「ご主人様には逆らいません」
本文中から引用したタイトルですが、いかがわしい話ではありません。
ぼくは心臓を鷲掴みにされたような心地になった。
姉さんの過去を知りたくてタイムスリップして来たことは誰にも伝えていない。七海さんから口止めされたし、そうでなくても人に言って信用されるようなことじゃないから。
もちろん姉さんにも言えない。言っていない。
それなのに、どうして姉さんの方からそんなことを訊いてくるのか。ぼくが答える前にそれを知りたかった。
「どうしてそんなことを思ったの、姉さん?」
ぼくがそう訊くと、姉さんはぼくが質問に質問で返したことを咎めることなく、滑らかに返した。
「夕霧くんにも少し話したよね。私の絶対記憶能力のことを」
「うん」
前に教えてもらった。
絶対記憶能力。見聞きしたことを全て記憶して、絶対に忘れない能力。忘れられないという呪いみたいな力だと、姉さんは言っていた。
「だから、もちろん私の実の両親が死んだ日のことも全て覚えてる。夕方頃にちょっと頭痛がしてね、それが治った時に、それまで記憶の中に居なかった姿があったんだよ。誰のことかわかる?」
ぼくは思い出していた。姉さんを覗いていた場所から離れる時に、一瞬だけ姉さんと目が合ったことを。
姉さんはその時のことを覚えているのだ。
ぼくがタイムスリップしたことで更新された記憶も。
「夕霧くん、紛れもなく君の姿だったんだよ。背格好も同じ、顔も同じ、着ている服も今のそれと全く同じ。十一年前に君が居るなんて本来あり得ないことだけど、タイムスリップしていたなら話は別だ」
姉さんからぼくへの問いかけは確認でしかなかった。答えを既に確信しているのだから。
「夕霧くん、君はタイムスリップして十一年前の私と会っているね?」
「……はい」
気のせいだとか、そう言ってとぼけることも出来ず、ぼくは正直に答えた。
……名探偵に追い詰められる犯人のような心地だった。というか、不思議なほど生き生きとした姉さんが怖い。
「正直でよろしい。ただ、どうやってタイムスリップなんてできたんだい? まさか机の中がおかしなことになっている訳もないだろうし、ラベンダーの香りもしないし」
ラベンダーの香り?
机の中というのは多分ドラえもんの話だと思うけど。
「あれ、夕霧くんは『時をかける少女』を読んだことがない?」
「映画は前にテレビで観たことがあるけど……」
「短い話だし、今度読んでみると良いよ。ライトノベルの原点のひとつでもあるから」
「わかった。ただぼく、ライトノベルも読んだことがないんだけど」
「中学生になったら自然と読むようになるよ。誰に薦められる訳でもなく」
「へえ」
そうなのか。
姉さんはよく本を読んでいるので、時々本を貸してもらったり面白い本を教えてもらったりする。本は姉さんとの貴重なコミュニケーション手段だ。その中でもライトノベルは薦められたことがないけれど、表紙に可愛い女の子が描いてあって気になってはいる。
「いけない、話が脱線した」
「みたいだね」
「優雨ちゃんたちとお喋りしていた余韻かな……」
「ん?」
優雨ちゃんとは誰だろう。姉さんの友だちかな。
ともあれ、話を戻そう。
「どうやってタイムスリップしたのかっていうのを訊きたかったんだった。多分、夕霧くんが一緒にいた女の子が関わっていそうだけれど」
七海さんのことも見ていたのか。
「後ろ姿だけだけどね。私も見たことまでしか知らないから。でも、その子が関わっていると見て間違いなさそうだ。詳しい経緯を話してもらえる?」
「あ、はい」
脱線した話を戻す手際が良過ぎる。
ぼくは今日あったことを包み隠さず全て話した。
思い出せない誰かから紹介状をもらって、上級生の水川七海さんのところへ行き、豪邸に連れて行かれて、その地下でタイムマシンに乗り十一年前の過去へ行って、過去の姉さんの姿を見てまた現代に戻ってきたところまで。
こうして短くまとめてみても嘘みたいなめちゃくちゃさだ。正直に話してみたところで、果たして姉さんが信じてくれるか心配になったけれど。
「発明家の小学五年生。キテレツ大百科みたいだな」
七海さんと同じことを言いながら納得してくれた。……キテレツ大百科、人気過ぎないかな?
いや、姉さんは今の話を聞いて本当に触れるべきところに触れていない。
「その子の航時機ならぬタイムマシンは、話によれば、使いたい放題にできるものではないんだね」
「多分そういうことだと思う」ぼくの返事は先ほどから落ち着かない。
「世界、あるいは倫理の制約なのかもしれないね。まだ時に干渉するには、人間の倫理が追いついていないだろうから」
「倫理?」
「物事の良い悪いを判断する心のことだよ。タイムマシンを個人の欲望だけで使えるようになってしまったら、まず間違いなく世界は滅ぶだろう」
「えぇ⁉︎」
「だから、その形態が妥当だね。ただそれでも試してみる価値はあるかもしれない」
姉さんは途中から会話じゃなくて、自分の思考を口に出しているようだった。その結論とも言える内容を姉さんはぼくに伝えた。
「夕霧くん、私を七海さんに会わせてくれないかな?」
翌朝。いつものように、姉さんとはすれ違いの時間を過ごす。ご飯を食べて支度をして家を出た。
待ち合わせの場所でゆかりちゃんが立っていた。
「ゆかりちゃん、おーはよ」
「……おはよう」
むすっとした表情でゆかりちゃんは挨拶を返した。見るからに怒っているようだった。
「ゆかりちゃん、怒ってる?」
「……夕霧くん、昨日、水川七海っていう女子と帰ったんでしょ」
「そうだよ。なんで知ってるの?」
「夕霧くんが昨日あたしと帰るのを断ったから、跡をつけたの! 文句ある?」
「文句はないけど」
言い訳もなく堂々としたゆかりちゃんであった。
「今日は一緒に帰れそうなの?」
「うん、一応ね」
「一応?」
「帰れる帰れる! ゆかりちゃんと以外帰りたくないくらい帰れるよ!」
凄まれたので、つい慌て気味な返し方になってしまった。ショートカットなのに毛先が逆立っていて、怖かった。ぼくに後ろめたいところは特にないはずなのだけれど。
「そっか。じゃあ、はい!」
手を差し出される。
握り拳を作って置いてみた。
「お手じゃないの! ほら、今日は手を繋いで行こ!」
「えー、もう低学年でもないし、そろそろ恥ずかしいよ」
「夕霧くん、良いの? 大人しく手を繋がないと、あたしに怒られちゃうんだよ?」
忠告するかのように脅された。
これ以上怒られたくはないので、ぼくは彼女に従って手を繋ぐ。
手を繋いだまま、ゆかりちゃんはご機嫌な様子で腕を振る。
「ふふっ。帰りも繋ごうね?」
「え、帰りも」
「繋ぐよね?」
「はい」
彼女の笑顔を守るため、ひいては自分の身の安全のために素直に従うことをぼくは選んだのだった。
時は飛んで放課後。
同級生からの煩わしい視線が本当に嫌だったけれど、約束通りゆかりちゃんとまた手を繋いで帰ってきた。
家に着いて、まだ姉さんの姿がなかったけれど、じきに帰ってくるだろう。
昨晩、姉さんからの申し出で、再び七海さんと会うことになったのだ。
まさかこんなに早く交換した連絡先を使うことになるとは思わなかった。七海さんに会いたいという姉さんからのお願いを断れず、直後に七海さんに連絡を入れた。
「私から直接お願いするよ。ちょっと携帯貸してくれる?」
ぼくが自分のスマホを渡すと、姉さんは廊下に出て行った。メッセージを送るのではなく電話をするようだ。聞き耳を立てるでもなく、その場でしばらく待っていると、姉さんが戻ってきてぼくのスマホを返してくれた。
「明日の16時に家に迎えに来てくれることになったよ。夕霧くんも明日はよろしく。それじゃあ、おやすみ」
そう言い残すと、姉さんは再びぼくの部屋を出て自分の部屋へと戻って行った。
返されたスマホを見ると、まだ通話中になっている。
「もしもし、七海さん。夕霧です。突然すみませんでした」
『あー、いえいえ。良いんですよ。いつでも頼れと言ったのは私の方なのですから。……ところで、近くにお姉さんは居ますか?』
「姉さんはもう自分の部屋に戻りましたよ」
『ほっ、それなら電話口から漏れる心配もなさそうですね。ふぅ……』
「七海さん? どうしたんですか?」
『夕霧くん! 君のお姉さん、あんなに怖い人だなんて聞いてないんですけど!』
「え? 怖い?」
何のことだろう。
『あの悲壮感に溢れた美幼女があんな強かな女の人になるなんて、十年近くで一体何があったんですか、あの人に? 私、断れませんでしたよ』
電話口から七海さんの怯える様子が目に浮かんだ。
姉さんに何を言われたんだ。
「あの、七海さん、無理なら断ってくれても良いんですよ」
『大丈夫です。ご主人様には逆らいません』
「いつから姉さんが七海さんのご主人様になったんですか⁉︎」
『私は女子高生からいじめを受けてなんかいません!』
「姉さんからいじめを受けてたんですか⁉︎」
本当、姉さんが廊下に出て七海さんと電話していた短い時間に何があったんだ。
『まあ、冗談はさておき、お姉さんが既に言ったかもしれませんが、明日の16時にお家へお迎えにあがります。迷惑でなければ夕霧くんもついてきてくれると嬉しいです』
「ぼくは大丈夫ですよ。むしろ、ぼくがついて行って迷惑にならなければ良いんですけど」
『迷惑だなんてとんでもない! お姉さんと二人きりにしないでください』
「ねえ、七海さん! 本当にさっき姉さんと何を話してたんですか⁉︎」
本格的に問い詰めたくなったけれど、「ではそういうことで〜」と電話が切れてしまった。
こういう経緯から、ぼくと姉さんは家で二人揃ってから、七海さんの家の車に拾ってもらうことになったのだ。
姉さんもまだ帰ってきていないし、16時までにはまだ時間がある。
ぼくは冷蔵庫からペットボトルの緑茶を出して、コップに入れて一気に飲んだ。
秋から冬にかけての乾燥した空気で乾いた喉を、今だけでも潤しておきたかった。




