08 選り好み
坑道の岩肌は黒々と濡れており、アーディス曰く、浮揚璧の含有率は高くない。
代わって不溶石を採取できたが、アーディスが首を傾げていたところから推して、この先で別の資源を採掘できれば、この不溶石は資源袋から放り出されるのだろう。
坑道は下へ下へと傾斜しながら、更に幾つもの蜘蛛の巣のような分岐を見せながら続いていく。
とはいえ、それらの分岐した坑道は、そう深く続かず行き止まりになっている様子だった。
アーディスは一定間隔でケルンを築きながら、この大きな坑道を進み続ける意思を表明した。
エルカが肘でリベルをつつき、振り返ったリベルに、ランタンで岩壁沿いの一点を示してみせる。
リベルがそちらに目を遣ると、そこには崩れかけたケルンがあった。
以前にここを通ったのだろう他の勇者隊の痕跡だ。
「このケルンがどこで途切れるか見ておけば、どこが危険なのか分かるぜ」
「途中で引き返したのかも知れないだろ」
「いや、余裕をもって引き返したならケルンは崩すだろ。次に自分たちがまた来たときにややこしくなるから」
「まあ、それもそうか……」
鉱路の情報は少ない。
危険度評価はされていても、例えば、「広大な湖あり注意」だとか、「燃える岩あり注意」だとか、「内部は迷路。注意」だとかといった、具体的な情報は流れない。
これは当然といえば当然で、勇者は何も慈善事業として勇者をしているわけではないのだ。
彼らの夢は一攫千金である。
ゆえに、他の全ての勇者は商売仇である。
商売仇に、金の生る木になる可能性もある、己が潜った鉱路の情報を渡したがる勇者はいないのだ。
唯一の例外が亜竜だった。
亜竜の目撃情報だけは共有され、亜竜に遭遇した他の勇者隊は、どの勇者も懸命になって助けに行く。
それだけ亜竜が危険だと分かっているからだ。
とはいえ、亜竜の目撃情報は共有され難い。
というのも、亜竜に遭遇した勇者隊の多くが全滅の憂き目を辿るからだ。
そういった勇者隊は、連れ帰ってくれる生者もなく、他の勇者隊に運よく発見されるまで鉱路を彷徨い歩く、欠落者の群れとなる運命を辿る。
濡れた坑道は延々と続く。
天井に当たる岩壁から、鍾乳石が垂れ下がっている。
何度かリベルの頭の上にも水滴が落ちてきた。
ごつごつした地面もしっとりと濡れており、リベルはヴィレイアが足を滑らせて転んだりしないものかと、注意の半分を彼女に割いておく羽目になった。
明りクラゲのランタンが振られる度に、岩壁の影が大仰に踊って見える。
そのうちに、退屈したのかヴィレイアが小さく鼻唄を歌い始めた。
リベルにとってもエルカにとってもいつものことだったが、アガサとラティはそれが気になる様子で、ちらちらとヴィレイアを窺っている。
何しろこの鉱路にあっては、些細な鼻唄ですら微かに反響して聞こえた。
ごつごつしていた足許の地面が、いつの間にか滑らかに均されていた。
水の流れる音が聞こえてくる。
季節によっては、あるいは雨の量によっては、この辺りまで浸水するのかも知れない。
水の流れが長年かけてこの地面の角を洗い流したのだ。
そのとき、リベルの視界に動くものが映った。
彼は低く口笛を吹いて周囲の注意を喚起した。
「おい、いるぞ――」
全員が、リベルの朱色の眼差しの先を見た。
五十フィートほど先に、細い水流があるようだった。
水流は左手前方、岩壁の下から流れ出し、視界を横断した上で、右手側のどことも知れない深みに流れ落ちている。
そしてその水辺を泳ぎ、あるいは身体の半ばを岩の上に這わせて、体長九フィートにも呼ぶだろう大蛇が数匹、思い思いに身体を伸ばしていた。
辺りがやや明るい。
ふと見上げると、頭上の鍾乳石の間に、ふわふわと数匹の明りクラゲが漂っていた。
その光が、大蛇の滑らかな鱗の色が黄褐色であることを、辛うじて人間の視界に伝えている。
ぴしゃん、とどこかで水が跳ねた。
リベルはそちらに目を凝らし、呟いた。
「蛙がいる」
「蛇と一緒に?」
エルカが囁き声で訊き返したそのとき、水音に気づいたらしい蛇の一匹が、するすると動き始めた。
そのときリベルは気づいた。
水辺に、原形を留めてこそいないものの、確かにあの芋虫の同種だろうと判断できる白い肉片が散乱している。既に腐敗し始めているものもある。
――何かに喰われて生涯を終えることだけは勘弁してほしい、とリベルは切に考えた。
捕食された竜の眷属は、終わることない苦痛に苛まれ続けると言われている。
「あの芋虫連中、元々はこの辺にいたのか」
リベルは呟き、目を細めた。
「蛙も元からここにいて、蛇は後から来たんだな」
アガサが顔を顰める。
「ってことは、この奥には、あの蛇をこっちまで追い遣った、もっと危ないものがいるってことね」
「いや、単純に、餌を喰い尽くして移動して来ただけかも」
「そうだったらいんだけど」
アガサが無愛想に呟く一方、エルカは怪訝そうにしている。
「芋虫は逃走したんだろ。蛙はなんでここに残ってる?」
「水辺じゃないと生きられないからか、あるいは――」
そのとき、激しい水飛沫が上がり、水音が響いた。
ばしゃばしゃと響いた音のあと、決死の抵抗空しく、蛙――これは握拳程度の大きさに見えた――が、蛇に丸呑みにされる様子が、乏しい明りの中で見えた。
蛇の舌は鮮やかな青色をしていて、地上で見る蛇のもののように二股に分かれたものではなく、襞を作ってひらひらと広がる形をしている。
対する蛙は黒く、身体中に赤い斑点模様がある。
それを見たエルカが眉を寄せる。
「あの蛙……」
直後、蛙を丸呑みにした大蛇が身悶えし始めた。
激しく身体を左右に揺らして痙攣し、周囲の仲間たちの冷ややかな目に見守られながら、間もなくしてぷかりと水流に浮かび、流されていく。
「毒持ちだ」
複数の声が重なる。
「だから逃げ出さなくて済んでるんだ」
蛇の数匹が、まるで話し声に気づいたようにこちらに紅い目を向けた。
しゅうしゅうと息を抜くような声を立て、水辺から這い上がり、こちらへ滑り寄ってくる大蛇たち。
竜の眷属というご馳走がこの場に迷い込んだことに気づいたのだ。
ヴィレイアが〈焔王牙〉を抜こうとする素振りを見せた。
だが、それよりも早くアガサが銃を抜いている。
リガーが彼女の背中に手を当てて、素早く囁いた。
その彼の耳許で、一目で透過視精の影だと分かる青白い蝶がひらひらと舞っている。
「――右手前二十フィート、そこから左奥に向かって四匹だ」
「暗いけど、ぼんやりだけど見えてるわ」
アガサが応じて、銃口の奥から不傷石が火を噴く閃きが漏れ出した。
坑道に反響する銃声が八度轟き渡り、的を外れた銃弾が岩場を抉る硬い音、蛇の頭蓋や臓物が砕け、散乱する鈍い音が響く。
アガサがすっと銃を下げ、透過視精で辺りを窺ったリガーが、「取り敢えずのところ、撃ち漏らしはなし」と報告する。
「さすが」とアガサを犒う声が上がる一方で、エルカがすたすたと歩を進めて水流に歩み寄っている。
先に進もう、という段になって、エルカが水辺でぐずぐずしているように見えたのか、アガサがぎゅっと眉を寄せた。
リベルが呼びかける。
「エルカ?」
エルカが水辺で屈み込んだ。
ランタンを彼が持っているため、その手許が見える。
ランタンをそばに置き、エルカが荷物から麻袋を取り出した。
それを広げて、彼は水辺に踏み込んだ。
ばしゃばしゃと水を跳ねさせながら、エルカが――
「――蛙?」
ヴィレイアがきょとんと呟く。
エルカは蛙を二匹ばかり捕まえたようだった。
それを麻袋に放り込み、麻袋の口をしっかりと縛ってから、ランタンを持ち上げ、いい笑顔でリベルのそばに戻ってくる。
水流に踏み込んだとはいえ、浅い水流に僅かに浸かっただけだろうから、靴の中までは濡れていないと見える。
「よう、お待たせ」
ヴィレイアは大きな濃緑の瞳をぱちくりと瞬かせている。
「蛙に用があったの?」
「毒があるっぽかったから」
「間違えて噛まれないようにしろよ」
リベルが注意して、二人を促した。
「ほら、行こう」
坑道は下へ下へと傾斜しながら更に続いた。
リベルが最も肝を冷やしたのは、とても道とは言えない崖――迫り出す岩を足場に、自力で飛び降りられるだけの段差を探し、下へ下へと降りなければならなかった――を下っている最中に、大型に分類されるだろう鉱路生物に行き当たったときだった。
その鉱路生物は崖の途中に身を潜めていて、脚が八本あるトカゲといったところだった。
動き出してみれば呆れるほど大きく、その舌が六フィートほど伸びるのを見たときには、リベルも「うわぁ」と声が出たものだった。
その上、その崖には小さな甲虫も這っており、エルカが割合に深刻な声で、「こういう派手な色のやつって、大抵毒持ってんだよな」と言い出したことで、状況はまさに三重苦の様相を呈した。
大型の鉱路生物のそばとあって、法術師は影契約を封じられている。
両手は岩壁にしがみ付くのに使っている状況。
そこへ至って、ヴィレイアが至って真面目な表情で、
「私が下まで飛び降りようか? そしたら距離も開くし、影契約が使えるようになって、浮揚精でみんなを運べると思うの」
と言い出した。
この一言こそがリベルの肝を冷やした。
ヴィレイアが今にも崖から手を離しそうだと思ったのだ。
そうなれば、どんなに運が良くとも地面に激突してどこかの骨を折るだろう――場合によってはそのまま一生涯に亘って動けなくなるだろう。
そして運が悪ければ、そのまま欠ける。
その恐怖、ヴィレイアが岩壁から手を離してしまうのではないかという恐怖で、リベルは一瞬我を忘れた。
そして気づくと、力任せと運頼みに近い動きで、八本脚のトカゲの真上に移動して、そのまま岩壁から手を離し、腰の〈氷王牢〉を抜き放ちながら、そのトカゲの上に飛び降りていた。
これには一斉に悲鳴が上がったが、落下途中でトカゲの突起だらけの背中に両膝でしがみ付いたリベルには、それは殆ど聞こえていなかった。
いつもと同じ、あの感覚だった――日頃の大人しさ、あるいは人見知りの自分、そういったものが、自分の後ろにぽつねんと置き去りにされているような感覚。
ここにいるのはもっと血気盛んな、征服欲に満ちた別のリベル――そんな風な。
背中に掛かった予期せぬ重みを嫌がって、八本脚のトカゲが暴れ狂う。
身体を捻り、激しく振って、リベルを払い落とそうとする。
振り落とされないようにするのがやっと、ぐるんぐるんと揺れるその背中で、リベルは両膝と左手でトカゲの背中に掴まり続ける。
滑らかなその鱗で手を滑らせそうになり、鱗で手を切るのも構わずに、巨大な鱗の奥へ手を這わせるようにしてしがみ付く。
そしてリベルは、右手に握り締めた〈氷王牢〉を、力の限りにトカゲの首の付け根に刺し込んでいた。
トカゲの全身の、激しい痙攣。
腹の底が浮き上がるような浮遊感。
次の瞬間、岩肌を大破させながら、巨大なトカゲが崖を滑り落ちようとしている。
これは崖の真下でトカゲの下敷きになって欠けるかも、という可能性がリベルの頭を掠めたそのとき、誰かに襟首を掴まれるような感覚があり、落下の速度が落ちた。
視界が回る。
岩壁とトカゲの死体の混乱。
岩壁に身体をしたたかにぶつけ、目から火花が散る。
痛みに呻く。
直後に誰かが右手から〈氷王牢〉を奪い取る――そしてやっと視界が安定する。
リベルは右手をしっかりと握られてぶら下げられていた。
彼の手を握り、諸共に岩壁からぶら下がっているのはエルカ――彼がリベルの手から〈氷王牢〉を取り上げて、咄嗟の判断でそれを岩壁に突き刺して手掛かりにしたのだ。
落下の速度が落ちたのは、エルカが咄嗟に魔法を使ってくれたからだろう。
ぶらり、と、両脚が空中で頼りなく揺れる。
高さを意識した途端、さあっと腹の中が冷えるような気分になったが、それも長くは続かなかった。
すぐさま、リガーが浮揚精を使う気配――邪魔になっていた鉱路生物が片付いたからこそだ。
足許が浮き上がり、不安定ながらも落下の危険が取り除かれる。
「――ふー、助かった」
リベルは思わずそう口走った。
瞬間、握られている右手に痛みが走るほど、エルカの手指に力が籠められる。
「考え無しに動きやがって、この馬鹿野郎」
崖の下に降りたあと、リベルは額に青筋を立てたエルカと、涙ながらのヴィレイアに、ある意味当然の結果ではあったが、散々に叱られた。
*◇*◇*
「そういえば今日、あんた、リベルの〈氷王牢〉を使ったよな?」
アーディスがそう言ったのは、その日の夜――無論、鉱路において昼夜は意味を失うから、時間経過を見て夜だと推定される時間のことだが――だった。
一同は安全を確認した鉱路の一画で野営の体勢に入っている。
明りクラゲのランタンと、暖を取るための大きめの懐炉――鉄の容器に不傷石を入れ、不傷石に刺激を与えて熱を発生させているもの――を囲んだ休息である。
ラティが甲斐甲斐しく全員に小さな毛布を配っている。
無論、鉱路で全員が一斉に休息するなど愚の骨頂だから、まずはアーディスの隊が見張りにつき、三時間経過後にリベルの隊が見張りを交代するという話が纏まっていた。
アガサたちにとってはこれはいつものことだから、準備も何もかも手慣れており、リベルもエルカもそれは同じだったが、ヴィレイアは今さらながら鉱路で夜を過ごすことを苦痛に感じているようだった。
当然ながら寝心地は悪く、食事は携行食で済ませるしかないのだから然もありなん。
リベルと探索をこなすときも、ヴィレイアは日帰りにこだわることが多かった。
補給線を引いての探索など論外。
ヴィレイアの、隠す気もない軟弱さに、アガサはそろそろ本気で苛立っているようだった。
話題を向けられたエルカは、「え?」と首を傾げる。
一方リベルは「蒸し返すなよ」と慌てた表情。
エルカがそんなリベルをちらりと見て、「ああ」と。
「ああ、あの崖でこの馬鹿が間抜けなことしたときのこと?」
「間抜けって言うなよ……」
と、リベルは小声で。
「俺がさっさとあのトカゲを片付けたから、誰も毒虫に刺されなかったんだろ」
「もっと上手いやり方を、あと十秒で誰かが思いついてたよ」
エルカは辛辣に言った。
「マジでおまえ、無茶するなよ。久々にひやっとしたから」
「ごめん……」
ちらっとヴィレイアを見ると、ヴィレイアもつらそうにリベルを見ている。
リベルの胸が痛んだ。
「――アーディスが蒸し返すから」
リベルが恨みを籠めてアーディスを睨むと、アーディスは肩を竦めた。
リガーが横から、「俺が助けてやったんだぜ」とふざけて言っている。
「すまんすまん。相変わらず鉱路に入ると人が変わるなぁと思って見てたよ、俺は。
――で、そこのエルカが、」
アーディスはエルカに視線を向けた。
「おまえの〈氷王牢〉を使っただろう。珍しいこともあるもんだと思ってな」
「そうなの?」
「ああ。そいつの〈氷王牢〉は、俺たちの誰も使えなかった。もちろん、ただぶん回すことなら出来るがな、そいつが使うみたいにはとてもとても」
エルカは陽気に笑ってみせた。
「さっきの俺もぶん回しただけじゃん」
リベルはちらっとエルカを見た。
――先日、鉱路でエルカと戦ったとき、エルカは咄嗟だったのだろうが〈氷王牢〉の鞘を手に取った。
そのときも変わらず、〈氷王牢〉の鞘は冷気を吐いていた。
――つまり、エルカは意識さえすれば〈氷王牢〉を扱うことが出来るのだ。
論より証拠、とばかりに、アーディスがちょいちょいと手で合図し、苦笑したリベルが腰から外してそばに置いていた〈氷王牢〉を彼に手渡してやる。
アーディスが鞘から〈氷王牢〉を半ば抜いたが、〈氷王牢〉はリベルの手の中にあるときのようには冷気を吐き出さず、それこそ死んだように沈黙を守った。
アーディスが笑って、ちん、と鞘の中に〈氷王牢〉を収める。
「ほらな? 俺も一等勇者のはずなんだけどな」
「私も駄目なのよね」
アガサがアーディスから〈氷王牢〉を受け取り、同じく鞘から少しだけ刀身を引き出したが、やはり〈氷王牢〉は冷気を少しも吐き出さなかった。
それを見るアガサの目は切なそうである。
「私の〈流閃花〉もこんな感じだったら、腹が立つ買い取りの話も来なくなるのに……」
「まあ、〈氷王牢〉の方が明らかに色々派手だしな」
リガーがのんびりと言うのを後目に、「〈流閃花〉って?」と興味を示した様子のエルカに、アガサが彼女の武器について説明している。
説明しながら、アガサはリベルに〈氷王牢〉を差し出した。
リベルがそれを手に取るや、途端に冷気を漂わせる〈氷王牢〉。
ふと思いつきで、リベルはそれをヴィレイアに差し出した。
ヴィレイアは早くも欠伸を漏らしていたが、差し出された〈氷王牢〉にきょとんと目を丸くしてから、両手でそれを受け取る。
〈氷王牢〉は沈黙した。
その瞬間のヴィレイアの気まずそうな眼差しの意味を、正確に汲んだのはリベルとエルカだけだった。
エルカが笑い出し、それを誤魔化すために咳き込んだ振りをする。
「どうやら俺の〈氷王牢〉は、ちゃんと努力する勇者かそうじゃないかを判別できるらしい」
リベルは笑い含みにヴィレイアの耳許でそう囁き、元特等勇者ヴィレイアは、顔を赤くして噴き出した。




