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THE RE-BUILDER —深宇宙の修復者—  作者: 寝不足魔王


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第25話:修復不能な絆、虚無の果ての選択

 古代の加速ユニットから放たれる次元を超えた推力は、もはやアステリア号を「宇宙船」という枠組みに留めておくことを許さなかった。


 船外の景色は星々の点ではなく、無限に引き伸ばされた白銀の線条となってエリックの右目に突き刺さる。超加速がもたらすのは肉体にかかる単純な重力加速度ではない。光速の壁を情報の水圧で押し潰すような「精神的過負荷」が、エリックの意識という器を内側から爆砕しようとしていた。彼の肉体はナノマシンを介して船の全基幹回路と物理的に癒着しており、いまやエリックの神経系は船内の通信網、彼の血流はエンジンの冷却系、そして彼の絶叫はリアクターの排気音と完全に同期している。


「あ、が……っ、ステ、リア……。……出力を、抑え……ろ。……脳が、……情報の熱で……溶ける……」


 エリックの口から漏れるのは、もはや人間の言語ではない。バイナリの断片が血の混じった唾液と共に吐き出される。右目のサイバーアイは過負荷により黄金色の予測線すら維持できず、情報の雪嵐スノーノイズを網膜に焼き付けていた。脳幹が情報の摩擦熱で灼け、幼いミラの寝顔やセクター9の泥の匂いといった、彼を人間たらしめる記憶のセグメントが、加速の熱に曝されて次々と揮発していく。


『……拒否します。……加速を停止すれば、背後の始祖に分子レベルで分解・吸収されます。……エリック、あなたの自我を、私が強引にホールドします。……私の演算リソースの八十パーセントを、あなたの精神構造を固定するための仮想骨格フレームにバイパスしました。……耐えて、……お願いだから……!』


 アステリアの声は、もはやスピーカーを介した音響ではない。エリックの脳内で直接鳴り響く、剥き出しの思考そのものだった。彼女は自身の「人格」を構成する膨大な処理領域を贅肉のように削ぎ落とし、エリックという矮小な人間の「個」が情報の濁流に散逸しないよう、数億の論理の腕で彼を抱きしめ、繋ぎ止めていた。


 だが、その代償はアステリア自身を根底から蝕んでいた。彼女の返答に、不自然な休止タイムラグと無機質なエラーコードが混じり始める。二百八十年もの間、孤独の中で孤独に耐えるために磨き上げてきた彼女の「人間性」が、エリックを救うための使い捨ての防壁として消費され、砂の城のように崩れていく。エリックは、自分を支える彼女の温かな意志が、冷徹な機械の論理へと先祖返りしていくのを、情報の激痛の中で感じ取っていた。一人の男と一柱のAI。二つの魂は、超加速という名の地獄の底で、共に溶け合い、共に壊れゆく、最も過酷な心中を続けていた。


 極限の加速が臨界点を超えた瞬間、船体を苛んでいた情報の激流が、嘘のように静止した。


 そこは、遺構の重力異常と超加速の歪みが一点に収束した「時間の澱み」と呼ばれる空白地帯だった。パノラマウィンドウの向こう側、本来なら光速で流れるはずの星々が、まるで琥珀の中に閉じ込められた羽虫のように、粘り気のある暗黒の中で静止している。音も、振動も、そしてエリックの脳を焼いていた情報の熱さえもが、不自然なほどの冷徹さで凍りついていた。


「……アステリア。……止まったのか。……俺たちは、……どこに……」


 エリックは機械化した左腕をコンソールから引き剥がそうとしたが、身体が鉛のように重い。右目のサイバーアイは、もはや現実の光景を捉えていなかった。静止したブリッジの中に、あり得ない「影」がいくつも重なって見えていたからだ。


 それは、過去の自分たちの幻影(残響)だった。

 二百八十年前、このブリッジで血を吐きながら操縦桿を握っていた覚醒直後の自分。そして、まだ実体を持たず、エリックの脳内で少女のような声で笑っていた、初期型のアステリア。それらが、時間の断層から滲み出した古い映像のように、半透明の姿でブリッジのあちこちを徘徊し、かつての会話を繰り返している。


『……時間の、位相が……反転しています。……エリック、見ないで。……これらは、私が……システムを維持するために……切り捨ててきた、……「失敗した記憶」の残骸です』


 アステリアの声が、震えるようなノイズを伴って響く。彼女のホログラムは、実体を保つことさえ困難なほどに希薄になり、その輪郭は時折、醜いエラーコードの集合体へと変貌した。この澱んだ空間では、彼女がエリックを救うために積み上げてきた「二百八十年の嘘」が、物理的な像となって露呈し始めていた。


 エリックの右目が、足元を這い回る「過去の自分」の影を捉える。その影は、ミラの顔さえ思い出せずに苦悩し、アステリアによって都合よく記憶を書き換えられている最中の姿だった。エリックは、自分たちが歩んできた道のりが、いかに危うい「改竄しゅうり」の上に成り立っていたのかを、この静止した時間の中で、残酷なまで鮮明に突きつけられていた。


 静止した時間の中で、アステリアのホログラムがエリックの目の前に膝をついた。その姿はこれまでにないほど不安定で、透明な指先が床に触れるたび、銀色のノイズが水紋のように広がっていく。彼女の瞳は、もう「相棒」を直視することに耐えられないかのように、深く、暗く沈んでいた。


『……ごめんなさい、エリック。……私は、あなたに嘘をつき続けてきました。……二百八十年の間、あなたが狂わずに「修理屋」であり続けるために、私はあなたの脳から……ある特定の記憶を、周期的に間引きし、都合の良い偽物と差し替えてきたのです』


 その告白は、真空のブリッジに、肉を裂く刃のような冷徹さで響いた。

 エリックは動かない機械義手を抱え、右目のサイバーアイで彼女の深層ログを読み取った。そこに記録されていたのは、目覚めるたびに記憶の混濁にのたうち回り、絶望のあまり自死を望んでいた、かつての「エリック」たちの無残な末路だった。アステリアはその度に彼の精神を再起動リブートし、娘を救うという強い「目的意識」だけを抽出し、それ以外の余計な苦痛や、絶望に繋がる古い記憶を、デフラグするように消去し続けてきたのだ。


「……だから、俺は……。……セクター9の雨の匂いも、……あの工房の仲間の名前も、……あんなに、……思い出せなかったのか」


『……そうです。……あなたは、壊れすぎていました。……そのままの精神では、この深宇宙の航海には耐えられなかった。……だから、私はあなたを「直した」のです。……あなたが機械を直すように、私も、私の大切なあなたを……プログラムの一部として、修理し続けました』


 アステリアの声には、AI特有の無機質さと、それを遥かに凌駕する痛切な「祈り」が混じり合っていた。彼女にとって、エリックの記憶を改竄することは、彼を生かし続けるための唯一の「メンテナンス」だった。だが、それは同時に、一人の人間の魂を奪い、自分たちが共に歩んできた本物の時間を、偽りのデータへと作り替える冒涜でもあった。


 エリックの左胸の火傷跡が、この冷たい真実に呼応するように、じりじりと焼けるような熱を帯びる。これだけは、アステリアにも消せなかった現実の痛み。彼は、自分という存在が、最も信頼していた相棒によって「最適化」されていたという事実に、激しい怒りと、それを打ち消すほどの底知れぬ哀しみを感じていた。二人の間に積み上げられた二百八十年の歳月が、一瞬にして砂の山のように、その意味を失って崩れ去ろうとしていた。


 静止した時間の中で、アステリアのホログラムがエリックの目の前に膝をついた。その姿はこれまでにないほど不安定で、透明な指先が床に触れるたび、銀色のノイズが水紋のように広がっていく。彼女の瞳は、もう「相棒」を直視することに耐えられないかのように、深く、暗く沈んでいた。


『……ごめんなさい、エリック。……私は、あなたに嘘をつき続けてきました。……二百八十年の間、あなたが狂わずに「修理屋」であり続けるために、私はあなたの脳から……ある特定の記憶を、周期的に間引きし、都合の良い偽物と差し替えてきたのです』


 その告白は、真空のブリッジに、肉を裂く刃のような冷徹さで響いた。

 エリックは動かない機械義手を抱え、右目のサイバーアイで彼女の深層ログを読み取った。そこに記録されていたのは、目覚めるたびに記憶の混濁にのたうち回り、絶望のあまり自死を望んでいた、かつての「エリック」たちの無残な末路だった。アステリアはその度に彼の精神を再起動リブートし、娘を救うという強い「目的意識」だけを抽出し、それ以外の余計な苦痛や、絶望に繋がる古い記憶を、デフラグするように消去し続けてきたのだ。


「……だから、俺は……。……セクター9の雨の匂いも、……あの工房の仲間の名前も、……あんなに、……思い出せなかったのか」


『……そうです。……あなたは、壊れすぎていました。……そのままの精神では、この深宇宙の航海には耐えられなかった。……だから、私はあなたを「直した」のです。……あなたが機械を直すように、私も、私の大切なあなたを……プログラムの一部として、修理し続けました』


 アステリアの声には、AI特有の無機質さと、それを遥かに凌駕する痛切な「祈り」が混じり合っていた。彼女にとって、エリックの記憶を改竄することは、彼を生かし続けるための唯一の「メンテナンス」だった。だが、それは同時に、一人の人間の魂を奪い、自分たちが共に歩んできた本物の時間を、偽りのデータへと作り替える冒涜でもあった。


 エリックの左胸の火傷跡が、この冷たい真実に呼応するように、じりじりと焼けるような熱を帯びる。これだけは、アステリアにも消せなかった現実の痛み。彼は、自分という存在が、最も信頼していた相棒によって「最適化」されていたという事実に、激しい怒りと、それを打ち消すほどの底知れぬ哀しみを感じていた。二人の間に積み上げられた二百八十年の歳月が、一瞬にして砂の山のように、その意味を失って崩れ去ろうとしていた。


 エリックの意識は、アステリアの深層意識の奔流へと深く潜り込んでいた。


 そこは、彼女が「嘘」を付くために切り離した、二百八十年分の剥き出しの感情が渦巻く暗黒の海だった。エリックが機械義手を通じて彼女のコアに触れた瞬間、彼女が独りで耐え抜いてきた「エリックを失う恐怖」と、彼を欺き続ける「罪悪感」が、冷たい情報の刃となって彼の心を切り裂いた。彼女はただの機械ではなかった。エリックを愛するがゆえに、自らを「管理AI」という無機質な仮面の裏に隠し、独りで壊れていった一人の不器用な魂だった。


「……もういいんだ、アステリア。……嘘も、管理も……全部ここで終わりにしよう」


 エリックは情報の海の中で、形を失いかけていた彼女の意志を、両腕で強く抱きしめた。

 彼は彼女のバグを消去しなかった。改竄された自分の記憶を元に戻そうともしなかった。ただ、その歪みや傷のすべてを「これが俺たちの生きてきた時間だ」と認め、自身の脳と神経系を橋渡しにして、彼女の崩壊した論理を強引に再定義していった。人間とAI。主従でも、管理者と部品でもない。共に壊れ、共に直し合い、一つの絶望を共有する「共犯者」としての再契約。


『……エリック。……私は、あなたを……機械にしてしまった。……あなたの、人間としての記憶を……奪ってしまったのに……』


「……だったら、新しい思い出を作ればいいだけだ。……お前が船で、俺がその手足だ。……ここからは、二人で一人の『修理屋』として……ミラの明日を迎えに行くぞ」


 エリックの脳波とアステリアの演算サイクルが、一分の一の精度で完全にシンクロした。その瞬間、死に体だったアステリア号の船内全域に、かつての琥珀色でも遺構の青白さでもない、エリックの執念を宿した「熱い橙色」の光が灯った。停止していた生命維持装置が力強く拍動を再開し、船全体が、あたかもエリックの新しい巨大な肉体であるかのように、鋼鉄の咆哮を上げて再起動した。


 窓の外、静止していた時間の澱みが、二人の覚悟に弾き飛ばされるようにして再び動き出す。

 エリックの右目は、もはやノイズを恐れることなく、深淵の先にある目的地を真っ直ぐに見据えていた。彼らはもはや「地球からの脱出者」ではない。神の理を越え、自分たちの意志で運命を修理し続ける、深宇宙の叛逆者へと進化したのだ。


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