精霊
暗いドングリの森をジョゼと箱背負いの男は歩いていた。日がほとんど射さない木々の間を、二人は無言で行く。
ジョゼが奴隷市場を去ったのは二日前。男はその間必要以上な言葉は喋らなかった。だから彼が何者でこの道はどこに向かっているのか、全く分からなかった。一つ分かったことと言えば彼が食事の度に酒を飲むということだ。食事は男があらかじめ街で買っておいた食糧を二人で分け合って食べた。寝泊まりは二日間野宿だった。
森は暗いが、そこかしこで感じる生き物の気配があった。
鳥がピヨヨと鳴く声が木々の間で、お互いの位置を確認するように響く。木の下で生える草の葉には、緑の葉っぱに擬態したカマキリや、葉の上で一休みする蝶が羽を開いたり閉じたりしている。踏みしめる柔らかい地面には木々の間から洩れる光が射していた。
ジョゼの歩く隣には、倒れた楢の木が緑の苔を生やし、森の肥やしとなっていた。そして、底まで透けて見える小さな泉を通った時、突然男がジョゼに話しかけた。
「お前は、精霊道というのは知っているか?」
ジョゼは男の唐突な問いかけに驚き、とっさに答えられなかった。男はジョゼの答えなど最初から求めていなかったかのようにゆっくりと話し出した。
「精霊道とは、精霊の巣であり、道だ。この泉は少し前まで精霊道だった。今は精霊が去り、泉だけが残った。精霊道ではなくなった所には必ず泉がわく。お前のいた国では精霊道と同じようなものはあったか?」
「い、いいえ、私のいたところでは……私が知らないだけかもしれませんが、少なくとも私の村にはそのようなものはありませんでした」
ジョゼは黒髪に青い目をした風貌だった。この国では赤毛に茶色い瞳をもつ人種が多く、ジョゼの見た目は一目で他国の者だと分かる。男がジョゼを自国の者ではないと分かったのはそのせいだった。もちろん男も赤毛に茶色い瞳をしていた。
「お前が知らなかったのか、それともお前の国では精霊道を重視しないのか、それはもうお前にとっては関係のないことだ。しかし、お前はこれからこの国で精霊道と深く関わっていかねばならない。ここアグカカの国では精霊道は、人が使う通り道として知られる。遠い地、一月も二月もかかる地へ行くのに精霊道を通っていくと数日で着いてしまう。だから人々はこの道をもっとも早く行ける楽な道として利用するのだ。だが、精霊道は危険な精霊の住まう道だ。精霊を見えもしない者が通るには、少々危険な道だ。そこで、精霊道を安全に通るための案内人が出てくる。この案内人はこの国で最も危険な仕事の一つだと言われている。これからお前はその精霊道の案内人になるための修行をしていく。ところでお前、名は何という?」
男はジョゼをじっと見つめ、初めてジョゼ自身の名前を聞いた。
「あ、わ、私はジョゼ・マカルダと言います。だんな様」
慌ててジョゼは自分の名を言う。
すると男は眉間にしわを寄せた。
「オレはだんな様ではない。アルダ・パレバだ。お前の案内人の師となるのだから、師匠と呼びなさい」
ジョゼの最後の一言にしかめっつらになった男は、自分の身分と名をやっと明かした。
「は、はい、師匠」
「よし、それでいい。では、我々の家へと向かう。ついてきなさい」
ジョゼは再び黙々と歩きだしたアルダの後を追い、彼の長くちぢれた赤い髪を見つめた。
森の木々は次第に数を減らし、とうとう広い平野に景色が変わっていった。地面に生える草花はどれもあしが短く、ジョゼの分かる植物もいくつか見かけた。
空は徐々に濃い橙色に染まり、真っ赤な太陽が沈むとともに深い群青色に染まっていく。この国では季節はそろそろ夏へと変わる。一年で最も短く若葉の茂る時期。これからもっとジョゼの目に映る世界が色鮮やかになっていくのだ。
目まぐるしく変化する景色にいつものジョゼなら目が離せなっただろう。しかし、今のジョゼにとって、じっくりと眺める余裕のないことだった。なぜなら、この前を行く男がこれから自分にどういう行いをするのか、またどのように扱われるのか、実際のところよくわからないからだ。アルダはジョゼの「師匠」である前に、ジョゼをお金で買った主人だ。いくら自分を「師匠」と呼ばせようと、「師匠」という名の主人という可能性だってある。だから、ジョゼは主人の気が少しでも悪くならないように、すぐに主人の命令に行動できるように、常にアルダの姿をわき目もふらず見ていなくてはいけないかった。
アルダの向かう先には、小高い丘が見えた。丘の上には大きな楡の木が一本と、粗末な小屋があった。その小屋は大きな楡の下陰になっていて、木は大人十人が腕を広げて回したより太い、そんな印象を受ける巨木だった。
「あれが、今オレたちが住む家と、オレたちが案内人として働く精霊道だ」
アルダの目が向ける先には、奇妙な生物が飛びまわっていた。姿はみんな半透明で、まるに角が三つ四つ生えたもの、短いひもの体にたくさんの穴をあけているもの、中心に四角い穴をあけ、その中からしきりに赤い玉を出したりするものと様々な姿をしている。しかし、ジョゼは実を言うとそれらと同じようなものを故郷で見ていた。それらは村人のほとんどが見ていたので、ジョゼにとってそういったものを見ることは特に珍しいことではなかった。ただ一つ珍しいと言えば、村で見たものたちとは姿が大きく違うことだった。
「あ、あの師匠、あそこに漂うものたちが精霊ですか?」
ジョゼはおずおずと大木を指差しながら尋ねる。
「ああ、そうだ。あの楡の木を巣としている。さぁ、もうすぐ日が暮れてしまう。ぐずぐずしていられない。ジョゼ、お前は家に入ったらすぐに家の暖炉を暖かくしろ。オレはその間夕食を作る。いいな」
そういうとアルダは足早に小屋へと向かった。その後ろを「はい!」と慌てて答えながら追った。
丘の上に立つ小屋にたどり着くと、その建物は小屋と呼ぶほど小さいというはわけではなかった。家の隣に立つ楡の木があまりに大きいので遠くから見たジョゼの目には、家が小さな小屋に見えてしまったのだ。
アルダと共にジョゼは家に入ると中はひんやりと冷えて真っ暗だった。すぐにアルダがランプの芯に火をつけた。心なしか、ジョゼは家の中が少し暖かくなったような気がした。
「来い」
ランプで前を照らしながらアルダがジョゼに声をかけると、部屋の奥に進んだ。アルダの後ろを慎重に暗闇の中ジョゼはついて行く。それからすぐに止まると、ランプをかかげた。芯の弱い明かりに照らされて、暖炉がそこにあった。
「ここに木と紙がある。火打石と火かき棒はここだ。やり方は分かるな」
アルダはそう言ってランプを持って離れて行ってしまった。ジョゼはアルダの言葉に頷くと、もうだいぶ慣れてきた目で火かき棒で灰をかきだし、暖炉の隣に何本か置かれた木を中で組合わせ、組み合わせた木の下に枝や藁に紙を入れた。そして、火打石と紙を暖炉の灰の上でカチカチと鳴らし、紙に火をつけ、その火のついた紙を木の下の紙に火がつくように置いた。徐々に燃える紙に小枝を折って少しずつ加え、火かき棒で木の位置を調節したりまた木を加えたりした。
ジョゼが暖炉の火をじっと見ていると、その火の回りをうろちょろと何かが動きまわっていた。何だろうとまじまじと見つめると、その赤いナメクジのようなものはどんどん明るさを増していった。火の勢いは変わらないのに、暖炉の回りは昼間の日のようになっていく。これは大丈夫なんだろうか、と少し心配になりジョゼは明るくなった部屋を見回しアルダを探した。すると、アルダの近くに置かれたランプも暖炉と同じに赤いナメクジがぐるぐると回って、そのたび光を強くしていた。ジョゼはアルダがその強くなっていく光を全く気にせず、作業しているのでこれは危ないものではないんだと分かった。
「師匠、暖炉に火を入れました」
「ああ、わかった。こっちももう少しで出来る。テーブルの回りを掃除して待っていろ」
アルダはナイフを使い、緑の何かを粉みじんに切っていた。そのまな板の近くでぐつぐつと音を立てる鍋には、白い芋と黄色い芋に緑の菜っ葉類がゆらゆらと黄色く濁ったスープの中で踊っていた。甘いような匂いが漂ってきて食欲を誘い、ジョゼは自分が思ったよりお腹を空かせていることに驚いた。
ジョゼはだいぶ明るくなった部屋で、すぐにテーブルを見つけた。テーブルの上にはうっすらとほこりが積もっていて、そのほこりと一緒にふきんがあった。ジョゼはふきんを取って、アルダの側にやってくると彼の顔色を伺いながら二つ有るうちの一つの桶に浸して洗った。そして、テーブルを拭こうと戻り、ほこりを拭った。拭っている間にも気づくと半透明な何かがふよふよと漂い、ジョゼの顔の近くを回っていた。
「何がしたいの?」
思わずジョゼは声に出して、尋ねていた。すると、それに答えるように半透明で丸い何かは動きが速くなった。
――僕の言葉がわかるのかな。
「それは、『冷やし』だ。この家の温度を下げていた精霊だ」
「え?」
後ろからアルダの声がして、驚いて振り返ると両手に鍋と二枚の皿にスプーン二本にパンを器用に抱えるアルダがいた。
そこでジョゼはハッとした。
――しまった! 僕も手伝うべきだった!
慌ててアルダの両手のものを持とうと立ち上がるが、アルダは「座っていろ」と一言ジョゼに言って、テーブルに慣れた手つきで一つ一つ置いていった。席についたアルダは鍋の中身をそれぞれ皿の中に取り分け、ジョゼと自分の前にパンとスプーン、スープを入れた皿を置いた。
「食べろ」
アルダはぶっきらぼうに言うと自分は黙々とパンを千切ってスープを口にした。ジョゼも恐る恐るパンに手を出して、暖かな白い湯気が鼻に当って良い香りのするスープに千切ってつけてみた。口の中によだれがあふれた。そして、一気に口に放り込むとゆっくりと噛みしめた。
――おいしい。
先程アルダが刻んでいた緑の何かが香ばしく薫って、甘い芋と塩味のスープが混ざり口の中が安心するように満たされていった。パンは固いパンだったが、麦の香りが鼻を通っていって、このパンが良いパンだということが分かった。白い芋は身が硬く、歯ごたえがあり口の中で軽い音を立てて歯を喜ばせた。
ジョゼは一口食べた途端に、もう食べ物しか見えなくなって夢中でパンとスプーンを口に運んだ。遠慮して食べなければだめだと心の中では思っているのに、ゆっくり食べることが出来ず、ひたすら目の前のものにかぶりついていった。
「……ところで、お前は精霊のことをどこまで理解している?」
ジョゼは食事に気を取られすぎて、一瞬アルダの言葉を理解できずに呆けた顔をしてしまった。
「お前は精霊のことをどこまで理解しているんだ?」
言葉が聞き取れなかったのだと思ったのか、アルダが同じ言葉をジョゼに尋ねる。見るとアルダの食事は夢中で食べていたジョゼよりも速く終わってしまったようだった。
「あ、はい。私の村では精霊と呼ばれるものはありませんでした。だから、私は精霊について全く知りません」
「そうか。では聞き方を変えよう。今この場に漂っているものたちについてはどれくらい知っている?」
今この場に漂っていると言われ、ジョゼは改めて周りを見渡した。テーブルの近くの壁に吊るされた真昼のように輝く光に照らされて、半透明の丸や四角、赤や緑の細長いものたちが目に映った。これらは自分の村にいたものとは違うが雰囲気が似ている。もし形が違うだけとしたら、それはいつも自分の身の回りにあった「もの」たちだった。
「あの、もし村にいたものたちと同じなら、少しは分かると思います。村ではこの漂うものたちを『もの』とか『あれ』とか『それ』と呼んでいました。そして、それらはいつもただあるだけで何かするでもなく、でも時々いたずら程度に悪さをするような存在でした」
「『もの』か……まぁ、的を射ている。それで、他には何が分かる?」
「他には、何も。たぶん、私が分かることと言えばそれぐらいです」
アルダはジョゼの言葉を聞くとじっと考え込むように自分のうすい顎髭に手を当てた。
「……では、ほとんど何も知らないというわけか。だが、何も知らないということは先入観がなくていいかもしれない。よし、ジョゼ」
「はい!」
初めて自分の名前を呼ばれてジョゼは驚きと小さな喜びで声に力が入った。
「明日からは毎日朝が早い。夜明け前に起きろ。今日はオレが食事を作ったが本当は弟子のお前が用意しなくてはならない。もちろん掃除や洗濯もお前の仕事だ。だが、その代わり、オレが師匠として精霊について教える」
「はい、分かりました。師匠」
「では、分かったならすぐに食事を終えて食器を片づけろ。調理場のことは今日のうちに教える」
ジョゼはすぐさまに言われた通り急いで食べ物を全て平らげ、食器を重ねて先に調理場に向かったアルダの後を追った。調理場に置いてある桶に食器を入れてアルダと一緒に皿やスプーンを洗った。また、鍋は外の井戸の場所を案内された時に洗い、それからジョゼは調理場の使い方を教わった。
全て教わり終えるとジョゼはアルダに、これからジョゼが使う部屋に通された。そして、すぐにベッドに横になって寝てしまった。ジョゼの体調は、初めての場所とここ二日間のアルダへの緊張で疲れいたのだ。あっという間に深い眠りに入ったジョゼはその後、朝まで夢の内容も忘れてしまうほどに寝入ったのだった。
読んでくれて感謝します。




