11 私の幸運の勇者さま
〈フィード〉に文字が躍っている。
『フロレアにて、先の〈鉱路洪水〉の生き残り、亜竜が出現。
欠落者なし。
ダイアニの特等勇者が対処に当たる。
亜竜を単騎で討ち取る驚異の英雄的行為。
フロレアの元特等勇者(現在はエーデルの四等勇者)、負傷者の救護と避難に当たる。
亜竜は解体され、頭部は東へ、右前肢は西へ――』
リベルはそれを注意深く読み、満足の吐息を漏らした。
『ダイアニの特等勇者』。よろしい。
この情報が、伝わってはならない特定の連中に伝わったとしても、連中が把握する情報はダイアニで途切れるわけだ。
それから彼は、〈フィード〉に張り出されている鉱路の情報を目でなぞっていく。
――どれも余裕。
預託金を入れれば三等勇者に上がれる身分、気は楽である。
とはいえ、彼はまだ四等勇者のままだ。
あの亜竜騒動から七日目。
沸騰したような騒ぎになったフロレアから戻ってきて三日目。
既にエーデルの勇者としての最初の探索の成果の換金も終えてはいたが、なんとなくまだ四等のままでいる。
リベルの印象に残ったのは、ヴィレイアから溢れ出る安堵への祝福のためか、あるいは彼女の整った美貌のゆえか、換金の際に勇者組合の職員がヴィレイアに砂糖菓子を恵んでいたことだった。
とはいえ菓子を渡されたヴィレイアは眦を下げ、有難迷惑といった風情で「大丈夫ですから」と言っていたのだが。
――処は、エーデルの勇者組合。
行き交う勇者たちも、ここにいるのが〈フィード〉に張り出されている「ダイアニの特等勇者」だとは思わない様子で、リベルに注目する者は誰もいない。
それを心地よく感じつつ、リベルは食堂へ足を向けた。
起き出してから、彼の貯蓄からすれば浪費しても良い程度の金額をかけた気の迷いの依頼の産物を取りに行って、それから組合に来た。
朝食がまだなのだ。
ふらっと食堂に入る。
昨日同じようにしたときには、彼に気づいたヴィレイアが元気よく片手を挙げて挨拶してくれたものだが――
ヴィレイアは、傍目から見ても分かるほど、顕著に、如実に晴れやかになった。
これまで彼女が元気そうに振舞っていただけだということが分かる――薄皮一枚の曇りを脱ぎ捨てたかのような、雲一つない晴天を写し取ったような明るさ。
亜竜の欠落直後は、さすがに負傷者の救援や新たな瓦礫の始末など、考えることややることが多過ぎて実感がなかったようだが、リベルが目を覚まして数時間後には、実感が湧いてきたのか、ぱあっと顔を輝かせていた。
嬉しさや誇らしさではなく、ただただ安堵ゆえの輝きに、リベルも思わず、「そうかそうか、良かったな」と、彼女の頭を撫でて祝福していた。
――そして今日。
食堂にいる彼女を訪っている一団があった。
(――おっ)
ヴィレイアの勇者隊の面々だ。
――フロレアからエーデルまで、ヴィレイアに会いに来たらしい。
思わず感心した顔になり、リベルはそこから少し離れたテーブル――ただし、話し声が聞こえる程度には近いテーブルに着く。
そして、「注文ある?」と近寄ってきたまだ若い組合職員の少女に、適当な注文を告げる。
そして、ヴィレイアの方へ耳を傾けた。
「――フロレアの方は? 落ち着いたの?」
ヴィレイアが用心深く尋ねていて、それに応じるのはメメットと呼ばれていた女性。
「ええ、だいぶね。――それで、ヴィリー。喧嘩別れみたいになっていたから、それは良くないと思って、あんたに会いに来たの」
ヴィレイアの表情が、期待と不安にぱたぱたと動いた。
「えっ――それは」
「あたしも、ねぇ」
と、メメットはどことなく自省を籠めた声音で。
「あんたを拾ってからこちら、あんたが他人から必要とされると引いちゃう考え方と性格をしてるっていうのはよく分かってたはずなのに、咄嗟にあんたに頼っちゃったし、反省してるのよ。
――だから、」
ヴィレイアは若干前のめりになった。
「だから!」
「みんなで話し合って、」
と、メメット。
みんな、と指し示された他の面々も、概ね友好的な顔。
ただし、最も若いと見える二十代の男性のうち一人は、渋面をヴィレイアに向けているが。
「もしあんたがそうしたいと思うなら、また一緒に組めないかって」
「――――!」
ぱああっ、と、音が鳴りそうな程に明るく、ヴィレイアの表情が輝いた。
今にも前のめりに勢い込んで、「喜んで!」と叫びそうな彼女の鼻先に、しかしメメットは、冷厳たる事実を置いた。
「――ただし、もう、フロレアの組合傘下では組めないじゃない?」
「――あ」
「そうすると、他の町に移ることになるわけで――籍も移すとなると、四等からの再出発になっちゃうわ。みんな一等で、一人でもやっていけるくらいの腕はあるのに」
「――ええっと」
「それってかなりお金がかかるわよねって話になって――あたしたちの隊は、筆頭勇者の金遣いの荒さもあって、あんまり裕福な方ではないし」
「――ぇあっと」
「それぞれ個人の貯金はあるから、組合を移ってから昇格の預託金を入れるまでのところは、それぞれでやりましょうねって話にしたんだけど、――ヴィリー」
ヴィレイアは、どんどん追い詰められている顔をしていた。
リベルは離れた席で、必死に笑いを堪えていた。
メメットが屈んで、ヴィレイアの手を握る。
「あんたが一番お金ないんじゃないかと思って、言いに来たの」
あうあう、と、声にならない声を漏らして唇をぱくぱくさせるヴィレイア。
メメットは苦笑した。
「大好きよ、ヴィリー。何かあったら絶対に力になるから、あんたお得意の透過視精の伝言でもなんでも寄越してちょうだい。もう何があっても絶対に味方よ。
――でも、あんた、まだ十六だものね。これからの人生のために、ちょっとはその浪費癖を治した方がいいわ」
「いや――あの、私は、」
言い差すヴィレイアに、言葉通りに愛情の籠もった眼差しを向けて、メメットは屈んで、彼女の頬にキスをした。
「――お金が溜まったら知らせをちょうだい。心機一転、一緒にやり直しましょうね」
がーん、と、音が鳴りそうなほどに衝撃を受けた様子のヴィレイアを見て、メメットが肩を竦める。
「……じゃ、一緒に朝ごはんでも食べる? ヴィリー」
ヴィレイアが戻って来たのは昼を回った時刻で、その頃にはリベルは、一度組合を出て、まだもの寂しい我が家のために調度品を下見に行き、組合に戻って昼食を終え、そのまま駅の近くへ散歩と洒落こんで、そばの緑豊かな噴水広場でぼんやりと木陰の向こうの青空を見上げていた。
噴水に向かってコインを投げ込み、何かの願掛けをしている二人連れがおり、仲睦まじく歩いていく老夫婦がおり――
ヴィレイアはどうやら、組合に戻ってリベルを捜してから、一時契約を結んだ透過視精でリベルがどこにいるのかを把握したらしい。
夏空に似合わぬ湿っぽい、捨てられた仔犬のような顔で駆け寄ってきたヴィレイアに気づいて顔を上げたリベルは、「よく俺がどこにいるから分かったね」と苦笑しつつも、「よう」と片手を挙げる。
「何かあったの?」
「聞いてよ……!」
ヴィレイアが、ベンチに腰掛けるリベルの左隣に滑り込みつつ、彼が見ていたとは思っていない様子で、今朝の様子を再現してくれる。
ついでに朝食が大変美味しかった話もしてくれたが、リベルは思わず、知っていた話ではあっても爆笑してしまった。
「浪費癖が祟ったのか。そりゃご愁傷さまだな」
「ひどい……ひどいよ……! 私がいなくても困らないからって……!」
「浪費癖を治すのはいいことだろ」
「私は……!」
何かを言い掛けて黙り、はあ、と特大の溜息を吐くヴィレイア。
悄然としているヴィレイアの方を向いて、リベルは指摘した。
「――ってことはおまえ、しばらくは貯金生活か」
ヴィレイアはあからさまにぶすくれた表情。
「そんなの出来ない」
「いつまで経っても三等にも上がれないよ。
――単独探索が出来ないぞ」
「――あ」
まさに今思い至ったというように、唇に手を当てるヴィレイア。
リベルは思わず呆れて息を吐いてから、ベンチの背凭れから身を起こした。
懐に手を入れつつ、咳払い。
「――じゃ、しばらく単独探索は出来ない元特等さんには、これは割と役に立つ贈り物かな」
そして、一対の黒い指輪を取り出した。
その色は夜闇の漆黒。
――あの亜竜の鱗の色。
これは、あの亜竜が落とした鱗から彫り出すことを依頼した一対の指輪で、――意味は明白。
意思の伝達を可能とする亜竜の鱗を加工した指輪は、同じ勇者隊の者が揃いで身に着けるものだ。
「――――」
ヴィレイアが絶句する。
よほど予期しない展開だったのだろう、唇がぽかんと開いている。
リベルは息を吸い込んだ。
彼の人見知りと人付き合いの苦手さが今にも表出して、指輪をどこかに投げ捨てたくなりそうだった。
だがそれを堪えて、確認するように尋ねてみる。
「――もうしばらくよろしく、ヴィリー?」
愛称で呼んだ彼に、ヴィレイアは顔を上げて――
――リベルは驚いた。
ヴィレイアの濃緑の瞳に、――〈鉱路洪水〉のことを話したときにさえ影のなかった、あのときとは段違いなまでの、深い苦悩が浮かんでいた。
彼女が何か言おうとして、しかし押し黙り、鳩尾に垂れる「一一六三」の数字の浮かぶ時精時計を両掌で包むようにして俯き、――深呼吸した。
ゆっくりと顔を上げ、ヴィレイアが微笑む。
おずおずと曙光が射すような、その笑み。
少しだけ後ろめたそうな――それでも儚いまでに嬉しそうな、その笑み。
ヴィレイアが手を伸ばして、リベルの掌の上から、一つの指輪を受け取った。
それを右手の親指に嵌めて、愛おしむように左手で撫でて、――リベルと目を合わせる。
「――また短い間だけ、よろしくお願いします。
私の幸運の勇者さま」
*◇*◇*
旧王朝時代の絢爛豪華さを、色濃く残すその室内。
暗褐色と黄金の紋様の壁紙も壮麗な一室に、優美厳格に設えられた執務机で、豪奢な帳を左右に留めた窓を背にする彼は、執務机の前に姿勢を正して立つ部下の口頭の報告を聞き終え、手許の資料に目を落とした。
角ばった文字が几帳面に並ぶ報告書。
名前と事象の羅列。
「――ヴィレイア・ラテンザ」
名前を繰り返した彼に、部下は折り目正しく頷く。
――目許に傷痕の走る、金褐色の瞳の鷹のような顔立ちの部下。
対する彼は泰然自若とした性質のよく現れた、笑い皺の刻まれた穏やかな――ただし凍てついた湖も思わせる静謐な面差し。
「元はフロレアの組合で特等指定された勇者です。
――法術の天才と、それは自他ともに認めていたと」
「元は、――ね。先の〈鉱路洪水〉は、彼女が……彼女の隊の誰かが感染者で、彼女は追われた、と」
資料を読み上げる彼に、部下はまた頷く。
ほう、と、彼は顎を撫でる。
「今はエーデルの組合の傘下か。なるほど。少なくとも、重要な容疑者には違いないね。
もしも彼女が犯人でないならば、またとない協力者になることも確かだ」
「連行しますか」
「お連れしなさい。
――まったく、きみは犯人でもない人間にも威圧的だ。礼儀正しくすることを覚えなさい」
苦笑しながらそう言って、彼は資料に目を戻す。
そしてふと、そのうちの一項目を指で辿って、呟いた。
「ラテンザの息女、か。
――もう少し年齢は上ではなかったかな……?」
1章終了です。




