12 拷問
「確認なんだけど、あんた、これをここにいるこいつに売ったよな?」
エルカはそう言って、〈氷王牢〉をよく見えるように掲げた。
こいつ、と親指で差されたのは、消え入りそうな風情のティムである。
――ヘルヴィリーに幾つもある衛卒の詰め所の、その一つだった。
二階の、普段は泥酔者を泊めたり、あるいは迷子を預かったりするときに使う部屋。
脚を短く切った寝台が三台並べられ、その足側が向く壁際には小さいながらも暖炉がある。
初春とはいえ夜は冷えることもあり、また明かりを採る意味もあって、今もちろちろと揺れる炎が暖炉に入れられていた。
火掻き棒が質素なマントルピースに立て掛けられている。
暖炉の前で、ちょうどそこにあった椅子に縛り付けられているのはローリー――仲介人と呼ばれることが多い男である。
酒場からここまで引っ立てられる間にも激しく抵抗したためにエルカから一発もらい、顎が痛々しげに青黒く腫れ始めていた。
ローリーは顔を顰める。
椅子に縛り付けられているために払うことが出来ない髪が一筋顔に掛かっており、それが絶妙にこそばゆいらしく、彼はふうふうと息を吹いて髪を顔面から剥がそうとする無為な努力をしていた。
もう何度目か分からないが、舌で前歯をなぞってぐらついていないかを確認してから、ローリーは口を開いた。
「知らんね。売ったものなんていちいち覚えてられるかよ。
いいか、さっさとこれを解け。衛卒が――」
「ここは衛卒の詰め所だよ。念のため言っとくと。気づいてなかった?」
「衛卒に、濡れ衣で引っ立てられたと伝えて――」
「衛卒が一市民の濡れ衣どうこうで騒いでくれるかよ。知ってんだろ、あんたも」
「それでも――」
「あと、この人が見えない? 軍人だよ。共和国の――えー……」
「共和国軍の将軍の一人だ」
ここで、寝台にばらけて座り込む勇者たちから口笛と抑えた歓声が上がったが、エルカも、バンクレットも、そして寝台に座るヴィレイアも、それは一顧だにしなかった。
エルカが肩を竦めて締め括る。
「そうだ、将軍のお墨付きだぜ。
世の中って不公平だよね。悪いけど権力はこっちの味方だ」
「欠け落ちろ」
ローリーが吐き捨てた。
エルカは欠片も表情を変えず、ちらりとティムとブロムウェル、そしてゲルテートに目を向ける。
「尋問先発隊の皆さんから、こいつに、さっさと記憶を手繰って口割った方がいいよって助言してあげる?」
ゲルテートはアーヴェイから数発殴られたところで口を割り、ブロムウェルは一発もらう前に口を割り、ティムはエルカからの一発の殴打で口を割っている。
今の時点で既に、ローリーが彼らより耐えていることは明白になっていた。
ティムはローリーからそっと目を逸らす。
ローリーの全身から、「俺のことは言うなと言っただろうが!」という怒気が発散されているのが、彼には目に見えるようだったのだ。
エルカはローリーの目の前で丸椅子に座っている。
左の膝に右の踵を乗せて、更に太腿の上には〈氷王牢〉を大事そうに抱えている格好だ。
ゆっくりと〈氷王牢〉を撫でながら、エルカは気安げに。
「いや、分かるよ。あんた――ええっと、ローリーさんだっけ。幾ら俺たちに権力のお墨付きがあるからって、商売のことあれこれ喋っちゃったら、あんた、お得意さんからの信用を失くすもんね。日頃から盗品を売ってるような後ろ暗いあんたのことだ、権力に尻尾振るよりお得意さんに尻尾振る方が優先だよな。だって共和国はあんたの食い扶持を守ってくれねぇもん」
ローリーはぐっと奥歯を喰いしばり、がたがたと椅子を揺らして暴れた。
「盗品を売ったことなどない」
「そういう設定でいきたいなら、どうぞ。
――で、確認なんだけど、あんたはこれを売ったわけだ」
〈氷王牢〉を軽く持ち上げてみせ、エルカは溜息を吐く。
「あんたにとってはとっても残念なことだが、こいつの持ち主は俺の弟だ」
エルカは一瞬を置き、ローリーの表情を探った。
ローリーの表情が微かに動いた――本当に僅かだが、閃くように、困惑が過ったのだ。
(リベルと俺が似てねぇから、弟って言われてびっくりしたのか――他の理由か)
エルカは気のない態度を作って〈氷王牢〉に目を落とす。
心臓が肋骨を破りそうなほどに激しく打っていた。
目の前の男が、現状、リベルの行方を知る唯一の手掛かりだ。
ここでしくじれば二度と会えないかも知れないという危機感で、今にも頭に血が昇りそうだった。
それをなんとか鎮めて、冷静かつ気乗りしない様子を作っている。
「こいつを売るときさ、あんた、自分でこれを振ってみた?」
「――俺は、そもそも――」
「ティムさんがちゃんと、あんたから仕入れたって教えてくれたよ。
ティムさん、親切にありがとね。あとで酒奢るね」
ティムに手を振ってみせて、ローリーの孤独感を煽る。
エルカの意図を察して、バンクレットが犒うようにティムの肩に手を置いてみせた。
一方、ウェインがゲルテートの肩を抱き、ケルクがブロムウェルの手の甲をぽんぽんと親しげに叩いてみせる。
ローリーの視線がそれらの様子を一巡して動き、彼の奥歯が軋むように動いて、ややあって彼は唸るように。
「――所以は知らん。
自分で手に取ることも、別に――」
「あ、試してないんだ? そりゃ残念、こいつは凄いんだよ。
で、まあ、弟がもう欠け人としてどこかに売り飛ばされたっていうなら、俺としてはこいつの切れ味をあんたの身体で試すことになるけど」
ヴィレイアが何か言いそうになったのを、後ろからアーヴェイが止めた。
ローリーの表情は動かない。
だが視線は、確かに〈氷王牢〉の方へ動いた。エルカは軽く息を吸い込む。
「あんた、こいつの持ち主に会ったのは、偶然か、待ち伏せてたのか、どっち?」
「偶然だ」
「ありがとう、会ったことは間違いないわけね」
エルカがきっぱりと言って、ローリーは発言を悔やむように俯いた。
エルカは容赦なく続ける。
「どこで会った? ヘルヴィリーのどこ? あいつは商店街区に用があったはずだけど」
「――――」
「あんた一人で会ったわけねえな? あんた、誰といた?」
「――――」
「で、俺の弟はどこ?」
「――――」
エルカはちらっと振り返り、バンクレットに頷いた。
バンクレットが動いて、ヴィレイアの隣に立つ。
エルカはそれを確認してからローリーに向き直り、右足を左膝の上から下ろした。
「よし、質問は順番にいこう。
――あんた、誰といた?」
アーヴェイが意外そうな顔をするのが、ヴィレイアには見えた。
――恐らく、「どこでリベルと会ったのか」を最初に訊くと思っていたのだろう。
確かに常道はそうだが、エルカは何よりも、偶然の悪戯でリベルがショーズ商会と鉢合わせしたことを恐れているのだ。
「――――」
ローリーは黙り込んでいる。
エルカはにっこり笑って、親しげにローリーの縛られた左手に自分の手を重ねた。
ローリーが、きょとんとしたようにその手を見下ろした――次の瞬間、エルカの手がローリーの左の小指を掴み、有り得ない方向に捻じり上げていた。
ぼき、と、鈍い音が響き、一瞬遅れてローリーの喉から絶叫が迸る。
荒事に慣れているとはいえ、殴る蹴る以外の本格的な拷問には不慣れな勇者たちが、さすがに息を呑む。
それを全く意に介さず、エルカは落ち着き払ってローリーの絶叫が収まるのを、退屈そうに自分の爪を弾きながら待った。
ぜぇぜぇと息を荒らげるローリーの額に、痛みのために脂汗が滲む。
暖炉の明かりを拾って、彼の額に橙色の光が照り映えて見えている。
エルカが顔を上げ、微笑んだ。
「ああ、落ち着いた? ――で、念のために言っとくけど、今のが左の小指ね。あと九回、俺は同じことが出来る」
「――――」
「その九回が終わったら、次は足の指だな。臭いだろうから、俺、あんまり触りたくないな。――ああ、折るんじゃなくて斬るようにすれば、触らなくて済むか」
「――――」
ローリーの顔が、恐怖と混乱に歪んでいる。
「けど切り落としちゃうと、さすがにもう生えてこないじゃん? あんたのためを思うと、俺が我慢して折るようにすべきかなあ。折る分にはまだ治るからね。まあ、さっさと添え木を当ててやらないと、真っ直ぐは生えてこなくなるかも知れないけどね」
一拍を置いて、エルカは微笑んだ。
「――で、なんの話だっけ。
――ああ、そうそう。あんた、俺の弟と会ったとき、誰といたの?」
ローリーが口を開き、――しかしすぐにその口を噤んだ。
顔面にはエルカに対する恐怖と同等の、別の対象への恐怖が滲んでいる。
エルカは軽く息を吸い込んだ。
「答えにくい? じゃあ、どこにいたの?」
「――――」
「あ、マジか」
鈍い音。絶叫。
ローリーの左の薬指が捻じ曲がる。
ローリーの絶叫が収まるのを待って、エルカはにっこりと笑った。
「ローリーさん、質問一個に二本も指使ってちゃ勿体ないよ。俺、あと幾つもあんたに訊きたいことあるもん。手足の指全部と、手首と、足首と、肋骨も数本使うことになっちゃうよ?
その後はどうすんのって思ってそうだから言っとくと、俺はあんたの皮膚を削ぐ。結構痛いぜ。俺、あんたが困るのは嫌だな」
息を吐いて。
「――俺の弟と、ヘルヴィリーのどこで会ったの?」
「――それ、は……」
震える唇を開いたローリーが、しかしすぐにきっと唇を引き結んで、そして吐き捨てる。
「欠け落ちろ!!」
エルカは無表情のまま、ローリーの左手の中指を捻り上げた。
ごきり、と音がして、メイが両頬に手を当て、悲鳴を堪えて茫然とする。
「あのさ、ローリーさん。俺にとってはこの指、あんたを痛めつけられる道具だけど、あんたにとっては替えの利かない大事な指でしょ?」
エルカは諭すようにそう言ってから、ローリーの目を見て、溜息を吐いた。
振り返り、エルカはバンクレットを見て、苦笑する。
――苦笑する顔貌の中で、薄青い目が凶暴なまでに輝いている。
「――ごめん、親父さん。いったん、俺とこいつの二人にしてくれる?」
バンクレットが僅かに躊躇した。
エルカは笑って、両手を挙げてみせる。
「大丈夫、欠けさせたりはしない。親父さんもこいつに言いたいことあるもんね」
「――――」
逡巡ののち、バンクレットは頷いた。
「――分かった。ただし五分だ」
「じゅうぶん」
頷くエルカを見届けてから、バンクレットが勇者たちを促して部屋の外を示す。
寝台から立ち上がり、ぞろぞろと部屋を出る勇者たちと、三人の捕虜。
三人の捕虜がエルカを見る目には、あからさまなまでの安堵があった――意地を張ってこの凶暴性を自分が受けることになっていれば、今ごろどんな目に遭っていたか、という。
ヴィレイアも促されて部屋を出ながら、エルカを振り返ってしまう。
エルカは、ヴィレイアには心から優しく微笑んでみせながら、「大丈夫」と唇の形で伝えた。
部屋から出ながら、アーヴェイがヴィレイアの手をぎゅっと握り、囁く。
「おい、おまえ、あんなのと一緒にいて大丈夫か? 猛獣じゃん。おまえは何もされてないだろうな?」
「猛獣は相手を拷問できない」
ヴィレイアは短く答えた。
部屋の外に出て、背後で扉が閉まると、彼女は呟くように続けた。
「――エルカって心は広いのよ。
でも逆鱗が一つだけあって、それがリベルなの」
ややあって、部屋の中から、身の毛がよだつような絶叫が響いてきた。
*◇*◇*
勇者たちがさすがに度を失いながら待つこと数分、唐突にがちゃりと扉が開き、真っ青になったエルカが飛び出してきた。
その顔を見て、アーヴェイが「まさか欠けさせた!?」と叫ぶ。
同時に、メイが「ぎゃあ!」と、風情も何もない悲鳴を上げていた。
というのも、エルカの衣服の前面に、明らかに返り血と見える血痕が飛んでいたからである。
普段は彼女自身も血の雨を浴びているメイだが、さすがに拷問への耐性はなかった。
メメットも目を見開き、「あらまあ」と声を上げつつ、手を上げてケルクの顔を背けさせていた。
ヴィレイアは卒倒しそうになった。
「どうし――」
エルカは明らかに泡を喰っている。
「ヴィリー、親父さん――」
バンクレットがエルカに歩み寄ろうとしたが、しかし直前に、ヴィレイアがそれを止めた。
「待って! エルカ、最初に私が聞く」
エルカは瞬間、困惑したようだったが、すぐにこくりと頷くと、身を乗り出してヴィレイアの手首を掴み、部屋の中に引っ張り込んだ。
ばたん、と閉じた扉を前に、バンクレットが眉を顰める。
「……どうして?」
部屋の中では、ヴィレイアが息せき切って、潜めた声をエルカに向けていた。
「――あの商会が絡んでる?」
エルカが何度も頷く。
明らかに度を失っていた。
震える手で彼が口許を覆って、呟く。
「こいつが言うには、リベルに会ったのは、あの商会の奴から商品――人だけど――を引き取ってるときだったって。
リベルがあんまりにも動かないから妙に思ったって――」
ヴィレイアはちらりと暖炉の前に目を向けた。
拘束を解かれたローリーが暖炉の前に俯せに倒れ伏しており、気を失っていた。
彼のそばに火掻き棒が転がっている。
血の臭いだけではない異臭がしていたが、ヴィレイアはそれを気にしていられなかった。
「リベルはどこ? あの商会に連れて行かれたの?」
エルカが首を振る。
彼の手が震えているので、ヴィレイアは手を伸ばし、ぎゅっとその手を握った。
「違う――違うって。その……こいつと一緒にいた商会の奴は、もちろんリベルのことなんて分かるわけなくて、こいつに始末を頼んだらしい」
「始末?」
ヴィレイアの白い頬から、いっそう血の気が引いた。
彼女の顔色は蝋のようだった。
見開いた濃緑の瞳が翳る。
「どういう――リベルは――」
「こいつが最後に見たときは、少なくとも欠けちゃいなかったって」
ヴィレイアの手の中から自分の手を引き抜き、乱暴な手振りでローリーを示して、エルカがぐるぐるとその場を歩き回る。
「取り敢えずこいつ、どうしようもなくなって、あの商会から引き取った子と一緒に、リベルも売っちまったらしい。相手は盗賊だって」
「盗賊――」
ヴィレイアはゆっくりと息を吸い込んだ。
無意識のうちに、彼女は胸元に下がる時精時計を両手でぎゅっと包み込む。
「じゃあ、リベルは――」
「行先はさすがに知らないけど、買い取った奴らの一部は鉱路に下ろすような連中らしい。
だからリベルは、どこかの鉱路に下ろされたか、普通にそのまま売られたか――」
ヴィレイアは唇を噛んだ。
「リベルの加護は人工だから、見ればすぐに分かるわ。それなら間違いなく、鉱路に下ろされたはず――」
「だったら万々歳だ」
エルカが断言した。
「あいつなら切り抜ける。切り抜けて、いちばん近い町に助けを求めるはずだ」
「〈氷王牢〉がないのよ」
「俺といたときだって、あいつはこんな立派な剣は持ってなかったよ。それでも十分だった」
ヴィレイアの震える声を、エルカの、こればかりは確信の籠もった声音が迎撃する。
ヴィレイアは黙り込み、俯き、ややあって、言った。
「――〈氷王牢〉が取り上げられたってことは、身ぐるみ剥がされたんでしょうね」
ヴィレイアが呟く。
「小切手も取り上げられたはずで、リベルはエーデルの銀行の小切手しか切れないはずだから、無一文だわ。
衛卒に助けを求めたとして、衛卒はそんなに親切じゃない。議員の名前を出したところで、衛卒にはそんな常識も学もない。
あなたに何かを伝言しようにも、リベルは法術師じゃないから透過視精は使えないし、手紙を書こうにも字が書けない。勇者組合に駆け込んで〈フィード〉に何かの文書を載せてもらおうにも、無一文だからお金が払えない」
「つまり、リベルは今頃どっかの町で途方に暮れてるか、あの人見知りをなんとか克服して、誰かの陸舟とか陸艇に乗れないか交渉中か、ってところか」
「――運が良ければ、ね」
ヴィレイアは震える両手を握り合わせる。
「鉱路の中で何かあるかも知れない――リベルは優しいから、不慣れな他の人のせいで大変なことになってるかも」
「不安にさせないでくれ」
エルカが呟いたが、彼の薄青い瞳はそれよりも大きな懸念に揺れていた。
――その瞳を見て、ヴィレイアは震える声を出す。
「どうしよう――盗賊も〈言聞き〉を使ったら」
エルカは大きく息を呑んだ。
恐らく彼も同じことを考えていて、恐ろしさの余りに言葉には出来なかったのだ。
「それは――」
「――ごめん、議論しても変わらないね」
ヴィレイアが素早く言って、白百合色の髪に手を差し込んだ手の掌底に目許を擦り寄せる。
そして、大きく息を吸い込んだ。
「――エルカ、これだけはお願い。リベルがショーズ商会に遭遇したことは、絶対にジョーゼル小父さまに言っちゃだめ。
同じように、リベルがもう一度〈言聞き〉を使って行動に制約を受けてるかも知れないってことも、言っちゃだめ」
「親父さんに?」
エルカが目を見開く。
「なんで?」
ヴィレイアは苛立ちに小さく息を吐いた。
「あなたもリベルも、魔法使いが〈言聞き〉に対抗できる事実を黙っていることを盾にして、ヴァフェルムさんの後ろ盾を得ているの。――その事実に瑕疵があっては駄目なのよ。
一度でも脱した契約なら、永久に脱することが出来るんだって、契約の主体と遭遇してももう何の制約も受けないんだって、そう思わせておかないといけないの。
だからリベルは、ショーズ商会の人と遭遇しても平気でなくちゃいけない。
私たちは、全ての魔法使いが〈言聞き〉の誓約に対抗できるって、ヴァフェルムさんにはそう思わせておかないといけないの。
だから、〈言聞き〉との制約から逃れるときにリベルが欠けそうになるなんて、そんなことは黙っておかないといけないの。
そうでないと、その秘密は、ヴァフェルムさんがわざわざあなたたちを守ってまで隠し通さなければならないものではなくなってしまう」
息を吸う。
「リベルには、尊厳を守られる人間としてあなたのそばに戻ってもらう。
絶対に、誰かの所有物としてのことじゃない」
エルカはなお躊躇った。
「あの議員に黙っとくのは、そりゃ分かる。でも親父さんは――」
「だめ」
ヴィレイアは叩きつけるように言った。
「あの人は軍人よ。将軍って言ってたでしょ。あの人の主君はヴァフェルムさんなの。
主君からの命令は絶対だし、こんな大それたことは隠し立てをお願いできない」
エルカは閉ざされた扉に目を向け、束の間、その向こうにいるはずのバンクレットのことを考えたようだった。
数秒ののち、彼は頷いた。
「――分かった」
「ありがとう」
ヴィレイアは微かに表情を緩めると、左手の指を上げた。
「――口裏を合わせて。
いい、リベルは確かに捕まった――だけど、ショーズ商会は関係ない。そばにいた、そこの人が引き取っていたっていう別の人、その人に何かあることを危惧したから――言うなれば人質に取られることを恐れたから。
――あと本人も、休暇のせいでぼんやりしてたかも知れない」
付け加えたヴィレイアに、エルカは弱々しく微笑む。
「そう、他のことで頭がいっぱいになってたかも」
ヴィレイアも、微笑とはとても言えない、唇の歪みをなんとか浮かべてみせた。
「そうね。――それから、〈言聞き〉については絶対に触れないで」
「分かった」
ヴィレイアは頷き、エルカに目顔で了承を取ってから、扉を開けた。
すかさず、バンクレットが勢い込んで部屋の中に入って来る。
「奴は何を吐いた? リベルは無事だって?」
彼に続いて、わらわらと勇者たちが部屋の中に入り、最後に三人の捕虜がおっかなびっくり部屋の中を覗き込んだ。
ほぼ全員が、臭いを厭うように鼻を摘まんだり、あるいは顔の前で手をぱたぱたと動かす。
「なに――なに、この臭い?」
メイが顔を顰めて尋ねる一方、アーヴェイが気を失って伏臥するローリーに駆け寄っている。
「おい、生きてる? ――うわっ」
声を上げ、アーヴェイが鼈甲色の目を見開いてエルカを振り返った。
「何したんだよ、おまえ?」
エルカは疲れたように目を擦った。
「埒が明かないから、取り敢えず足の腱を切ったんだよ。で、もう片方も切ったら二度と立てないぞって脅して、それでも頑張るから火掻き棒を焼いて押し付けた。
まだ黙ってるなら次は口の中に突っ込んで舌を焼くぞって言ったら、さすがに吐いた。で、殴って気絶させた」
「…………」
ウェイン隊とメメット隊が一様に、耳を疑うという顔をした。
ゲルテートが背中を向け、ブロムウェルが、おえ、と嘔吐く声を立てる一方、ティムは何とか笑おうとしつつ、震え声で。
「……そういうの、小説の中だけのことだと思ってた」
メメットが首を振り、ケルクの肩を叩く。
「ケルク、治せるかどうか看てやって」
「――了解」
ケルクがもの言いたげにエルカを見て、心配そうにヴィレイアを見てから、ローリーに駆け寄って傷の様子を見始める。
ウェインが顎で合図し、頷いたディドルもそれに続いた。
バンクレットがエルカの肩に手を置く。
「それで、奴は何と?」
エルカが顔を上げ、手短に説明する。
――リベルが人質を取られた状態でローリーに捕らえられたこと、その後は盗賊に下げ渡されたらしきこと、鉱路に下ろされた可能性が高いだろうこと。
話を聞き終え、バンクレットが鷹に似た顔貌の眉を顰める。
「――それだけ? 随分と彼は頑張ったようだけれど、他には何も言っていないのか?」
エルカは辛うじて微笑んだ。
――ショーズ商会を敵に回したが最後、商売人は口に糊する途を失う。
ローリーが頑として口を閉ざしていたのは、ショーズ商会の人間と――後ろ暗い商売において――付き合いがあることを、何よりも軍人であるバンクレットに知られたくなかった一心でのことだ。
彼にはそれが分かっているが、どうやらバンクレットは、ローリーが他にも知っていることがあり、なおかつそれを黙っていると考えたらしかった。
「軍で引き取って続きをやろうか?」
彼らしい真面目な顔でそう申し出られるので、エルカは手を伸ばして、バンクレットの胸を叩いた。
「大丈夫、必要ない。俺を信用して、親父さん」
「それは勿論――」
「ジョーゼル小父さま」
ヴィレイアが割り込んで、バンクレットの手を引いた。
「お願いします、ここから軍の出番です」
「無論」
バンクレットが力強く頷いた。
「鉱路を特定してリベルを見つける。何が何でもだ。
――ヴィレイア、エルカ、私の主人に会いに行くよ。
それから、出来れば――」
バンクレットはぐるりと室内を見渡す。
「――万が一、鉱路の中に踏み込んでリベルを捜さなければならなくなったときに備えて、勇者の頭数がもう少し欲しいが、きみたち、あれから友人は増えただろうか」
ローリーの方に屈み込んでいたディドルが振り返り、手を挙げる。
「僕らの知人を頼ってもいいですが、如何せん北から来るので時間が掛かります」
ケルクが肩を竦める。
「こっちは本拠地で鼻つまみ者だからね」
ギー・レスとベイ・レスが、揃ってケルクを見た。
「ああ、そういえば――」
「――言ってたね、〈鉱路洪水〉――」
「――感染しちゃったことがあるって。まあ――」
「――ほんとにお気の毒に」
ウェインが首を傾げ、ヴィレイアとエルカを見比べるようにした。
「――俺たちと会ったとき、他の勇者隊と一緒じゃなかったか?」
ヴィレイアが息を吸い込み、左手の人差し指を上げた。
「――契約、影、透過視精」
りん、と、耳ではなく精神で聞く鈴の音が響く。
アーヴェイがどや顔でウェイン隊を見渡したあと、がくっと拍子抜けした様子を見せた。
「なんだよ、ヴィリーの得意技は知ってたのかよ」
「身内自慢は、抑えて抑えて」
ロイが窘める一方、ヴィレイアは目の前で優雅に跳ねた銀の小魚に向かって、延いてはその向こうにいるダイアニの勇者に向かって、祈るように声を掛けていた。
「――リガー、ハイリの鉱路に一緒に行ったヴィレイアよ。
――お願いがあるの、隊のみんなで、ヘルヴィリーまで来てくれる?」




