14 兄貴分
獅鷲が巣の中に籠もったままであったなら、どうだっただろう――ヴィレイアは思わずそう考える。
まず間違いなく、エルカという名前らしきリベルの相棒に、リベルとヴィレイア、二人がかりで挑むことになっていたはずだ。
そうなれば、さすがに腕利きといえど、抵抗には限度があっただろう。
ヴィレイアがリベルの相棒を救い出し、治癒精を奪還する大団円まで、然程の時間は掛からなかったはずだ。
(いや、私がやり遂げるつもりだったのに、もう既に半分はリベル自身の功績になっちゃいそうなんだけど……)
対して現実は。
獅鷲が巣から飛び出し、臨戦態勢を取る現実はどうなっているか。
まず第一に、治癒精を抱えた少女――彼女に警戒は要らないだろう。
どうやら竦み上がっている。
荒事には慣れていないらしく、すっかり怯えて小さくなっているだけだ。
そして、エルカ。
彼の狙いは明らかだ。
――影兵霊を扱う法術師がいる以上は、正面突破は難しいと、すぐさま判断を下したのだ。
ゆえに、リベルとヴィレイア二人を一度に相手取ることを避け、ほぼ間違いなく自分に向かってくるだろうリベルに、
(重傷を負わせた上で――)
――エルカと少女をこの場で見逃すことを条件にして、少女に治癒精の力を使わせるつもりだ。
「それが分かっている以上、あなたたちに時間を使うことは、あんまり出来ないのよ」
ヴィレイアはそう呟き、ごうごうと燃え盛る〈焔王牙〉を握り締めて、頭上を旋回する獅鷲の番を振り仰ぐ。
〈焔王牙〉が放つ揺らめく明かりが真下から獅鷲を照らし出し、丸天井状の岩肌に、ただでさえ巨大な獅鷲の影を輪をかけて大きく映し出している。
その二頭の獅鷲が、猛禽に似た声を上げ、紅い瞳の光を閃かせて、眼下へ急降下するために巨大な翼をはためかせた。
(リベルの邪魔はさせられない)
衛兵霊が獅鷲を迎撃するべく整列し――
――そのとき、足許が揺れた。
天然の大広間に、次々に氷柱が聳え立ち始めた。
*◇*◇*
リベルにとって、エルカは恩人である。
兄貴分である。
見たところ、エルカは特殊な武器は持っていない――手にしているのは、予備で所持していたらしき短銃、腰に提げているのはごく普通の剣。
対するリベルには〈氷王牢〉がある。
ある程度の実力の差ならば埋められるだけの鉱路由来の業物だが――
エルカは獅鷲の巣に発砲した後は身じろぎもしていない。
獅鷲から標的にされることを避けるべく、瞬発的に気配を殺したのだ。
視線を、頭上の獅鷲、この天然の大広間の入口付近で座り込む金髪の少女、ヴィレイア、そのそれぞれに均等に割きながら、絶えずリベルだけは見ていることが分かる。
その薄青い瞳。
「――おまえ、」
対するリベルは走る。
頭上の獅鷲にはヴィレイアが対処する、その信頼がある。
ゆえに獅鷲のことは意識から締め出し、大広間の奥に立つエルカに向かって、〈氷王牢〉を右手に疾駆する。
「おまえ、影兵霊の弱点知ってたの?」
リベルが、ただでさえ多方面に注意を割くエルカの注意を、更に割こうとして尋ねる。
エルカが、ふ、と笑う。
彼が動く。
短銃の黒々とした銃口が疾駆するリベルを向く。
「んなわけねぇじゃん」
事も無げに応じる兄貴分。
「ものの影から這い出してくる連中っぽかったから、おまえの視界を塞ぐついでに試しただけだ」
「――――」
リベルは苦笑する。
讃嘆の苦笑。
――この目利き、生来の戦闘センスの勘の良さに、何度救われてきたことか。
エルカの指が躊躇なく引き金を引く。
的が動くにも関わらず、狙いは正確。
――引き金を引くことに逡巡すれば、あるいは狙いを故意にずらせば、エルカはその瞬間に、〈言聞き〉への誓約に違反した罰を喰らうことになる。
それゆえ。
あるいは、エルカがリベルへ抱く、裏切りへの呵責ゆえ。
――おまえは一人でどっかに行ったり、欠けたりしないよな、……リベル。
リベルが逃げ出したあの日、あの時点では、エルカに誓約はなかった。
リベルが己の身に働く誓約に対処できた以上は、エルカを連れて逃げることも出来たはずだというのに、それをしなかった――振り返りもせずに姿を消した――その裏切り。
リベルは目の前の地面に飛び込むようにして前転、危ういところで銃弾を避け、頭上で髪が数本、弾け飛ぶように切れる衝撃を感じつつ、
「――〈氷王牢〉」
天然の大広間が震える。
〈氷王牢〉の黒い刀身に霜が降りる。
そして、林立する氷柱が、凄まじい勢いで天然の大広間の半ばを埋め、リベルからエルカに達する位置までを埋め尽くした。
一本一本の氷柱が、大の男が腕で抱えようとしてなお余りある直径を持っている。
辺りの空気が冷えていく。
立ち並ぶ氷柱から真っ白に漂う冷気が、背後のどこかに立つヴィレイアが持つ〈焔王牙〉の暖色の明かりに照らし出され、いっそう白々と映えて見える。
獅鷲の憤怒の絶叫――彼らの巣が、突き立った氷柱に見事に串刺しにされ、引き裂かれたのだ。
エルカは、眼前に突き立った氷柱を飛び退って避け、そして同時に、獅鷲を警戒するように顔を上げた。
だが、リベルは違う。
獅鷲が如何にいきり立とうとも、ヴィレイアがそれを完封できる実力を持つことを知っている。
いつぞやの〈鉱路洪水〉のときとは違う――今のヴィレイアは実力を存分に発揮できるのだから。
ゆえに、前へ。
飛ぶように前へ。
エルカが左側へ飛び退る。
リベルは目を細めた――集中。
ごきっ! と、重々しい音。
氷柱の一本が根本からへし折られ、エルカに向かってゆっくりと倒れていく――言うまでもないが、その氷柱を折るに値するだけの事象はリベルの心袋に放り込まれている。
エルカが倒れる氷柱から身を躱す。
大広間を震わせて倒れる氷柱――金髪の少女の悲鳴が聞こえる。
背後からは、獅鷲の悲鳴じみた絶叫が聞こえている。
視界は従前よりいっそう明るく、そしてそこに煙が渦巻きつつある。鼻につく、苦い焦げ臭さが辺りに漂っている。
こうまで騒ぎが大きくなれば、遅かれ早かれ他の鉱路生物や、あるいは他の勇者隊がここに辿り着くかも知れないが、今はそれを気にしている余裕もなかった。
更に二本、氷柱をへし折る。
たっ、たっ、と、まるで疲労を感じさせない足取りでエルカがそれを避け、更にリベルが内心でぎょっとしたことに、
「よっ」
倒れた氷柱の上に、素早い動きでエルカが攀じ登った。
彼も、〈氷王牢〉が業物だということは見て察しているだろう――間近でリベルと鍔競り合うことは避けようとしているのだ。
だが、リベルとしては、エルカをそばに捕らえたい。
リベルが〈氷王牢〉を振った。
エルカの頭上に、直径にして一フィート程度の氷塊が生成される。
生成されるや否や、重力に従って氷塊はエルカの頭目がけて落下し――
ぱきんっ! と、甲高い音。
氷塊が的を捉え損ね、真下の氷柱にぶつかって、氷柱に罅を入れると共に砕け散ったのだ。
エルカは素早い動きでその場から飛び上がり、
「――マジ?」
短銃をがっきと口に咥え、両手を自由にしたエルカが、頭上から垂れ下がる透き通った蔦の一本にしがみ付いている。
垂れ下がるといっても地面から蔦まではかなりの距離がある――それを、リベルが生成した氷柱を足場に利用して、手を届かせたことになる。
そして常人ならざる膂力を発揮して、腕の力だけで身体を持ち上げ、弧を描いて撓る蔦の上に足を掛けてみせる。
リベルはすぐさま、自分もその高さまで昇ろうと、
「――リベル」
加えていた短銃を握り直し、それを腰帯へ押し込んだエルカが微笑んだ表情が、ヴィレイアの〈焔王牙〉の明かりの中ではっきりと見えた。
「らしくないミスするじゃん。
――今の相棒を信じちゃってるんだな。おまえが獅鷲から目ぇ離すなんて」
一瞬、リベルは硬直した。
同瞬、エルカが腰の剣を抜く。
――既に血糊に塗れ、刃毀れしつつある鋼の剣だ。
エルカが透き通った蔦の上、ぐらつくその足場で、驚異的な平衡感覚を発揮して立ち上がる。
全て一瞬の出来事。
彼が狙い澄ましてそこから飛び降りる。
リベルからすれば、その瞬間になぜか視界が翳ったように感じた、それのみ。
「――リベル!」
ヴィレイアの悲鳴。
直後、獅鷲の絶叫。
蔦を撓らせて空中に飛び出したエルカが、翼をはためかせる獅鷲の背中に飛び移っていた。
そして間髪入れず、鳶色の羽毛の奥へ鋼の剣を刺し込んでいる。
痛みに叫び、堪らず落下しようとする獅鷲。
エルカが、超人じみた身のこなしでその背中を蹴り飛ばす。
左手で垂れ下がる蔦を掴み、ぶらり、とその場で足を揺らす彼。
右手は空になっている――さすがに、獅鷲の筋肉と骨を噛んだ剣を引き抜くことは出来なかったのだ。
そして獅鷲は。
落下の勢いに加え、背中を勢い任せに蹴り飛ばされた異形の鉱路の化け物は。
――地響きとともに、六百ポンドに及ぶその巨躯が、リベルの上に落下した。
*◇*◇*
「――リベル!!」
ヴィレイアが叫んだのは、まさにもう一頭の獅鷲が燃え尽きつつある、その死骸のそばだった。
〈焔王牙〉で串刺しにされた獅鷲が、羽根を縮らせ苦悶の絶叫も尽きて、天然の大広間に煙を充満させながら灰になろうとしている。
一等勇者であっても、獅鷲を単独撃破できる者は非常に少ない。
まさにヴィレイアの実力が、今なお特等のものであることを示す、本来ならば華々しい勝利のはずだったが――
――まさかもう一頭の獅鷲を、傷ついて弱っていることをいいことに、エルカが文字通りの投擲具として利用するとは。
「リベル!!」
叫んでそちらに走り寄ろうとする。
だがそれよりも、蔦を掴んでいたエルカが、すたり、とその場に着地する方が早かった。
エルカが腰帯から短銃を引き抜き、ヴィレイアではなく金髪の少女に向ける。
――ヴィレイアは、絶対に金髪の少女を――治癒精を人質として抱える少女を――欠けさせるわけにはいかない立場だ。
ゆえに少女に銃を向けて脅している。
同時に彼が、獅鷲が間違いなくリベルを押し潰したことを確認しようとするように、そちらへちらりと視線を向けた。
エルカの無骨な靴底が、ひしゃげた獅鷲の方へ動き、ざりり、と地面を擦る音がして――
ぐら、と、ひしゃげた獅鷲の身体が揺れた。
「――――!」
獅鷲は竜の眷属ではない――死を迎えることの出来る生物だ。
ゆえに、獅鷲にまだ息があったか、あるいは――
エルカが、少女に向けていた短銃を獅鷲に向けた。
だが僅かに遅い、既に獅鷲の陰から、かつてはダイアニの町で最強と謳われた〈錆びた氷〉が、稲妻のように飛び出している。
彼は徒手になっていた。
鋼では及びもつかない強度を誇る〈氷王牢〉を、咄嗟に六百ポンドの重みを受け止める支え棒にしていたのだ。
だが、殆ど超人じみた動きで獅鷲の陰から飛び出したその一瞬に、リベルは獅鷲の背中に突き立っていたエルカの剣の柄を掴んで、引き抜いている。
獅鷲の背中から噴水のように噴き出す血飛沫が、リベルの胸をべっとりと濡らす。
――リベルが走る。
ヴィレイアが目を見開いたのは、リベルがいつ、その剣がそこにあることを把握したのかと訝ったがゆえだ。
エルカが獅鷲に剣を突き刺したのは、リベルからすれば視界の外にあったときのことのはず。
恐るべき状況把握力、そしてそれこそ、魔法以外の才能には恵まれないリベルが、一時は特等勇者にまで昇り詰めることが出来た理由の一つ――
エルカは全く動じていない。
狙い澄まして短銃の引き金を引く。
銃声が三発分。
うち一発が、狙いを逸らすためにジグザグの軌跡で走るリベルの頬を掠め、ぱっと血が飛ぶ。
一足飛びにエルカとの距離を詰めたリベルが、その頬以外は無傷であるかのかどうか、それはヴィレイアには判断できない。
そもそもリベルの全身はここに至るまでに鉱路生物の返り血に塗れていて、しかも獅鷲の巨躯に押し潰された後なのだ。
リベルが振るった剣を、エルカが咄嗟に短銃の銃身で受け止める。
ぎん! と響く不吉な衝撃音。
鍔競り合い――だが長くは続かない。
一瞬後にはエルカが発砲――間近で響いた大音響と、そして瞼を掠めんばかりの距離を撫でた銃弾に、リベルが微かに頭を傾ける。
だがそれだけ――普通ならば警戒して距離を取るだろうに、リベルは断固として距離を開けず、いっそう刀身に体重を掛け、
「――っ」
ぎり、と短銃を持つエルカが押されたその瞬間、エルカは自ら短銃を手放した。
ふっ、と上半身から力を抜くようにリベルを受け流し、勢い余って泳ぐリベルの上体を避けるように軽く伏せて、
「――エルカ、」
リベルの低く呻くような声。
エルカが、リベルの左の腰から、〈氷王牢〉の鞘を捥ぎ取る。
黒々とした鞘は、氷王の肋骨から鍛えられたものだ。
〈氷王牢〉と同等の強度を誇り、〈氷王牢〉同様、生半な者には扱えないはずだが、エルカの手の中にあってなお、〈氷王牢〉の鞘は白々と冷気を吐き出した。
刹那、リベルは微笑む。
――もちろん分かっている。
リベルに扱えるものならばエルカにも扱えるのだ。
エルカはリベルの兄貴分、恩人、才覚においてリベルの上をいくことは分かり切っている。
そのときになってようやく、エルカが手放した短銃が、鉱路の地面に落ちて弾んでいる。
全てはそれほど一瞬のうちに起きている。
エルカが、無表情のまま〈氷王牢〉の鞘を振る。
その堅固な獲物が、リベルが手にするエルカの鋼の剣の刀身を砕き、鋼の欠片が眼前で乱舞する、その一瞬。
「らしくないミスするじゃん」
先ほどの意趣返しのように、リベルは囁く。
乱舞した鋼の破片が手の甲を切る痛み。
エルカの薄青い瞳が、束の間大きく見開かれ、
「――二対一だってこと、忘れたの?」
そのとき、遂に大量の影兵霊が、背後からエルカに組み付き、亡霊じみた腕で拘束し、その頸に影の剣を突きつけていた。




