04 探索出発
精霊法術:精法術と霊法術のこと。
言うまでもないが、この世ならざる現象を起こすには、精霊の助力が必須であり、この世には数多くの精霊が存在している。
その中でも人間の益となるものを精、害となるものを霊という。
例を挙げるならば、治癒精、透過視精、時精、浮揚精、熱精。
死霊、影兵霊。
これらと儀式を経て契約し、その力を行使することを精霊法術といい、法気を宿す者のみがこれらを扱える。
契約には、真契約と影契約がある――その精霊そのものと契約することを真契約あるいは独占契約といい、その精霊の影と契約することを影契約という。
影契約の利点は、同一の精霊と数多くの精霊法術師が契約を結べることにある。
そのため、治癒精や透過視精といった代表的な精との契約は影契約にすべきことが、全ての国家で法令に定められている。
精と霊、どちらとの契約が困難かは言うまでもなく、霊との契約である。
精霊との契約および、契約した精霊の力を借りることは、法気を精霊に喰わせることなのだ。
元より人間の益となる精よりも、本来ならば害となる霊が、より多くの法気を要求することは想像に難くなかろう。
霊法術を使うことの出来る法気に恵まれた者は殆どおらず、そのため昨今では、法術といえば精法術を指すようになっている。
精霊との契約時には、法術師は身の内の法気を精霊に曝け出す――そのために特殊な香草を燻した煙が用いられる。
そして、精霊が契約に応じる利点、即ち契約に応じて力を貸すに値するだけの法気の含有が認められれば契約となる。
ひとたび契約を結べば、身の内に抱えた精霊、あるいはその影に、慢性的に法気を与え続けることとなる。
また、精霊の力を借りるには、己が内包する法気を精霊に文字通り喰わせることが必要となる。
賢い精霊法術師は、己に必要な精霊を把握し、生涯に結ぶ契約の回数を最低限に抑えるものである。
一度契約できた精霊も、一度契約を解除してしまえば、再び契約を結ぼうとしたときに己の法気を報酬として妥当と認めるか否かが賭けとなるのみならず、精霊との契約における儀式で法気を呈示することは、決して楽なことではないためだ。
また、契約を結ぶ精霊は慎重に選ぶべきであろう――契約を結んだのみで、その精霊が差し出される法気を晩餐と認めず、ただ己が身の内に胡坐をかいている、などという事態は、決して歓迎できるものではないはずだ。
――――――――――
魔法:仕舞い込むこと、と言われる。
とある結果を得るために費やされる労力や手間暇の全てを仕舞い込み、結果だけを引き寄せることである。
魔法使いとなる才覚は、心臓の隣に「心袋」と呼ばれる器官を備えるか否かに左右される。
この心袋に、仕舞い込むべき労力や手間暇を封入していくのである。
如何に大きな事象を仕舞い込んでおけるかは、心袋の機能によるところであり、心袋機能に限界を迎えた魔法使いのそばにいることはお勧めしない。
仕舞い込んだ全てを混沌として吐き出す彼らは、ある意味で爆発する不傷石よりも危険な存在だ。
また、同じ結果を引き寄せようとする魔法であっても、状況によって難度が変わることもよく知られている。
昼日中の平和な路地で小石を拾いに行くのと、鉱路の危険の只中で小石を拾いに行くのでは、行為としては等しくとも、意味は大きく異なるのである。
つまり、あなたが空中を踏もうと思えば、それは如何なる事象を仕舞い込んでも本来不可能なことであるから、魔法では叶わず、精霊法術が必要となる。
ただ、あなたが大量の水を前に氷を必要とするならば、その水を凍らせるだけの事象を仕舞い込む心袋の持ち主がいれば、それは叶うだろう。
――――――――――
勇者隊が、中に必ず一人の精霊法術師を置こうとするのには理由がある。
――治癒精と透過視精との契約だ。
法術といえども万能ではなく、主に大型の鉱路生物の前では、影契約の多くが正常に機能しなくなることは知られている。
これもまた鉱路の神秘の一つだが、一説によれば精霊との契約は竜に特有のもので、その竜に特有の生命の揺らぎを喰う明りクラゲを喰う鉱路小型生物を喰う鉱路大型生物の前では、精霊との契約に何らかの支障が出るのではないか、ということだった。
だがそれでも、重傷を癒せる治癒精との契約、遠隔地を偵察できる透過視精との契約は、何にも代え難く貴重だ。
魔法で重傷は治せない――軽い傷ならば、自然と治るその過程を速めることは出来るが、治りようもない重傷を癒すことが出来るのは治癒精と契約を結んだ法術師だけだ。
逆をいえば、然程の法気に恵まれていない法術師であっても、治癒精と透過視精と影契約を結んでさえいれば、それだけで十分とされることもあるくらいだ――この両精霊と契約を結び、かつ戦力となるほどに他の精霊とも契約を結べる法術師は、十の勇者隊に一人がいるかいないかといった貴重な人材だった(リガーはそのうちの一人だった)。
一方、最低限の契約を持つ法術師は、さほど貴重ではない。
勇者組合で十人に声を掛ければ、うち一人は法術師だ。
――だというのに、治癒精とも透過視精との契約を結んでいないとは。
リベルは失神しそうになったが、堪えた。
辛うじて、ぎゅっと唇を引き結ぶに留める。
「――出発は明日ですが、明日までに契約してもらうことは出来ますか?」
影契約であっても、契約には儀式が必要だ。
それはリベルにも分かっているが、一日がかりになる儀式ではないはずだ。
リガーが儀式を執り行うのを見たこともあるが、せいぜいが一時間程度だった。
だが、リベルにとっては想定外もいいところ――ヴィレイアもまた、ぎゅっと唇を結んで断言したのである。
「それは出来ません」
リベルは思わず、ヴィレイアを雑巾のようにぎゅっと絞って道端に投げ捨てたくなったが、そんなことは出来なかった。
覚えず眉間に皺を寄せ、厳しい顔になるリベル。
彼に自覚はなかったが、元々端正な顔立ちの彼がそんな表情を浮かべると、なかなかに迫力があった。
ヴィレイアが慌てて手を振る。
そのときにリベルは気づいたが、彼女の両手には、そのどちらにも、親指の付け根への入れ墨に見える模様がなかった。
――彼女の加護は先天的なものなのだ。
「ああ、でも、大丈夫なんです」
「大丈夫、とは?」
声も剣呑にならざるを得ない。
「私と組んだこと、後悔はさせません」
胸に手を当て、真剣な面持ちでヴィレイアは言った。
「事情はお話し出来ないんですが、私、一刻も早くお金を貯める必要があるんです。つまり、そのくらい切羽詰まってるってことです。
――その状況で、出来もしない鉱路探索を、お金儲けの手段に選んだりはしませんよ。ね?」
リベルは呻いて額を押さえたが、必死に気を持ち直した。
(怪我をせず、怪我をさせなきゃいいだけの話――)
溜息を吐き、リベルはややぶっきらぼうに告げた。
「――じゃあ、携行食を買いに行きましょう」
*◇*◇*
「後悔はさせません」とヴィレイアは言ったが、リベルは胃袋がきりきりするような後悔と共に目を覚ました。
エーデルにやって来たその日のうちに見つけた住まいは、集合住宅の一室だが、なかなか気に入っている――広くて、間取りが良くて、日当たりもいい。
一方ヴィレイアは、まだ住まいを見つけていないらしい。
勇者組合の上階の宿(安いが、治安も居心地も良くはない)に仮住まいをしているらしく、それを聞いたリベルが絶句したところで、昨日の彼女とは「ではまた明日」という流れとなったが――
(大丈夫だろうな……)
勇者組合が提供する宿は、とにかく治安が悪い。
あんな非力そうな少女が、無事に一晩を過ごせるものだろうか。
彼女に万一のことがあれば、リベルは人見知りする己と戦いながら、今度こそどこかの勇者隊に「仲間に入れてください」と頭を下げに行かねばならないことになる。
リベルとしても、「では、こちらに泊まりますか?」というのは喉まで出かかったのだ。
だが、さすがに初対面の女性にそれを言い出せず、更には身支度を見られるわけにもいかず――と、まごまごしているうちにヴィレイアが去っていった――というのが昨日の顛末である。
ヴィレイアに先天的に備わっている加護が強力なことを祈るばかりだ。
右手を持ち上げて、掌を見る。
その、親指の付け根に焼きつけられた、入れ墨のようにも見える勇者組合の印章――これが、人工加護の証だ。
この印の下に、亜竜の眼球の一部が埋め込まれ、リベルに加護を与えている。
国の外に出れば役に立たなくなる、後付けの強運。
どうかヴィレイアが無事に現れますよう、と祈って、リベルは手早く支度を整える。
勇者の中には、組合のホールで支度を整える猛者もいるが、リベルに関しては絶対にそれはなかった。
わけあって、背中を人には見せられない。
木綿の衣服に革鎧、鉱路の中は寒暖様々であるため、それを見越して軽い外套を羽織る。
採掘具を詰めた道具箱を背負い、その上から、買い込んでおいた物資を詰めた革袋を担ぐ。
両手には、指先の開いた革手袋。足許は紐で固める長靴。
麻布に包んだままの〈氷王牢〉を掴むと、リベルは部屋を出て、戦々恐々としながら勇者組合に向かった。
はたせるかなヴィレイアはそこにいた。
組合一階の食堂で既に朝食を食べ始めており、現れたリベルに気づいて元気に右手を挙げて合図する。
彼女はカトラリーを左手に持っていた――左利きなのだ。
一人で朝食を摂っている彼女は、今はフードを下ろして顔も髪も露わにしている。
そのためだろうが、可憐な彼女の風貌に、少なくない数の勇者たちが、熱心あるいは下卑た視線を送っていた。
とはいえヴィレイア本人はそれに気づいた様子もない。
リベルは彼女の右側に滑り込み、碌に考えもせずに朝食の注文を済ませ、ほっとした気持ちを隠さないながらも、上手く表現できないがゆえの顰め面でヴィレイアを見遣った。
「――大丈夫だったんですね」
「なにがです?」
と、暢気にヴィレイアが返す。
リベルは脱力する思いである。
座った状態であったが、ざっと彼女の全身を点検してみた――勇者として問題のない格好だ。
生成りのシャツの上から、金属と浮揚璧を組み合わせて仕立てられた、薄くて軽い鎖帷子を着て、その上に薄手の白い外套を羽織っている。
足許はリベルと同じく長靴。靴紐の乱れがじゃっかんリベルの気になるところ。
手袋はしておらず、そばに置いてもいない。
昨日も抱えていた筒状の麻布の荷物をそばに立て掛けており、彼女に預けていた分の物資は、これもまたリベルと同じく、背中に負っている。
今も、青い時精時計を首から厳重に掛けていた――浮かぶ数字が昨日と変わっている。今は、「一一七二」。
ヴィレイアは元気に肉と野菜の煮込みを食べていたが、後から朝食が運ばれてきたリベルの方が先に完食してしまった。
左手でコップを掴み、ちびちびと水を飲みながら、リベルはヴィレイアを観察する。
――彼女の鎖帷子も外套も、さほど真新しくもなければ古くもない。
「――あの、じっと見られると食べにくいんですが」
ヴィレイアが居心地悪そうにそう言って、リベルははっとして、「失礼」と呟き、煤けた天井を睨むことに専念した。
勇者組合が運航する、アッシュビット地方の鉱路行きの陸艇は、駅から出発する。
これは勇者組合が駅の使用料を払っているためだ。
乗り込んだ陸艇のホールでは、今のところは意気に満ち溢れている勇者たちの間を組合の職員が歩き回っている。
何も御用聞きで歩いているわけではなく――
「勇者?」
と、ひょろりと痩せた職員が、蟀谷をペンで掻きながらこちらにやって来た。
情けなくも一歩下がったリベルに代わり、ヴィレイアが頷く。
そして勇者の徽章を見せ、リベルにも同じようにするよう促した。
二人の徽章を確認して、職員は手許に抱えた紙の束に目を落とし、ふむと頷く。
そしてちらりと二人の両手を見た。
彼が不思議そうに瞬きする。
「――勇者隊なの、きみたち?」
「はい」
と、ヴィレイア。
職員が何を訝っているのかを察して、愛想笑いを浮かべる。
「組んだばかりで、指輪はまだ」
「なるほど」
周囲を見てみれば、大抵の勇者は利き手と逆の手の親指に、指輪を嵌めていることが分かる。
――どれも亜竜の鱗を加工したものだ。
同じ亜竜の身体から落ちた鱗には、意思を伝達する特性がある。
尤も、削られて加工された鱗では、声に出して明確に伝えようとする意思程度しか伝わらず、それも距離に限りがあるが、それでも、同じ隊の勇者どうしで意思の伝達が出来るのは便利だった。
そのため、指輪は高額で売られる――そして稀に、たまたま同じ亜竜から落ちた鱗から削り出された指輪を持つ隊どうしがかち合って、面倒事を引き起こす。
それもあり、自分たちで欠けさせた亜竜の鱗を使って指輪を仕立てるのは、一種の実力の顕示ともいえる名誉なことと見做されていた。
なるほど、と頷いた職員は、彼がここに立つ本懐を遂げようとしていた。
「じゃ、隊の保険への加入ね」
はい、と応じるリベルとヴィレイアの声は、じゃっかん暗い。
――出発間際に加入させられる、隊としての保険。
これは勇者隊としての等級ごとにかかる金額が違う。
――揃って四等勇者ともなれば、保険料はなかなかに高額であった。
しかし、探索中に欠け人となれば、それなりの見舞金が隊の生き残りに支払われるものでもある。
個人で入っている保険は、ではなんのためのものだという話になる。
――言うまでもない、あの保険は欠落税のための保険である。
――保険のための書類にサインを済ませた二人は、並んで陸艇の奥に進み、互いに相手をよく知らないがゆえの気まずさを感じながらも、小部屋の一つに落ち着いた。
ヴィレイアが気まずさを紛らわせるように鼻唄を歌いながら、手早く白百合の色の髪を後頭部で一つに纏めて、首に巻いていた黒いリボンを引っ張り上げ、前髪を額から上げた状態で留める。
それを見て、リベルは思わず呟いていた。
「地毛だったんだ……」
長髪は、言うまでもないが、探索において邪魔になる。
そのため、勇者は女性であっても髪を短く刈り込む者が多い――かつて一緒にいたアガサもそうだった――ほか、いっそのことと頭を丸刈りにしてしまって、日常においては鬘をつけて用を足す者も多い。
ヴィレイアは目を見開いた。
生命そのもののような濃緑の瞳。
露わになった白い額の下で、いっそう生き生きと煌めく大きな双眸。
「他のなんだと思ってたんですか」
「あ、いや、すみません……」
そこに別の勇者隊も入ってきて、更にリベルの感じる気まずさが倍増したとき、陸艇は不傷石の爆音と共に、ゆっくりと宙に浮かんだ。
上昇気流を捕まえて、陸艇がゆるやかな動きで旋回する。
――アッシュビット地方を目指して。




