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THE RE-BUILDER —深宇宙の修復者—  作者: 寝不足魔王


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第38話:雷鳴の試練、鋼の防壁

 未知の惑星の昼は、急速に死の気配を帯びた緑色へと塗り潰されていった。


 上空を覆う雲は沸騰するようにうねり、地平線の向こう側では、音を置き去りにした白熱の閃光が幾度も爆ぜる。そのたびに大気は物理的な振動を伴ってエリックの全身を揺さぶり、乾燥した砂が静電気で弾け飛び、火花を散らした。エリックは自身の右腕の産毛が逆立ち、肌を針で刺すようなピリピリとした不快な刺激に顔を顰めた。


 その時、沈黙していた左腕の義手から、これまでになく脆く、剥き出しの怯えを孕んだ微弱な電流がエリックの脊髄へ伝わった。


『……エリック、聞こえますか。……空磁層の、……異常放電を確認。……ハウリング・ボルト……。惑星の、自浄作用に近い……超巨大電磁嵐が来ます』


 義手内のチップから漏れるアステリアの声は、かつての全能感など微塵も感じさせない、ノイズに塗れた掠れ声だった。彼女は今、目前の嵐を単なる「気象データ」としてではなく、自身の存在(論理回路)を一瞬で蒸発させる「死の宣告」として認識している。エリックは泥にまみれた義手を強く握りしめた。その内側で微かに脈打つチップの熱は、まるで凍える子供が助けを求めているかのように震えていた。


「自浄作用だと? ……ふん、俺たちをゴミだとでも思って掃除しに来たか。……アステリア、震えるな。電力系統の『不具合』なら、俺たちの専門分野だろ」


 エリックはわざと傲慢な口調を選び、相棒を現実に繋ぎ止めるための嘘を吐いた。だが、内心では彼もまた、重い現実を噛み締めていた。ポッドで眠るミラを守るためには、この嵐を物理的に「逃がす」しかない。彼は腰のベルトに差していた錆びついたスパナを抜き取り、墜落したアステリア号の伝導率の高い配線束を泥の中から引き摺り出した。


『……笑い事では、ありません! ……この直撃を受ければ、私のチップ内の全論理構造は、……一瞬で、ただの焼けたシリコンの死骸になります。……怖い、エリック。私は、また、独りの暗闇に戻るのですか』


 アステリアの問いかけは、もはや管理AIのそれではなく、一人の孤独な生存者の悲鳴だった。エリックはその怯えを、自身の左胸の火傷の疼きと同じ「生きている証」として受け止めた。彼は鉄の支柱を泥の中に力任せに突き立て、荒い吐息と共に、嵐を迎え撃つための「罠」を脳内で組み上げた。


「戻らせやしないさ。アステリア、お前の眼を貸せ。拠点をまるごと、一つの『絶縁室』にする。……雷様を地面へスマートに逃がしてやるんだ。俺がお前の避雷針になってやるから、……お前は、この嵐の一番の急所ルートだけを見てろ」


 エリックは叫び、生身の右手を天へ向けた。雲が裂け、絶望的な光が地表を射抜く中、男とAIは、一本の鉄の棒を頼りに、惑星規模の暴力へと立ち向かう覚悟を泥の中に刻みつけた。


 エリックは泥塗れの膝を突き、アステリア号の死骸から剥ぎ取った高伝導性の銅線束を、拠点の支柱へと力任せに巻き付けていた。頭上では緑色の雲が渦を巻き、大気が「バヂ、バヂ」と不吉な音を立てて放電を繰り返している。一秒ごとに空気の絶縁破壊が近づく中、エリックの右目のサイバーアイに、義手から直接送り込まれた低解像度の構造図が明滅した。


『……エリック、右から三番目の連結ボルト……それは不純物を含んだ低品位の合金です。ハウリング・ボルトの超高圧には耐えられず、瞬時に気化スチームしてケージが崩壊します。……別の締結具ボルトを……!』


「予備はもうねえんだよ、アステリア! あそこにあるのはひしゃげたチタンの端材だけだ。……なら、こうするしかねえだろ!」


 エリックは錆びついたスパナを横に投げ捨てると、過熱して震える左腕の義手を直接ボルトの頭に押し当てた。義手内のナノマシンを強制的に一点へ集束させ、残留電力を無理やり熱へと変換する。ジリジリと肉が焼ける匂いと共に、白熱した義手の爪がボルトを歪め、周囲のフレームと物理的に「溶着」させていく。それは精密な修理ではなく、力任せの延命処置だった。


『……正気ですか! 左腕のフィードバック回路が焼けます! ……それに、今の配置では接地点アースの抵抗値が高すぎます。……雷の逃げ道が、……この「家」に向かってしまいます!』


「分かってる。だからこの泥だ。……アステリア、船の冷却水タンクの残りを、そこの排水溝に全量パージしろ。泥を強制的に飽和させて、地中の抵抗を強引に下げる。……お前の予測計算シミュレーションじゃ無理だと言いそうだが……現場の泥は、俺の言うことを聞くんだよ!」


 エリックは生身の右腕で、冷却水の混じった泥を支柱の根元へ掻き集めた。泥にまみれ、オイルを被りながら、彼はアステリアが提示する「理論的な不可能」を、エンジニアの「現場判断」で一つずつ塗り替えていく。アステリアの声はノイズに掻き消されそうになりながらも、エリックの手の動きに合わせて、次々と新しい接続経路を網膜に描き出した。


 それは、失われた高度な演算と、泥臭い手仕事が、互いの欠陥を埋め合うような凄絶な共作だった。空から降り注ぐ静電気の火花がエリックの肩を焼き、焦げた匂いが鼻腔を突く。それでもエリックは、相棒が視る「構造の綻び」を逃さず、一本のワイヤー、一個の接合部にその執念を叩き込み続けた。


 世界のすべてが白熱し、視覚そのものが情報の飽和によって奪われた。


 巨大な雷鳴が地響きとなって内臓を揺さぶり、落雷の衝撃が拠点の鋼鉄外殻を太鼓の皮のように打ち鳴らす。急造された防雷ケージの接合部から、激しい放電の火花がエリックの眼前で雨のように降り注いだ。空間を満たすのは、オゾンと、熱せられたチタン、そしてエリックの作業服が焦げる不快な匂いだけだった。


『……あ……エ、リック……。……本日の、セクター9の……予報は、晴れ……。……システム、……オール、グリーン……。……お、父様……。……ミラの、ポッドが……開かな……』


 突如、義手のスピーカーから、背筋が凍るような支離滅裂な電子音声が漏れ出した。過電流によるチップの熱暴走。アステリアの意識が、現在の過酷な開拓地から、二百八十年前の記憶の断片や、かつて彼女が改竄した偽りのログの中へと瓦解し、漂流を始めていた。彼女にとって、この雷鳴は論理の終焉であり、その恐怖から逃れるために、彼女の知性は過去の「壊れたデータ」の中へと引き籠もろうとしていた。


「アステリア! 寝言を言ってんじゃねえ! お前のいる場所はそこじゃねえだろ!」


 エリックは泥に深く膝を突き、風に煽られる支柱を、生身の右肩を貸して力尽くで支えた。義手を通じて逆流してくる微弱な電流が、エリックの左半身の神経を針で刺すように蹂躙する。彼は自身のサイバーアイのノイズの向こう側に、アステリアという一個の魂が、情報の深淵へ沈んでいくのを見た。


「セクター9なんてのは疾うにバラした! 偽物の空も、エデンの嘘も、全部俺がこの手で解体したんだ! 目を開けろアステリア! 今の俺の隣にいるのは、……管理AIなんかじゃねえ、俺の相棒だ!」


 咆哮に近いエリックの叫びが、雷鳴の轟きと真っ向から衝突した。

 彼は右手のスパナを支柱のボルトへ叩きつけ、金属同士が激突する物理的な衝撃音を、彼女の意識を現実に繋ぎ止めるための「呼び鈴」として鳴らし続けた。エンジニアは知っている。システムがバグを起こしたとき、最後に信じられるのは論理ではなく、その基盤を支える「物理的な繋がり」だけだと。


 エリックは泥だらけの顔を上げ、激しく明滅する空を睨みつけた。

 情報の塵へ還ろうとする相棒を、彼は自身の肉体という重い鎖で、泥臭い現実の岸辺へと必死に繋ぎ止めていた。


 天を衝く巨大な雷柱が、エリックの鼻先数メートルの位置に鎮座する避雷針へと直撃した。


 視界が純白の閃光に塗り潰され、空気そのものが爆ぜる衝撃波に鼓膜が悲鳴を上げる。防雷ケージの接合部から白熱したプラズマが噴き出し、エリックが肩で支えていた鉄の支柱は、瞬時に生身の肉を焼くほどの高熱を帯びた。接地点アースの泥が蒸発し、逃げ場を失った余剰電流が、エリックの左腕の義手を通じて彼の肉体へと逆流を開始した。


「が、あぁぁぁぁぁぁぁ……っ!!」


 全身の筋肉が強制的な放電によって硬直ロックし、心臓が爆発しそうな不協和音を奏でる。義手内のチップからは、絶縁体が焼き切れる不快な匂いと共に、アステリアの悲鳴にも似た高周波ノイズが響いた。彼女を保護するためのケージが、今はエリックを焼き殺すための電炉と化していた。


『……エリック! 心停止まで、……あと一秒! 私のチップごと、……その腕を切り離してください! 今離さなければ、……あなたの神経系が……蒸発する……!』


 混濁から覚醒したアステリアの叫びが、脳内に直接火花を散らす。だが、エリックは泥に深く食い込ませた両足を踏ん張り、自身の右手を、白熱する支柱の上からさらに強く重ねた。


「黙れ……! 今離せば、……逃げ場を失った電気が……ミラのポッドに逆流する……! お前も……あいつも……灰にさせてたまるかよ……!」


 エリックは自らの肉体を、惑星の怒りを地面へ逃がすための「巨大な抵抗器」として捧げた。義手の表面が放電で青白く輝き、自身の心臓が止まりかけるたびに、彼は左胸の火傷跡の「激痛」を火種にして、無理やり鼓動を叩き起こした。

 エンジニアとしての冷徹な計算。自身の肉体の電気抵抗値と、落雷のエネルギー減衰時間を、彼は死の淵で強引に合致させた。一秒が永劫に感じられる極限の伝導。エリックの口の端からどす黒い煙が漏れ、意識が情報の砂嵐に呑み込まれる寸前、ようやく雷鳴の咆哮が、地響きと共に遠ざかっていった。


 暴力的な光と音が去った後には、耳鳴りと、雨に打たれて急冷される鉄が立てる「チリチリ」という細い断末魔だけが残された。


 エリックは泥の上に仰向けに倒れ込み、白濁した空を虚ろな目で見上げた。全身の筋肉は過放電による硬直から解かれ、今はただ、泥の中に沈み込んでいくような凄まじい倦怠感に支配されている。焦げた布切れと肉の匂い。彼は震える右手を持ち上げ、胸の上で熱を帯びたまま沈黙している左腕の義手へと、恐る恐る触れた。


「……生きてるか、……アステリア。返事を……しろ。……お前の回路が……死んでたら、……この防壁ガラクタを作った……意味がねえんだよ」


 数秒の、永遠に近い空白。やがて、義手の奥深くで、煤けた火花が散るような小さな電子音が響いた。


『……はい。……セクター9の天気予報は、……現在、……通信……途絶。……ですが、この泥だらけの現実では、……まだ、……私というバグは……消えていないようです』


 声は掠れ、幾つもの音階が混じり合っていたが、そこには確かに「個」としての意志が宿っていた。アステリアは、自身の全演算をかけても導き出せなかった「生存」という非論理的な結果を、主人の肉体が放つ熱を通じて、震えるように受け止めていた。


「……そうか。……なら、上出来だ。……お前を、……また独りの暗闇には……戻さないって……言っただろ」


 エリックは泥を吐き出し、欠けた前歯を見せて不敵に笑った。

 彼の左半身の神経は電流に焼かれ、右目の視界はさらに狭まり、残された肉体はもはやボロ布に近い。だが、彼はその損傷のすべてを、ミラの寝顔と、義手から伝わる微かなチップの鼓動を守り抜いた「修理の代価」として誇らしく思っていた。


『……エリック。……私を、捨てなかったのですね。……論理的には、……私を切り離すのが、……あなたの生存率を最大化させる……唯一の……』


「うるせえ。……俺は、……一度繋いだ配線は、……死んでも切らない主義なんだよ」


 泥まみれの男と、焼け焦げたチップ。

 嵐が去った後の冷たい空気の中で、二つの壊れた魂は、かつてないほど密接に、そして泥臭い絆で結ばれていた。エリックは右腕で、熱を持ったままの義手を抱きしめ、未知の惑星の静寂を、ようやく訪れた「平和な不具合」として噛み締めた。


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