わたしがわたしであるために(2)
優雨の話は優雨が自分でするべきであると思うんだけれど、何の因果か、兄の僕に語り手を委ねられてしまった。自分で自分の話をするのが恥ずかしいなんて、ここまで来ておいて今さら何を言っているんだ感が否めない。が、今回に限っては大目に見ても良いかとも思う。まあ、気持ちはわからないではないから。ため息混じりに引き受けるとしよう。
ただ、その場に居合わせなかった僕が何故語ることができるのかは、また後で話そう。
「優雨よ! 何ゆえもがき生きるのか? 滅びこそ我が喜び。死にゆく者こそ美しい。さあ、我が腕の中で息絶えるがよい!」
僕と散々やり合った後の夜のこと。期間限定の居候、風早日和おねーさんが借りている部屋を訪れた優雨は、おねーさんからのそんなセリフで出迎えられた。
ゾーマのセリフで出迎える理由が意味不明だし、Tシャツショーパン、黒い丸メガネに横髪と前髪を頭のてっぺんでちょんまげのように括っている姿も相まって、色々とチグハグである。
おねーさんは机の上に何かのテキストとルーズリーフを広げて勉強をしていたようだ。優雨は「今忙しいなら、また後で」と部屋を出て行こうとしたが、おねーさんに全力で引き止められた。「全然忙しくない! 可愛い女の子以上に優先すべきことなんて何もないわ」と、結構強引にベッドに座らされた。
おねーさんは座らせた優雨の隣に腰掛けると、眼鏡を取り、括っていた髪を解いた。少しだけ波打った長い黒髪が広がる。
優雨は気づいた。おねーさんは優雨が彼女を知っていた頃の姿に戻したのだということに。
今でこそ眼鏡をかけていたり、髪を括ったりしているおねーさんだけれど、優雨の思い出の中の彼女は目の前の彼女のように、髪を奔放に広げて大きな瞳をむき出しにしていたのだ。
「やっと心の準備ができたのかな? わたしはずっと待っていたよん」
茶化したような口調とは裏腹に、おねーさんは幼い娘を見守る母親のような優しい眼差しを優雨に向けている。優雨は、うーんうーんと唸りながらも、上目遣いでおねーさんに言った。
「うーん、どこから言ったら良いかわからないんだけど、とりあえず、ずっと無視するようなことをしていてごめんなさい」
「いーよ、別に」
おねーさんはあっさりと許す。
「むしろ、わたしの何が優雨ちゃんにそういう行動をさせちゃったのかと気を揉んだものだよ。脚も使ったりして、色々わかったけれどね」
「…………」
「その一環で咲良ちゃんの家に押しかけてみたことがあったんだけどさ、あの子めちゃくちゃ可愛くなってたよね!」
「……うん。咲良ちゃん、日に日に可愛さを増しているよ」
生き生きと話すおねーさんに対して、いつもと比べて優雨のテンションは抑えられている。
「あの子ねー、今は女の子と女性の間にある感じでそれはそれでとても良いんだけれど、あと二年か三年したらとんでもないことになると思うの。世の男たちが放っておかないくらいの女性になると思うわ。その時にまた会えるかはわからないけれど、今から楽しみ!」
「………………」
「……なーんて、こんな風に可愛い女の子が好きなところとか、わたしとあなたはよく似ているよね、優雨ちゃん♪」
おねーさんは初めて年相応な大人の妖しさを帯びた笑みを浮かべた。優雨はおねーさんをまっすぐに見つめ返しながらも、背中をビクッと震わせた。
おねーさんはそんな優雨の様子を見ながらも、全く調子を変えずに続ける。
「可愛い女の子とじゃれ合うのが好きで、人をからかうことも好きで、スキンシップは多め、ボケかツッコミかで言ったら圧倒的にボケ、場を明るくするムードメーカー。そして、何も考えていないようで、実は周りをよく見ている。自分が大好きで、他のみんなのことも大好き。…………一応自分なりに自分の特徴を挙げてみたんだけど、これって全部優雨ちゃんにも当てはまると思わない? 違う?」
「違わない。多分、全部わたしもそう」
「そうよね、何故なら、優雨ちゃんのそのキャラの雛型はわたしだから」
「…………」
優雨は押し黙っている。違うものは違うと立場を超えてでも言うことのできる優雨でも、自分が否定できないことは否定できないのだ。
「むかーしむかしの幼かった頃の優雨ちゃんは人見知りの恥ずかしがり屋さんだった。まあ、その年頃の子ならありがちではあるんだけどさ。そんな彼女の前に現れた、同じ年代で少し年上の女の子。親よりも歳が遥かに近く、それでいて頼りにしていたお兄ちゃんも楽しく振り回せるような存在。そんな女の子に憧れて、優雨ちゃんも彼女みたいになりたいと思った。それが今に至るまで続いていて、今の優雨ちゃんを形作っているって訳ね。今の優雨ちゃんのもとになった女の子こそ、このわたし、風早日和ちゃんなのだー! っていうことだと思ってるんだけど、どこか間違ってた?」
ううん、と優雨は首を横に降る。
「わたしはね、ずっと日和……さんみたいな女の子になりたいと思ってた。昔はそうで、今も直接意識していた訳じゃないけど、根底にはずっとずっとその憧れがあったんだと思う。でもね、でも、再会したら、何だかわたしが偽物みたいに思えてきて怖かったの。だから、大好きだったのに、顔を合わせたくなくて……」
「うん、それで、」
おねーさんは大きな目を細めて言った。
「それじゃあ、優雨ちゃんはわたしのコピー。偽物ってことなのかな?」
「違う!」
優雨は瞳を爛々と輝かせて、はっきりと言った。
「きっかけは日和おねーちゃんだったかもしれない。でも、わたしが大好きなものはわたしが大好きだと思ったから。わたしがやりたいことはわたしがやりたいと思ったから。わたしを突き動かす心は他の誰のものでもないし、誰かに言われたからでもない。わたしはわたしだけのもの。誰かの偽物なんかじゃない! 誰にでも誇りを持って出せるわたし自身なんだから!」
叫ぶように、堂々と自信を持って、他の誰でもない優雨らしく、優雨は言った。そして、
「その通りよ!」
聞いたおねーさんは感極まったように、優雨に抱きついた。自分の存在をしっかりと相手に伝えるように、相手の存在をしっかりと自分で感じるようにきつく抱きしめた。
女の子とのスキンシップに慣れている優雨ではあるが、先ほどまでの場の空気とのギャップで混乱し、思考がフリーズしてしまった。
「え? え?」
「そうよ、よく言ったわ! わたしの方から言おうと思っていたんだけれど、よくぞ自分から言ってくれたわね! 痛快! 最高よ、優雨ちゃん!」
そう言いながら抱きついた手で優雨の背中を撫で回したり、頬ずりしたりしていたが、やがて手を優雨の両肩に置き、おねーさんは優雨をまっすぐに見つめ返しながら言った。
「もう要らないと思うけれど、わたしからも言わせてちょうだい。あなたはわたしの偽物じゃない。あなたは他の誰でもない、寺井優雨よ。あなたはあなた自身であることを誇りなさい」
「うん!」
二人は笑い合った。よく似てはいるけれど、二者二様の笑顔で。
おねーさんは姿勢を崩して、長い脚を伸ばしてバタ足のように動かす。
「ついでに言えば、優雨ちゃん。これは元々本物か偽物かっていう話じゃないんだよ。だって、似ているようでわたしと優雨ちゃんは別物なんだもん」
「別物?」
首をかしげる優雨。
「そ、別物。わたしも確かに可愛い女の子は好きなんだけど、優雨ちゃんのようにたくさんの女の子と遊ぶようなことはなかった。どうしてかわかる?」
「んーん、わかんない」
「優雨ちゃんほど、女の子の可愛さを見つけることが上手じゃなかったからだよ」
「そうなの?」
「うん。だって、可愛い女の子も居れば、可愛くない女の子だって居るでしょう。可愛くない女の子ってのはつまり、魅力がわからないような子。魅力がわからない子を好きにはなれないよ、さすがのわたしでも。ただ、優雨ちゃんの優雨ちゃんの周りの子たちは、可愛い子はもちろん可愛いし、わたしの審美眼ではそう思えなかった子たちも可愛く見えてくるの。どうしてか、わかるかな?」
「んーん」
優雨はまた首を横に振った。自分でものを考えないようなタイプではないから、本当に自覚がないのである。おねーさんはそんな優雨を微笑ましく思いながら、続けた。
「それはね、あなたが人の良いところを見つけて引き出せる子だからよ。ただ、褒めるだけなら誰にでもできるけれど、各人の良いところを的確に見つけ出せるのは誰にでもできることじゃない。だから、あなたはみんなのことを好きだし、みんながあなたのことを好きになってくれるの。わたしの真似どころか、わたしなんかより優雨ちゃんの方がよっぽどすごいわ。わたしの完敗」
おねーさんは両手を挙げて、べっと舌を出した。その仕草の悪戯っぽさからはわかりづらいが、おねーさんは負けを認めたらしい。
「じゃあ、わたしの勝ちってこと?」
優雨は瞳を輝かせて言う。
「うん、わたしの負け。元々競争をしてた訳じゃないし、約束もしてなかったけれど、良いよ。おねーさん、一個だけなら何でも言うことを聞いてあげる」
負けたと言うには、おねーさんの表情はあまりにも清々しい。「何でも言うことを……」と言われて、しばらく優雨は考え込むようにしていたが、やがて思いついたようで、優雨の頭上で電球が光った。
「兄さんとか咲良ちゃんには『おねーさん』って呼ばせてるけど、わたしだけは昔みたいに『おねーちゃん』って呼んでも良い?」
「……良いよっ。お安い御用さ!」
おねーさんはニッと歯を出して笑った。
「…………あまりにもお安い御用だから、今晩、わたしの恥ずかしい話もしてあげるよ」
以上が、僕が語れる範囲の一部始終である。繰り返すが、僕はその場に居合わせていない。同じ家だからといって、聞き耳を立てていた訳でもない。ならば、どうして語ることができたかと言えば、
「……昨夜はお楽しみでしたね」
「「もっちろん!」」
朝食の席で、二人並んで仲良く箸をつついている優雨とおねーさんから全てを聞いたからだ。
今朝になって昨日までとは打って変わった二人の意気投合ぶりに驚いた僕が訊いたところ、今語ったような経緯で仲直りできたようである。日和おねーさんが優雨に語ったらしい『恥ずかしい話』については教えてもらえなかったけれど、
「おねーちゃん、ソーセージ食べるー?」
「あ、もらうもらうー。あーん…………、うん、焼き加減最高! ハルくん、こんな可愛い妹と朝食を取れるなんて幸せ者だよ、わたし〜」
昨夜、優雨とおねーさんは話した後、そのまま一緒に寝たらしい。それで、今朝のこのイチャつきよう。仲直りして欲しいとは思っていたが、これはやり過ぎだ。旧交を温めた以上の何かがあったのかもしれない。
しかしそれにしたって、どうして、朝っぱらからこんな桃色の空気に当てられなければならないのか。
両親は両親でいつものごとく夫婦らしくしており、優雨とおねーさんはコレだし、五人の食卓なのに、二人と二人と一人といった感じだ。
一連の件で、結局僕は主人公らしいことは何もできなかったけれど、最後くらいは主人公らしい一言を添えたいと思う。
頬杖を突いて。
緩む頬を押さえながら。
「やれやれ」
セカンドシーズンほぼ終わりですが、もうちょっとだけ続きます。




