#32 招かれたジャック
「………。」
ジャックは、日本庭園の中に居た。
どうしてここに居るのかは、ジャック自身にも分からなかったが、ここがテムズミス公園の中にある日本庭園であることは、分かった。
ノーラとの事故の後、塾の帰りに、ベンチに座るルイーザの姿を見ることは無くなった。
ノーラと一緒に居たパーカー図書館で、突然に乗り込んで来たのが、ジャックが見たルイーザの最後の姿だった。
以来、ノーラもルイーザには会っていないと言っていたし、極力一人にならないよう、ノーラには注意をしていると、ビルは言っていた。
オルコット夫人も、ルイーザのことは、ベトソン夫人にきつく言ったので、もう大丈夫だろうと言っていた。
だから、ジャックは安心していたのだ。
もう、ルイーザがノーラに関わることはないだろうと。
なのに、以前、図書館で会ったことのある少年が、ノーラの危機を教えてくれた。
いつものように、ノーラと会う為、パーカー図書館に来たジャックを、入り口で待ち構えていた少年は、ジャックを見つけて駆け寄って来た。
『ジャック、大変だ!ノーラが、あの女に連れて行かれた!』
少し癖のある肩までの黒髪の少年の話では、オルコット夫人にパーカー図書館まで送ってもらったノーラが、図書館の中に入る前に、ルイーザに連れて行かれたのだと言う。
『あっという間だったんだ。あっという間にノーラは連れて行かれて………。だから、オレ、ジャックにこのことを知らせなきゃって、そう思って……。』
少年の話を聞いて、ジャックが最初に思ったことは、ルイーザは1人ではなかったのか?という疑問だ。
あっという間だったというのは、大人の誰かが一緒に居て、車に乗せて連れ去ったということだと思った。
だが、その質問を口にするよりも前に、ジャックの視界が揺らめいた。
まるで、眩暈を起こしたみたいに視界が歪んで、立って居ることが出来なくなった。
一瞬だった。
視界の歪みに耐え切れなくて、目を閉じた一瞬。
立って居ることが出来なくて、膝を付いた一瞬。
その一瞬の間に、ジャックの居場所は変わってしまった。
「………。」
パーカー図書館の入り口だったはずの場所が、目を閉じた、膝を付いた、一瞬の間に、テムズミス公園内にある日本庭園に変わっていた。
時間も随分と経っているようだった。
もうすぐ日が暮れそうだ。
通路の脇には、背の低い植木が並んでいる。
砂場のような場所に、大きな岩が幾つもある。
子供が遊べる場所は無い。
ここは風情を楽しむ場所であるという認識なので、訪れる人は限られている。
昼間でも人は少なく、静かな場所だ。
日暮れ時の時間ともなれば、公園内に人の姿は無く、公園内に居るのは、ジャックぐらいのように思えた。
「………ジャック?」
ふいにルイーザの声がした。
「———っ‼」
反射的に声のした方を見ると、大きな岩の傍にルイーザが立って居た。
岩の陰からノーラのものと思しき、少女の足が見える。
投げ出されている両足の様子から、ノーラは倒れていると思われた。
「ノーラ⁉」
「近寄らないで‼」
「‼」
駆け寄ろうとしたジャックを、ルイーザが止めた。
「こっちへ来てはダメよ、ジャック。ノーラが死んでしまうわ。死んで欲しくはないのでしょう?」
ルイーザは、とても落ち着いた口調で、ジャックに言った。
ジャックは、図書館に乗り込んで来た時のルイーザと、あまりに様子が違い過ぎて、戸惑ってしまった。
普段はこんな感じで話をする子だったのだろうか?
「君は、どうしてこんなことをするの?」
ジャックは聞いた。
以前は、感情的になって喚き散らすだけで、会話が成り立つとは思えなかったが、今なら話し合いでなんとか穏便に済ませることが出来るような気がした。
もちろん、全てを無かったことにすることは出来ないが。
「願いを叶える為よ。」
ルイーザは、慎重に話し掛けるジャックに微笑み、答えた。
「願いを叶える為には、ノーラが邪魔なの。」
「どうして邪魔なの?」
「わからない?」
「わからないんだ。だから、教えてくれるかい?」
ジャックは、どうにかしてノーラを開放してもらう為の鍵のようなものを、ルイーザとの会話の中で探そうと考えたのだが、今のノーラの状態が分からなくて、不安で仕方がない。
視界に入っているノーラのものと思える足は、先ほどから全く動いていなかった。
対して、ルイーザは、落ち着いていた。
慌てる様子も、急ぐ様子も無く、ゆったりとした口調で、話し続ける。
「ルイーザは、ジャック、あなたを幸せにしたいと思っているのよ?でも、ノーラが邪魔をするでしょ?あなたを騙して、ルイーザから引き離そうとする。だから、今度はノーラをあなたから引き離そうと思って。」
「何を言っているの?引き離すって……、どうするつもりなの?」
ジャックは混乱した。
会話は成り立っているはずなのに、ルイーザの言っていることが、何処かおかしい。
ノーラが邪魔をするとか、騙しているとか、そういう被害妄想的なことは、以前、図書館でも言っていたが、その時とは、また違う違和感があった。
「あなたは、これから先ずっと、ルイーザに思いを馳せるようになるわ。」
ルイーザは、にっこりと微笑み、ジャックに言った。




