わたしがわたしであるために(1)
色々忙しく、亀更新になってしまって申し訳ないです……。
「それじゃあ、私、そろそろ部活の方に行って来るから」
「行ってらっしゃ〜い。らびゅ〜〜♪」
グラウンドの方に駆けて行ったお友だちを見送ってから、わたしは一人で校舎に入った。結構早い時間だから、まだ他の生徒はあまり来ていない。それこそ、さっきの友だちみたいに部活の朝練でもない限り、普通の生徒はあと三十分くらいは登校してこないだろう。
では、わたしは?
可愛い女の子と一緒に登校したかったからに決まっているじゃあないか!
普段は活発な子の眠たげに伏せられた瞳、無防備な大あくび、……萌えるよね。一方わたしは朝が結構強い方なので、可愛い女の子成分も補給できたことだし、元気一杯である。
意気揚々と廊下を歩き教室に着くと、廊下以上に人の気配が全くなかった。わたしはまっすぐに自分の席まで行って、机の横に鞄を引っ掛け、椅子に座った。
そして、机に突っ伏した。
世にも恐ろしい時間の始まりだ。
楽しい時間の後に訪れる寂しい時間。祭りの後のような惨めな気持ち。気分の高揚が冷めて、望んでもないのに冷静さが戻ってくる嫌な感じ。いわゆる賢者タイムというものだろうか、いや、ちょっと違うかな。
とにかく、賢者タイムにも似た何かはここ最近特にひどい。その訳はーー本当はわかっているんだけどね。
わたしはちょっと前からうちで居候している風早日和さんを避けている。
うちではおねーさんぶりを、学校では人気者の教育実習生ぶりを意気揚々と発揮している彼女を、わたしは避けて遠ざけているーー現に、わたしが運動部の友だちに付き合って早い時間に登校しているのもその一環だ。
彼女を嫌ってるなんてことはない。むしろ、昔から大好きだ。大好きで大好きで、ずっと憧れていた人だ。
前向きで、まっすぐで、好きなものを好きだとはっきり言える強さを持つ彼女みたいになりたいと、昔も今もこれからも思い続けている。
そんな、ずっと憧憬を向けていた彼女と突然再会することになったわたしだけれど、何故か喜ぶことはできなかった。今の彼女の姿に幻滅したなんてことはまるでなく、むしろわたしの思い出の中の姿よりも更に立派になっていたのに。可愛くて綺麗で素敵な女性に飛びついてラブを振りまいてもおかしくないわたしのはずなのに。
それなのに、わたしは彼女に近づき彼女を近づけることができないでいる。
何かがこわい。でも、何がこわいのかがわからない。
何かが後ろめたい。でも、何が後ろめたいのかがわからない。
…………いや、わからないことは多分ない。本当はわかっているんだと思う。
向き合いたくないだけなんだ。
本当は強くない自分に。
うーん、なんか、こうやって悩んでいるのも実にわたしらしくないよね。思春期パワーを大爆発させて、色々とあれこれ思い悩むのは兄さんの仕事だというのに。普段のわたしは直感の赴くままに行け行けゴーゴーだけど、さすがに今回は考えなしに突っ込んだら玉砕してしまうこと請け合いだと思う。
誰かに相談しようか? でも、誰に?
そもそも、わたし自身が思い悩んでいることの正体についてよくわかっていないのだ。「自分がわからないことは人にも訊くな」とよく言うけれど、正確に言えば、自分でも仮説を立てられないようなことを人に訊いたところで、そもそも問題の成立の時点からあやふやであるから、相談された方も答えようがない、ということだろう。まさしく、わたしの今の状況そのものだ。
ならば、色々と察しの良い、わたしの天使、香純ちゃんに相談するのはどうかーーいや、香純ちゃんも何となくダメな気がする。
言葉にしづらい感覚で説明が難しいんだけど、香純ちゃんは全てを知った上で「我関せず」の態度をとっているような嫌いがある。お節介な兄さんがわたしのことについて香純ちゃんに相談して、香純ちゃんはその時に状況は知り、その上で「手出し無用」という結論を出したのかもしれない。穿ち過ぎかな? でも、そう考えると、香純ちゃんも兄さんも何も言ってこないことに説明がつく。
でもなぜ、「手出し無用」なのか?
わたしが一人で解決すべき問題だから?
いや、それ以前にーーと考えたところで、わたしは思考をストップさせたくなった。自分にとって都合の悪い結論に至りそうになったからだ。かといって、それを避けて考えていても結局は堂々巡りになってしまう。ああ、不毛。
やっぱりわたしの柄じゃないんだよ、こういうのは。
わたしはそのまま机に突っ伏した。思考を放棄して、仮眠を取ろう。少し疲れた。
ぐっすりとはいかなかったけれど、わたしは香純ちゃんに「おはよう」と声をかけられるまで静かに眠っていた。
挨拶の後のおしゃべりはいつも通り。絶対に家の中の話はしない香純ちゃんとは、お昼休みの後にある体育への不満を愚痴っていただけだった。
あっという間に放課後。授業中は普通に勉強してるし、休み時間は女の子たちのところに遊びに行くのに忙しいから、一日が経つのがホント早いの。
しかし、今日は困ったことに放課後に女の子たちの都合がつかないので、そのまま帰らなければならなくなったーーちなみに、香純ちゃんはホームルームが終わってすぐにどこかへフラッと消えてしまった。さみしいよぅ。
今はちょっと家に寄りつきたくないから都合が悪い。けど、今日はこのまま真っ直ぐ帰るしかないか。
一人きりの帰り道はとても早い。すぐに家の玄関に着き、靴を確認すると兄さんのスニーカーしかなかった。一階に人の気配がしないから、多分兄さんは二階の自分の部屋に居るのだろう。お母さんは買い物かな。
手洗いうがい、それでもって自分の部屋でパーカーとショートパンツの部屋着にお着替え。
気まぐれなわたしは気まぐれを起こして、兄さんの部屋に入ってみることにした。ノックはしない。
中ではベッドの上で壁に寄りかかったまま、兄さんが何か文庫本を読んでいた。兄さんも帰って来てからある程度時間が経ってるらしく、ちゃんと制服から着替えていた。
「なんだ、優雨。部屋に入る時はノックしろって言ってるだろう」
「えー、だって兄さん、この前ちゃんとノックして入ったのに文句言ってきたじゃん」
「あれは、ノックの回数が二回だとトイレの時にするものだから失礼だっていう話をした後に、二回のノックをしたからだろ」
「細かいなあ。神経質な男は嫌われるよー」
「ほっとけ」
「んで、兄さん、ちょっとそのままの状態で足を真っ直ぐ伸ばしてみて」
「なんで?」
「良いから良いから」
「ん、こうか?」
「そうそう」
わたしはベッドの上に素早く飛び込み、兄さんの太ももの上に頭を載せて寝転んだ。兄さんは脚を上げて抵抗しようとするけれど、わたしも頭と首に力を込めてさらに抵抗する。兄さんの抵抗がおさまってきたところで、わたしは言った。
「ねえ、兄さん、わたし結構色んな女の子の膝枕を体験してきたわけよ」
「あー、そう」
答える兄さんの声は気持ち憮然としている。
「お母さんは殿堂入りだとして、一番心地良かったのはやっぱり咲良ちゃんなんだよね。ボンキュッボンのパーフェクトボディーで肉付きが良いから、良い感じにフカフカなのよ」
「そうだな」
「うん。……ん? 今、『そうだな』って言った? 兄さんも咲良ちゃんに膝枕してもらったことあるの⁉︎」
あまりに聞き捨てならないことを言った兄さんは、慌てた口調でこう返す。
「いや、適当に相槌を打っただけだよ。やってもらったことはない」
「ふーん」
言い訳としては弱いけれど、この場ではこれ以上の追及はやめてあげよう。
優雨ちゃんはとっても優しいからね。
「それでね、思ってたほど膝枕の感触はあんまり良くなかったのは香純ちゃんなんだ。香純ちゃんは華奢な方で足が細いの。だから、ちょっと物足りないんだけど、良い匂いがするし、反応が可愛いから、それはそれで楽しい」
「反応が可愛い?」
「そう! 香純ちゃんってこういうスキンシップに慣れてないっぽいから、反応がウブなのよ」
「嫌がってるだけじゃないのか?」
「んーん、嫌じゃないけど、どうしようかちょっと戸惑ってるみたいだった。かわゆい」
「ふーん」
「兄さんもやってもらいたい? お願いすればやってくれるんじゃないの」
「良いよ、別に。やってもらわなくても」
「ちぇー、つまんないの。で、兄さんの膝枕はねー、これはダメ。男だからやっぱり固め。わたしは柔らかめの枕が好みなんだよね。別に良い匂いもしないし。ただただうちの匂いがするだけ」
「なら、今すぐに僕の膝からどけ」
「やだ」
「……………………」
しばらく、沈黙が続く。わたしは顔を上げずに真っ直ぐに向こうの壁を見ているから、兄さんがどんな表情をしているかはわからないーーーー兄さんの方からも、わたしがどんな表情をしているかはわからない、はずだ。
「兄さんさあ、前に仮面ライダーのおもちゃ持ってたでしょ。それ使ってヒーローごっことかやったよね」
「ああ、昔はよくやってたな。懐かしい」
「うん。そのヒーローごっこって、つまりヒーローになりきるってことでしょう。でも、そんな風になりきった自分が本物のヒーローに会ったらさ、いたたまれない気持ちにならない?」
「いたたまれない?」
「いたたまれないし、恥ずかしい。憧れのヒーローに会えたのは嬉しいよ。嬉しいんだけど、反対に自分の小ささを思い知らされるというかさ。わかる?」
「言ってることはわかる。けど、お前にしては卑屈な例え話だな」
「うっさい」
「何を例えての話かはわからないけど、それは本物ではないとしても偽物でもないんじゃないのか?」
「偽物じゃないって?」
「ヒーローの真似事をしていたとしても、真似をするそいつにだって個性はある。偽物と切って捨てることはないし、あんまり卑下することないと思うよ。………お前は、お前だろ、優雨」
「む……」
…………………………。
兄さんのくせに言うじゃないか、見透かしたようなことを。そこまでわかりやすかったのかと思うと、なんか悔しい。
それ以上に、兄のちょっとした言葉に心の奥底で、ほんのちょびっとだけだよ、ちょびっとだけだけど、救われたような気分になるのがムカつく。
ムカつくので、太もも上に載せた頭を兄さんの鳩尾に打ちつけた。「うごっ!」と呻く兄。わたしも後頭部が肋骨に当たって、ちょっと痛い。わたしが兄さんの顔を見上げたのと同じタイミングで、
「いてーな! 何すんだ!」
兄さんが怒鳴ってきた。怒鳴られた。
「兄さん、ひどいわ。可愛い妹を怒鳴るなんて! お父さん、お母さん、兄さんと、学校の先生にしか怒鳴られたことないのに!」
「それだけ怒鳴られたら十分だろ! あと、ひどいのはいきなり頭突きしてきたお前だよ!」
「本当に痛いのは頭突きされた兄さんなのか? いいえ、本当に痛いのは頭突きをしたわたしの頭と心なのよ!」
「そんな言い分が通ってたまるか!」
それから約一時間、わたしと兄さんは言い合い取っ組み合いの喧嘩になった。ここまでのレベルで兄さんとやり合ったのは久しぶり。お互いに部屋着を皺だらけにして、息を切らせている。
「兄さんやい」
「なんだよ」
「ありがとね」
「…………なんのことだかわからないな」
目が合ったかと思うと、兄妹そろってケラケラ笑ってしまった。何がおかしい訳でも面白い訳でもなく、そこに理屈も理由も何もない。ただ、なんとなく。
わたしは兄さんの部屋を出て行った。
そろそろあの人も帰って来た頃だろう。
英気を養うことができた、なんて言うと何だかシャクだから、準備運動ができた、くらいに思っておこう。
いざ、世界で最も規模の小さい最終決戦へ!




