが「ガリ、ガリ」と不快な振動をエリックの骨へと直接叩き込み、熱膨張した金属が軸受けを内側から食い破ろうとしていた。


「アステリア、……無理に動かすな。……軸受けが、……溶けて固着ロックしちまう」


『……わかって、……います……。……ですが、……換気扇ファンの、……回転数が……低下。……このまま、……潤滑が……途絶えれば、……ベアリングが、……焼き付き、……拠点の……呼吸が……止まります……』


 真空管を通じたアステリアの声には、熱による歪みと共に、物理的な「摩耗」への本能的な恐怖が混じっていた。エリックは右手の掌を、過熱した義手の接合部に当てた。伝わってくるのは、生命維持という名の義務を果たすために、自らの肉体を削り、熱を放ちながら死に向かう機械の断末魔だった。砂漠から吹き込む微細な磁気砂が、その「乾いた関節」に無慈悲に入り込み、研磨剤のように金属を研ぎ減らしていく。


 エリックは拠点の裏手に広がる、重力によって押し潰されたような平坦な泥濘地に膝を突いた。


 彼は砕けた右目のピントを強引に合わせ、網膜に投影されるアステリアの地質スキャン・ログを凝視した。真空管の光を介したその映像は、地形を鮮明に映し出すのではなく、地下数メートルに沈殿する「密度の歪み」を、澱んだ影のように描き出していた。エリックは右手の掌を直接泥の中に沈め、指先の神経を地表の下へと潜り込ませるようにして、地殻が放つ微かな「振動」を探った。


「……アステリア。……この辺りか。……泥の重みが、……少しだけ……変わった気がする」


『……はい。……地層の、……歪みが、……そこに……集中しています。……腐敗した、……高分子の、……液状の塊……。……太古の、……死の残滓が、……凄まじい圧力で、……出口を……求めています……』


 真空管の歪みを帯びたアステリアの声が、エリックの脳裏で粘りつくような感覚を伴って響く。彼女が指摘した地点から、地表の亀裂を通じて、不快な、けれど抗い難い誘惑を孕んだ「重厚な腐敗臭」が立ち昇ってきた。それはかつての清潔なラボで管理されていた合成油ではない。数億年という歳月が生命を黒い泥へと変え、熱と圧力で煮詰めた、逃げ場のない「地の底の血液」の匂いだ。


 エリックは泥を掬い取り、その掌に残った油膜の輝きを、砕けたレンズの向こう側で執拗に見つめた。鼻を突く揮発成分の刺激が、喉の奥をチリチリと焼き、内臓を物理的に逆撫でする。エンジニアの嗅覚が、その悪臭の奥にある、金属同士の衝突を和らげるための「圧倒的な粘性」を確信していた。


 彼は傍らに置いた、先端を鋭利に研ぎ出した船のチタン配管を、掘削の楔として泥の中に突き立てた。地底の脈動が、その冷たい鉄の導管を伝ってエリックの右腕へと「ドク、ドク」と不気味な拍動を伝えてくる。

「……待ってろ。……今、……楽にしてやる」

 エリックは自身の血の混じった喘鳴を泥の上に落とし、自身の肉体をドリルという名の機械の一部に変えるための、最初の一回りを開始した。


 エリックは、自重という名の「重石」として、機能停止した左腕の義手を掘削ドリルの柄へと無造作に預けた。


 船のチタン配管を研ぎ出した即席のドリルが、地表の硬い粘土層を噛み、嫌な「ギ、ギギッ」という不協和音を響かせる。エリックは右手の掌をハンドルの粗い金属面に密着させ、全身の重みを振り子のようにして、一回転、また一回転と泥の中へ鉄の牙を食い込ませていった。ナノマシンが岩盤を砂状に分解していた全能の時代は去り、今はただ、自身の筋繊維が断裂する手応えだけが、掘進の進捗を告げる唯一の指標だった。


 一〇回、二〇回とハンドルを回すたびに、右手の掌に刻まれた第44話のケロイドが、金属との摩擦熱で再び熱を持ち、皮膚を内側から引き裂くような激痛を放ち始めた。熱を帯びた汗が泥と混ざり、ハンドルを握る手を無慈悲に滑らせる。エリックはその滑りを止めるために、さらに強く、骨が軋むほどの握力で鉄を締め上げ、自身の背骨が物理的な歪みを上げるまで力を込めた。


『……エリック、……右肩の、……関節包に、……異常。……組織の、……限界……摩耗を確認。……これ以上、……回せば、……あなたの、……腕が、……先に……壊れます……』


「……黙ってろ、……アステリア。……機械おまえが……焼き付くより、……俺の腕が……一本、……外れる方が、……修理リビルドは……簡単なんだよ……っ!」


 咆哮と共にエリックが腰を捻ると、地中のドリルが「ゴリッ」という鈍い音を立てて、さらに深く泥の層へと沈み込んだ。頭上からは惑星の冷たい雨が降り注ぎ、泥だらけの顔を汚していくが、エリックの体内は、過酷な肉体労働によって生じた凄まじい熱量で煮え立っていた。


 地層が鉄を噛む、絶望的なまでの抵抗感。

 エリックは、自身の肺が泥臭い空気を求めて「ヒュー、ヒュー」と笛のような音を立てるのを聴きながら、狂ったようにハンドルを回し続けた。指先の感覚は消え、自身の右腕がもはや肉ではなく、泥を穿つための「ただのクランク」へと変質していくような錯覚。その極限の苦痛の中で、ドリルの先端から伝わる振動が、突如として「スカッ」と軽くなった。


 ドリルの手応えが消失した刹那、地底に閉じ込められていた数億年分の圧力が、チタンの導管を逆流して一気に地上へと爆ぜた。


「ドシュゥゥッ!」という、大気を物理的に押し潰すような凄まじい噴出音。直後、エリックの顔面を直撃したのは、泥水とガス、そして粘りつく漆黒の原油が混ざり合った重厚な噴水だった。網膜を焼くような猛烈な有機溶剤の刺激。砕けた右目のレンズの隙間にどす黒い液体が浸入し、粘膜を内側から熱した鉛でなぞるような激痛が走る。エリックは呻き声を上げながら泥の中に転倒し、両手で顔を覆った。


「……が、あ……ッ、ぁぁ……!」


 視界は完全に遮断され、全身を包み込むのは、重く、ねっとりとした死の愛撫のような感触だった。鼻腔を突く強烈な硫黄と揮発油の臭気が肺を蹂躙し、呼吸をするたびに喉の奥がやにで塗り潰されていく。だが、エリックはその激痛の中で、自身の指先を伝い落ちる液体の「質感」に、狂気じみた歓喜を覚えていた。それはナノマシンの清潔な無機質さとは無縁の、不純物と悪臭に満ちた、けれど圧倒的な潤滑性を備えた「惑星の血液」そのものだった。


『……エリック! ……洗浄、……急いで、……ください! ……原油の、……酸性成分が、……生身の、……角膜を、……物理的に、……腐食……させて……います……!』


 真空管の歪んだ響きの中で、アステリアが悲鳴を上げる。エリックは泥だらけの右腕で、自身の顔から黒い粘液を強引に拭い去った。開いた左目の視界に映ったのは、灰色の空を背景にして、真っ黒な飛沫を上げ続ける不格好な噴水と、それによって漆黒に染め上げられた自身の両手だった。


 彼は笑った。口の中にまで入り込んだ原油の、反吐が出るほど苦く、鉄錆のような味。それは彼らがこの星の深淵を暴き、その臓物から「生きるための油」を力尽くで引き摺り出したという、勝利の味だった。エリックは、噴き出し続ける黒い血液を船の廃材で作ったタンクへと誘導しながら、自身の身体を蝕む痛みを、潤滑という名の再生に向けた「不可避の代償」として、泥の中に吐き捨てた。


 エリックは、船の防護服の繊維で幾重にも濾過した「黒い血液」を、歪んだ真鍮の小瓶に満たし、拠点へと持ち帰った。


 彼は地熱炉の熱で温まった配管の傍らに座り込み、悲鳴を上げ続けていた左腕の義手、その肘関節の隙間へと、粘りつく黒い一滴を慎重に落とした。チリ……という、熱を帯びた金属が油を吸い込む微かな音が、煤けた静寂の中に響く。それまで摩擦熱で膨張し、互いの皮膚を削り合っていたチタンのギヤが、数億年の圧力が生んだ漆黒の潤滑膜を纏い、一瞬でその殺意を鎮めた。


「……アステリア。……動かして、……みろ」


 エリックの促しに応え、義手のモーターが駆動を開始した。

 そこにあったのは、昨日までの「キィィィン」という耳を劈く断末魔ではない。油膜に守られた歯車が、互いの重みを滑らかに受け流し、まるで絹が擦れ合うような、重厚で沈着な「無音の回動」だった。生身の右肩に伝わっていたあの忌々しい振動は消え、代わりに、機械が本来あるべき理屈に従って、滑らかに虚空を撫でる優雅な手応えだけが戻ってきた。


『……あ……、……エリック。……摩擦係数、……急激に……低下。……軸受けの、……温度が、……下がって……いきます……。……この、……不純物だらけの……油が、……私の……神経パーツの……軋みを、……優しく、……塗り潰して……くれる……』


 真空管を通じたアステリアの声は、過熱によるヒステリックな高音を捨て、深く、安堵に満ちた低音へと落ち着いていった。エリックは、黒く汚れた自身の指先を動かし、油が馴染んでいく義手の関節を愛おしむように撫でた。かつてのナノマシンによる非接触駆動のような完璧さはない。そこには常に、油が焼ける匂いと、微かな機械の遊びがある。だが、その「不完全な滑らかさ」こそが、今、彼らがこの惑星の臓物から直接手に入れた、真実の生存の質感だった。


 エリックは、残った油を拠点の換気ファンの軸受けにも一滴ずつ垂らしていった。

 止まりかけていた羽が再び速度を上げ、拠点の淀んだ煤煙を外へと押し出し始める。金属の悲鳴が消え、拠点全体に「正常な稼働音」という名の、最も贅沢な静寂が戻ってきた。エリックは、油で真っ黒になった自身の両手を見つめ、不敵な笑みを浮かべた。

「……これで、またしばらくは動き続けられる。……磨り減るなら、……その分だけ、……この星の血を注ぎ込んでやるだけだ」

 煤けた光の下、一人のエンジニアは、黒く光る機械の腕を強く握り締め、惑星という巨大な機械を修理し続けるための、次なる一歩を泥の中に踏み出した。



 エリックは自身のポーチを弄ったが、そこには一滴の潤滑油も残っていない。かつてセクター9で使い古したあの重厚な鉱物油の匂い、指先にまとわりつくような、不快だが頼もしい粘り気が、今の彼には何よりも切実に必要だった。潤滑を失った機械は、たとえ電力が満ちていても、自らの動きによって自らを破壊する狂気へと陥る。


 彼は砕けた右目のサイバーアイを強引に起動させた。情報の砂嵐の向こう側、拠点を支える岩盤の下、数メートルの泥層に眠る「太古の沈黙」を透かし見る。そこには、この星の生命が数億年かけて腐敗し、圧縮され、ドロドロとした黒い憎悪のように溜まった「化石燃料オイル」の脈動があるはずだ。エリックは、金属が擦れ合う悲鳴を自身の肺に溜まった煤と共に吐き出し、泥だらけのスパナを杖にして、枯れ果てた「機械の血液」を地底から引き摺り出すための、最初の掘削地点へと歩みを進めた。



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