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緑の魔法師  作者: 葉月望
緑の魔法師~落日の哀歌~
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第二十二話『命の代償』

――前回のあらすじ


 ニーシャープール州を落としたアルサメスの軍は、鎮圧軍である第二、第五師団を撃破して、破竹の快進撃をする。

 オミードは水牢に閉じ込められたまま、城内の兵に見つかりピンチを迎える。


 ――ドォオウォン。


 水を伝わり鈍い音がオミードに届く。

 顔を上げたオミードの目に飛び込んだ光景は、青い顔をさらに青くするほど、恐ろしいものであった。そこには、ぱっくりと割れた額を水牢に張りつけ、苦渋に満ちた形相を浮かべるヤムナの顔があった。

 まさか、と思ったオミードの目の前で、ヤムナが大きく上体を反らす。


 「……やめて、やめて、やめて」


 オミードの悲痛な声は水牢の中で泡となり、ヤムナに届かなかった。


 ――ドォオウォン。


 額を打ち付ける音が、オミードの鼓膜を不愉快に揺さぶる。それと同時に血飛沫が舞い、ヤムナの顔を赤く染めた。


 「――やめなさいヤムナ! 命令よ! 今すぐ逃げなさい!」」


 自殺に等しいヤムナの行動を、蒼白した顔で制止する。

 だが、ヤムナは何度も額を打ち付けた。その度に、血飛沫が舞いヤムナの顔を深紅に染めていった。その姿に、オミードは胸が裂けるような苦しみを味わう。そして、ヤムナの自殺行為を止めようと手を伸ばす。しかし、その手は水牢の壁に阻まれ届かなかった。


 「――それ以上やると死にます!」


 居た堪れなくなったシャヒンが、ヤムナの暴走を力ずくで止めようとした。

 その時、シャヒンの背中を激しく叩くように扉が開く。


 「――な、なんだこれは!?」


 警備主任と思しき男が、オルテギハの部屋の惨状に驚きの声を上げる。

 主任に続いて入ってきた六人の警備魔法師も、驚きの表情を浮かべ部屋を見渡す。


 「殿下!」


 警備魔法師に混じり入ってきたソーラブは、部屋の状況にわき目も触れずベッドに横たわるオルテギハの元へと駆け寄ろうとした。

 その行く手を阻むように、部屋を二分するほどの巨大な壁が中央に出現する。


 「オルテギハさまあああああ!」


 ソーラブの叫び声は、壁によって阻まれた。

 壁の向こうでは、左頬の傷を歪ませシャヒンが苦渋に満ちた表情を浮かべていた。ヤムナに気をとられ、警備兵を部屋に侵入させてしまい、咄嗟に足元にある水牢の破片を利用して、分厚い壁を作って乱戦になることを免れたが、そう長くは持たないだろうと思い、次の手立てを考える。しかし、悩みの種は目の前の敵だけではなかった。背後から断続的に聞こえる鈍い音が、シャヒンの気持ちを焦らせる。

 若いメイドは、今にも泣きだしそうなほど顔をくしゃくしゃにしていた。

 そんな、絶望的状況をどう打破しようかシャヒンが頭を悩ませていると、壁の向こうから男の怒鳴り声が聞こえた。


 「こんな壁吹き飛ばしてやる!」


 警備主任が部下に指示を出す。一斉に魔法の発動準備に入った。


 「部屋には殿下がおられるのです、破片が当たったらどうするおつもりですか!?」


 警備主任の胸倉を掴み、絞殺さんばかりの勢いでソーラブが詰め寄る。


 「……わ、わかっている!」


 警備主任は不快感をあらわにして、ソーラブの腕を払いのけた。


 「……水晶人間ごときが」


 襟を直すと、唾を吐き捨てるように侮蔑の言葉を呟く。もちろんソーラブにも聞こえていたが、今はオルテギハを無事に救出する事だけで頭が一杯で、警備主任の言葉を無視する。


 「賊で魔法が使える者は一人だけのようです。奴の魔力を削っていきましょう」


 「お前に指図されなくても分かっている。この壁を分解していくぞ」


 警備主任の後ろに控えていた魔法師達が前に出ると、隠語を唱え壁を崩しにかかった。


 「まずいなぁ……」


 今のやり取りは、当然シャヒンにも聞こえていた。しかし、それに対する策はなかった。徐々に削られていく壁と魔力に、焦りの色を濃く滲ませる。

 そんなシャヒンをせかすように、背後から鈍い音が一定のリズムを刻み響く。

 硬質化する水牢の表面に何度も額を打ち当てたせいで、ヤムナの額はパックリと割れ、大量の出血が顔と首から胸元まで赤く染めていた。致死量に近い出血量にもかかわらず、ヤムナは額を打ち付ける事を止めない。


 「……シャ、シャヒン様……あの方……」


 若いメイドは、大粒の涙を流し壮絶な光景に身体を震わせ怯える。

 水牢に閉じ込められているオミードも、大声を上げヤムナの自殺行為を止めようとしていた。たが、ヤムナの目には、オミードの姿が映っていなかった。それどころか、その目には、光が失われつつあった。


 「もう、やめてヤムナ……お願い」


 大切なものを失う恐怖から全身の力が失われ、水牢の中で力なく蹲る。

 そんなオミードを励ますように、ヤムナは額を打ち付けるたび「助けます」と、口を動かす。すでに意識はないはずだが、オミードを思う気持ちが、ヤムナを動かしていた。

 そして、何度めかの額を打ち付けた時だった、何かが砕ける音が水牢の中に響いた。

 その瞬間、オミードの心臓は氷の手で鷲掴みにされたような締め付け感と苦しみを味わう。


 「……ダメよ、ヤムナ、ダメダメダメ」


 額を付けたまま、ヤムナがゆっくりと崩れていく。


 その時――


 「すみません」と、謝るように微かに口が動き――力なく床に倒れる。


 「……ぁあ、ああああああああああ――」


 今まで味わった事のない恐怖、絶望、喪失、怒り、悲しみ、あらゆる負の感情が複雑に絡み、オミードの口から奔流の如く溢れだす。

 オミードは左手に爪でひっかくよう魔方陣を描くと強く握る。

 そして、感情を爆発させるように水牢へと左手を叩きつけた。すると、左手が硬質化した水牢の壁と同化する。次に左腕の袖を破ると真っ白な肌に、また爪でひっかくように魔方陣を描く。書き終えると、倒れているヤムナを見る。

 そして、意を決した表情を浮かべ術を発動させた。

 その途端、オミードの左腕は上腕まで無数の亀裂が入った。痛みで顔を歪める。

 オミードは歯を食いしばり、痛みに耐えながら術の暴走を抑え込む。

 やがて、オミードの左腕に広がった亀裂は水牢全体へと広がり、内部で爆発を起こす。


 「オ、オミード様!?」


 壁の補修に集中していたシャヒンの背後で爆発音が響き、何事かと、驚き目の前の敵の存在を忘れ水牢の方を見る。先程まで透明な水だった水牢が、今は青白く濁っていた。

 何が起きたのか訊こうと、若いメイドの方を見る。すると、顔をひきつらせ忙しなく首を左右に振るだけで、状況は分からなかった。

 こうなっては見守るしかないと、青白く濁った水牢を見つめながらオミードの無事を祈る。

 やがて、水牢の表面に無数の亀裂が走る。すると、小さな破裂音と共に、水牢はただの水に戻り床に散らばった。

 その中から、ずぶ濡れのオミードが姿を現す。

 何度か咳き込んだあと顔を上げたオミードの目に、両手の拳はぐちゃぐちゃに潰れ、額からとめどなく血が流れ、ドス黒くなった赤い血の海に倒れるヤムナの姿が絶望として映る。

 その光景に、水牢に閉じ込められていた時よりも、深い苦しみが全身の体温を奪い心臓を凍りつかせるようだった。

 恐怖が思考を妨げ、心を深淵へと引きずり込もうとしたが、ヤムナを救いたい、救わなければならない! という家族としての愛が、かろうじて深淵の淵に掴まり、暴走しそうになった感情を押しとどめた。

 まさに、ヤムナを助けたいという思いが、深淵に飲み込まれそうになったオミードの心を、崖っぷで救ったのだった。

 這いつくばりながらも近づき、ヤムナの容態を見たオミードは、その壮絶なまでの状態に、ヤムナの覚悟と深い愛をひしひしと感じ涙が溢れそうになった。

 だが、今は泣いている場合ではない。

 とにかく、出血を止めようとヤムナの額に左手をかざし、治癒の隠語を唱え割れた額を修復した。だが、それ以上の治療は出来なかった。

 治癒魔法は、あくまでも人体の持つ治癒能力を促進させるもので、その代償として術をかけられた者は、体力を激しく消耗する。このまま、ヤムナに治癒魔法をかけ続ければ、外傷は治ったとしても、消耗しきって衰弱死してしまうだろう。それだけの傷をヤムナは負っていた。

 それが分かっっているだけに、ヤムナを助ける事ができない魔法と己の限界を感じたオミードは、悔しくて、歯がゆくて、自分の無力に怒りが込み上がる。


 「オミード様、急いでここから脱出しましょう。このまま捕まれば、ヤムナ殿は死にます」


 死ぬという言葉に、激しく拒絶反応を示しオミードはシャヒンを睨みつけた。

 その表情を見たシャヒンは、ゾクリと背筋に冷たいものが這う感触を味わう。


 「……あなたがヤムナを抱えて、私は彼女を連れていくわ」


 ゆるりと立ち上がったオミードの姿を見て、若いメイドが小さな悲鳴をあげる。

 シャヒンも眉をしかめた。

 オミードの左腕は、上腕の半分から下がなくなっていた。

 その事に気づいていないかのように、オミードは隠語を唱える。そして、右手を外に面する壁にかざす。

 大人二人分の大きさの黒い球体が現れ、壁に近づく。すると、まるで壁を飲み込むように通り、あとには球体の大きさの穴が空いていた。

 突然穴が空いたことで、突風が部屋に入り込みあらゆるものを靡かせる。


 「さぁ、ヤムナを連れて先に行って!」


 オミードは、吹きつける風に負けないほどの大きな声で、シャヒンに指示を出した。

 シャヒンは左腕を失っているオミードの心配をしたが、緑の魔法師相手にそんな気遣いは無用だと思い、急いでヤムナを担ぎあげる。

 出血は止まっていたが、衣服は絞れるほど血で濡れていた。

 むせ返るほどの血の匂いに、シャヒンは眉をしかめる。


 「……それでは、メイドの事お願いします」


 そういうと、シャヒンは空いた穴から飛行魔法で飛び立つ。

 それと同時に壁が崩れ、警備兵が雪崩れ込んできた。

 シャヒンの逃げる時間を稼ごうと、警備兵の前にオミードが立ちはだかる。

 その中に、見知っているソーラブを見つけ目が合う。

 お互い呑気に挨拶をかわしている状況ではない事を、理解していた。


 「貴様、先日も潜り込んだ賊!」


 警備主任がオミードの顔を覚えていた。


 「私に捕まって!」


 逃げ道を塞がれる前に部屋を出ようと、若いメイドに手を差し伸べた。

 一瞬、その手を掴む事に躊躇いオミードの顔を窺う。

 自分とさして歳の変わらないオミードの左腕はなく、その姿が痛ましく、心配でオミードの手を取れずにいた。

 若いメイドの気持ちを顧みる余裕は、今のオミードにはなかった。一刻も早くヤムナの元に行きたい思いで、半ば強引に若いメイドの腕を掴む。

 そして、飛び立とうとした。その時だった――


 「殿下を術から解放しろ!!」


 ソーラブの悲痛な叫び声が、オミードの身体を縛った。振り向き反論しようとしたが、この状況では何を言っても相手に伝わらないだろう、と言葉を飲み込む。


 「賊を逃がすな追え!」


 警備主任の怒声が飛ぶ。

 その命令を聞いたオミードの全身に、戦慄が走った。警備主任が発した命令は、普通の言葉だが、今のオミードにとっては、ヤムナに対する死刑宣告のような恐ろしい命令であった。

 一瞬で全身の血が頭にのぼり、おもわず、部屋ごと灰燼に化して、不安要素を消し去ってやろうか、という考えがよぎった。

 慌てて頭を振り、その考えを振り払う。

 ここには、無関係なオルテギハが眠っている。その彼女を巻き込んでヤムナを助けたとしても、きっと叱られるだろう。ヤムナの怒っている姿が目に浮かび、微笑を浮かべる。


 「本当に口うるさいんだから……」


 「え?」


 「いえ、なんでもないわ。いくわよ!」


 オミードの独り言に、目を丸くしている若いメイドの手を強く握ると、飛翔魔法で穴から外へと抜け出す。


 「いかせるか!」


 いち早く反応を示したのは、ソーラブだった。

 篝火で煌々と照らされるトラキア城、その一角にあるオルテギハの部屋から飛び出したソーラブは驚く。

 逃げたものだと思っていたオミードが、上空で待ち構えていたのだった。

 本能的に大きく旋回する。その瞬間、巨大な冷気がソーラブの身体をかすめ、オルテギハの部屋へと向かっていった。

 部屋を攻撃され、オルテギハの事が脳裏をよぎったソーラブの全身を、恐怖という寒気が包む。

 オミードから放たれた冷気は、篝火に照らされキラキラと輝きながら穴に迫る。


 「オルテギハさまああああ!」


 夜空を切り裂くような、ソーラブの悲鳴が響く。

 冷気の塊が穴にぶつかる。すると、瞬時に氷の壁を形成して穴を塞いだ。

 爆発系の魔法じゃなかった事に、ソーラブは全身で息を吐く。

 しかし、これですぐに応援はこれないと悟る。

 自分一人で、強力な魔法を操るオミードと対峙しなければならないと思うと、今の魔力量では不安であった。だが、オルテギハを救うためだと覚悟を決め顔を上げる。そこにはオミードの姿はなく、慌てて辺りを探すと、西の空に豆粒ほどの大きさのオミードの姿を見つける。

 逃がすまいと、急いでオミードを追う。


 「――誰か付いてきます!」


 オミードに抱きついている若いメイドが、ソーラブの存在に気づく。

 後ろを振り向くと、ソーラブが追いかけてくるのが見えた。

 これなら、追いつかれる事はないと思ったが、それでは、ヤムナの元にソーラブを案内する事となる。そうさせないためには、速度を上げればいいのだが、これ以上速度を上げると若いメイドが耐えきれないと判断したオミードは、一旦速度を落とした。

 ソーラブが、徐々に距離を詰めてくる。

 やがて、服の柄が分かるほどまで距離を詰められる。

 オミードの実力を知っているソーラブは、追いつけたことを訝る。だが、人を連れて飛んでいるせいか、それとも調子が悪いのか――と、そんな考えが頭をよぎった。それならば好都合とばかりにオミードを捕えようと不用意に近づく。

 それが、オミードに付け入る隙を与える事となった。

 突然、ソーラブは黒い煙に覆われた。油断しているつもりはなかったが、こんな小手先の煙幕に視界を奪われた事に小さく舌打ちをする。

 このまま真っ直ぐ追う事は危険だと判断したソーラブは、一旦上空へと逃れた。

 煙幕から距離をとり、オミードの行方を探す。

 だが、どこを見渡してもオミードの姿はなかった。

 まんまとオミードの術中にはまった自分を張り倒したい衝動に駆られた。しかし、今はオミードを探すのが先決だと、向かっていた方向へと飛行する。





 ――煙幕が収まると、オミードが姿を現した。


 「……い、いなくなったみたいですね」


 恐る恐る若いメイドが言葉を紡ぐ。


 「そうね」


 オミードも安堵の吐息を吐く。

 それでも念のために、大回りしてディーナーに向かうことにした。

 眼下には煌々と照らされたトラキア城、上空には満天の星空が輝く夜空を飛行する。

 美しい景色を堪能する余裕が出来た。

 その時、ようやく若いメイドが小刻みに震えているのを感じる。どうやら、夜空を飛行しているせいで、体が冷えたようだ。

 オミードは、若いメイドを結界で覆う。頬にぶつかる風が止み寒さも和らいだことに気づいてオミードを見る。


 「……ありがとうございます」


 メイドの言葉に、オミードは柔和な笑みで答える。

 その表情に安堵した若いメイドは、オミードの左腕を見て、痛々しそうに眉をしかめる。


 「……その腕、大丈夫ですか?」


 「ん? ええ、大丈夫よ」


 失くした左腕を見つめながら微笑を浮かべるオミードに、若いメイドは躊躇いがちに質問をした。


 「……なんで、あの人は命を賭けてまで、助けようとしたのですか?」


 助けたいと思う気持ちはあっても、自分の命と引き換えにしてまで人を助けようとは思わない。咄嗟の判断で動いて、命を落とすことはあっても、死を覚悟してまで助けたい、と若いメイド自身思ったことがなかった。それゆえ、彼女にはヤムナの行動が理解できなかった。


 「……バカだからよ」


 「え?」


 命を賭してまで助けようとしたヤムナの行動を、吐き捨てるように言い放つオミードに、若いメイドは目を丸くして驚く。


 「命を犠牲にしてまで助けられ、生き残った者がどれほどの十字架を背負い生きていかなければならないのか、全然わかっていないのよ」


 突き放しているようだが、どこか寂しさを含んでいるように、若いメイドは肌で感じた。


 「命を落としてまで人を助けるなんて、私は許さない……絶対に許さない。残った者の悲しみと苦しみを分かりなさいって、目を覚ましたらこってり説教してやるわ」


 そう言ったオミードの声は、どこか温かみが伴っているようにも思われた。



次回  第二十三話『蠢く野望』

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