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THE RE-BUILDER —深宇宙の修復者—  作者: 寝不足魔王


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第43話:修理屋の学校、ミラの右手

 拠点の奥、地熱ヒーターが唸りを上げ、チタンの配管が膨張と収縮を繰り返しながら「コン、コン」と不規則な産声を上げている。外の世界の磁気砂を孕んだ冷気は、エリックが叩き直した二重の隔壁によって辛うじて遮断され、室内には燃焼鉱石が放つ煤けた匂いと、加湿された蒸気の重苦しい温もりが淀んでいた。


 エリックは、船の廃材を平たく打ち延ばして作った粗末な平皿を、ミラの前に置いた。皿の上には、小川の野草を蒸し、原生生物の肉を僅かな油脂で焼き付けただけの、色味のない食料が載っている。それは情報の海で享受していた色彩豊かな仮想の食事とは程遠い、ただ生き延びるために必要な栄養素と、素材が持つ無骨な「歯応え」だけを抽出したような代物だった。


「……食え、ミラ。……噛まないと、……この星の『部品』にはなれないぞ」


 エリックが掠れた声で促すと、ミラはポッドから出て以来、最も確かな動作で右手を伸ばした。彼女の細い指先は、まだ自分の重さに戸惑うように微かに震えていたが、船のアルミニウム片を削り出したスプーンを握りしめる力には、少しずつだが生身の筋肉が宿り始めていた。スプーンが皿の底を削り、嫌な金属音を立てる。ミラは眉をひそめながら、硬い肉の繊維を口に運び、顎の力を振り絞ってそれを噛み砕いた。


 ゴクン、という嚥下音。

 エリックは自身の泥に汚れた右手の、無数の肉刺まめと切り傷を、テーブルの下に隠すようにしてミラを見つめていた。彼女が食物の硬さを知り、その喉を通る質量を感じるたびに、二百八十年の時を隔てていた親子の距離が、一ミリずつ泥臭い「現実」へと引き戻されていく。砕けた右目のサイバーアイのレンズ越しに、ミラの喉元の血管が力強く脈打つのを視認し、エリックは自身の肺の奥に溜まった煤を吐き出すように深く息を吐いた。


「パパ……、これ、……ニガイ」


 ミラが不満げに漏らしたその言葉に、エリックは不器用な笑みを浮かべた。

「ああ。……不味いし、苦い。……でも、……本物の味がするだろ。……嘘のない、……この星の味だ」


 彼は自身の左腕――依然として沈黙したままの、重い銀色の義手を、テーブルの縁に預けた。かつては何でも自動で解決してくれたその機械の腕も、今はただ、親子が温かい蒸気の中で食事を摂るための、頑丈な支柱としてそこにある。エリックは、ミラが再びスプーンを動かすのを見届けながら、不器用な食卓に漂う「生」の匂いを、開拓地での唯一の安息として、静かに噛み締めていた。


 食事を終えた後の煤けた静寂の中、エリックは腰のポーチから、使い古された一本のボルトと、それに対応するはずの真鍮のナットを、錆びついたテーブルの上に置いた。


 それはかつてアステリア号の補助計器を固定していた、何の変哲もない小さな部品だ。だが、度重なる振動と熱によってネジ山の一部が僅かに潰れ、表面にはどす黒い酸化被膜がこびりついている。エリックはそれを、ミラの手のひらへと慎重に滑らせた。


「いいか、ミラ。……こいつを見て、指でなぞってみろ。……情報のエデンと違って、こいつは『間違い』を許さない。……少しでも歪んでいれば、……絶対に、……噛み合わないんだ」


 ミラは戸惑うように、白く細い指先で鉄の凹凸に触れた。情報の海の中で彼女が触れてきた「物体」は、常に滑らかで、彼女の意識に合わせて最適化された幻影に過ぎなかった。だが、いま指先に伝わってくるのは、冷酷なまでに硬い金属の抵抗と、油の混じった黒い汚れ、そして爪の先を引っ掛けるネジ山の「ザラつき」だった。その不規則な質感こそが、彼女にとっての現実への入り口だった。


「つめたい、……パパ。……それに、……これ、……汚れてる」


「ああ、……汚れてるな。……だが、……その汚れこそが、……こいつがこの星の重力に耐えてきた証拠だ。……ミラ、……ゆっくりでいい。……その指で、……このネジの『ルール』を……探してみろ」


 エリックは自身の泥に汚れた分厚い手を、ミラの小さな手に添えることはしなかった。ただ、砕けた右目のサイバーアイを細め、娘が「物質の拒絶」と向き合う様子を静かに見守っていた。ミラはナットをボルトの先端に当て、慎重に回し始める。カチ、という、噛み合わないネジ山同士が反発し合う乾いた音。その微かな振動が、彼女の腕の神経を通り、脳へと「世界の正しさ」を伝えていく。


 エリックの視点からは、ミラの指先が金属の硬度を認め、少しずつ、その不器用な力加減を調整していくのが見えた。機械は嘘をつかない。直せないのは、直す側がその構造こころを理解していないからだ。エリックは、自身が二百八十年前のセクター9で、初めてスパナを握った時の記憶を、娘の震える指先の向こう側に重ねていた。それは魔法を捨てた者だけが辿り着ける、最も美しく、最も泥臭い「教育」の光景だった。


 エリックは、自らが使い込み、顎が僅かに開いた小型のスパナをミラに差し出した。


「次はこれだ。……指先だけじゃ、……この星の頑固なボルトは落とせない。……道具これを使って、……お前の力を『一点』に集めるんだ」


 ミラは、父親の掌から渡された鉄の塊の、予想以上の重みに小さく息を呑んだ。錆びついたスパナは、彼女のまだ細い右手の握力では持て余すほどの質量を持ち、表面に刻まれた「セクター9・工廠」の刻印は、エリックの血と汗によって黒く光っていた。彼女は教えられた通り、ボルトの頭にスパナの顎を噛み合わせたが、金属同士が擦れる高い音を立てて、何度も手が滑り落ちた。


「おもい、……パパ。……まわらないよ……」


「……当たり前だ。……世界は、……お前の都合で動くようには……できてねえからな」


 エリックは泥にまみれた右手を伸ばし、背後からミラの手を、その分厚い掌で包み込むように重ねた。

 ミラの柔らかな肌と、エリックのタコだらけで硬くなった指先が、鉄の柄を介して一つに重なる。エリックの腕から伝わってくるのは、機械の出力ではない、生身の筋肉が発する熱と、不器用なまでの力強い拍動だった。


「いいか、ミラ。……ボルトが『嫌がっている』場所を探せ。……ここだ。……ここから、……ぐっと……押し込め……!」


 二人の手が同時に力を込める。

 キリキリ……という、金属の結晶が軋み合い、密着していく独特の手応え。それは情報の海では決して味わうことのなかった、物理的な「抵抗」という名の拒絶であり、同時にそれを克服していく対話の感覚だった。ミラの腕の骨に、ボルトが締まりきる瞬間の、逃げ場のないほど確かな反動が直接叩き込まれる。


「……あ……!」


 最後の一巻き。カチリ、という、これ以上は一ミリも許さないという金属の「定着」の音が響いた。

 エリックはゆっくりと手を離した。ミラの手のひらには、スパナの粗い模様が真っ赤に刻まれていたが、彼女はその「痛み」を、誇らしげに見つめていた。

「……それが、……『現実』の重さだ。……直した分だけ、……お前の手には、……その重みが残る」


 エリックは、娘の手の中で静かに鈍く光るスパナを視据え、自身の左胸の火傷が、新しい継承の始まりを祝うように静かに疼くのを聴いていた。


 ミラの掌に刻まれたスパナの感触を、静かな電子の脈動がなぞるように追いかけた。


 エリックの沈黙したままの義手。その装甲の奥深く、熱損傷で満身創痍のバックアップ・チップに宿るアステリアが、極限まで抑えた出力で、ミラの脳幹へ直接語りかけるような微かな高周波を放ったのだ。それはかつての管理AIが示していた冷徹なナビゲーションではなく、新しい歩みを始めた子供を背後から支える、震えるような「温かなノイズ」だった。


『……ミラ、……おめでとう。……今の反動は、……三〇ニュートンの、……「真実」です。……情報の嘘がない、……この星の、……確かな答え……。……あなたの手は、……今、……世界を、……一箇所だけ……叩き直しました……』


 ミラの銀色の瞳が、驚きに微かに見開かれた。彼女は自分を「資源」として計算し続けていたかつての全能な彼女とは違う、不器用で、欠損だらけで、それでもなお自分を愛おしむ「もう一人の家族」の存在を、義手から伝わる微かな発熱を通じて、肌で、骨で、直接感じ取っていた。


「……アステリア? ……いま、……笑ったの?」


『……わかり、ません。……私の論理回路セルフには、……「笑う」という機能は……実装されて……いません。……ですが、……回路に、……計算不能な……熱いノイズが、……溢れて、……止まらないのです……』


 義手の表面が、アステリアの感情の暴走を反映するように、チリチリと青白い火花を散らした。エリックは、相棒が自身の機能を削ってまでミラの成長に寄り添おうとするその姿を、黙って見つめていた。高度な管理システムとしての矜持を捨て、泥臭い家族の輪に加わろうとするAIの不具合。それはエリックにとって、どんな精密な動作保証よりも信頼できる、生きた「絆」の証明だった。


 ミラは、エリックの義手――アステリアが眠るその銀色の腕を、自身の小さな両手で包み込んだ。

「重いね、アステリア。……パパと同じ、……あったかい……」

 その言葉が、義手の内部で、かつてないほど穏やかな、凪のような電子の残響を生んだ。二百八十年の孤独を越え、機械と人間という境界線が、修理という共通言語の下で、一本の細い、けれど決して切れない配線として繋がった瞬間だった。


 夜の帳が拠点を包み込む中、ミラは息を詰め、自身が組み上げた「光」を構成する最後のスイッチへと指をかけた。


 それは、アステリア号の破損した非常灯ユニットと、地底で掘り当てた可燃鉱石の熱を電力に変換する小型の熱電素子を、エリックに教わった通りに継ぎ接ぎした、不格好な「ガラクタの塊」だった。配線は剥き出しで、接合部には絶縁のためのボロ布が巻き付けられている。ミラは、金属の冷たい質感と、右手に残るスパナの鈍い痛みを噛み締めながら、自身の意志をその粗末な回路へと叩き込んだ。


 カチリ、という頼りない物理スイッチの音。

 直後、煤けた拠点の一角を、不規則に瞬く橙色の光が力強く射抜いた。

 船のメイン照明のような洗練された輝きではない。煤煙に混じり、回路の限界を知らせるジリジリとした不快な高周波を立てる、あまりにも不器用で、泥臭い光。だが、その光がミラの泥だらけの顔を照らし出した瞬間、彼女の瞳には、神のエデンで見せられたどんな極光よりも美しい、真実の歓喜が宿った。


「パパ……、ついた。……わたしの、光だ……」


 ミラが初めて見せた、自分の手で世界の一部を「叩き直した」者だけが許される、誇り高い笑顔。

 その小さな灯火は、絶望的な暗黒が支配するこの惑星において、一人の少女が「守られるだけの部品」であることを辞め、自らの足で立つ「修理屋リビルダー」としての産声を上げた証だった。


 エリックは、壁に映る自分たちの歪な影を見つめ、自身の右手のひしゃげたスパナを、愛おしむように強く握り直した。

「……ああ。お前が直したんだ、ミラ。……その光がある限り、……この星の夜は、もう怖くない」


 泥まみれの親子の間に、頼りない、けれど決して消えない「リビルダーの系譜」が受け継がれた。

 エリックは、自身の摩耗しきった肉体と、砕けた右目の奥で明滅するノイズを、次世代へのバトンを繋ぐための「誇り高き残骸」として受け入れた。煤けた光の下、親子の不器用な笑い声が、未知の惑星の凍てつく静寂を、温かな希望の色で塗り替えていった。


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