第十三話『マルダース』
――前回のあらすじ
森の奥でノーズハトゥとアズィーザに出会ったカワードたち。話しているうちに、ノーズハトゥが病気だと気づく。それがどのような病気かスタテイラが診察しようとしたが、激しく拒む。
ノーズハトゥの薄い唇から漏れ出た『マルダース』という名前に、スタテイラは聞き覚えがあった。たが、すぐに思い出すことができなかった。そのうち思い出すだろうと、ノーズハトゥの話に意識を戻した。
「私の体は普通の人と違うのだと気づいたのが、三十代後半の時でした。その頃には、同じように育ってきた友達の身体には老いが見受けられるようになり、話題の中心もそのことが多くなっていったのですが、私には友達の話が一切理解できなかったのです」
寂しげな表情で語る。
「では、それ以前に、大病や大きな怪我をしたという事はないのですか?」
「……いいえ、そんな経験はないです」
「ふむ――」と、スタテイラは腕を組み考え込んだ。後天的ではなく先天的なものかもしれないと思った。
「……大病や大きな怪我の経験はなかったのですが、あとから考えてみれば、魔法に目覚めてから怪我の治りが早かったような気がします」
それだけでは魔法の影響か、生まれつきなのか、判断が難しかった。
「ご両親か、親せきに、似たような体質の人はいませんでしたか?」
「……いいえ、私だけでした。老いない私の体を、最初のころはみんな羨ましがっていたのですが、いつしか気味悪がり、よそよそしい態度を取るようになっていったので」
話し終えたノーズハトゥの眉間にしわが寄っていた。
嫌なことを思い出させた心苦しさはあったが、彼女の病気を治すためであった。
「ノーズハトゥの能力は誰も傷つけないのに、その村の人たちってイヤな感じ」
アズィーザの言葉に、ノーズハトゥは微笑を浮かべる。
「でも、村を出たから、こうしてあなたと出会えたのよ」
「そうだね! あとはマルダースと会えていたら、もっと良かったのにね」
「マルダースって人は、同じ村の人ではなかったのですか?」
目元が似ているといわれたカワードが質問をする。
「ええ。彼はパルシア出身だといってました」
「なんと!?」
カワードが驚きの声をあげる。そこには、親近感のようなものが混ざっていた。
「――彼は突然、私の前に現れたのです――」
マルダースとの出会いは、ノーズハトゥが十六の時であった。それはまるで、運命に導かれた出会いであった。そう思わせるような出来事が、マルダースと出会う一年前に彼女の身に起きたからだ。
彼女たちの住んでいた土地は、透明度の高い湖と良質な木が生い茂る林からなる自然豊かな土地であった。二百年前に彼女たちの先祖が切り開き造り上げた土地であり、曾祖父母や祖父母が生き、そして眠る場所であった。ノーズハトゥもここで生き、やがて大地に還るのだと信じて疑わなかったのだが、そんな彼女の思いを無残に引き裂く事件が起きた。
ノーズハトゥのたちの住む土地の景観の良さに目を付けた商人が、そこをリゾート地にして金儲けしようと目論んだのだ。もちろん村人たちは反対し、商人を追い返した。だが、それで諦める商人ではなかった。邪魔な村人たちを追い出すため、領主を抱き込んだのである。その企みは功を奏し、村人たちを追い出すことに成功したのであった。だが、村人たちも只では出て行かなかった。新たな土地と十分な見舞金を要求したのだ。さすがに二百人近い村人を皆殺しにするわけにもいかず、領主はその条件を承諾した。
こうしてノーズハトゥたち村人は、住み慣れた土地を離れる事となった。
二百人近い村人たちが、一斉に新しい土地へ向かう。ノーズハトゥも生まれ育った土地を離れるのは寂しかったが、それ以上に新天地への期待が大きく心を躍らせた。
徒歩で五日の旅であった。その道中は楽なものではなかったが、みんなで励まし合いながら長い道中を進んだ。
苦労の末、領主に指定された場所にたどり着いた。期待に胸を膨らませる彼女たち眼前には、草木や花も咲いていない荒れた土地が広がっていた。
失望と怒りで大声を上げる者、涙を流しその場に崩れる者、ただただ立ち尽くす者など、それぞれが思いのまま感情を爆発させた。その近くでノーズハトゥも呆然と荒れ地を眺める。
思いの丈を出し切った村人たちは、しだいに村長の元へと集まりだした。
大人たちが集まり議論をする。やがて結論が出ると、それぞれが家族の元へ戻り、ここで暮らしていく事を告げた。もちろん反対意見もあったが、新たな土地を探すにしても、当てもなく探し回ることはできない。渋々といった態で、ここに残るといったところであった。
村長の指示のもと、魔法の扱える数人を中心に開墾が始まる。
荒れた土地を耕すが、土の質が悪いうえに、水が不足していた。そのせいで作物の育ちは悪く、とてもじゃないが二百人近い村人の食を賄う量は望めなかった。
早々に見切りをつけた家族が一つ、また一つと村を去って行く。
一年と待たずして、半数の村人が去っていった。
そこで、残った者たちで今後どうするかの話し合いがもたれた。
一年がかりで僅かな食糧しか取れない土地に希望があるようには思えなかった。だからといって、新しい土地を見つけることは容易ではない。どちらを選んでも苦しみが伴う。
議論は堂々巡りの様相を呈していた。
結論が出ないまま数日が経ったある日、数キロ先にあるオアシスにノーズハトゥが水を汲みに行くことになった。そこには小さなため池があり、村人の貴重な水分となっていた。だが、水は濁っていてそのままでは到底飲めない代物であった。その為、一度蒸溜してから飲料水として活用していた。手間はかかるが、それでも貴重な水分であったため、、村人たちは定期的に水を汲みに行っていた。
その日は天気も良く、少し汗ばむほどの気温であった。何百回と通ったオアシスへの道のりを空の桶を二つ持ったノーズハトゥが闊歩する。すると右横に砂煙が立っているのが見えた。岩と荒れた土地だけしかない場所なので、かなり遠くまで見通すことが出来たお陰であった。砂煙を上げているのは、鱗で覆われた四本足の爬虫類であり、人の大人の二倍ほどあった。その気性は荒く好戦的で、牙には細菌が付着しおり、血液を凝固させない機能がついており、その牙に噛まれた動物は血が止まらなくなり、やがて死に至るという代物である。
普段、この辺りにはいないはずで、ノーズハトゥは見るのが初めてであった。一度だけ、村の男性がその爬虫類と出くわし、魔法で撃退したという話を聞いたことがあった。この頃、ノーズハトゥも魔法を使えたが、攻撃系は苦手としていた。
運がいいのか悪いのか、爬虫類はノーズハトゥに気づいていない様子だったので、気づかれる前に隠れようと辺りを見渡す。すると、少し離れた場所に、屈めば身を隠せるほどの岩があることに気づいた。そこでやり過ごそうと、慌てず、だが急いで岩の方へと移動した。
あと少しのところまで近づいたので、確認のため振り返った。すると、爬虫類はまだノーズハトゥに気づいていないようであった。
ほっと胸を撫で下ろす。だが、その行為がノーズハトゥの運命を大きく変えた。
身体の重さを感じていた足から、突然負担が無くなったのだ。心臓を鷲掴みにされたような驚きを覚え足元を見ると、そこには暗闇が広がっていた。天地の逆転と臓腑の浮く感覚を同時に覚えた。それを最後に、ノーズハトゥは気を失う。
気がつくと、目の前は闇に覆われ、足には痛みがあった。恐る恐る視線を右足に向けると、あり得ない方向に曲がっていた。それを見た瞬間、視界が白くなり気を失いそうになる。たが、皮肉なことに痛みで意識を保つことが出来た。魔法で足を治そうとしたが、激痛のため集中することが出来なかった。せめて痛みだけでも抑えることができたら魔法が使えるのだが、いま無理に魔法を使いコントロールに失敗したら、大惨事になってしまう。何しろノーズハトゥのいる場所は、地震によってできた亀裂の底であった。頭上に見える光までの距離は、およそ十メートルぐらいあり、ノーズハトゥのいる場所は少し広い空間となっていた。おそらく、昔はここに水が溜まっていたのであろうと思われた。こんな場所で魔法を暴走させたら、間違いなく生き埋めになってしまう。それゆえ、痛みが収まるまで魔法は使えない。
痛みに耐えながら不安が波のように押し寄せた。なにしろ、ここはいつものルートから外れている。見つけられるにも時間がかかるだろう。
暗く狭い空間で足の痛みに耐えていると、不安に心が押しつぶされそうになった。
その時、頭上から人の声が聞こえた。一瞬聞き間違いではないかと思った。そんなに早く助けが来るはずがないと思ったからだ。だが、このチャンスを見逃すと当分助けが来ない。危機感から、ノーズハトゥはありったけの声で叫んだ。すると、亀裂から人影が現れた。それは大人の男性のような大きさがあった。
本当に人がいた。安堵したノーズハトゥの目から涙があふれ出た。
ノーズハトゥがいることに気づいた男は、安心するよう言うと、飛び降りた。それに驚き、小さな悲鳴を上げる。それが壁に反響して鳴り響く。それが消える前に、男はふわりと降り立った。
「キミがこの桶の持ち主かい?」
男はそっと目の前に桶を掲げた。それはノーズハトゥが持っていた物で間違いなかった。
強張った顔で何度も頷く。すると、男は満面の笑みを浮かべた。その柔和さに、不安な気持ちが一気にかき消される。そして、つられるようにノーズハトゥも微笑する。男は二十代前半で、黒髪を後ろ手に縛り精悍な体つきをしていた。名をマルダースといった。
これがノーズハトゥとマルダースの出会いであった。
マルダースは笑顔を絶やさず、ノーズハトゥを励ましながら折れた足を治してくれた。痛みがなくなって、安堵したノーズハトウゥの体がふわりと浮く。マルダースに抱き上げられたのだ。今まで父親以外の男性に抱きかかえられたことがなかったので、恥ずかしさと緊張で耳まで真っ赤に染める。そんなノーズハトゥの心の変化に気づかない様子で、マルダースは飛行魔法を使い出口へと上昇する。その間も、マルダースは笑みを絶やすことはなかった。そのお陰で、不安と心細さはかき消え、代わりに心の高鳴るのを感じた。
地上に出たノーズハトゥに陽の光が容赦なく降り注ぐ。その眩しさに目がくらむ。頭上の陽の位置から、それほど長い時間亀裂の底にいたのではないと分かった。眩しさから何度か目を瞬かせていると、見慣れない三人の男性が現れた。全員が旅慣れた様子で、マルダースにも引けを取らないほど精悍な体つきをしていた。肌は浅黒く焼け、年の頃もマルダースと似たようなものであろう。
「やはり、人がいたのか」
「じゃあ、俺たちのせい――ってことになるのか……」
肩まで伸びた黒髪を風に靡かせる四人の中では一番背の高い男が、申し訳なさそうな表情で語った。なんのことか分からないノーズハトゥは、きょとんとした顔で話を聞いていた。
「どうやら、俺たちが仕留め損ねた爬虫類がこっちに逃げてきて、お嬢ちゃんを驚かせたようなんだ……申し訳ない」
マルダースが真顔で謝る。それでようやく合点がいった。普段この辺りにいないはずの爬虫類が現れた理由が――。
「い、いえ……」
見慣れない男たちに囲まれているうえに、お姫様抱っこされたままのノーズハトゥは、恥ずかしさと少しの恐ろしさで言葉が出てこなかった。
「彼女、足に怪我をしていたから送るよ」
そういうと、マルダースはノーズハトゥを抱きかかえたまま歩き出した。三人の仲間も、しょうがないといった様子で後をついてきた。
抱きかかえられたままの気恥しさとマルダースの腕の温もりを、三百年経った今でもノーズハトゥは鮮明に覚えていた。
村ではノーズハトゥが帰ってこないと、大騒ぎになっていた。
そこにノーズハトゥを抱きかかえたマルダースが現れ事情を説明した。お詫びとして、捕まえた爬虫類の肉を差し出した。ノーズハトゥの両親は、その肉でマルダースたちを歓迎するささやかな宴会を催すことにした。
村の中央に人々が集まり、それぞれが食材を持ち寄って細やかな宴会が始まった。
並べられた料理を見て、マルダースたちは驚いた。それは豪勢とは程遠い、少しの野菜と穀物が並ぶだけの本当に慎ましいものであったからだ。それを顔に出さず、村人の歓迎を悦びながら村長から経緯を聞いた。
それを聞き終えたマルダースは持ち前の義侠心に火がつき、村の発展に力を貸すと申し出た。仲間たちからは「またか……」という空気が漂う。だが、決して嫌がっている様子ではなった。むしろこうなるだろうと予測しているようであった。
マルダースがしばらくこの村にいると知ったノーズハトゥは、飛び上がらんばかりに喜んだ。翌日からマルダースたちの面倒をかいがいしくみた。
彼らの働きは目覚ましく、特に魔法の力はずば抜けていた。水が不足していると聞けば、魔法で湖ほどの水を生み出し、大きな岩があると聞けば、一撃で粉砕したり、食糧が不足していると聞けば、村人全員にいきわたるほどの動物を狩ってきたりと、一人一人が数百人に匹敵するほどの働きをみせた。
マルダースたちの活躍で、絶望しかなかった村の未来に希望が見えた。村人一人一人の顔に生気がみなぎっていくのをノーズハトゥは肌で感じた。
――マルダースたちが来て、二年が過ぎた。自給自足のめどが立ったころ、見慣れない上等な生地で作られた服に身を包み、高価な騎獣に乗る小集団が村に現れた。あきらかに貴族か、それに近い人たちであった。それを見た村人たちは、また領主が難題を突き付けに来たかと思い、露骨に嫌な顔を向けた。そして、村長の元へと報告に走った。
話を聞いた村長は、警戒心を高め小集団を迎えた。
先頭に立つ三十代前半の文官風で生真面目そうな印象の男が騎獣から降りると、村長に対して丁寧に会釈した。その振る舞いに村長は、「おや」と思った。経験上、領主の使者がこんなに丁寧な挨拶をすることはないからだ。虚を突かれた村長は、慌てた様子で会釈を返す。それを受けた文官風の男は、ぐるりと辺りを見渡す。まるで、誰かを探しているようであった。
「ここに、マルダースという方がいると伺ってきたのですが」
村長たちの顔から一斉に血の気がひいた。
「……その者が、何かしたのですか?」
「いや……少し確認したいことがあって……いないのでしょうか?」
「……今、その者は隣村に出向いていまして、数時間もすれば戻ってくると思います」
「では、待たせていただきます」
「そうですか……あばら家ですが、わたくしの家でお待ちください」
村長は文官風の男と、その共である四人の男たちを招いた。その陰で、近くにいる村人に目配せをした。それを理解した男は、駆け足で村長宅から離れていった。
その頃、マルダースは仲間たちと新たに開拓した土地に何を植えるかで揉めていた。それを傍らでノーズハトゥが聞いていた。その目に、村人が血相を変えて走ってくるのが見えた。その瞬間、嫌な予感が彼女の内に湧き上がった。
マルダースの元に駆け寄った村人は、急いで逃げるよう早口で伝えた。
事の顛末を聞いたマルダースは、まるでその時が来るのを予見してたかのように天を仰ぎ見る。それを見たノーズハトゥは嫌な予感が的中したと思い「行かないで!」と、のど元まで出かかった。
だが、出なかった。言葉にすれば、すべてが決定してしまうような、そんな気がしたからだ。
時間が止まったように動かないマルダースに、村人はしきりに逃げるよう促した。どうやら、マルダースたちを罪人だと思っているようであった。それなのに、逃がそうとしているのだ。マルダースたちが過去にどんな罪を犯して追われているのか知らないが、彼らにとってマルダースたちは希望をくれた恩人でしかなかった。
そんな村人たちの思いが分かったうえで、マルダースは文官風の男と会うことを決断する。村長の家に向かうマルダースの後を、ノーズハトゥは黙って歩く。本当は行ってほしくなかったが、それを言ってはマルダースを困らせると感じたからだ。
村長の家に着いたマルダースは、文官風の男を見て深いため息を吐く。男は深々と会釈をした。マルダースは文官風の男を誘って少し離れた場所に行き、そこで何かを話す。
声は聞こえなかったが、言い争っているのは離れた場所にいたノーズハトゥにも分かった。
しばらくそんなやり取りをしていたが、マルダースが肩をすくめ頷く。その瞬間、ノーズハトゥの心は音を立て崩れた。そして、その場に座り込む。
戻ってきたマルダースの表情はすぐれなかったが、座り込んでいるノーズハトゥに視線を合わせる。
「国に帰らなければならなくなった」
今まで見たことのない悲しみに満ちた笑顔で話す。
それを聞き終えたノーズハトゥの目から、大粒の涙が零れ落ちた。
「私もついて行きます!」
我慢していた分、感情が怒涛のように溢れ叫んだ。
それを真正面から受け止めたマルダースは一言――
「ダメだ」と、突き放すように言い放つ。
シンプルな言葉だけにマルダースの本気が伝わった。だが、だからといって簡単に諦めれるものではなかった。
「ついて行きます! 絶対について行きます!」
真っすぐに、そして力強くノーズハトゥも言い放った。
それに対してマルダースもはっきりと拒絶する。ノーズハトゥはもっと強い口調でついて行くことを告げる。
そんなやり取りを何度か繰り返す。マルダースが困っているのをノーズハトゥは分かっていた。だが、それでも引き下がるつもりはなかった。ここで離れてしまったら、もう二度と会えないような気がしたからだ。
ここまでの話に、アズィーザが「可哀そう……」とポツリと呟く。まるで、自分がノーズハトゥになったかのような、悲嘆にくれた表情で。
そんなアズィーザとは対照的に、カワードとスタテイラはマルダースに対して、同じ感情を抱いていた。――そう、この男は逃げるつもりなのだと。
旅をする男が途中の村で出会った女と恋に落ちる物語は数多くある。そして、そういう物語は大抵悲恋で終わることが多い。
この二人の話が物語だとしたら、ありきたりで面白みに欠けるものであっただろう。だが、当事者の話しである。聞く方にとっては重みが違ってくる。
マルダースの行いに対して、同性のカワードにとっては肩身が狭く申し訳なく感じられた。 ノーズハトゥは、滔々と話しを進めた。
連れていかない理由を何度もマルダースに問う。それでも頑なに明かそうとしなかった。それではノーズハトゥも納得がいかない。涙を流し、何度も何度も連れていくよう懇願する。
その姿に心を動かされたマルダースは、真っすぐノーズハトゥの目を見た。
「落ち着いたら、必ず迎えにくる。その時は、結婚しよう」
懐からシルバーの指輪を取り出した。この件がなくても、マルダースはプロポーズをするつもりだったのが伺えた。
突然の告白に、ノーズハトゥは目を丸くする。だが、すぐにマルダースの気持ちが分かり、大粒の涙を流す。それを受け取ったノーズハトゥは、彼の言葉を信じ待つことにした。
婚約を交わした次の日に、マルダースは仲間を引き連れ村を出て行った。
それから二十年の月日が流れた――
マルダースの言葉を信じながら待っていたノーズハトゥだが、体の異変で村人から白眼視を向けられるようになっていた。居心地の悪さとマルダースへの思いが募り、村から出る決心をする。両親もノーズハトゥの気持ちを汲み、断腸の思いで娘を見送った。
村を出たノーズハトゥは、まっすぐマルダースのいるパルシアへと向かった。だが、折しも領土の奪い合いが各地で起きていた。そのせいで、ノーズハトゥはパルシアに入国できなかった。しかたなく、彼女は国境付近に居を構え、働きながら戦争の終結を待った。
だが、それは思ったより長くなった。
彼女がパルシアに入れたのは、十年後であった。その間、彼女は年を取らない体質を隠すため、住居と職を転々としていた。
ようやくパルシア国内に入れたが、マルダースを知る者はいなかった。パルシア国内を歩き回ったが、それでも彼を見つけることはできず、不安がノーズハトゥの心を僅かに染め、マルダースの言葉を疑うようになっていた。そんなノーズハトゥの心を繋ぎ止めたのが、鈍く光るシルバーの指輪であった。それを握りしめ、パルシア国内を歩き回った。
さらに十年の歳月が流れた。
諦めが彼女の心を濃く染め出したころ、不思議な夢を見た。得体の知れないものが崩れていく。だがそれは、すぐに修復されていく――というものであった。
目が覚めた彼女は、それが何を示しているのか分からなかった。
「そういうことか!」
叫んだのはスタテイラであった。
カワードとアズィーザは、何のことか分からないといった様子でスタテイラを見る。その視線に目もくれず、「いや、そんなことは本当に可能なのか……?」と口の中で呟く。
「ええ……私も最初は納得できませんでした」
ノーズハトゥが寂しげな笑みを浮かべる。それがより、この話に真実味を持たせた。
「どういうことか、分かるように話してくれ」
しびれをきらしたカワードが口をはさむ。
スタテイラは眉間にしわを寄せ考える。そして、ようやく重い口を開いた。
「彼女の体は意思とは関係なく、細胞の修復を行っているのです」
「それって、すごーい!」
アズィーザが無邪気にはしゃぐ。カワードも理解しかねた様子でスタテイラの方を見たが、浮かない表情に、事の重大さに気づく。
「心臓が休むことなく動くように、彼女の魔法は休むことなく放出されているのです」
ノーズハトゥを診たとき、魔力量が少ないと思ったが、そうではなかった。絶えず魔法を放出し老化で死んでいく細胞を修復していたのだ。だから怪我の治りも早かった。
それに気づいたとき、ノーズハトゥは恐怖した。それはつまり、永遠に生き続けるのではないか――。
マルダースのいない世界で生き続けて、何になるのか――。
彼女は自分の体を、そして運命を呪った。
人生に絶望したノーズハトゥは、家に引き籠り、眠れぬ日々を過ごす。
そんなある日の深夜、若い男女のものと思われる話し声が聞こえてきた。男女の甘い会話が、人生に絶望しているノーズハトゥの鼓膜をゆする。今の彼女には体を焼く地獄の炎のようなものであった。ベッドから起き上がり、外にいるカップルの会話を終わらせるため罵声を浴びせかけようと窓に近づいた。その時、ノーズハトゥの心に一筋の光が射すカップルの会話が聴こえた。それは、よく囁かれる「転生後も一緒になろう」という口約束であった。恋という媚薬で脳が犯されていることからくる幻想を信じた男女の常套句である。本来、幻想でしかないこの手の口約束だが、ノーズハトゥにとっては夢幻の話ではなかった。なぜなら、彼女の体は永遠に生きることが可能なのだから。
それに気づいたとき、彼女の心に小さな希望の芽が生まれた。
もしかしたら自分のこの力は、もう一度マルダースと逢うためのものではないのか。
次回 第十四話『大陸の歴史』