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リクソール家の応接室で、レティシアはエミールを出迎えた。
最近お互いの婚約者の相談とはいえ、その婚約者よりもお互いに会っているような気がしたが、レティシアも弟のルシアンよりもよほど兄弟の様な容姿のエミールの事を、半分位実の兄の様に思っている。
それに昔から頼りになって、レティシアは幼い頃は、何故エミールが婚約者ではなかったのかと思ったものだった。
それは成長と共に、レティシア自身がローゼ家の子息との結婚を望まれる身だと、段々と理解していった。
アンディは剣術や馬術などの才能が開花してローゼ領で過ごす事も多くなって行って、たまに王都で会っても兄の様に優しいエミールとは違ってレティシアを目の敵にしていた。
レティシアも婚約はローゼ家側の都合で、リクソール家の自分は必ずしも相手がアンディである必要が無いという事を理解すると、アンディの態度に腹が立って来てしまって、今にして思えばアンディを傷つけるような言動をとってしまっていた。レティシアもその頃の事を思い出すと、自分の方に驕りがあったと自覚があるので、申し訳なかったと反省していた。
けれど、仲が改善した事と反省している事で恋愛感情に変わるかというと、それはなかなか難しい。
母のリリアナには、常々、上手く行ったらラッキーくらいで考えろと諭されてきたが、母は政略婚であったが、父との相性が抜群なところを見ると、やはり結婚相手とは仲良く暮らしたいという儚い思いは持ってしまっていた。
しかし十三歳くらいから他家との交流に駆り出される様になって、ローゼ家の立ち位置の特別性がレティシアにもよく解って来た。
レティシアはリクソール家の娘だが、ローゼ派の爵位持ちの当主達が、小娘でしかないレティシアに、未来のローゼ公爵夫人として丁重に接して来る。それでいながらも、レティシアを未来の公爵夫人に相応しい資質があるのか値踏みする視線も同時にあった。
鬼才とまで言われる父の才を受け継いでいると言われる様なるまでには、レティシアも、大人の人達のどんな話題にもついていけるレベルになる知識を身につける努力は怠らず、未来の派閥を纏め上げる公爵夫人として、周りに期待されるようになっていた。
それは次期公爵のアンディにも同じくらいかそれ以上向けられるものだったが、アンディは今迄宰相職を多く輩出して来た文官寄りのローゼ家において、珍しく文武両方に秀でていた為、周りからの期待値が更に上がってしまった。
それは悪い事では無いのだが、完璧さを求められる状況で、それ以上の結果を出していった結果、ローゼ公爵子息に更なる完璧さを皆が望んでしまうという、悪循環に陥いる事になった。
英雄色を好むというが、男社会の中では色事に華やかな噂が立つ高位貴族の男性は、それだけで頼もしく見えて、更に親しみやすいと感じるという考えが、まだまだ根強い。
特にアンディのような見た目にもたくましく、程よく筋肉の付いた肢体に、恵まれた容姿に、最高位の家柄の長子ともなれば、こちらから声を掛けずとも女性の方から寄ってくるという羨ましい限りの環境下で、浮名の一つも流さないという事は、男性から見ると勿体無いを通り越して、情けないと思われる可能性が高い。
レティシアは、アンディの恋人という訳でも無いので、周りがローゼの若様に寄せる『男の夢』を、演出込みで実践すればいいのにと考えていた。
なので、エミールに先日の舞踏会での顛末を聞いたレティシアは、思わず右手で自身の眉間を押さえた。
「何を乙女みたいな事を言ってるのよ!?」
令嬢にあるまじき憤怒の相でエミールに言うと、エミールも「だよねぇ」とレティシアに相槌を打った。
「コンラッド様くらいで普通だっていうのに、エミールも、もう少し誘導出来ないの!?」
「無理無理!僕の事まで軽蔑した顔で見て来る相手に、誘導なんてしたら半殺しの目に遭いそうだよ」
「だって、エミールの場合は、相手の事情が事情でしょう?私からすればエミールが人が好すぎよ。男性側からすれば面倒な話じゃない?」
エミールはレティシアに令嬢がそんなことを言っては駄目だと窘めた。
「僕の事は良いんだけど、アンディの潔癖さは少し行き過ぎるね。これがレティシアを傍目から見ても溺愛してるっていうんならまだ納得出来るけど、そういう訳でもないでしょう?」
他の人に言われたら結構な失礼発言ではあるが、エミールはローゼ家やアンディの事を考えての事なので、レティシアも「そうなのよね」と融通の利かない堅物な婚約者に対して、どうやって懐柔しようかとエミールと方法を考える事にした。
すっごい美人に誘惑させるとか、お酒で酔わせてどうにかするとか、二人でろくでもない案を挙げたが、言いながらも二人とも愚策だと解っていての軽口なので「やっぱり駄目だよね」と苦笑した。
レティシアは、こんなどうしょうもない話に真剣に付き合ってくれるエミールの存在に感謝せずにはいられない。エミールの方は、この前の話ではセレーネとうまく行き出しているという話だったが、その後どうだろうかと話を振った。
「コンラッド殿が、テレサ嬢からもう少し気を付けてあげた方がいいんじゃないかなって話になったんだけど、セレーネ嬢への攻撃はそんなに多いのかな?ほとんどの令嬢はセレーネ嬢よりも格下だから、大丈夫だろうと思っていたよ」
「そうね~。『本当に羨ましいですわ』から始まって『侯爵家のお力は流石ですわ』とか、『でもエミール様には想われる方がいらしたのではなかったかしら?』というのが大体なのだけど、セレーネ様はいつも『エミール様の隣りに並ぶのは大変な名誉な事ですが、わたくしでは気後れしてしまって…段々と慣れていければ良いのですけど』とおっとりとした口調で微笑んで返すから、テレサ様から見ればメルヴィナ様の元取り巻きだったご令嬢が仰るから、セレーネ様が傷付いている様に見えるのかもしれないけど、セレーネ様からすれば話題の一つくらいの認識しかされてらっしゃらないと思うわ。私が庇うまでも無く、嫌味を言いに来たご令嬢と、いつの間にかエミールの話題で盛り上がってらっしゃるわよ。結構見た目よりも逞しいから心配要らないと思うわ」
エミールはレティシアに逞しいといわれてしまう婚約者に対して、少々思うところはあったが、セレーネに被害が無いなら良いかと考える事にした。それにしても、セレーネと婚約してから全然距離が縮まない事がエミールも少し気になり始めた。
エミール達よりも後に婚約したテレサとコンラッドは順調に仲を深めている様だし、セレーネの性格についても、直接知る訳ではなく、レティシアから聞いて割合変わった令嬢なのだと聞かされるという状況は、あまりうまくいってるとはいえない。
勿論エミールもセレーネと出掛けたり、屋敷に行ったりして親交を深めているつもりだが、努力の割にはほんの少しも近付いていない事が何と無く分かっていたが、はっきりと自覚せざる得ない状況にすこし落ち込んでしまった。
レティシアは、エミールが美しい顔を曇らせ、憂い顔で視線を落とした姿を見て『エミール様は近くで拝見すると、左目の下に小さなほくろがあって、それが艶っぽくてすてきなの』とセレーネが突っかかって来た令嬢と最終的に盛り上がって話していた事を思い出してエミールの目の下を見ると、本当によく見ないと分からないくらい小さな泣きぼくろを発見する事ができた。
レティシアは、セレーネとの事がエミールの中では上手く行っているとは言えない状況なのだろうと思うと少しだけ可笑しくなってしまった。相手を愛おしく思う気持ちが存在しなければ、レティシアですら気が付かない泣きぼくろなどに気付くはずがない。それよりもエミールの方が、女性に好かれる事に慣れ過ぎていて、セレーネの様な非肉食女子の控えめな好意に気が付かないでいるだけなのだと思うが、流石にそれを指摘するのはレティシアの中の美学に反する。それはやはり当人同士で分かり合うという道を辿って貰いたいと思う。
そこに噂をすれば何とやらで、アンディが遊びに来たので、執事にこの応接に案内を頼むと、普段はレティシアの部屋に通されるアンディが怪訝な表情で入って来たが、エミールを見て納得した様で、すぐに親しい者に浮かべる顔で「邪魔だったか?」と軽口を叩いた。
レティシアとエミールは、その軽口に乗って、「そうね~」「どうかなぁ」とちょっとだけお道化てみせると、アンディも楽しそうに笑って「レティシアが冷たいと父上に言って置こう」とレティシアの弱味であるリュークを引き合いに出した。
「えー。リューク伯父様には余計な事を言わないで!」
「まあお前の心がけ次第だな」
くくっと笑うアンディは、身内の贔屓目ではなく、なかなかに格好いい。ランドールの血筋の線の細い美しさとはまた違った男らしさがあるのに、銀糸の髪にレティシアよりも薄い色の紫水晶の瞳に通った鼻筋に薄い唇は、十分すぎるほど整っている。これでは本当に引く手数多だろうに、アンディは何故頑ななのかとレティシアは思う。
「貴方って実は女嫌いなの?私は従兄妹だから大丈夫とか?」
レティシアはエミールと話していて、本人と話さない事には真意が測りかねたので、唐突ではあるが、本日の真の議題を丁度良くやって来た本人にぶちまけた。
「はあ!?なんでそんな事、急に……エミールが何か言ったのか」
「貴方がエミールやコンラッド様を羽虫を見る様な目で見た話しは聞いたけど、エミールやコンラッド様が普通なの!あなたは、社交界デビューしたのだから、流石に少しは誘いに乗る素振り位見せてくれないと、そのうちローゼ家の若様は男色なのかなんて、面白おかしく噂が流されるわよ」
「婚約者のお前が女遊びを勧めて来て、俺がその話に乗るとでも思っているのか?」
アンディがフンと鼻を鳴らして不機嫌もあらわにレティシアに問うてきた。馬鹿馬鹿しいと目で言って来ているのがレティシアにも分かるが、幸いエミールもこの場にいるので、情勢的には二対一だ。物事の常識なんて多数決だと相場が決まっている。
「じゃあ例え話として、私が家の事情で三十歳位年上の方に嫁がなくてはならなくなったとして、私は嫌だけど、家のためならばどこへでも嫁ぐ覚悟はあるけど、それでもとっても辛いわよね?」
「お前は、例え俺と婚約しなくても、リクソール家がお前にそんな無体を強いる筈がないだろう?」
レティシアが「例え話よ!」と話の腰を折るアンディを一睨みした。
「それでも心の中ではお慕いしている方がいて、結婚前に一夜限りの恋だとしても、その方と結ばれたいと考えるの。そしてその方に『今夜だけ貴方の恋人にして下さいませ』とねだるの。そうして愛する方との思い出を抱いて私は嫁いで行くの。少しだけでも救われた気分になれると思わない?」
レティシアの言葉に「好きなやつがいるのか…」とアンディは顔を曇らせた。
「いないわよ!!た・と・え・ばの貴族の一般的なご令嬢のお話よ。実名で出すと差し障りがあるから、一応私っていう立場からの話にしただけよ。実際にそこまでで無いにしても、男爵令嬢や子爵令嬢が、好色な伯爵の後妻になるなんて話しは珍しく無いわ。エミールはそういうご令嬢に縋られて情を掛けているのよ」
「……そうだったのか。少しほっとした。エミールは相手に同情してのことだったのか」
「僕の事は、この際いいから。アンディがローゼの若様としてどう振舞う必要が有るのかっていう話合いだからね?レティシアだって、すき好んでこんな話をしている訳じゃ無いんだから、もう少し真剣に俯瞰的に自分の立場を考えて見てよ。派手に遊べっていう訳じゃ無いけど、両手にとびきりの美女を抱えて歩く位のパフォーマンスは必要だと僕は思うな。レティシアが言いたいのも多分そういう事だよ」
流石に桐箱入りの筋金入りのお坊ちゃまのアンディよりは、エミールはレティシアの言いたいところを分かってくれるようだ。レティシアは、出来るだけ派手にこの一年は遊んで貰って、結婚してからは落ち着いて来たという設定で、皆にローゼ家の若様像を認識して貰いたいのだが、エミールはアンディの肩を少し持って、華やかな演出だけで良いという譲歩案を出して来た。
エミールは、レティシアよりもアンディの理解者であるので、アンディの真面目で潔癖なところも、それはそれで個人的には好ましく感じている様だった。レティシアも、そう思う気持ちは存在しているので、アンディよりもエミールが感じているだろう感情の方が想像しやすかった。
「エミールやレティシアがいう事は分かるが、俺に寄せられる期待に応えるというのは、馬鹿馬鹿しいと感じる。そもそも好色な男を好ましいやら頼もしいと感じる輩は、年配層に偏るだろう?婚約者に一途だと思われれば、夫人方や同年代の者達からすれば、誠実に映るのではないのか?」
やりたくもない無い事を、人目など気にしてやりたくないという俺様発想から来ている考えだが、アンディの言い分にも一理ある。
しかし、その言い分を通すつもりならば、問題が何個かあった。
まずは、第一条件として、レティシアを溺愛していると喧伝しなくてはならない。
更には、リクソール家を怖れての事では無いと示す為には、結婚前に婚前交渉が有るという、レティシアとの既成事実をつくって、それなりに噂を流す必要もあった。
そして、この方向性に無理やりに持っていくからには、好きでもないレティシアと結婚するというのに、アンディに女性の影を少しでもチラつかせては成らない。今迄と全くベクトルが逆方向に動くので、アンディにとって楽そうだと思いがちだが、全く寄らせないというのも、そちらはそちらでかなりの負担になる。
それならば、中途半端ではあるが、エミールの折衷案が妥当だとレティシアは思う。
レティシアは、そう思っていたのだが、アンディはローゼの若様の我儘をここで存分に発揮して、「婚約しているのだから、早々にローゼ家に花嫁修業に入れ」とレティシアに告げた。




