06 腕利きの相棒といえば
ヴィレイアは贅沢を愛し、奢侈に耽溺したいと常々思っている。
その彼女をして十分に満足する待遇が与えられ、ヴィレイアは広い湯殿で遊んだあとに、ふかふかの寝台で夜を越すことを許された。
目を覚まし、鼻唄を歌いながら身支度。
華奢で大きな鏡台について、寝癖にほつれた白百合の色の長い髪を解かしたところで、高価な髪油の瓶が置かれているのを目敏く発見。
「貸し出された部屋にあるものは使っていいのでは」と自分本位に解釈して、良い香りの油で髪を整える。
名残惜しさに唸り声を上げながら、滑らかな絹の寝間着を脱ぎ、いつもの格好に着替える。
そうして〈焔王牙〉を身に帯びたところで、ノックもなく、広い部屋の扉が開け放たれた。
一歩間違えれば着替えの最中に扉が開け放たれることになっていたわけだが、ヴィレイアにその感覚はなかった。
朝ごはんかしら、と、暢気に扉を振り返ったヴィレイアの視線の先にいたのは、この上なく険しい表情をしたバンクレット。
「すぐに来てくれ」
暇な時間は終わったらしいと察して、ヴィレイアは溜息を堪えて頷いた。
「了解」
ヴィレイアはてっきり、件の――治癒精を盗んだ――法術師が、遂に捕らえられたのだと思っていた。
ヴァフェルム麾下の戦力が、ショーズ商会の拠点の幾つかに向かったということは昨日に聞かされていたことであり、その作戦実行がいつになるかは聞かされていなかったものの、それが今日であっても不思議はないからだ。
が、バンクレットに連れられた先、昨日リベルと共に最初に通された、ヴァフェルムの執務室と思しき豪奢な部屋の雰囲気は、どうにもヴィレイアの予想と相違していた。
ヴァフェルムの他にも数人の、明らかに地位も身分もあるだろうと分かる身形の者たちがいる。
ヴィレイアが数えてみると六人――男性四人に女性が二人――、彼らは一様に難しい顔をしていた。
バンクレットに連れられてヴィレイアが部屋に顔を出すと、その六人とヴァフェルムは、それまで話していただろうことを打ち止めて、一斉にヴィレイアの方へ視線を向けた。
ヴィレイアは肩を竦めてバンクレットを見上げ、「連れて来られただけです」とアピールした。
それから、出来る限り無邪気を装って尋ねた。
「……何があったんですか?」
六人が、今度は一斉にヴァフェルムを振り返った。
執務机の向こうに疲れた様子で座り、尖塔の形に組み合わせた指に額を凭せ掛けているヴァフェルムが、草臥れた溜息を洩らした。
「話しなさい。彼女が我々に強力してくれる法術師だ」
それを受けて、六人のうち一人、四十半ばほどと見える女性が口を開いた。
鮮やかな金色の髪を乱れ一つなく撫でつけて髷にしており、年齢を思わせない美しく整った容貌。
深刻そうな表情を浮かべてはいるものの、どことなく冷ややかな様子も窺わせる。
「――ショーズ商会の拠点のうち、本件への関わりが深いと思われる六拠点に、ヴァフェルム閣下の部隊が向かいました。調査開始は昨日深夜を予定しており、」
(調査開始?)
ヴィレイアは笑いそうになるのを堪え、唇を噛んだ。
(正しくは襲撃開始でしょうに)
「予定通りに開始されました。――が、今のところ有益な調査結果の報告はなく、」
ここで、女性は小さく溜息。眉間に皺を寄せて続ける。
「一箇所――ロークヴェルの拠点に向かった部隊が、全滅したようです」
「他拠点では調査への協力が得られましたが、成果はなし」
三十半ばとみられる、黒い短髪を整えた長身の男性が続ける。
つまり、他拠点は制圧したものの、制圧に見合う証拠の発見には至っていないということだ。
ヴィレイアがぼんやりした表情を浮かべているので、バンクレットが身を屈めて、彼女の耳許に囁いた。
「ショーズ商会に多少強引に調査に入ったとしても、物証が挙がればヴァフェルムさまの大義が認められる。ただ、証拠がなかったとなると――フィアオーゼ議員が黙ってはおるまい。
――まずい事態だ」
念押しするように最後の言葉をつけ加えられたのだが、ヴィレイアは思わず半眼になる。
「ジョーゼル小父さま。私は別に、ヴァフェルムさんと一蓮托生というわけではないですよ」
ヴィレイアもさすがに声を潜めたので、この言葉はバンクレットにしか届かなかった。
「ロークヴェルの拠点に向かった部隊で、生存者は後方支援部隊の者三名。ラディス傭兵団は、ご丁寧にも法術師は皆殺しにして、ロークヴェルの拠点を脱出したようです。ショーズ商会はロークヴェルの拠点について、こちらに損害賠償を求めるでしょう。
――生存者が最寄りの組合の法術師に助けを求めて、透過視精を使ってこちらに事態を知らせたのが、つい先ほど」
連れて来られたからには何か言わねばならないと思い、ヴィレイアは口を開いた。
「ロークヴェルの拠点だけ、商会側の傭兵さんが沢山いたってことですか?」
金髪の女性が、ちらりとヴィレイアを見て、絶妙なやり方で鼻から息を抜いた。
「いいえ」
「では腕利きの人がいたんですね。――その人が件の、傭兵団に買い取られちゃったっていう法術師さんを守っているんでしょうね?」
自明のことを確認したヴィレイアに頷き、バンクレットがやや早口で。
「きみを呼んだのはそのためだ。我々は件の法術師を見失った。――きみほどの法術師を我々は擁していない。そこで訊きたい、相手の術師と相対しなければ、治癒精の奪還は不可能か?」
「そりゃあ」
ヴィレイアは応じて、可憐な眉を顰める。
「同じ精霊を取り合うのであれば、現在契約中の法術師と面と向かわないと駄目ですね。諭示行為の時間も必要です」
気づまりな沈黙。
六人が一斉に顔を見合わせ、バンクレットが困惑した様子でヴァフェルムを見つめる。
ヴァフェルムは溜息を吐いて、立ち上がった。
「閣下?」
「最悪の場合を想定して動く。フィアオーゼと商人組合に対抗できるように。
――おまえたちは事態が最悪に至らないように動いてくれ。私の地位の堅守は二の次――治癒精奪還を第一にするように。負傷した兵士たちを安静にさせろ。治癒精が戻るまで治療が出来ない。命を落とすことだけはなんとしても避けろ」
それだけを告げて、ヴァフェルムが足早に執務室の外へ出ていく。
それを見送った七人が、今度は一斉にヴィレイアを見た。
――この挙動は責められたものではなく、法術への理解をいえばヴィレイアが先頭に立つためだった。
ヴィレイアは大きな濃緑の瞳を瞬かせ、目を泳がせたあと、手を打った。
「そんなに腕利きの人なら、同じくらい腕の立つ人と組んでたはずですよね。
――手掛かりになるかは分かりませんが」
は? と漏れる小さな声を無視して、ヴィレイアは右手の親指に嵌めた指輪を口許に近付け、軽く口づけした。
そして指輪に唇を寄せたまま、囁く。
「――おはよう、リベル。聞こえる?」
亜竜の鱗が媒介するささやかな意思を通じて、対の指輪に声が伝わったはずだった。
数秒の間があって、向こう側から、微かな笑い声が聞こえてきた。
聞こえたといっても耳にではない――指の骨を伝って意識に直接響くような、その声。
『――なに』
向こう側で、リベルがいつもの、穏やかでいながら面倒そうな、少しばかりの警戒を滲ませたような、そんな声を出していた。
『なに。おまえ、もう寂しくなったの?』
ヴィレイアは肩を竦め、こちらを注視する七人に背を向けて、扉の方を向いた。
「そんなところよ。会いたいんだけど、どこかで会える?
陸艇がなくて、まだヘルヴィリーにいるんでしょ?」
笑いながら溜息を吐く気配。
『いるよ。――分かった』
*◇*◇*
リベルはヘルヴィリーの商店街区にいた。
高級店ももちろん軒を連ねてはいるが、ここは勇者たちも屯するような価格帯の食堂や、エーデルで見るものよりは上品な佇まいの露店も並んでいる。
街区の象徴となっているのが、天高く屹立する対の塔――鐘楼で、二百フィートの高さがある塔は煉瓦と大理石で造られており、塔に架け渡された広い橋の上を風が吹き渡る。
この橋の上からはヘルヴィリーを広く見渡すことができ、北を向けば視界を横断するイリズ河とルヴル湖の青い煌めきが見える。
澄んだ秋空と彼方に見える青い色合いは、それだけで一幅の絵画のような眺めだった。
リベルはちょうどその橋の上のベンチに腰掛けて、退屈そうに北を向いていた。
橋の上とはいえ、物見遊山の人出がないわけではなく、そばを人が通る度に人見知りを発揮して俯いている。
やっとのことで塔の螺旋階段を昇り切り、橋を半ば渡り、秋に傾きつつある陽射しの中に赤錆色の髪を見つけたヴィレイアは、声を上げて手を振った。
「――リベル!」
リベルが顔を上げ、こちらを向く。
そして眩しげに目を細めて手を振り返した。
駆け寄ってきたヴィレイアを、ベンチから立ち上がらないままに呆れたように見遣って、微笑む。
「治癒精の問題は片付いたの?」
「もう、ぜんぜん」
あっけらかんとそう言って、ヴィレイアはリベルの左側に腰掛けた。
リベルはますます呆れた様子で笑っている。
「馬鹿なの? じゃあなんで俺に会いに来るんだよ。本当に寂しくなったとかじゃないんだろ?」
ヴィレイアは弾んだ呼吸を整えてから、リベルに笑顔を向けた。
「あなたが何か知らないかと思って」
「俺は法術師じゃないよ。知ってるだろ?」
「それは知ってるんだけど、それとは別で」
そう言って、ヴィレイアはリベルの朱色の瞳を覗き込んだ。
「ラディス傭兵団の腕利きさんが、私たちが捜してる法術師をどこかに連れて行っちゃったみたいなの。
――その腕利きさんについて、あなたなら何か知ってるんじゃないかと思って」
リベルは微笑んだままだった。
少し首を傾げる。
「なんで俺に訊く?」
「時精と契約すると、図書館の資料から過去のことが分かったりするのよ」
ヴィレイアは言って、リベルの表情から笑みが剥がれ落ちるのを目の当たりにした。
「だから、あなたが過去に傭兵団にいたことは知ってるの。
――それで、あなたが知ってるうちで一番の腕利きは誰だったんだろう、その人はこういうとき、どこかに逃げ込める場所を持ってるのかしら、って、それを訊きに来たのよ」




