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THE RE-BUILDER —深宇宙の修復者—  作者: 寝不足魔王


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第35話:義手の悲鳴、生身の重み

 未明の静寂を切り裂いたのは、エリック自身の喉から漏れた、肺を掻き毟るような喘鳴だった。


 岩陰の焚き火が灰へと変わり、冷え切った大気が肌を刺す中で目覚めたエリックは、自らの身体に起きた「致命的な変質」を瞬時に悟った。昨日まで、彼の意志に従って精密に駆動し、数トンの圧力を軽々と受け止めていた左腕の義手が、一本の指さえ動かない「冷徹な鉄の棒」へと成り果てていたのだ。惑星エデン脱出時に焼き切れた回路と、底を突いたナノマシンの活性。それらがもたらしたのは、主人の命令を完全に拒絶する、数十キログラムの「死んだ金属」の質量だった。


「……ぁ、……ぐ、……うおぉぉ……っ!」


 上半身を起こそうとした瞬間、左肩にのしかかる無慈悲な自重に身体の均衡を奪われ、エリックは泥の上に無様に転がった。かつてはナノマシンが重力定数を計算し、義手の重さを意識の外へと追いやっていた。だが、システムが沈黙した今、肩の生身の肉に食い込むボルトの感触と、鎖骨を軋ませる物理的な重みが、呪いのように彼を大地へと引き摺り下ろす。左腕はもはや彼を助ける「力」ではなく、ただエネルギーを浪費し、移動を阻害するだけの「巨大な死荷重しじゅう」に変わっていた。


『……エリック。……内部電力が、……閾値を下回りました。……ナノマシンの再構成……停止。……私の意識を維持するだけで、……精一杯です。……ごめんなさい、……今の私は、……あなたを助ける腕には……なれない』


 義手内のチップから漏れるアステリアの声は、風前の灯火のようなか細い震えを帯びていた。エリックは泥まみれの顔を上げ、動かない銀色の腕を、忌々しげに、それでいて縋り付くような悲痛な眼差しで見つめた。右目のサイバーアイもまた、電力不足で情報のノイズを撒き散らすばかりで、目前の風景さえ満足に映し出さない。


 彼は震える右手を伸ばし、泥に半ば埋もれていた錆びついたスパナを握りしめた。

 全能の機械が沈黙し、神の如き演算が消え去った後に残されたのは、不自由な肉体と、ただ重いだけの鉄屑、そして掌に伝わる凍えるような「物質の冷たさ」だけだった。エリックは、自身の生身の肩が重みで裂けるような痛みを放つのを聴きながら、この動かない腕をどう「解体」し、どう利用すべきかという、修理屋としての根源的な絶望と格闘し始めた。


 エリックは岩を背にして泥の上に座り込み、動かない左腕を膝の上に横たえた。銀色の義手は生気を失った抜け殻のように冷たく、そこに宿っていた「意志」の気配は微塵も感じられない。彼は震える右腕で錆びついたスパナを握り、義手の肘関節にある露出した調整ボルトへと、その顎を噛み合わせた。


「……アステリア。演算は要らない。……ただ、どこを締めれば……こいつが『添え木』になるかだけ、……感覚で教えてくれ」


『……肘の、外側から二番目……。そこを、あなたの筋肉が断絶する寸前まで……締め上げてください。……機械としての私を、……あなたの骨として……物理的に固定するのです』


 アステリアの返答は、スピーカーを通さない骨伝導の囁きのように脳裏へ響いた。エリックは右手に渾身の力を込め、スパナを回した。キリキリ、という、金属が肉を削るような嫌な摩擦音が立ち込める。ナノマシンの自動潤滑が途絶えた関節は、一分刻みの角度で回るたびに凄まじい抵抗を返し、エリックの右手の指先に水膨れを強いた。


 生身の右手が、スパナの柄を通じて義手の構造を「理解」していく。これまでは脳波一つで最適化されていた動作を、今はネジ一本の締め具合、ワッシャーの噛み合わせ、シリンダーの残圧という、泥臭い物理現象として再定義していく。エリックは、義手が「自分の身体」から「ただの頑丈な棒」へと変わる感覚を、敗北感と共に、どこか晴れやかな気持ちで受け入れていた。


 ボルトを限界まで締め切ると、義手は九十度の角度でカチリと固定された。エリックは、自らの機械の指の間に、資材を引っ掛けるための即席の「鉤」をワイヤーで括りつけた。それはかつての英雄的な戦闘義肢の姿ではなく、一人の工事作業員が使い古した、不格好な「道具」そのものだった。

「……重いな、お前は。……でも、これでやっと……対等(同じ重さ)になれた気がするよ」

 エリックは痺れる右手を振り、自身の肩に食い込む銀色の「死荷重」を、開拓のための最初の「資材」として受け入れた。アステリアは、その言葉にただ静かなノイズを返した。


 エリックは、泥に半ば埋もれたアステリア号の右舷装甲板――厚さ数センチのチタン合金の塊の前に立ち、深く息を吐いた。


 かつてならナノマシンによる筋力補助で羽毛のように持ち上げられたはずの鉄板が、今はただ、惑星の重力に従順な、殺意さえ感じるほどの「質量」としてそこに横たわっている。エリックは生身の右肩を鋼鉄の鋭利な角に押し当て、固定したばかりの不自由な左腕を支柱にして、その巨体を泥の中から引き剥がそうと力を込めた。


「……ぬ、……おぉぉぉぉぉぉっ!!」


 咆哮と共に、エリックの右腿の筋肉が千切れるような悲鳴を上げ、泥が音を立てて爆ぜた。

 肩に食い込む金属の冷徹な重みが、鎖骨を軋ませ、肺から酸素を強引に絞り出す。ナノマシンの補助を失った「本物の心臓」が、肋骨の裏側を叩き壊さんばかりの猛烈な拍動を刻み始めた。一歩、泥を踏み出すたびに、足元は粘りつく土に絡め取られ、全身の毛細血管が圧力で破裂しそうなほどの熱を帯びる。


 肺が焼ける。視界の端が火花を散らすように暗転し、汗と泥が傷口に染みて、激痛が意識を白く塗りつぶしていく。

 これが、機械の加護を失った人間が対峙すべき、本来の「現実」の重さだった。エリックは、自分の肩から伝わってくる装甲板の微かな振動を通じて、この惑星の、ごまかしの効かない硬度と質量を直接、脳に刻みつけた。


『……エリック、血圧異常上昇……! 筋肉の断裂を確認。……もう、下ろして……! 今のあなたでは、……その重さに……勝てない……』


 義手の中のチップから、アステリアが悲痛な警告を放つ。だが、エリックは血の混じった唾を吐き捨て、震える膝を泥に突き立てて踏ん張った。

 

「……勝てるさ。……機械が止まったくらいで、……俺の、仕事が……終わると思うなよ」


 彼は泥に滑るブーツの感触を、自身の神経よりも鋭敏に研ぎ澄ませ、重力と対話するように重心をずらした。一段一段、階段を登るような過酷な歩み。彼は自身の肉体が発する限界の悲鳴を、生きてこの大地を開拓しているという、確かな「手応え」として噛み締めていた。一人の男の執念が、鋼鉄の重みを力尽くで移動させ、不毛な荒野に新たな壁の礎を築き始めていた。


 悲鳴を上げる筋肉が限界に達した瞬間、エリックの右足が泥の深みに隠れた滑りやすい岩の角を捉えた。


 不意に重心が崩れ、担いでいた数百キログラムの装甲板が、重力の暴力に身を任せてエリックの身体へとのしかかった。回避する暇さえない。彼は泥の中に叩きつけられ、逃げ遅れた左半身――機能停止した重い義手と共に、冷徹な鉄板の下敷きになった。


「……が、……ぁ、……っ!!」


 肺から全ての空気が押し出され、視界が真っ黒に爆ぜた。泥に顔を半分埋められ、泥水の腐敗臭と鉄錆の匂いが鼻腔を突く。どれだけ右腕で泥を掻いても、のしかかる鉄の質量は一ミリも動かない。ナノマシンが沈黙した今の彼は、ただの重いゴミに潰された無力な肉の塊に過ぎなかった。冷たい泥が体温を奪い、意識が情報の断片へと溶け出しそうになったその時、彼の内側で「熱」が弾けた。


 左胸の幾何学的な火傷跡。

 鉄板に圧迫され、皮膚が裂けるような感覚と共に、あの呪われた傷跡が爆発的な、そして鮮烈な「生身の痛み」を放ったのだ。その痛みは、エデンが与えた情報の快楽よりも遥かに鋭く、アステリアが施した改竄よりも遥かに誠実だった。激痛が脊髄を駆け上がり、沈没しかけていた脳に「お前はまだ生きている」と、残酷なまでの宣告を突きつける。


「……壊れて、たまるか……! 俺は、……修理屋だ……! 動かないもんは、……叩き、起こすんだよ!」


 エリックは泥を噛み、割れた唇から血を流しながら、鉄板の僅かな隙間に右の拳を突き立てた。彼は自身の骨が軋む音を聴きながら、左胸の「痛み」を火種にして、全身の残存エネルギーを右半身の筋繊維へと一点に集束させた。

 

 一ミリ。重力が、人間の執念に僅かな譲歩を見せた。

 エリックは泥に塗れた全身を、一振りのくさびのようにしならせ、自身の肉が千切れる音を、勝利の産声として受け入れた。彼は泥の中から這い上がり、鉄板を跳ね除けるのではない。その重みを、自分の苦痛を、この惑星の理を、自らの肩で「修理」するようにして押し戻した。泥まみれの王が、不毛の地で二度目の産声を上げた瞬間だった。


 ようやく一枚の装甲板を拠点の礎として立て終えたとき、空には未知の惑星の二つの月が、冷たく静かな光を投げかけていた。


 エリックは崩れ落ちるように焚き火の傍らへ座り込み、激しく上下する胸を抑えながら、自身の右手の掌をゆっくりと開いた。火の粉が舞う暗闇の中で照らし出されたその掌は、もはやエンジニアの清潔な手ではなかった。過酷な肉体労働によって皮膚は裂け、そこには無数の肉刺まめが潰れた跡と、こびりついた泥に混じって、どす黒く固まりかけた「赤」が広がっていた。


 エリックはその掌をじっと見つめた。

 それは機械のオイルでも、銀色のナノマシンでもない。かつてセクター9で、ミラの玩具を直しては彼女を抱き上げていたあの頃と同じ、熱を持った「人間の証」だった。指先を曲げるたびに走る鈍い痛み。掌を伝わってくる泥のざらつき。ナノマシンの全能感に酔っていたときには決して得られなかった、あまりにも不自由で、あまりにも愛おしい生身の感覚。


『……エリック。……その手、……ひどい……傷です。……私が、……もっと機能していれば、……こんな痛みは……』


 義手の中のチップから、アステリアが今にも消え入りそうな声で囁いた。彼女にとって、主人が「血を流す」ことは演算上の敗北に等しい。だが、エリックは掠れた笑い声を漏らし、痺れる指先でミラのポッドの強化ガラスをそっと撫でた。


「……いいんだ、アステリア。……痛みがある方が、……ちゃんと生きてる実感がする。……重い身体を動かして、……この手で土を掴んでる。……今の俺は、……二百八十年前のあの時よりも、……ずっと……自分の足で立ってる気がするよ」


 彼は不自由な身体を軋ませ、眠るミラの頬に、泥を拭った指先でそっと触れた。伝わってくる柔らかな体温。エリックは自身の右手の傷の疼きを、未来を切り拓くための「最初の対価」として受け入れ、錆びついたスパナを胸元に抱いたまま、深い眠りへと落ちていった。機械が沈黙した夜、一人の男は再び「人間」へと回帰し、不毛な大地での真実の生存サバイバルが、その血の通った掌から始まろうとしていた。


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