05 過去の幻影
欠落税:ケセルク共和国において課される税。
人が欠けるにあたり、かかる人間の没後の保管場所手配に係って発生する税。
なお、欠け人の身体は国家に帰属し国家のものである。
欠落税は没年に応じて課税され、平均は五百オレガ程度。
納税義務者は一に親族、二に所属組合。
欠落税について節制を図ろうとするならば、(一)親族ならば適当な組合に当該人間を売り払い、姓を秘匿するよう言い含める。これにて徴税官は組合に向かう。
(二)〈言聞き〉を介して予後決定を行う。予後決定を行った場合、本来のいわゆる寿命との差が発生していると想定されるため、その差について対価を受け取ることが出来る。
――――――――――
旧王朝の宮殿を乗っ取った議事堂の、隣に位置する図書館は、当然ながら旧王朝時代には、その宮殿に属していたものである。
反乱の戦火に焼かれるところを、一部の教養ある軍人が守り切り、今も知恵のための知識を後世に伝え続けている。
黄金と白亜が組み合わせられた、粛然たる威容で広がる大きな建物。
白大理石の柱廊玄関をくぐって中に入れば、吹き抜けのホール。
ホールの床は白瑪瑙、左右には書架が連なる内部への通路が開き、ホールには謹厳とした佇まいの軍人たちが、見張りの意味で立っている。
――衛卒ではなく、軍人だ。
暴力を公然と揮う衛卒をここに入れないのは、今の権力者の矜持か、それともそれを進言する者があってか。
書架の間は薄暗く、書物が劣化しないよう、明かりには光晶ではなく明りクラゲが使われている。
人がここに立ち入った場合にだけその周囲を照らすようにという意図だ。
書架の間をふわふわと漂う小さなクラゲが、絨毯を踏む竜の眷属の生命を感じ取ったときのみ、さあっと淡く白く輝く。
対して閲覧室には燦々と陽が射し込んでいる。
大きな硝子張りの窓が開いているのみならず、重厚な長机と椅子を照らすシャンデリアにも、光晶がふんだんに使われている。閲覧室の床は磨き抜かれた黒瑪瑙、明かりを反射するその床が、曖昧な金色に光っている。
ヴィレイアは書架の間をうろうろと歩き回り、閲覧室を通り抜けてまた別の区画を歩き回る。
しばらくそうして彷徨っていると、見かねたのか図書館史官と思しき男性が足音もなく歩み寄ってきて、「出て行くか、用件を言うか」とヴィレイアに迫った。
ヴィレイアはほっとした。
ただただ書架の間を歩き回っているなど時間の無駄だ。
彼女が最も嫌うことだ。
「ラディス傭兵団ってどんな人たちなのか知りたくて」
男性は眉を寄せる。
筒袖の制服を着た彼は、気難しそうに腕を組む。
「一傭兵団について纏めた書物などはない。過去に軍部と衝突した記録ならあるが、それを閲覧する権限は――」
ヴィレイアは無言で、バンクレットから預かった襟章を掲げた。
ひゅう、と音を立てずに息を吸い、史官は速やかに彼女を案内し始める。
「軍部の記録は施錠箇所にあるので、こちらへ。
資料を読むのでも構わないし――」
す、と、彼はヴィレイアを見下ろし、首を傾げた。
「――それともきみは法術師だろうか。時精との影契約は結んでいる?」
結んではいなかったが、結ぶのは容易い。
ヴィレイアはこくりと頷いた。
治癒精は力の強い精霊だ――起こす事象が明瞭なのでそう知られている。
一方の時精は力弱い精霊だと言われることが多い。
――時間の流れの影に、精霊が身を潜める場所は僅かしかないらしい。
時精の恩恵は、正確に時を告げること。
あるいは刹那の閃きじみて、数秒先の未来を、不安定に掠めるように窺うこと。
そして、物から過去を窺うこと。
とはいえ無制限に過去を窺うことの出来る恩恵ではなく、その物に宿る思念としか言いようのないもの、それが桁外れに強いものから、その思念の所以となった数秒間を、微かに窺い知ることが出来るだけ――という、極めて使いどころのない恩恵。
思念とは即ち、竜の眷属が覚える強い感情。
時間に漣を起こし、そばにあるものにその瞬間を焼きつけるほどの、強い情動。
ゆえに時精の恩恵で窺い知ることの出来る瞬間は、誰かの欠け際となることが多く――
――これもそうだった。
軍部の資料が揃った、天井の低い、狭い幾つもの区画に分けられた部屋の一つ。
ぐるりを資料を収めた書架に囲まれたテーブルに、時精を使えば資料として利用可能だと判断された物たちが、ずらりと並べられている。
ページが破れ、血が滲んだ手帳。
中の不傷石が暴発したのか、罅の入った短銃。
毀れた剣。
ずたずたになって赤黒い染みのついた、片方だけの軍靴。
鎖の千切れたロケット。
それらの上に硝子の覆いがかぶせられている。
ヴィレイアは興味深くそれらを眺め、それから周囲に誰もいないことを確認した。
案内をしてくれた史官も、一人になりたいと言えばそうしてくれた。
襟章さまさま、と、ヴィレイアは口の中で呟いて一つ頷き、左手の人差し指を立てる。
――小さく咳払い。
時精と契約を結ぼうとして、ふと思案。
悪戯心と疑わしさが半々のような気持ちになって、呟く。
「――契約、影、治癒精」
――応えはない。
ヴィレイアの、万人に一人の極上の法気にさえ、治癒精が反応しない。
これは、治癒精が盗まれたのは本当だな、と顔を顰め、「世の中の人は大変だろうな」と他人事として考えてから、ヴィレイアはもう一度左手の人差し指を振った。
「契約、影、時精」
それだけで契約が結ばれる。
精神に聞こえる、凛とした明瞭な鈴の音。
――退屈は嫌い。
時間の無駄は嫌い。
他人に時間を割くのも嫌い。
楽しいことだけをして、美味しいものを食べて、稼げるだけ稼いでその放蕩に擲つ金を得て――そうやって生きていきたい。
そう思っているヴィレイアだったが、さて、この行動には他人のための好奇心が入っている。
(だって仕方ないわよね、幸運の勇者さまだもの)
内心でそう呟いて、ヴィレイアは契約した時精に囁く。
「――さて、覗き見できる過去はあるかしら」
――不傷石の銃が火を噴く轟音。
敵味方が入り乱れた戦場――夕焼けに燃える空が見える。
ということはここは鉱路ではない。
原野の中を貫く舗道に、横転した陸舟が黒々とした影を落とし、夕陽が色彩を削ぐ血溜まりが点々と広がっている。
そして黒く蟠る、横転し、あるいは蹲るように頽れた人影が多数――
銃声。
喚声。
時精が見せる記憶の、最も近くにいる人間――つまりはこの、血濡れた軍靴を履いていたのだろう彼の呼吸が荒い。
構え直される小銃。
その銃口も安定しない。
恐らく、このとき既に彼は重傷を負っていたのだ。
倒れていく味方。
陸舟を死守しようとした味方が蜂の巣にされて欠けていく。
欠け人となった人間たちが、しばらくは衝撃でそのまま横たわり、そしてすぐにまた、どこか現実感のない動きで立ち上がり始める、阿鼻叫喚のその戦場。
――『どうして奴らにこの資源運搬が知れた?』
――『分かりませんが、奴らは鼻が利く』
――『ラディスのクソったれ傭兵団』
そんな悪罵の声が聞こえ――
そばにいた味方が倒れていく。
乱射される銃の中で不傷石が弾ける音。
夕陽に浮かぶ敵の輪郭。
左手の短銃が幾度も火を噴き、正確な照準でこちらの味方を欠けさせていく。
だが不傷石が限界に達したのか、がち、と重い音とともに引き金が詰まり、舌打ちしてその人影が短銃を放り投げる。
剣が抜かれる。
右手に剣を握って、軽やかに――いや、そう言っては語弊がある、異様なほどに素早くしなやかに、距離を詰めてくるその人影。
近付いてみればまだ幼い。
年齢はまだ十二かそこらだ。
――だというのに。
乱射される銃にも怯まず、無表情に淡々と、恬淡と欠け人の間を踏むその足取り。
弾丸を剣で弾き、あるいは魔法で逸らす、その異常なまでの目の良さと瞬発力。
そしてあっと言う間に眼前にいる。
――息も弾ませず、罪悪感も何もなく、倫理に欠け技量に富む悪役が浮かべるような退屈や面倒ささえ欠片もなく、むしろ懸命に、慎重でさえある表情で。
剣が振り下ろされる。
血がしぶいてその子供の髪に降り掛かり、半顔を真っ赤に染める。
――如何に幼かろうと、ヴィレイアも見違えることはない、その特徴的な。
赤錆色の髪と、夕陽の如き朱色の双眸。
「うわお」
ヴィレイアは呟いた。幾度か。「うわお」
――勇者になる人間は、無論勇者というものに夢を見て、それを叶えて勇者組合に足を踏み入れる者もいるにはいるが、圧倒的に多数を占めるのは、他に選択肢がなかった人間だ。
そして更に、「他に選択肢がなかった」というのも、「天涯孤独で旅券もなく、他に行き場所がなかった」という者と、「後ろ暗い過去があり、他に行き場がなかった」という者に分けられる。
はたしてリベルは後者だったわけである。
リベルがどういった経緯で傭兵団に入ったのかは知りようもなく、なぜ今はその傭兵団に所属していないのかということも全く謎だが、
「……いいお話じゃなさそう」
ラディス傭兵団が関わっていると知った途端に、エーデルへとんぼ返りをしようと決意するくらいには。
更に言えば、
「――もしかして、特等を辞めたのも関係あるのかな」
*◇*◇*
外が騒がしくなった。
怯えた顔を見せる少女に、エルカは欠伸混じりに「座ってて」と言い渡す。
「こっちがやられてあんたが見つかるにせよ、そのときあんたは出来るだけ無害に、抵抗しないように見えた方がいいし――」
恐る恐る硬い椅子に腰を落ち着け直す少女に、エルカは微笑みかけた。
「――俺たちがあんたを守り切るなら、立ってるだけ無駄だしね」




