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量産勇者、自由を掲げよ。  作者: 陶花ゆうの
3 任務探索
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14 狂気の舞踏

 亜竜の咢の奥から、まさに地獄が溢れ出しているようだった。


 牙の間から零れる炎は漆黒の色、炎が落ちた先で、岩石が真っ赤に燃え上がって溶けていく。



 ディドルとリガーがこの場から脱出した――つまり亜竜からすれば、獲物が二人分減ったということ。


 そのために亜竜は、今や完全に立ち上がって尾を振り回し、双頭の咢から炎の奔流を噴き出し、己の苛立ちを存分に示している。



 この空間は火の海になりつつあった。

 震えるほどの寒さを齎していた気温が、今となっては肌を炙るほどに熱い。


 漆黒の炎が地面から立ち昇る旗のようにあちこちで燃え、岩場の所々はそれを受けて随所で溶岩と化している。



 さしもの一等勇者たちも亜竜から距離を置き、銃火器での中距離攻撃に切り替えた。



 亜竜が二つの頭を振り、岩場を火の海にした際に、アーディスとギー・レスが火傷を負っている。


 衣服が焼け焦げて露出した肌が赤黒く変色し、傍目にも痛々しいが、それを治癒するための治癒精との影契約は、とてもではないがここでは働かない。

 ベイ・レスが双子の兄(あるいは弟)を励ます声が、切れ切れに聞こえる。


 充満する煙に咳き込む者、魔法使いが火を消していこうとするが、まさに文字通り、焼石に水。


 だが一方で、林立する氷柱――それらもまだ聳え立っていた。

〈氷王牢〉が生み出した氷柱が立ち並ぶ様は、まさにこの広い空間を神殿めいて見せている。


 冷気を漂わせる氷柱は炎の色を吸い込んで黒ずんで見え、熱に炙られて雫を滴らせ、溶けて強度を失い、次々に倒れていく――そしてその痕跡さえもが焼かれて消えていく。


 しかしまたすぐに、するすると地面から伸びていく氷柱――


 勇者たちは各々、氷柱の陰にばらばらに身を隠している。

 ウェインの大砲が繰り返し火を噴く轟音が耳を衝く。


 亜竜を殺傷できなくとも良いのだ、その注意が十分に逸れ、あわよくば飛び立たせることができ、ここから脱出することさえ可能になれば。


 ヴィレイアも、エルカでさえも氷柱の陰に身を隠している。

 影兵霊が無数に亜竜に群がり、その悉くが叩き潰されてはまた湧き出していく。



 そしてその中で唯一、リベルだけが亜竜の鼻先七フィートの場所にいた。



 エルカの全身が張り詰めているのは、彼の弟分を案じて気も狂わんばかりになっているのだろう、とヴィレイアには分かる。


 リベルが常にヴィレイアの安全に気を配るのと同様に、あるいはそれ以上に、エルカはリベルの安全に気を配っている。


 ――それが、エルカがリベルを弟のように思っているからなのか、それともリベルが彼の前から姿を消したことをずっと恨んでいたことを、彼に済まなく思っているがゆえなのか、あるいはリベルとの再会が得難い奇跡的なものであったがために、二度とその手を離してはならないと思い詰めているゆえなのか、それはヴィレイアには分からない。

 リベルにも分かっていない――リベルはただ、エルカが未だにリベルを半人前扱いすると言って不満に思っているだけだ。


 エルカは技量においてリベルを上回る。

 それをヴィレイアは目にして知っている。


 だがエルカが手にしている武器はただの鋼の剣でしかなく、ゆえに亜竜を前にしては徒手に等しい。

 如何なエルカといえど、徒手で亜竜の前に立っては自ら欠落しにいくようなもの。


 だからこそ飛び出すわけにはいかない、リベルを亜竜の鼻先に晒しているという状況に、エルカが傍目から見ても分かるほどに苛立っている。


 だが、


「あいつ、本当に相変わらず……」


 火傷の痛みに脂汗を浮かべつつアーディスが呟く。


 ウェイン隊の誰かが、もしも仮に、リベルが過去には特等勇者であったということ――それを疑っていたとしても、この瞬間にはその疑いは全て晴れていた。


「マジかよ、あの小僧……」


 誰かが呻くように呟く。



 亜竜の鼻先にあって、一切の恐れを見せず――それどころか狂気的な快楽さえ感じさせる、踊るような身ごなしで戦う、〈錆びた氷(ラスティ・フリーズ)〉。



 恐ろしいことに、彼は味方の動向すら気に掛けていない。


 亜竜が他の勇者に向かうことは己の身一つで完封してのけ、一方で味方からの誤射を全く恐れていない。


 その振る舞いに恐れを成して、オーリンとベイ・レスは早々に銃口を下ろしている。

 二人がリベルの正気を疑う顔をしている。



 亜竜の象牙色の長い牙が掠めたリベルの腕からぱっと血が飛ぶ。

 一切怯まず彼が〈氷王牢〉を振るう。


〈氷王牢〉の黒い切先が亜竜の、巨大な舌が蠢く口内に迫る――がちんッ、と、亜竜の牙が噛み合って〈氷王牢〉がその牙に弾かれる。


 瞬間、横手から漆黒の炎の奔流――別の頭が火を噴いたのだ。


 眉ひとつ動かさず、それどころか獰猛に微笑みさえして、リベルが〈氷王牢〉を盾にする。

〈氷王牢〉が厚さにして七フィート近い氷壁を瞬時に築き、そしてその氷壁が溶け去る頃には、リベルは既に己の足許に氷柱を生成し、その助けを得て宙に飛んでいる。



 エルカとアガサが、リベルを追って仰け反る亜竜の喉に向かって立て続けに発砲する。

 深紅の鱗に当たり、弾丸は悉く小さな火花を散らすのみだったが、亜竜の双頭のうち少なくとも一つはリベルから逸れた。



 宙を飛び、身を捩り、亜竜の脳天に氷塊を落とすと同時に〈氷王牢〉で眼球を狙おうとするリベル。


 亜竜の翼がはためき、強靭なその骨格と皮膜がリベルを叩き落とそうとする。


 素早く身を捻ったものの完全には躱せず、吹き飛んで林立する氷柱の一つに叩きつけられ、その氷に罅を入らせながらも素早く体勢を立て直そうとするリベル、その表情には痛みもなければ恐怖もない、宙を吹き飛んだ弾みで口の中を噛んだ血を吐きながら、その朱色の瞳は生き生きと輝いている。


 狂気的な喜びに表情が輝き、心底楽しそうに彼は笑っている。



 ウェインの大砲が轟き、砲弾が亜竜の皮膜に迫った。


 亜竜がばさりと羽搏いて砲弾を叩き落とす、その僅かの隙にリベルは体勢を立て直している。



 地響きと共に、リベルの足許から亜竜に向けて、低い氷柱が立て続けに生成されていく――亜竜の左側の頭で、ぐわ、と咢が大きく開く。


 そこから漆黒の炎が溢れ出すのを待たずして、リベルはその氷柱の上を駆けて亜竜に向かっている。


 吐き出される炎の奔流。


 誰かが悲鳴を上げた――炎の苛烈さへの悲鳴ではなく、そこへ向かって突っ込んだリベルの身を案じる悲鳴――恐らくオーリンの悲鳴。


 だが、影兵霊がリベルの前に滑り込んで、儚く溶け消えつつも炎の勢いを殺そうとしている。

 七人の影兵霊が立て続けに消し飛んだ、まさにその瞬間、炎を抑え込むべく、巨大な花が開くように氷が生成された。


 溶けて落ちる花弁に代わって、繰り返し繰り返し生成されていく透き通った花弁――そして炎の勢いが衰えると同時に、その氷の花の盾を自ら蹴破って、リベルは亜竜の鼻先に躍り込む。


 炎の残滓の熱を受け、彼の朱色の瞳が輝く、赤錆色の髪に光彩が踊る。


 そして同時に、頬が、鼻梁が、〈氷王牢〉を握る手指が、痛々しい火傷に真っ赤に変色する。


 だがなおリベルの表情は苦痛に向かっては動かない。



「――――!」


 ヴィレイアは氷柱の陰で膝を突き、己の心臓が激しく脈打つ音を聞いている。

 心臓が今にも止まりそうだった。


 彼女の〈焔王牙〉は、〈氷王牢〉に劣らぬ強度を持つ――ゆえにヴィレイアもまた、リベル同様に接近戦を演じることも出来る道理であるはずだったが、


(私が前に出ると、絶対にリベルは怒るし気が散る……!)


 ここで亜竜の鼻先に立とうが、更にいえばそこで踊ろうが歌おうが、ヴィレイアが欠けることが有り得ないにせよ、それを見て動揺したリベルは、彼の狂気の綱渡りから転落するかも知れない。


 ――その瞬間、覚えるはずがないと高を括っていた後悔を、激烈なまでにヴィレイアは覚えている。


(黙って見ていることしか出来ないのは――)


 彼女が剣術を知らず、体術を知らず、その技能もないがゆえ。


(――少しは頑張っていれば良かった――!)


 ヴィレイアの濃緑の瞳が焦がれて見据える先で、リベルは炎の残滓を抜けている。



 アーディス隊の面々でさえ目を疑ったことだろう――亜竜の鼻先に躍り込んだリベルが、文字通り亜竜の鼻先を蹴り飛ばした。


 亜竜にとっては蚊に刺されるほどの衝撃だろうが、格下が鼻先を蹴りつけてきて不愉快でないはずがない。


 激怒する亜竜が双頭を激しく振り動かしてリベルを振り落とし、巨大な前肢で彼を踏み潰そうとする。


 岩場に落下したリベルが身体を捻り、転がって鉤爪の生えた前肢を躱し、踏み締められた岩場に亀裂が入るのを見て、いっそう楽しそうに声を上げて笑う。



 ――まさに狂気の大笑。



 直後、亜竜の長く優美な首、右側の首を横手から殴るように、何もない空中から氷柱が横向きに生えた。

 生えた氷柱は無論、重力に従って直後には落下する――それを待たずして、苛立たしげに亜竜がそれを砕く。


 木端微塵に砕け、雪のように振る氷の欠片――それらがたちまち蒸発していく。



「――あれ、本当に人間?」


 オーリンが囁いた。

 火傷に顔を顰めるギー・レスが、傷ついた右腕を庇いながら顔を顰め、呟く。


「――あの人だけ、竜に近いままの身体を持ってるんじゃないの。翼骨から未だに翅が生えてたりして」


「それは……常々疑ってきました」


「あいつ、絶対に着替えは他人に見せないしな。有り得るんじゃないか」


 ラティが真顔で頷き、アーディスが掠れ声でお道化てみせる。



 ――そのとき。



「動いたわよ!!」


 メイの絶叫じみた声。


 同時に波濤の翻る音――地響き。

 そばの氷柱がびりびりと震えるのを頬に感じる。


 大音響と共に、この空間と湖を隔てていた岩壁――それが崩れ去った跡である瓦礫の山が踏み拉かれて吹き飛ぶ。


 耳を聾する騒音、地響きに足許が揺れる。


「えっ、なに!?」


 ヴィレイアは思わず叫び、結果としてエルカに、正気を疑うような目で見られた。


「なに言ってんの、あっちの巨人だろ! このために向こうに人を残してくれたんじゃなかったのかよ!?」


「あっ、そっか!」


 膝を打つヴィレイアを一顧だにせず、エルカは狂気の舞踏を続ける弟分に向かって怒鳴り声を上げた。


「リベル、こっちに戻れ!」


 リベルがこちらを振り返る――同瞬、


「間に合わないって!!」


 オーリンが叫んだ。


 地響きは切迫して近付いている。



 巨大な足がざばりを湖の水を汲み上げて岩場に乗り、その瞬間の地面の揺れのために、立ち並んでいた氷柱の悉くに罅が入った。



 黄鉄鉱の巨人が、遂に亜竜の領域に押し入ったのである。


 先刻アガサが言ったように、相当に空腹だったのか――そのために亜竜の領域を犯す暴挙に出たのか。

 低い叫び声を上げながら、黄鉄鉱の巨人ががむしゃらに岩場を踏み荒らす。



 瞬き一つのうちに、ヴィレイアは脳裏で算段していた。


 ――メイの努力が奏功して、巨人がこちらへ突っ込んで来ているとすれば、その歩幅は。


「やばいやばいやばいっ!」



 散り散りになって氷柱の陰から飛び出し、巨人の進路であろう一直線上から飛び退る勇者たち。


 メイも当然ながら巨人の進路から外れるために瓦礫の山を飛び降り、身を隠そうとしている。

 その彼女が状況を見て取り、両頬に手を当てて呻く。


「あああ、まずい……っ!」



 亜竜を相手取るリベルが、巨人の進路からの逃走に出遅れている。


 メイが悲鳴じみた声を上げたのも当然ではあったが、


「リベルっ!」


 慌てて右手で合図するヴィレイア。


 掌を上に向けた手招きに反応して、影兵霊がリベルに組み付く。


 リベルを追う亜竜の牙に引き裂かれる影兵霊が七、そして背後からリベルに組み付き、彼を安全圏に放り出す影兵霊が四――


「助けてくれてるのはすっごくよく分かるんだけど、完全に悪霊に捕まったように見える……」


 アガサが呟く一方、投げ飛ばされたリベルが吹き飛んで背中からヴィレイアにぶつかる。


「わあっ!」


「ごめんっ!」


 叫ぶリベルは咄嗟に〈氷王牢〉から手を離している。

〈氷王牢〉が弾みでヴィレイアを傷つけることを恐れたためだ。


 がらん、と音を立てて〈氷王牢〉が岩場を転がると同時、間髪入れずにヴィレイアから離れて、リベルがヴィレイアを助け起こす。


「悪い、どこをぶつけた!?」


「だい――大丈夫……」


「主人に向かって俺を投げ飛ばすなんて、とんでもない連中だ……」


「まあ、お利口にしてても霊だからね……」


 腹部を押さえてよろよろとヴィレイアが起き上がると同時に、リベルは〈氷王牢〉を拾い上げている。


 ヴィレイアは目を見開いてリベルの顔を見上げ、血が飛んだその頬に向かって指を振った。

 そして顔を顰める。


「やっぱり影契約は駄目かぁ……」


「暢気なことしてる場合じゃねえだろ!」



 その瞬間、双頭の亜竜が咆哮した。



 怒り狂った咆哮ではない――相手に、自らの立場を思い出させようとするような、窘める響きさえある咆哮。


 二対の双眸が黄鉄鉱の巨人を見据える。



 比べてみれば、亜竜よりも巨人の方がなお大きい――だがそれでもはっきりと分かる格の違い。


 力任せに足許の人間たちを掴み取ろうとしていた巨人の動きがぴたりと止まり、



「駄目だ駄目だ……」


 誰かが呟き、まるでそれが合図になったかのように、全員が巨人の苛立ちを煽るべく手を打ち始めた。


 影兵霊が巨人の足許に群がり、魔法使いが適度な大きさの岩壁の破片を放り投げ始める(言うまでもないが、大きな瓦礫を動かすのはそれだけ心袋の負担になるのだ)。

 ウェインの大砲が立て続けに火を噴き、他の者も雨霰と銃弾を降らせ――



 巨人が大きく首を振った。

 ぎこちなく足を動かして影兵霊を踏み潰し、蟀谷に飛んでくる石榑を振り払おうと両手を振る。


 余りにも岩石に似たその大きな顔貌に、リベルは表情を拾うことは出来なかった――仮にこの巨人が顔を顰めるとすれば、そのときには岩が軋むような大音響が轟くのではないかと思いすらした。


 だがともかく、この巨人は、人間が羽虫に苛立つのと同じように苛立っている。


 そして、アガサが先だって言っていたことは正鵠を射ていたのだ――この巨人は飢餓状態にある。

 湖の怪魚たちは彼にとって食糧たり得ないのか、あるいは追うそばから逃げられていたのか。



 ゆえに、この巨人は冷静さを失っている。



 黄鉄鉱の巨人が、洞穴に風が吹き込むときとそっくりな音を立てて息を吸い込み、ぐるん、と回ったその紅い独眼で亜竜を見て、不明瞭な声を押し出した――格上であるはずの亜竜を、空腹あまって同じ獲物を取り合う敵と見做したのか。



 巨人が、地響きを立てて亜竜に突っ込んだ。



 岩場が揺れる、頭上から光晶の欠片がぱらぱらと降る。


「いけえ!」


 オーリンが自棄になって叫びながらも、亜竜の注意が脱出口から逸れる一瞬を待ち、負傷したギー・レスに駆け寄り、肩を貸して彼を担ぐようにして、脱出口にじりじりと近づいていく。


 ラティが、同じく負傷しているアーディスに肩を貸してそれに続く。



 巨人が亜竜に組み付く。


 人間からすれば見上げることしか出来ない巨躯が相絡まる地響き。



 亜竜の身体が、一瞬宙に浮いたように見えた――頑丈な骨格と皮膜から成るその翼が、巨人の大きな腕に潰されて折れたのではないかと。



 だがそんなはずはなかった――一秒ののちに、亜竜がその巨大な鉤爪の生えた前肢で、やすやすと巨人を地面に叩きつけている。


 その衝撃に地面が震える――辛うじて立っていた氷柱が悉く折れて倒れ、瓦礫は飛び跳ねて崩れ、足許を襲った衝撃にヴィレイアが体勢を崩して尻餅をつく。



 氷柱が折れて砕ける大音響。

 岩壁を崩した瓦礫の山が崩れる衝撃と轟音。


 頭上高くからぱらぱらと岩と光晶の欠片が降ってくる。



 そして亜竜が、この分を弁えぬ巨人に身の程を教えてやろうというように、左側の頭をぐっと引いて、



「離れて離れて離れて!」


「もう離れてるって!」



 漆黒の炎が咢から溢れ出した。


 その直撃を喰らった巨人の苦悶の絶叫が、もはや音ではなく衝撃として各々の耳を聾する。

 耐えかねて耳を塞いだ者は複数あり、しかしその中でもなお、勇者たるもの、


「開いた!」


 誰かが叫ぶ。


 叫ぶ間も惜しんで、オーリンがギー・レスを、ラティがアーディスを支えて、亜竜の注意が逸れた脱出口へ向かう。



 同瞬、その脱出口から人影――



「ディドル!」


 リベルの指示どおり、透過視精で周囲への応援要請を終えたリガーとディドルのうち、ディドルが戻って来たのだ。


 ぜぇぜぇと息を喘がせるディドルが、脱出口を塞ぐように聳える小さな岩山の陰から這い出してくる。



 同瞬、亜竜が脱出口を振り返る素振りを見せ――



「アーディス、ほんとごめん!」


 聞こえるかは分からなかったがリベルが叫び、〈氷王牢〉を振る。


 途端、アーディスとギー・レスの足許から脱出口に掛けての地面が、滑らかな氷に覆われる。


「おわっ!」


 負傷したところを氷に足を取られ、堪らず転ぶ二人。

 二人を介助していたオーリンとラティは咄嗟に手を離している。


「押して!」


 リベルが叫び、意図を察したディドルが何かを呟いた。

 彼の右手をくるりと巡るように、微かに赤い光が煌めき、


「うわあっ!」


 今度こそ叫び声が上がり、負傷した二人が勢いよく氷の上を滑った。


 ――ディドルが真契約を結んでいる精霊、銃精が、その特性を持って二人の背中を押し、閉口ものの速度で氷上を滑らせたのだ。



 負傷した二人をこの場から優先的に脱出させ、安全圏に隔離した法術師の許へ向かわせるのは定石ではあったが、


「やり方ってもんがあるでしょうがぁ!」


 ギー・レスの憤懣の声を残滓にして、二人が小さな岩山の奥、脱出口に消える。



 それを見送ったディドルが、息せき切ってこの空間に転がり込んでくる。


 ――治癒精を働かせるために戦場から遠ざけられる法術師に要求されるのは、まず第一に胆力だ。

 状況が分からないことに耐える胆力。

 いつになったら仲間と合流できるのか、そもそも合流することは出来るのだろうか、という葛藤に耐える胆力。

 そしていざとなれば――仲間が全滅したのだと確信するに至れば――ただ一人で鉱路の復路に耐えねばならぬという胆力。

 リガーは今、その孤独に耐えているはずだった。


 そして同時に、やはり、一度は逃れた鉱路生物の面前に舞い戻るのも度胸の要ることだ。



「ディドル、近くに他の隊は!?」


 ウェインが大音声で尋ね、ディドルが叫び返す。


「くそったれ! いません! リガーさんの方で引き続き呼んでもらってるんで、こんなところに踏み込む馬鹿が僕ら以外にいれば、そのうち引っかかってくれると思います!」


「くそったれ!」


 ウェインとベイ・レス、オーリンとメイの声が見事に重なった。



 亜竜が巨人を押し遣り、苛立たしげに咆哮する。

 その太い尾が振られ、ディドルを危ういところで掠め、脱出口をその陰に匿う小さな岩山に直撃する。


「ああっ!」


 勇者たちの叫び声。


 木端微塵に吹き飛ぶ岩山に、ディドルが咄嗟に顔を庇っている。

 そして即座に横っ飛びにその場を離れたのは、亜竜の右の首がディドルを向き、漆黒の炎の奔流を吐き出したからだった。


 危ういところで炎を避け、高温の炎に溶岩と化す、自らがつい先刻まで立っていた場所を横目で見て、ディドルが唾を飲み込み、煙に噎せる。

 その栗色の髪の先端が焦げていた。


「おい出口塞がったか!?」


 エルカが血相を変えて叫び、咳き込んだディドルが、ぶすぶすと煙を上げる溶岩から離れながらも怒鳴るように返す。


「落ち着いて瓦礫を退かさないと抜けられなくなりました!」



 同瞬、とうとう亜竜が力強く羽搏き、宙に舞い上がった。



 強風を起こす両翼、垂れ下がる尾、そしてその双頭が、一瞬にして高く舞い上がった位置から勇者たちと巨人を睥睨する。


「岩山崩す前に飛べよ、そしたら逃げられたのに」


 オーリンが悪態を吐きながらも銃を握り直す。


 呼吸を整えながら、アガサが握った小銃で亜竜を示した。


「そう悲観した話ばっかりじゃないわ。――無傷じゃなくなってる」


 その言葉にどよめき、そして続いて、宙に浮かぶ亜竜の左の腹に、鱗が裂け、しとどに血を落とす裂傷を認め、快哉を上げる勇者たち。


「あの巨人か!」



 ――まさに、その快哉を不快に思ったかのようだった。



 亜竜の二つの喉が膨らむ。


 そして、





 ――衝撃。閃光。熱。激痛。混乱。





 背中を地面に強かにぶつけ、リベルの息が詰まる。


 何が起こったのかを悟るよりも早く、両手が空になっていることを意識し、続いて全身の、燃えるような痛みが意識に昇り――


「――っ、てぇ……」


 這うように身を起こし、目を開ける。

 左目を開けるときに苦労した――どうやら額を切ったらしい。そこから垂れる血が目を塞いでいた。

 目許を手の甲で拭い、それでようやく瞼が上がる。


 見えたのは、目の前でちらつく炎。


 目の前だけではない――この広い空間のあちこちに、漆黒の炎が閃き、ちらついて燃えている。

 辺りは汗が滴るほどに暑い。


 身体のあちこちが痛むのは、さしずめ、激昂した亜竜が力任せに炎を吐き、その熱波で吹き飛ばされたときにあちこちをぶつけたためだろう。


 むしろ骨が無事であるだけ運が良かった。



 ――運。天運。

 加護の賜物。



 衝撃に耳鳴りがしていたが、それが徐々に収まり、周囲の狂騒具合が聞こえてくるようになる。


 誰かが叫んでいる。悲鳴。

 そして岩が軋むような呻き。水音。



 どうやら業火の直撃を受けたのは勇者ではなく、黄鉄鉱の巨人だったらしい――巨人が、よろめき、岩が軋むような呻き声を上げながら、ふらふらと後退り、湖に撤退していこうとしている。


 その左腕が砕けて原形を留めていないのを見て、リベルは、“これで少なくとも万(・)全(・)の(・)巨人が後ろから襲ってくることはなくなったぞ”、と考えている。



 亜竜は今もゆっくりと羽搏き、まるでその羽搏きによってではなく意思のみによって宙に留まっているかのように、この空間の宙に君臨している。


 左の腹の裂傷からは大きな血の滴が零れ落ちているが、それを感じさせない。


 その紅い二対の双眸が、傲然と勇者たちを見下ろしている。



 リベルはゆっくりと立ち上がろうとした――その動作で神経が悲鳴を上げるほど痛んだ。


 それに加えて、露わになっている皮膚の悉くが引き攣るように痛む。火傷の痛みだ。



 空になった右手で拳を作りながら周囲を見渡す。


〈氷王牢〉を探した朱色の瞳が空振り、辺りの惨憺たる有様が視界に映った。



 ――勇者たちは、軒並みリベルと同じように吹き飛ばされている。


 リベルは運のいい方だった――巨人に向かった手加減なしの業火の奔流、その煽りを受けただけで、勇者たちは熱波で四方に吹き飛ばされ、酷い者であればこの広い空間の遥か離れた場所まで転がっていっている。


 更に悪いことに、熱波の煽りであちこちで地面が捲れ上がり、あるいは頭上の岩肌が崩れていた。


 炎と粉塵が相俟って、視界が利き辛くなっている。



「――ウェインが動けない――」


 メイの声が甲高く響くのが聞こえてきた。


「崩れた岩の下敷きに――」


「――こっちのラティもよ」


 アガサの声。

 切迫していると同時に覚悟を決めたようでもある。



「……ヴィリー――? エルカ?」


 リベルは囁く。


 半狂乱になって立ち上がり、数歩動いたところで、手許から吹っ飛んだ〈氷王牢〉を見つけられない視界に、粉塵を被ってなおあえかに輝く〈焔王牙〉を見つけた。


 はっと息を呑み、視線を動かして――


 今ようやく起き上がろうとするヴィレイアを、捲れ上がった地面の陰に見つけた。


 ヴィレイアは歯を喰いしばり、盛大に顔を顰めている――その左肩が、真っ赤な血に濡れている。どうやら岩で抉られたらしい。

 頬も擦り剥き、蟀谷から血が流れている。



 彼女の濃緑の瞳が、リベルを見た。


 自覚してはいなかったがリベルも一瞬にして満身創痍になっているらしい、ヴィレイアが大きく目を見開く。



「――――」



 その瞬間、全く理不尽にも、リベルは己の激情が沸点を振り切れたことを自覚した。



 未だに〈氷王牢〉は見つからない。

 吹き飛んだ際に取り落として、どこかへ転がったのだろうと予想は出来るが、悠長に捜していられない。



 そして目の前には、〈氷王牢〉ではないが鉱路の業物がある。



 ――息を吸い込み、リベルは〈焔王牙〉を拾い上げた。



 そ(・)の(・)薔(・)薇(・)色(・)の(・)刀(・)身(・)は(・)輝(・)き(・)を(・)失(・)わ(・)な(・)い(・)。

 ヴィレイアと同様、リベルを受け容れて、ヴィレイアの手の中にあるときと同じだけの働きを示している〈焔王牙〉。



 いつも使っている〈氷王牢〉が片手剣であるのに比して、〈焔王牙〉は両手剣だ。

 だが軽い。



 右手に〈焔王牙〉を握り締め、リベルは振り返った。



 ――中空に翼を広げ、光晶犇めく天蓋を背後に君臨する双頭の亜竜。



 今しも再び業火を吐き出そうとするように、その牙にちらちらと漆黒の炎が絡み始めている。



 ――ここは亜竜の領域だ。

 勇者たちはそこに押し掛けたに過ぎない。


 それは重々分かっている。



 だが理屈では縛れない感情というものは存在する。



「――てめぇ、」



 亜竜を睨み上げ、リベルは断言した。



「――てめぇ、ヴィリーに怪我させたな。許さねぇぞ」






















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― 新着の感想 ―
リベル大暴れですね!!そして案の定、初見の人にドン引きされていて嬉しいです!笑 次話のリベルの更なる活躍は期待するところですが、何よりエルカが無事でありますように…。
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