第六話「空を舞う少女」
――前回のあらすじ
タラーネフと仲良くなったオミードは、一緒に列に並ぶこととなる。そこで、アラシュ家族が体験した地震の話と、バクトリア州での保証が、裕福な人間相手のものだと知り、憤りを感じる。
オミードたちがアラシュの家族と別れ城門をくぐったのは、コバルトブルーの暗幕が世界を覆い星が顔を覗かせる頃だった。それでもまだましな方であった。まだ大勢の人たちがダアイの街に入れず、列をなしているのだから。
疲弊した表情を浮かべる人たちの横を通り抜け、ダアイの街に入ったオミードは、後ろめたい気持ちになっていた。だが、オミードがそんな感情を抱く必要はなかった。なにも特権や金にものを言わせて無理に入った訳ではない。そもそも、オミードたちは親せきに会うという目的でダアイにきているので、移民とは違うのだ。それゆえ、移民としての細かな手続きを必要しなかった。それはオミードたちに限った事ではない。他にも旅行者や行商人といったダアイに用事のある人たちもいる訳で、その人たちまで順番を待っていたのでは商品などの搬入が滞ってしまう事となる。それを避けるため、別の門が解放されており、移民以外はそこから通るようになっていた。――のだが、そのことをオミードたちが知ったのは、門の近くまで進んだ時であった。いつもなら無駄な時間を過ごしたと、散々愚痴をこぼすオミードだが、アラシュたち家族と過ごせた時間はとっても貴重で大切なものとなり、それだけでも、ここに来た甲斐があったと、満たされた気持ちになっていた。
アラシュの家族と別れたオミードは、心にぽっかりと穴が空いたような面持ちでのそのそと歩いていた。抜け殻のように歩くオミードの姿を見かねたヤムナが話題を振る。
「あのビー玉、お嬢様はお持ちではなかったはず……」
「ああ……あれは、簡単な魔法よ」
うわの空だったオミードの瞳に光が戻ったのを確認して安堵する。
「姉妹の相手をしていて、そのような暇ははなかったと思われましたが?」
姉のジャーレフはともかく、妹のタラーネフはオミードにべったりで、トイレに行くのも一緒だった。
「……あの程度なら、土を一握りして、それを後ろに回して、隠語を唱えるだけで出来るわよ」
説明しながらも、ビー玉を造って見せた。
「……本当は、もっと色々あの子達にしてあげたかったのだけど、それは私の自己満足で、一生懸命生きている人たちに失礼なような気がしたの……。でも、どうすればいいのか……こう、胸の辺りがモヤモヤするわ」
ビー玉を地面に叩きつける。つんざくような音を立て、ビー玉が砕け散る。その破片が街灯に照らされキラキラと輝き地面に散らばる。珍しく物に当たるオミードを見たヤムナが口を開く。
「そのお気持ちが晴れるようお嬢様は頑張っていらっしゃるのではないですか。それに、すぐに結果を求めてはいけませんよ」
「分かっているわよ! 分かってはいるのだけど……」
地面に散らばるビー玉の欠片を見つめる。その一つ一つが、やらねばならない課題のように思われ、その数の多さに辟易とする。だが、それでもまずは一歩ずつ進んでいこうと前を向く。
「長旅に長蛇の列のせいでお腹がお空きでしょう。美味しいものを食べて、気分を落ち着かせましょうか」
何を呑気な――と思いながらも、オミードのお腹は、気持ちとは裏腹に抗議の音を豪快に鳴らした。
「……高級なお店じゃなくていいからね!」
その言葉を予想していたのか、ヤムナは勝ち誇ったように胸を逸らし「今回は、お嬢様はお金持ちの令嬢という設定ですので、それなりに高級な食事処に入っていただきます。不本意ながら、わたしも豪商の主人という役ですので、そこのところよろしくお願いします」と、胸を逸らして語る。
勝ち誇った表情を浮かべるヤムナに、オミードは悔しさを滲ませた表情を浮かべヤムナを見つめる。
「はいはい、分かりましたおじいちゃま」
オミードの負け惜しみの言葉に、ヤムナは照れくさそうに笑って歩き出した。そんな二人の前に、まるで降って湧いたかのように三メートルを超すラーイオスが現れた。その巨体はオミードどころかヤムナをも凌駕していた。あまりにも突然の出来事だったので、ヤムナもオミードもただ呆然と立ち尽くすだけであった。そんな二人をラーイオスはシトリンのような色をした瞳で睨む。反応の遅れたヤムナだが、すぐにオミードの前に回り込み、巨大なラーイオスと対峙する。オミードもいつでも魔法を撃てる準備に入っていた。
「――私達に、何か用かしら?」
静かな口調で眼前のラーイオスに話しかける。いや、正確にはラーイオスにまたがる漆黒の服をまとった男に対してであった。
男はオミードの声で視線を降ろす。それはまるで、今まで気が付かなかった、そんな素振りであった。オミードを一瞥すると漆黒の男は視線を周囲に転じた。どうやら、オミードを狙って現れたわけではないようであった。そうだとしても、油断することはできなかった。男の乗るラーイオスは、軍事用に品種改良され調教された動物である。ということは、男は軍人である。そんな男が意味もなく街中にラーイオスにまたがって現れるわけがない。男の目的が分からない以上警戒を怠るわけにはいかなかった。
そんなことを考えていると、男の視線がオミードたちの後方で止まる。オミードも目の前の男を警戒しつつ、後ろに視線をやる。すると、ラーイオスにまたがった女を先頭に、馬にまたがった男たちが、こちらに向かって疾走してきていた。この状況はオミードを挟撃するという形に見える。先ほど、目の前の男は敵でないと思ったのだが、これでは先ほどの考えは間違いだったのでは、と思わざる負えない。オミードの頭は一時混乱状態となる。しかも、国王から目立たぬよう言われたことをここで思い出し、さらに思考を迷走させた。
「どうなさいますお嬢様!?」
「どうって……どうしよう?」
対処方法を考えている間も、ラーイオスにまたがる女が近づいてくる。
「――お嬢様!!」
ヤムナの声でオミードは決めた。――戦わず撤退するという選択を。
そうなれば、ギリギリまで敵を近づけてから飛行魔法で一気に上空に舞い上がり、夜陰に乗じて逃げるという算段を立てた。オミードが飛行魔法の準備に入った時、女を乗せたラーイオスが唐突に横へ飛んだのだ。その時、女の容姿が見えた。白を基調とした服に裾がゆったりとしたピンクのズボンを穿き、編み込んだ黒髪に色白な肌をした美しい女性の顔であった。ラーイオスは居酒屋の壁を足場にして、さらに上へと飛び上がり屋根に上った。そこから屋根伝いに遠ざかっていく。
「お前たちは回り込め!」
漆黒の服を着た男が、女を追っていた男達に指示を出すと、自分も女のマネをして、居酒屋の壁を足場にして屋根に上ると後を追った。馬に乗った男たちも遅れまいと、駆けだしていった。怒涛のように現れ、怒涛のように男たちは去って行った。
取り残されたオミードは、何とも言えない表情を浮かべ、その光景を見守る。
「……どうしますお嬢様?」
見かねたヤムナが、遠慮がちに尋ねる。それをオミードは睨みあげる。
「女の人が追われているのよ、助けるに決まっているでしょ!」
自分たちが狙われていると勘違いしたことに恥じ入り、オミードは少し声を荒げ言い放った。
「しかし、陛下から目立たぬようにと言われていますが……」
「こんなことを見逃せという事ではないわ!」
そう言い放つと、風の魔法で身体を浮かせ女の後を追った。ヤムナは走って男たちの後を追った。
少し反応が遅れたせいで逃げる女性を見失ったのではと危惧したが、街灯のお蔭でラーイオスの巨体が見えた。ここから見ても、女は男から逃げているとはっきりわかった。事情は分からないが、複数の男に追われているのだから、尋常ならざることだと思い、女性の身柄が男に確保される前に助けようと急いだ。
いかにラーイオスが品種改良され身体能力を向上させているとはいえ、飛行魔法で追いつくのは容易であった。すぐに男に追いつく。だが、オミードは横を素通りする。そのまま女性に近づき並走するようスピードを落とす。
「あなたを助けるわ」
オミードの登場に女は驚いた顔をする。だが、「――あなた誰?」と警戒心をむき出しにしてオミードを睨む。女性の反応は至極当然だろうとオミードは得心していた。かりに自分が女と同じ立場であっても同じ態度を取るだろう。女を安心させるには身元を明かすのが手っ取り早いのだが、ここで素性を明かす事の出来ないオミードとしては、「……私は親戚に会いに来た魔法師で、追われているあなたを見かけ助けに来たの」と、苦しい説明しかできなかった。
「……そんなこと言われて、「そうですか」って、付いて行くわけないですわ」
そう言い捨てると、女はオミードからも逃れるよう離れて行った。確かに苦しい説明だが、それでも助けを拒まれるとは思いもしなかったオミードは、離れていく女を黙って見送ってしまった。
「――いや、ちょっと待って!」
我に返ると、慌てて女を追いかけた。
「しつこいわね! あなたみたいな子供の言葉を信じて、付いて行くわけないでしょ!」
「事情があって素性は言えないけど、私を信じてお願い!」
「そんな言葉でついて行くほど、わたくしは世間知らずではなくてよ!」
女は険しい剣幕でオミードを拒絶する。ますます女の心が頑なになったことを感じ、まずいな、と思う。だが、分かったことも一つあった。女の言葉使いからどこかの令嬢であることが、そして男達の目的が女の誘拐である可能性が高いだろうと推察もできた。オミードにも経験があったからだ。そんな状況に陥っている女性に真実を話したところで、信じはしないだろう。それならば、追っている男たちを駆除する方が手っ取り早いとオミードは結論付けた。
「これ以上追うなら、容赦しないわよ」
男の前に立ちはだかった。それがオミードの判断ミスだった。――夜の帳が覆う町中に、白とオレンジの閃光が走り爆音が鳴り響いた。男の放った火炎弾がオミードに直撃したのである。ラーイオスにまたがって女性を追いかけているので、男は魔法が使えないものだと決めつけたオミードの油断であった。黒煙の中から煤だらけとなったオミードが現れ、赤い屋根の上に倒れる。そんなオミードを無視して男は女の後を追った。
後方で起きた爆音に驚いた女が振り向くと、黒煙が立ち込めているのを見つける。何事が起きたのか確認しようとラーイオスを止めた。それが男と女の距離を縮めさせた。黒煙を掻き分けものすごい勢いで迫る男に気づいた女は、慌ててラーイオスを走らせた。だが、すでに男の手が届く範囲まで迫られていた。
「お兄様の為に行かせてえええ!」
女の叫び声が響く。そんな哀願を無視して、男は女を捕まえようと手を伸ばす。その手から逃れようと無理に体をよじったせいで、女はバランスを崩し、ラーイオスから滑り落ちた。
「きゃあああああああ――」女の甲高い悲鳴が、闇夜を切り裂くように響く。
落下する女を見た男は、意外な行動に出た。ラーイオスから飛び降り女の後を追ったのだ。
「――ソーラブ!」
それに気づいた女が手を差し伸べる。ソーラブも必死に手を伸ばし女の手を掴もうとした。空中を彷徨う二つの手。やがて、その二つが重なり一つとなる。だが、地面はもうそこまで迫っていた。
その頃、火炎弾のダメージから回復したオミードが立ち上がっていた。そして、ソーラブと女が絡まり落ちていくのを目撃する。このままいけば確実に地面に激突する。だが、この距離では助けることが出来ない。自分の油断でこんな状況を招いてしまい自責の念に唇を噛みしめる。
二人が地面に激突する寸前、砂塵が舞い上がる。風がクッションとなって二人を守った。地面にゆっくり降り立つ二人を見て、オミードはほっと胸を撫で下ろした。どうやら、二人は魔法が使えたようだ。それが分かった時、オミードの心に一つの疑問が浮かんだ。何故、魔法が扱えるにもかかわらず、ラーイオスに乗っていたのか。それに気づいたとき、当初の考えは間違っていたのではないか、とオミードの頭によぎった。それを裏付けるよう二人の様子から、敵対関係ではないように見えた。いくつもの謎を抱えたまま、二人に近づく。すると、親しげに話す二人の声が聞こえてきた。
「――無茶しちゃダメよ。あまり魔法を使えない状態なのだから」
「……申し訳ありませんオルテギハ様」
深々と頭を下げるソーラブは、オルテギハとさほど身長の変わらない小柄な男性で、年のころは二十代前半といったところであった。それにオルテギハも白皙な女性であるが、ソーラブもそれに負けないほどの白皙な男性で、それが表情と相まって無機質な雰囲気を伴っていた。
「それじゃ、わたくしは行くから、もう追ってきてはダメよ」
「それはできません。私はアルサメス様からお止めするように言付かっていますので」
オルテギハの行く手を遮るようソーラブが立ちはだかる。
「これはお兄様のためでもあるの。だから、お願いソーラブ――」
さらに言葉を紡ごうとした時、馬で追っていた男たちが現れ、瞬く間にオルテギハを囲んだ。
「城に戻りましょう」
この状況に観念したように、オルテギハは肩をすくめる。
「……分かったわ。まずはお兄様を説得しないといけないようね」と、深いため息を吐く。
一人の男が馬から降りるとオルテギハに勧めた。
「城までなら飛行魔法で大丈夫よ」
オルテギハの体が宙に浮く。そのまま城へと向かって飛んで行った。馬にまたがっていた男達は、慌ててオルテギハの後を追っていった。オミードがたどり着いたときには、立ち去る馬の蹄の音だけが残っていた。一体何だったのかと、オルテギハの去って行った上空を見上げるオミードの前に立ち、「――何者だ?」とソーラブが鋭い眼光を向け立ちはだかる。
「……どうやら、私の勘違いだったようね……ごめんなさい」
オミードが深々と頭を下げ謝った。その頭頂部を、ソーラブは威圧的な視線で見つめる。痛いような視線を浴びながら、仕方ないと思っていた。オミードが助けようとした人物は、チャハマール州の領主アルサメスの妹だったのだ。名前を訊いて思い出した。
「私の質問に答えていないぞ」
言い逃れはできないぞ、と言わんばかりの眼光を向ける。見方によっては、オルテギハを誘拐しようとしたと捉えられても仕方のないオミードの行動であった。下手なごまかしで、さらに事態を複雑にしたくないオミードは、話せる範囲内で説明をする事にした。
「私は、ここに住む親戚に逢いにきた者です。たまたま女の人が追われていたのを目撃したので、助けようとしただけです」
それを黙って訊いていたソーラブは、何も言わず背を向けた。信用してもらえたと、心で安堵の吐息を漏らし体から緊張の衣が脱げた時、オミードの体が一瞬で氷漬けとなった。
人通りのない夜の町に、突然できた氷の彫像。それを憮然とした表情でソーラブが眺めるていたが、眉を少し跳ね上げる。氷の彫像の表面に無数の亀裂が走ったかと思うと、耳をつんざく音と共に分厚い氷が粉々に砕ける。氷漬けとなっていたオミードが無傷で姿を現すと、ソーラブを睨む。突然攻撃されたことに、オミードも不快感を示した。だが、ソーラブの魔法には殺意が感じられなかった。まるでオミードの魔法力を試すようであった。
「……力があるようだが、その使い方を間違うな」
そう言うと、ソーラブはラーイオスにまたがり、城に向かって走り出した。
街灯に照らされた夜の町に、ソーラブが消えていく。その後姿が見えなくなって、ようやくオミードは嘆息する。何とか誤魔化せたと安堵した。そんなオミードの視線の先に、ソーラブと行き違うようにヤムナが姿を現した。
「ご無事でしたかお嬢様――」
「ヤムナも無事でよかったわ」
「あの者たちは、一体何者だったんでしょうね?」
「どうやら、追われていたのはオルテギハ殿下だったわ」
「なんと!? なぜ、そのような御仁が追われていたのですか?」
「お兄様の為とか言っていたけど……なんでかしらね?――それより、オルテギハを追っていた男の方が気になるわ」
オミードの視線は、そこにはいないソーラブを凝視するように見つめていた。
「何かご存じなのですか?」
「……いえ、自信はないのだけど、おそらく水晶人間よ」
「本当ですか!?」
真夜中にもかかわらず、ヤムナは大声を出して驚く。
「だから、自信はないと言ってるでしょ。……でも、左右の袖口から水晶の埋め込まれた腕が見えたの」
水晶人間とは、低い魔力を補うために、人体に水晶を埋め込み、普段から少しずつその水晶に魔力を貯めておき、必要な時に強力な魔法として使えるようにされた人間の事を指す。理論的には可能であったが、人体と水晶の相性や魔力の供給などの問題があり、実現不可能だとも言われていた。だが、昔から水晶人間についての研究はされ、十年前に三人の天才水晶技師が、ほぼ同時期に水晶人間の実験に成功したと各国で話題となったことがあった。
「この国には、ババク技師の研究施設があったはず。アルサメス殿下のお力なら水晶人間を所有していても不自然ではありませんね」
「……そうね……」
ヤムナの言葉を聞きながら、オミードの思考はすでに水晶人間がこの州にいたことの理由について進んでいた。アルサメス殿下が興味本位で水晶人間を雇っているならまだしも、何か企てがあって雇っているなら、大問題であった。妹のオルテギハの逃走劇に水晶人間の存在、大量の流民の受け入れなど、すべてが謀反へと結びついているように思えて、オミードの胸に一抹の不安がよぎる。
そんな中、オミードのお腹が悲鳴をあげた。小さく咳払いして、オミードは照れ隠しをする。
「――とにかく、どこかでお食事にしましょうか」
「そうね……」
歩き出そうとした二人の前に、今度は全身を黒ずくめの男が現れた。
次回 第七話『真夜中の招待』




