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量産勇者、自由を掲げよ。  作者: 陶花ゆうの
1 ボーイ・ミーツ・ガール
11/230

10 特等勇者

 ヴィレイアは吹き飛ばされた姿勢そのままに上体だけを起こして、凍りついて竦んでいる。


 吹き飛ばされた拍子にフードが脱げており、彼女の顔貌ははっきりと見えた。

 ――恐怖というよりも戦慄に近いその表情。



 周囲は悲鳴と狂乱の坩堝。


 実際の〈鉱路洪水〉を見ていないリベルには断言は出来ないが、無数の鉱路生物が湧いてきた〈鉱路洪水〉の方が、この亜竜一頭よりも脅威ではあったはずだ。


 ――だが、〈鉱路洪水〉が心的外傷になっている人々に、その論理的な呼び掛けは出来ない。



 朱色の瞳で周囲を探る。


 更に数歩を下がって、猛り狂う亜竜と距離を取り、そばの数人にも同じようにすることを手振りで伝える。


 茫然と亜竜を振り仰ぐばかりのヴィレイアの手首を掴んで、つい数秒前まで彼女にきつい言葉を向けていた青年が、彼女を後ろへ引き摺っていく。

 手首を引かれて、まろぶようにようやくヴィレイアが立ち上がる。



 ここは、勇者組合が拠点を置く町だ。

 ――周囲には無論、勇者の姿もある。


 ただし全員が既に疲れ切っている――〈鉱路洪水〉の後始末のために。



 リベルは息を吸い込む。


 瓦礫の陰のあちこちに、腰を抜かして逃げ損ねた人々が見える。

 露店の主人であったり、つい数十秒前までは瓦礫を撤去しようとしていた人々であったり。


 衛卒はあくまで対人間の暴力が専門の連中であるから、今この場からいち早く遁走したことについて、語る言葉をリベルは持たない。


 鉱路で亜竜に遭遇した勇者隊は、必ずといっていいほど、隊の法術師に号令して、透過視精を経由した援護要請を周囲数百平方ヤードに飛ばす。

 亜竜のそばで透過視精との影契約が正常に働かないならば、万難を排して法術師を亜竜のそばから逃がしてでも。

 なんとなれば、亜竜ともなれば単隊での対処は相当に困難であるがゆえ。


 仕留めることも難しいだろうが、更に悪いことに亜竜を仕(・)留(・)め(・)る(・)こ(・)と(・)は(・)出(・)来(・)な(・)い(・)。

 欠けさせたうえで、欠落してなお動く身体を完膚なきまでにばらばらにして、脅威がないよう処理しなければならないのだ。


 ――その亜竜に対して、非戦闘員を守りながら立ち回るとなれば。


 亜竜がその場で苛立たしげに足踏みする。

 強靭な翼が撓る。


 亜竜にとっても人間は、上等な部類の餌には違いない――腹立ち紛れに、周囲の人間は喰い尽くす気でいるのだろう。


 この亜竜がどこで潜んでいたにせよ、空腹であることに疑いはない。



 亜竜が身じろぎする。

 その拍子に長い尾の先端が、半壊していた建物を完膚なきまでに倒壊させる。



「――ヴィリー」


 ヴィレイアの勇者隊の一人、四十半ばとみえる男性が、どちらかといえば激励するような口調で、ヴィレイアの愛称を口に出した。


「ヴィリー、助けてくれ。――きみなら出来るだろう?」


 ヴィレイアは痙攣するように彼の方を見た。


「――そのために戻って来てくれたんじゃないのかい? ヴィリー?」


 ヴィレイアは応じない。

 目を見開いて、顔色の失せた顔貌をただ仲間へ向けている。


 怯えているのではない――戦慄している。

 その濃緑の瞳を間近に覗けば、〈鉱路洪水〉の日の彼女の挫折が、未だに色鮮やかに息づいているのが見えるのではないかと思うほどに。



 ――天真爛漫に遊ぶだけで周囲の大人から褒め称えられていた少女が、だったらこれも持てるでしょう、と言われて、突然重い荷物を両手と頭の上に載せられる。

 持ち切れずに地面に落ちて砕けた荷物を茫然と見渡した彼女が、それでも軽くなった両腕に力を得て、もう一度おずおずと同じことを始めようとして――


 ――再び荷物を突きつけられる。



 まさにそのような。



 亜竜が咆哮する。

 瓦礫が揺れ、地面が揺れて耳が聾される。


 ごぼ、と亜竜の喉が動いて、一秒ののちに大きく開いたその咢から、爆裂音とともに火焔が迸り、十フィート先の瓦礫が燃え上がる。


 亜竜の背中の棘が、次々に後ろへ倒れていく。

 ――狩りをするときに特有の変化だ。


 翼を使って上空から狙うまでもないと考えている。

 目の前にある果物を捥ぐような容易さで、この場の昼餐にありつけるものと。



 ――リベルは息を吸い込んだ。



 経緯はどうあれ、目の前に亜竜が出現したことは事実だ。


 周囲には他の勇者もいて――戦えない者たちもいて、彼らについてはいっそ負傷者だと捉えてしまえば、ここは、


(――鉱路と変わりない)



 ――あの感覚。



 日頃の大人しさ、あるいは人見知りの自分、そういったものが、自分の後ろにぽつねんと置き去りにされているような、あの感覚。


 ここにいるのはもっと血気盛んな、征服欲に満ちた別のリベル――そのような。



 人見知りを綺麗に拭い去り、リベルは無意識のうちに〈氷王牢〉を抜いていた。


 ――途端、周囲の気温が一気に低下する。


 瓦礫の上に霜が降り、微細な氷の欠片が宙を舞い、――ぴしり、と硬質な音と共に、亜竜を取り囲む高さ三十フィートほどの氷壁が瞬時に形成される。



 分厚く白い氷壁が、亜竜の姿を衆目から隠す。


 それどころか、亜竜の飛翔を防ぐべく、彼の頭上に白く凍てついた天蓋を瞬く間に形成してのける。



 氷壁の奥に仕舞われた当の亜竜は、当然ながら激怒し、凄まじい高温の炎を氷壁に吹き掛けている。

 その炎を受けた氷壁が橙色に薄らと輝いているが、数秒あるいは数十秒は保つだろう。



 そのうちに態勢を整えなければならない。



 出現した氷壁にざわめきが起こるよりも早く、これまでに何度も大規模な鉱路探索で複数隊の指揮を執ったときそのままの語調で、リベルは声を張り上げていた。


「――勇者隊は負傷者……一般人を庇って離れて。俺の指示が気に入らないなら言っておくけど、俺はダイアニの特(・)等(・)勇者だ」


 ダイアニの特等勇者乱心の噂が、〈フィード〉上でも取り沙汰されていないことを祈る。


 特等勇者の名乗りに、浮足立っていたその場の空気が変わる。

 リベルの髪の色と氷を見て、〈錆びた氷(ラスティ・フリーズ)〉だ、と囁く声も小さく聞こえた。


 勇者が数名、慌てたように動き出す。

 だがまだその場のショックの色は濃い。


 ――その筆頭がヴィレイアだ。


 リベルはヴィレイアを振り返った。

 ほつれた白百合の色の髪、見開かれた濃緑の瞳、蒼褪めた頬。


 特等勇者になるほどの技量、亜竜を前に戦力としては極めて惜しいが、だがここで言うとすれば。


「ヴィレイア、おまえは悪くないよ」


 はっきりと言って、リベルは亀裂が入り始めた氷壁に向き直る。

 瓦礫を足で押し分けるようにして立ち位置を変えて、亜竜の鼻先に己の身を置く。


「感染したのがおまえだったとしても、おまえは勇者組合が決めた罰を受けたんだから、もういい。そう決まってる。

 感染したのが自分じゃない可能性は――五分の四かな? それでもここに戻ってきて警告しようとしたんだから十分だ。

 ――おまえが言ったように、おまえを特等たらしめた才覚はおまえのものだ。誰かにお返ししなきゃならないものじゃない。

 加えておまえはもう特等でもない。助けてくれなんて言われたところで、相手にしない自由がおまえにはある」


 周囲を動揺させないよう、穏やかに続ける。


「おまえがいなくても、ここには俺がいる」


 僅かの間だけ、白熱した火焔の奔流に蝕まれる氷壁から目を逸らす。


〈氷王牢〉はなおも冷気を吐き出して、氷壁を溶解のそばから凍てつかせてはいるが――長くは保たない。


 リベルはヴィレイアを見つめた。


 不器用な彼の顔が、このときは微笑を形作った。



「おまえは強いだろ? 覚悟なんて決める必要はない。

 ――覚悟なんてものは弱者の胸にあるものだ。強者には常に自由がある」



 亜竜が咆哮した。


 氷壁に罅を入れ、瓦礫を震わせるその大音声に、周囲の勇者までもが浮足立ったのを感じる。


 リベルは大声を張り上げた。



「――さあ、腰抜けの元特等なんかには構うな! 相手はたかがでかい羽つきトカゲ一匹! てめぇらの役目はただ俺の援護だ!

 この俺が先頭に立った探索で、欠けるような間抜けはこれまでに一人もいなかった!!」



 これは誇張だが、今は士気が最優先であって、それもその身を危険に晒す士気ではなく、ただ周囲への被害を抑えようという意欲に繋がるだけの士気。



 氷壁が溶けて罅割れ、倒れていく。

 それを見て啜り泣くのは勇者でもない一般人、子供がどこかで泣き叫ぶ。



 それをもはや意識はせず、リベルが耳を傾け聞いたのはただ一種類、周囲の勇者たちの、やけっぱちに近い鬨の声。


 リベルをダイアニの〈錆びた氷〉だと見分けたからこその、もはや躁状態に近い戦場の熱気ゆえの喊声。



「罪も誉れも、後世の間抜けが決めるものだ!

 野郎ども、後世の間抜けの目をかッ開くに足るだけの活躍を!!」



 分厚い氷壁が崩れ去り、そして激怒した亜竜が吐き出した巨大な火球が、半壊した町並みを紅蓮に染めてリベルの眼前に迫った。





 迸る火球、即座に〈氷王牢〉を振って、鼻先に氷壁を形成。


 蒸気が爆発する大音響が轟いて、氷壁が文字通り焼き切られていく。


 数秒と保たないことは分かっている――がんっ! と、〈氷王牢〉の切先で足許の瓦礫を叩く。



 瓦礫が白く凍りつき、そして一瞬ののちには、氷柱が地面から生えてくる。


 さながら、地面の下にあった白々と凍り付く円柱が瓦礫を突き破るが如く。

 だがそれは〈氷王牢〉の為せる業に他ならない。


 まだ〈氷王牢〉を得ていなかったときは、リベルは負傷を承知での特攻を重ねざるを得なかったものだが。



 瞬時に生成された氷柱の頂にリベルは立っている。

 立って、亜竜ではなく周囲を朱色の瞳で見渡している。


 怒声が唇を衝く。


「何をしてる! 一般人を離れさせろと言っただろう!」


 語尾と同時に粉砕され、溶解する氷壁と氷柱。

 破片が弾け飛ぶこともなく、火焔に溶かされた氷は影も残さず消え失せる。


 だがそのときには既に、リベルは氷柱を蹴って宙に飛んでいる。


 宙で弧を描く身体。

 回る視界。


 上下反転の視座に差す夏の陽光。

 ――血が沸き立つ感覚。



 ――俺はもう強い、と、確信できるこの瞬間。


 ――リベルは弱くて、かつて呵々と笑ったあの老人のようには強くはなれなくて、未だに暴力でしか己の強さを確認できない。



 だがそれでも、その暴力を不羈のために使うならば、――誰かの挫折を拭うために使うのならば。



 宙を飛ぶ時間はただの数秒であるはずだが、リベルの視界は緩慢に流れている。

 周囲を見渡す余裕さえあるほどに。



 亜竜の長い尾が撓る。


 それが瓦礫を弾き飛ばし、吹き飛んできたその瓦礫が目の前で弾んだ露店の主人が、茫然としたのちに振り絞るような悲鳴を上げる。


 勇者だろう誰か、まだ年若い少年がそちらに身を屈めて近づき、腕を掴んで離れさせようとするが、露店の主人は腰が抜けたのかのろのろとしか動けない。


 どこもかしこもそんな具合。

 勇者たちが正気づいても、戦場慣れしていない一般人に正気づけというのは無茶な話でお門違いだ。



 目に見えた範囲で、吹き飛ぶ瓦礫を幾つか魔法で叩き落とす。

 心袋に事象が詰め込まれる圧迫感。


 メメットといったか、あの女性も同じようにしているのが分かる。

 彼女は更に、暴れ狂う亜竜の足止めになればと思ったのか、瓦礫を魔法で突き動かして、亜竜の足許を埋めにかかっている。


 それが当然ながら気に入らないのだろう、亜竜が牙を見せて唸りを上げる。



 ――その、人でいうならば蟀谷のあたり。


 耳孔が開いて見える箇所に、宙を飛んだリベルの、着地代わりの渾身の踵が入った。



 亜竜の巨大さからすれば、虫に噛まれたようなもの、だがそれでも、亜竜の紅い瞳がぐるりと動いてリベルを見て、縦に切れ込んだ瞳孔が縮まる。


 亜竜の喉が動く。

 太い弦を掻き鳴らすような荘厳な音がその喉から溢れ出す。――彼らの言葉だ。

 だが何を言っているのかは、亜竜に比べて下等な人の耳には聞き取れない。


 だが、逆は違う。


 耳孔を蹴りつけた勢いを借りて宙返りし、リベルは着地する。

 着地したのは、亜竜の巨体から見て左側の宙の一点――そこに瓦礫から生えた氷柱の頂。


 そこで端正に〈氷王牢〉を構えて、リベルは左手を胸に当てて一礼。


「――初撃については失礼した。とはいえあなたにとってはささやかなこと、卒爾ながらこの俺と手合わせ願う。

 俺は南のダイアニの〈錆びた氷(ラスティ・フリーズ)〉リベル。他所を向くのは俺を喰ってからにしていただきたいものだが」


 竜の双眸が細められる。

 鷹揚に笑ったような――あるいは獲物からの予期せぬ反撃を面白がるような。



 早くけりをつけなければならない。


 亜竜はその強大さゆえに、人間に対して全力は出さない。

 もしも仮に、リベルを脅威だとこの亜竜が認識してしまえば、リベルであっても手は出せなくなる。



 だからこそ、油断を突かねば勝機はない。



 亜竜が巨体をくねらせて、完全にリベルに向き直った。

 リベルの挨拶を聞き取ったのだ。


 その長い尾が、半壊で踏み留まっていた家屋を更に次々に倒壊させていき、頑強な鉤爪の生えた脚の下で瓦礫が粉々になっていく。


 亜竜の喉から荘厳な声が溢れ出す。

 決して大きな音ではないが、それを受けて瓦礫がびりびりと震える。



 周囲は阿鼻叫喚、亜竜そのものへの恐慌と、甦る〈鉱路洪水〉の悪夢のために、泣き喚く声が沸騰するように空気を揺らしている。


 勇者たちが声を嗄らして、亜竜から離れる方向へ人々を誘導しているが――いざ亜竜が翼を広げてしまえばそれは水の泡になる。


 リベルが二人いれば、一般人を纏めて護衛できるのだが。


 更にリベルの援護をしようとしている勇者もいるが、さすがに亜竜に肉薄は――技量の上でも度胸の上でも――出来ない彼らが二の足を踏む。



 もはや自分の手が回るのは亜竜の相手のみと割り切って、リベルは己に向き直った亜竜の、煌々と輝く紅い瞳をひたと見据える。



 ――ヴィレイアはどうしただろう。


 もう見えなかった。

 逃げたか、今も自失しているか。



 亜竜の、破城槌すら通さぬ鱗に覆われた大きな咢が開く。

 鋭利な真珠色の牙と、淡紅色の長い舌が覗く。



 爆裂音とともに吐き出される炎。


 勢いよく振り下ろされた尾が瓦礫を叩いて跳ね上げる。



 どうかそこに人はいませんようにと祈りながら、リベルは再び宙に飛んだ。





 飛んだ先は今度は亜竜の頭上、咄嗟に首を持ち上げ視線で目で追う亜竜の目を潰すつもりで落下する。


 だが、当然ながら亜竜は障害物を厭うて長い首を振り、リベルの着地は亜竜の長く太い首に落ちた。

 暗黒の色の鱗に滑り、首に隆起する無数の棘が刺さる痛みに息を詰める。


 だが痛みは無視できる。

 自(・)由(・)の(・)身(・)で(・)味(・)わ(・)う(・)痛みならば。


 激しく振り動かされる首の上で、身体を抉ろうする棘に掴まって滑落を止め、立ち上がろうとする。


 背中のどこかが棘で抉れた。

 出血を感じたがものの数ではない。


 右手に構えた〈氷王牢〉、その切先で漆黒の鱗を突くが、かん、という堅い手応えがあって跳ね返るのみ。


 業物であってもこうなる。

 亜竜の急所は口の中か眼球、そこだけだ。


 首を攀じ登って頭部まで行かねば。


 亜竜が大きく首を擡げる。

 人間が羽虫に纏いつかれたときにそうするように、邪魔なものを払い落とそうとするその身振り。


 苛立たしげに幾度も打ち下ろされる強靭な尾。



 そして、音もなく優美に広がる、その巨大な両翼。



 広げられれば身体全体の大きさにも匹敵する、皮膜と骨格から成る大きな翼。

 亜竜が棲息する鉱路は、極端に天井が高いのが特徴だ――飛翔する亜竜を、リベルも見たことがある。


 ばさり、と、翼が打ち下ろされる。


「――やば」


 打ち下ろされた大きな両翼が巻き起こした旋風が、それだけで大きな瓦礫を煽って動かしている。


 冗談のように滑って浮き上がる瓦礫の塊、これには一般人の悲鳴に混じって、勇者たちの怒声も聞こえてくる。


 瓦礫の雨が降る中で、どこの誰が腰を抜かした一般人たちを誘導できるという。



 二度の羽搏きで亜竜の身体が浮き上がる。


 それでもまだ、羽搏いた翼が下ろされれば、その先端の鉤爪が地面を抉るほどの高度。

 亜竜は空腹だ――文字通り首を伸ばせば届く場所にある、数多の人間という馳走を逃す気にはなれないのだ。


 首に組み付くリベルが鬱陶しいのだろう、亜竜が容易く宙で一回転する。


「うわっ」


 亜竜が身震いし、リベルを振り落とそうとしている。

 それはいっそ非礼を咎めて窘めるような仕草でさえあったが、窘められればリベルは欠(・)け(・)る。



 欠けて、精神はどこかに没落して、ただ唯々諾々と命令に従う人形、尊厳も何もない終着点での滞留に捕まることになる。



 亜竜の首の上に留まることが出来たのは、殆ど慣性のためだったが、二度目の回転を許せば間違いなく瓦礫の上に落下する。


 息を詰めながら〈氷王牢〉を振る――亜竜の真下から無数の氷柱が林立して生える。

 まさに透明な針の筵の如く。


 亜竜が咆哮し、喉がごぼりと動く。

 直後に吐き出される炎の奔流が、氷の針の筵を溶かし尽くして瓦礫を焦がす。



 悲鳴が上がったが頓着してはいられない。

 炎を吐く亜竜の首の上で、驚異的な平衡感覚を発揮して立ち上がり、リベルは走り出した――



 ――首を伝って頭へ。



 耳孔の前に三対並んだ小さな角は、小さいとはいえリベルが握るには十分だ。


 左手を伸ばし、握り込む。

 熱い。

 炎を吐いた頭なのだから当然か。


 灼熱の角に掌が痛むがどうでもいい。


 がっきと左手で角を掴んで身体を支え、右手には〈氷王牢〉、滑る鱗にそれでも精いっぱい足を踏ん張り、ぎらつく紅い亜竜の右眼に向かって、〈氷王牢〉の黒い切先を――


 ぱち、と、亜竜が瞼を引き上げた。

 それだけで〈氷王牢〉の切先が弾かれる。


 口の中で悪態を零して、容赦なく心袋を圧迫されながらも、魔法で亜竜の瞼を引き下ろそうとするが――



 ただ鬱陶しそうに、亜竜が前肢を持ち上げた。


 黒い鱗に覆われた大きな肢。

 猫が顔を洗うような仕草で、目許に張り付くリベルという異物をこすり落とそうとする仕草――



 まずいと思って角から手を離し、その場から飛び降りることを選んだ。


 だが少し遅かった。



 竜の前肢の鉤爪が脇腹をかすめ、どっと出血する感覚に、リベルは顔を顰めた。





 着地というより落下したのは、半ば以上が溶かされかかった氷の針の筵の上。


 落下の衝撃が尻から伝わり、短い悶絶にリベルは苦しむ。


 出血は酷いが、魔法での応急手当は出来る――ただし治癒となれば法術師が必要だ。

 法気に恵まれないリベルにそれは出来ない。



 地上に落ちれば、周囲の叫喚具合は先ほどよりもなお身に迫って感じられる。

 低空に浮かぶ亜竜の翼の旋風に、勇者たちが口々に悪態を漏らしており――



(手が回らないな)


 冷静に考えた。


(亜竜の動きを止めるのが最優先だ)



 そして今や、周り中がリベルに助けを求めていた。


 亜竜をなんとかして――瓦礫の下敷きになっている人がいるの助けて――怪我をしている人がいるの――



 リベルが分身を心得ていると言わんばかりの要請ぶりに、市街地での戦闘を初めて経験するリベルとしては苦笑してしまう。


 この勢いを――いや、〈鉱路洪水〉の中にあっては更に凄まじいものだっただろう――向けられたのであれば、ヴィレイアが尻込みしたのも頷ける。



 だが、無視するよりほかはない。


 亜竜の爛々と輝く炯眼はリベルを見据えているのだ。

 気は散るが、仕方がない。



 亜竜が再び大きく咢を開き、その喉の奥にちらつく火焔が見え、




「――影兵霊(えいへいれい)!」




 叫ぶ声。


 裏返った少女の声。



 そして、異様な――瓦礫の影から、あるいは亜竜の影から這い出す、無(・)数(・)の(・)兵(・)士(・)た(・)ち(・)。


 影そのもので形を塗り潰されたような、旧王朝時代よりもなお時代を遡った頃によく見られただろう、重厚な鎖帷子と鎧を纏った兵士たち――その、形(・)の(・)あ(・)る(・)影(・)。





「――は?」


 その瞬間、全く特等勇者らしくないことに、リベルは亜竜から目を逸らしていた。


 いや、亜竜でさえ驚いたように見えた。



 ――影から這い出す無数の兵士の形ある影。



 武器を掲げ、影に過ぎないはずの儚い腕で、次々に瓦礫を押し退け、異様なその姿かたちに茫然とする怪我人を安全圏へ避難させていく――百を下らぬ亡霊の軍勢。



「……影兵霊……?」



 法術とは、本来ならば、精法術と霊法術を示す。

 人に益を与えるものを精、害を与えるものを霊。


 霊を御して従える霊法術の素質に恵まれるほどの法気を有する者は滅多になく、しかもこれは――



 ――本当に影兵霊だというならば、それは死霊と並んで人の手が届かないはずの、まさに雲の上――いや、地獄の底に位置するはずの、生粋の霊だ。



 見渡した朱色の瞳が、無数の瓦礫と粉塵、そして陽炎と氷塵が共存する異様な空気の向こう側に、蒼白な顔をして立ち上がったヴィレイアを映した。



 ――遂に立ち上がった特等勇者。


 ――剣術も知らず、戦略も知らず、鉱路での常識すら危うい彼女。


 ――その彼女が特等勇者にまで昇り詰めたのは。


 ――偏(・)に(・)そ(・)の(・)天(・)賦(・)の(・)異(・)才(・)の(・)ゆ(・)え(・)。



 挫折により、恐慌により、発揮されることなく燻った彼女のその異才が、今まさに顕現している。



 彼女は全身を震わせながら、顔色は蒼白から一転して真っ赤になっており、震える右手で奇妙な手振りをしている――掌を上に向け、何かを地底から招くような、その手振り。


「――……そういう」


 思わず呟く。



 彼女は言っていた――契約している精霊は一体だけ、そ(・)の(・)一(・)体(・)が(・)法(・)気(・)を(・)喰(・)う(・)、と。


 ――契約を交わしたその唯一の精霊が、影兵霊だというならば納得できる。

 極上の法気に恵まれてなお、普段は他の精霊との契約を交わしておく余裕もないということ。



 ヴィレイアがリベルに気づいた。

 彼が、目を丸くして自分を見つめていることに。


 ヴィレイアの整った顔が歪む。

 殆ど泣きそうだ。


 その余りの情けなさに、むしろもうリベルの方が恥ずかしくなってきたが、続いてヴィレイアが叫んだことは全く正当だった。


「――もう周りを気にしないで! リベル、前!!」


 はっ、と息を呑む。


 直後、こちらへ噴き出す火焔。

〈氷王牢〉でその熱を奪い、それでも防ぎきれなかった灼熱の空気の残滓に頬を焼かれて顔を顰め、


「――本物の影兵霊なら心強い」


 呟き、リベルは息を吸い込んだ。



 ――心袋に大量の事象を放り込む。


 こうまで大量の事象を放り込むことの出来る心袋の持ち主はそうはいない。

 そしてリベルの心袋は、この事象を呑み込んでなお余裕がある。



 本来ならば数十人がかりで動かさねばならぬ瓦礫を、人の手を介さず動かす規模の魔法。



 心臓の横にあるという心袋が、ずしりと重くなる感覚――周囲の瓦礫が浮き上がる。


 その瓦礫の動きに巻き込まれただろう、先ほどまでそこにいた一般人たちを、速やかに影兵霊が救出している。



 瓦礫が滑るように宙を動く。

 魔法では高所に瓦礫を持ち上げられないが、元より低空にいた亜竜だ――その翼にならば届く。



 まさに翼が打ち下ろされたタイミングで、大量の瓦礫を皮膜にぶつける。


 強靭な皮膜は破れはしないが、それでもバランスを崩した亜竜が憤怒と苛立ちの唸りを上げる。



 直後には、足許から凄まじい勢いで生成された氷柱に押し出されるようにして、リベルは文字通り吹き飛ぶように亜竜に突進していた。



 亜竜が、反射だったのだろう、大きな咢を開く。



 突っ込むリベルをそのまま呑み込む気だったのか、あるいは喉の奥から吐き出される高温の炎で焼き尽くす気だったのかは分からないが、



 ――喉の奥が見えた。


 ――リベルは獰猛に微笑んだ。



 亜竜の敗因は一つ、美食への誘惑を断ち切れずに、低空でリベルを相手にし続けた、その油断だ。



 大きく開いた口腔内に、自らを生贄にするかの如くに半身を突っ込む。

 口内から溢れ出そうとする灼熱紅蓮の火焔の奔流――それを辛うじて、至近距離の〈氷王牢〉が防ぐ。



 口内の氷の感触の不快に亜竜が唸り声を上げ、ギロチンが落ちるかの如くに閉じられようとする咢――降りてくる巨大な牙。



 肩に鮮烈な痛みを感じた。



 だがそのときには既に、口内から喉に向かって、そして更にその上の脳に向かって、亜竜のただ二つの急所のうち一つを突いて、〈氷王牢〉が柔らかい舌と肉を刺し貫き、骨の間を通っていた。



 ――亜竜の身体が強張る。



 肩に突き刺さる牙から力が抜けることなど期待せず――いやむしろ、亜竜の重みが牙に掛かったようで、いっそう深く肩が抉れる痛みがあったが――、力づくで〈氷王牢〉をねじり、大量の血が降り注いでくるのを目に、肌に、音に、そして口の中にさえ感じる。


 むせ返るような血の臭いに鼻が麻痺する。



 間違いなく亜竜の生命には留めを刺したと確信した上で、肩の肉をごっそりと抉られるのも構わず、リベルは亜竜の口内――血の洪水となりつつある口内から下がった。



 よろめきながら亜竜から離れる。


 肩から溢れた血がどくどくと腕に伝って、衣服は半身が血の色に染まって絞ることさえ出来そうだった。


 劈くような痛みはもはや知覚の範囲を逸脱し、肩が痛んでいるというよりは、身体の一部が痛みそのものに変化したかのよう。


 失血で眩暈がする。


 口に入った亜竜の血を吐き出し、鉄錆の味に顔を顰めながらも、


(――まだだ)


 欠落した亜竜の身体を、間髪入れずばらばらにすべく、周囲の勇者たちに号令を掛けようとする。



 だがそれは不要だった。


「影兵霊、かかれ!」


 ヴィレイアの声が号令する。


 周囲から一斉に、影の軍勢が距離を詰めてくる――頼もしいよりも不気味なその光景。


 欠けてなお動こうとする亜竜の尾や鉤爪に、一人一人は呆気ないまでに容易く潰されていきながらも、淡々と、従容として湧き出で、亜竜の鱗をめくっては、その下のまだ柔らかな肉を貫き、巨体をばらばらにしていく、影の兵士たち。


 それを見て、リベルは思わず身体から力を抜いた。

 その場に座り込み、たまたま目の前に見つけた、この亜竜のものだろう漆黒の鱗を拾い上げ、陽に翳してから懐に仕舞い込む。



 血と肉片が散らばる、壮絶な解体現場となりつつある眼前から目を逸らすべく、ぎゅっと目を瞑ったときだった。



「――契約、影、治癒精」



 もう聞き慣れたといっていい声がそばで聞こえ、精神で聞く凛とした鈴の音がして、目を開ける。


 そして、今しも太陽が雲の陰に入り、上空から射す光が翳った中にあってなお、輝くような表情を浮かべたヴィレイアを、彼は自分のすぐそばに見た。



 輝くような表情といっても、笑顔ではなかった――混乱、後悔、罪悪感、それが綯交ぜになって頻りに質量を変えていく、生き生きとした表情。



 そしてその中でも最も大きい感情――涙ぐむほどの感謝。



「――リベル」


 彼女が震える声で呼んだ。



 周囲は未だに狂騒として、眼前では暴れ狂おうとする亜竜を影兵が淡々と解体していく最中。


 欠落した亜竜は、生きている亜竜に比べれば全く脅威ではない。

 それゆえの恬淡とした作業の様子。



 ヴィレイアの指先には、治癒精と契約した法術師に特有の、微かに桃色かかった白い光が灯っている。


 その光で肩の傷を撫でられ、痛みが遠のく感覚に、リベルは思わずほっと息を吐く。



 亜竜に取り掛かっていない影兵霊の一部が、次々に瓦礫をひっくり返し、生存者を救出しているのが視界の端にちらついて見える。



「なに」


 そう返事をして、それからリベルは何かを言おうとしたが、言おうとしたことをすっかり忘れてしまった。


 ただぼんやりとヴィレイアの顔を眺めるばかりのリベルに、すっかり顔をくしゃくしゃにして、美貌の影もないヴィレイアが、言葉に詰まりながら言った。


「ありがとう、リベル――」


 リベルはそれを聞き流した。


 肩の痛みが失せていくのがひたすらに心地よい。


 他のところも頼む、と言おうとして、言われるまでもなく、衣服と革鎧が裂けて血まみれになった脇腹に、光の点った指先を向けるヴィレイアに気づく。


「リベル、何もかも本当にありがとう。

 あなたには無関係なことだったのに、こんなに助けてくれた」


 なんとなくリベルは頷いた。

 探索の後に、碌に休まずに亜竜討伐までこなしたのは荷が重かったか――急速に眠くなってきていた。



「リベル、言ったよね。私は先天の加護持ちだから運がいいって。

 ――そんなことは、今日まで全くなかったんだけど、」



 けど、と声を詰まらせて、ヴィレイアが囁く。


 濃緑の、生命そのものの煌めきを持つその大きな瞳が、やけにリベルの印象に残った。



「――私の加護は、あなたに会う幸運のためのものだったんだよ、リベル」



 それを聞き、面映ゆく思ったことを最後に、遂にリベルは気絶するように意識を失った。






















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― 新着の感想 ―
[良い点] 更新お疲れ様です。 リベル、鉱路洪水直後のヴィレイアの心情に寄り添ったりと、強いだけでなく優しい性格してますね。ストレートにカッコいいキャラで好感がもてます。 [一言] ヴィレイアは特級の…
[一言] これはリベルに惚れないわけないでしょ!
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