「姉さん、こんなに怖い人だったの」
15時半を過ぎたところで、玄関のドアが開く音がした。そのまま足音が近づいてきたところで、高校の制服姿の姉さんが現れた。
「おかえり、姉さん」
「うん」
姉さんの返事は素っ気なかった。珍しく姉さんが帰ってくるタイミングで挨拶ができて、ぼくだけは気分が少し弾んだのだけれど。
姉さんは鞄を一旦リビングに置いて、洗面所に行ってからまた戻ってくる。
「約束の時間まであまりないから、制服のままで良いかな?」
「うん、大丈夫だと思うよ」
小学生男子のぼくであれば、3分も貰えれば早着替えができるけれど、女子高生の姉さんはそうもいかないらしい。具体的に何が違うのかはわからないけれど、そのあたりはぼくだけのものさしで考えてはいけない。
姉さんが手荷物だけ支度を整え終わったところで、ぼくの家の前に高級車が止まったーー七海さんの車だ。
ぼくと姉さんは揃って家を出る。
「こんにちは、夕霧くん。それから、初めまして、夕霧くんのお姉さん。私が水川七海です」
車の助手席から降りた七海さんが丁寧にお辞儀をする。大きな丸メガネとツインテールは変わらず、今日はサスペンダー付きのスカート姿だ。
「初めまして、雲居香純です。今日は無理を聞いてもらってごめんなさい。それから、その呼び方は億劫でしょう。香純で良いですよ」
姉さんも七海さんに対して丁寧なお辞儀を返す。女子高生から女子小学生への態度にしては丁寧すぎるような気がする。丁寧というか行儀が良いというか。
「ささっ、早速ですけどこの車に乗ってください。私は助手席に乗るので、お二人で後部座席に乗ってください」
互いに挨拶を済ませたところで、ぼくたちは車に乗り込んだ。
七海さんは彼女の家に向かう道中、助手席からしきりに話題を振ってくる。
「それにしても、お噂はかねがね聞いていましたが、お姉さん美人ですね」
「うん、そうでしょう」
「お世辞は良いですよ。それに、香純で良いと言ったはずですが」
「それでは、香純おねーさんとお呼びしましょう。香純おねーさんも年下相手に丁寧語を使わなくて良いですよ。七海さんと他人行儀でなく可愛らしく呼んでくれて良いのですよ」
「なら、七海」
「呼び捨て⁉︎」
「私の普段通りのキャラはこうなんだ。普段通りに振る舞うのを勧めたのは七海の方だろう。違うのかい?」
「い、いえ、そんなことは。圧をかけてこないでください、ご主人様」
「姉さん、七海さん、昨日の電話の内容を教えてください。詳しく」
こんな不穏なやり取りをしているにもかかわらず、初老の紳士というような出で立ちの運転手さんは穏やかな表情で運転を続けている。仕事を全うしているのか、こちら側の会話に混ざるつもりはないらしい。
「姉さん、七海さんに何か脅しをかけたりしたの?」
「いいや、脅したりなんてしていない。ただ、夕霧くんから教えてもらった情報を元にお願いしただけだよ」
「嘘です! 夕霧くんには伏せてたところまで暴いてたじゃないですか! あの言い方だと、私がお願いを聞かないと外部に暴露する流れでしたよね」
「暴露したところで、私には何の得もない。七海が私に会ってくれることで初めて、私にもメリットが生まれる。WIN-WINな状況に持ち込めたというのに、何か不満はあるのかな」
「うあああ……」
七海さんはその場で頭を抱えた。私、年上相手にも丁々発止渡り合えるのに、この人強過ぎるでしょう、歯が立たないですよとかブツブツ呟いている。
何というか、話の流れが早過ぎて追いきれなかったけれど、姉さんが小学生相手だろうがまるで容赦ないことがわかった。
姉さん、こんなに怖い人だったの。
知らなかった一面だ。
ぼくの様子を見ていたのか、姉さんは苦笑を浮かべながら、
「私は年下相手でも子供扱いはしないんだ。自分の経験によるものなんだけどね。性格陰険な大人からの悪影響だよ」
説明してくれたようで、それでもよくわからなかった。ぼくの知らない姉さんの交友関係が関わっているというのは何となくわかるけれど。
昨日よりも騒がしい車内だけど、運転手さんは変わらない調子でぼくたちを七海さんの家へ連れて行った。
お屋敷の前で降ろしてもらって、ぼくは再度、姉さんは初めて水川邸を訪れた。
まさか二日続けて来ることになるとは思わなかった。初めてでも再度でも、目を見張るほど大きなお屋敷だ。
姉さんはぼくと違って驚いたようなリアクションは見せず、目を細めて周囲を見回していた。じっくり観察しているように見える。
「面白い構造をしているな、この屋敷」
外から見ただけで、姉さんには何かが掴めたらしい。
推理、なんだろうか。
あまり詳しくは聞けていないけれど、姉さんはただ賢いというレベルを遥かに超えている。
この二日間、ぼくでもよくわからない流れに身を置いているけれど、そのおかげで今まで知らなかった姉さんの一面を少しずつ知ることができている。
姉さんと話す機会が少し増えただけで、少し、いや、こんなにもたくさん。
話せばわかるってことなんだろう。
ぼくたちは昨日と同じ茶室に案内された。今日は地下のタイムマシンに用はなく、あくまで「姉さんが七海さんと会うこと」が目的のはずだから。
ふかふかのソファに三人座ったところで、
「それでは、香純おねーさんのご用件を聞きましょうか」
七海さんが話を切り出した。
「まあ、だいたい予想はついていますが」
「うん、私の過去を見てきたということは、私の望みもわかるだろう」
姉さんは一息溜めてから、
「タイムマシンを使って、私の両親を生き返らせることができないかな?」
「すみません。それはできません」
「なるほど、わかった」
「すみません、一応ご両親を助けることができないか試してみましたが、それはどうしても変えられない事実のようで、なかなか納得してはもらえないと思いますが、って、ええっ⁉︎」
七海さんはノリツッコミをしながら、ソファから跳ね起きた。ぼくもそこまでのオーバーリアクションはできないにしても、七海さんと同様に驚いた。
「あの、納得が早くないですか?」
焦り気味に訊く七海さんだけれど、
「私もダメもとで訊いてみたんだ。むしろ、要らぬ希望を早々に破棄できてホッとしているよ」
姉さんは平然とした口調で答えた。
……ぼくはまず、姉さんの提案の方からまだ呑み込み切れていなかった。
姉さんの両親が交通事故に遭う事実をタイムマシンを使ってなかったことにすれば、姉さんの両親は助かる可能性がある。姉さんはぼくがタイムマシンを使って過去に行った話を聞いて、そのことを思い立ったのだろう。
ただ、七海さんが昨日言っていたように、タイムマシンは自由自在に使えるものではなく、姉さんの両親を助けるために使うことができない……らしい。七海さんが「できません」と答えたのは、できるかどうかを確かめた上で本当にできなかったからだと思う。
姉さんがわざわざぼくを経由して七海さんを訪ねたのは、そうまでして両親を助けたかったからのはず。それなのに。
姉さんはいやにさっぱりとした様子で、両親を助けられない事実を受け入れたのだった。
よし、整理はできた。
その上で、わからない。
「七海さん、一応詳しい理由を教えてもらえるかな」
「あ、はい。まず、タイムマシンを自由意思で動かすことができないのは、夕霧くんから聞いていますね? 加えて、仮に香純おねーさんのご両親を助けた場合のシミュレーションをしたのですが、事故の相手であるトラックの運転手はその場で事故を起こさなかった場合、別の場所でもっと大規模な事故を起こします。数字だけ見ても、数百人規模の犠牲が出ます。そこで生じるタイムパラドックスは計り知れません。ですが、その史実を変えるわけにはいかないのです。納得していただけるとは思えませんが、理解はして欲しいと思っていたんですけど……」
「いや、理解はできたよ。納得もね」
姉さんの答える調子は変わらない。
七海さんの言葉を意地悪く捉えるならば、数百人の犠牲を出さないために姉さんにとって特別な二人に犠牲になれ、と言っているようなものなのに。
どうして姉さんはこうもあっさり受け入れられるんだ。
姉さんはぼくたちの疑問を浮かべた表情を見て、笑顔を作りながら言った。
「死んだ人間は生き返らない。それはとても当たり前のことで、例え私にとってどんなに特別な人たちであってもその厳然たる事実は覆らない。タイムマシンの存在を夕霧くんから聞いて、いや、私が勝手に突き止めてしまって一瞬夢を見てしまったけれど、それが現実に回帰しただけ。たったそれだけのことだよ。……それに、シミュレーションとやらが示した可能性も十分あり得そうだからね、あの人間ならやりかねない」
ぼくたちを慰めるかのような言葉が、段々独り言のようになっていく。あの人間、というのは多分事故を起こした相手のトラックの運転手のことだろう。被害者の直接の遺族である姉さんはその人のことを知らないはずがない。
反面、ぼくには全く知らされていなかったけれど。そもそも姉さんが事故で両親を亡くしていたことすらも、全く。
「私の両親は助からない。助からなかった。その終わった事実は揺らがない。それがわかって、この話はもう終わり。ごめんね、七海さん。たったそれだけのことのために、わざわざお宅までお邪魔してしまって」
姉さんが頭を下げると、七海さんはさらにそれよりも深く頭を下げながら、
「い、いえいえ、こちらこそ何もできなくて。それと、私のことなんてどうぞ七海と呼び捨ててください」
姉さんが七海さんを丁寧に呼び直したのを、七海さん自身が戻してしまった、なんて。
少し冗談みたいな言い方で話がまとまる雰囲気だったけれど、ぼくは一人モヤモヤしていた。
誰かに不満があるとか、そういうことではなくて。
ぼくを過去に連れて行ってくれただけでなく、姉さんの両親を助けられる可能性を姉さんに言われる前から模索してくれた七海さんには感謝しかない。
姉さんは姉さんで、両親を助けたいと願うのは子供として当たり前のことで、しかし様々な事情が相まって助けることができないというのを納得して、死んだ事実を受け入れている。何も間違っていないし、なかなか簡単にできることじゃない。
…………そう。簡単にできることじゃないんだ。
姉さんは強い人だと思う。そんな姉さんにぼくは憧れている。
でも、強いだけじゃないとも思う。そうでなければ、時折寂しそうな表情を浮かべることなんてないはずだから。
この二日間、遠回りをしているようで、不思議と前進しているーーでも、まだ、答えにはたどり着けていない。まだまだ遠い。
だから、もっと姉さんのことを知りたい。
ぼくはもっと姉さんと話をしたい。
なんだか夕霧くんのモノローグが小学三年生のレベルを遥かに超えているようですが、元々地頭が良かったのと、香純姉さんとのこれまでのわずかなやり取り、この二日間での経験でぐんぐん成長しているものと思っていただければ。




