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兄妹シリーズ  作者: モンブラン
1stシーズン〜兄妹と愉快な仲間たち編〜
24/250

おかしなふたり

短編としてすでに投稿してありますが、一応シリーズのキャラが登場しておりますのでひとまとめにここでも掲載させていただきます。

 自分が特別な人間であることに抵抗はないけれど、抵抗を持つ人も居るらしい、と他人事程度には、家達紗奈(いえたちしゃな)は認識していた。

「自分は普通だ」「あなたは変だ」とか、軽々に皆が言うものの、紗奈には心底どうでも良いことだ。各々に各々の個性があるのだから、「変だ」ということを個性的という意味で言っているのであれば至極当たり前のこと。

 変と言うなら、みんな変だ。だが、「普通だ」となると、その範疇で収まらない人間が居る。数多の個性があると言っても、大概の個性は常識の外を出ない――ある程度の人間、それが普通なのだ。

 しかし、家達紗奈は違う。彼女の持つ高い洞察力、観察力、そして、それらを纏めて結論を出す推理力はその他大勢を遥かに逸脱している。

「一を聞いて十を知る」という諺があり、大抵の人間はそれを達成することすら困難であるけれど、家達紗奈にとっては一を聞いて十以上の情報を得ることはとても容易い――これは、変であり、特別であり、また、天才であるとも言うことができる。

 努力をしていない訳ではない。それでも、彼女の立つステージには、努力だけではおよそ到達することは不可能である。彼女の隣には誰も並び立つことはできない。

 だから、彼女は早々に見切りをつけて、自分らしさを損なわない生き方を選んだ。

 馴れ合いはしない。助け合いもしない。

 解きたい謎を解く。暴きたい秘密を暴く。

 彼女はそう在り続けた――自分と同じ匂いのする少女と出会うまでは。





 その少女は、駅に近い小さな公園のベンチの真ん中に腰掛けていた。紗奈はその公園を通りすがったところ、公園内の光景にわずかな違和感を持った。

 同年代の少年少女たちが公園のあまり広くないスペースを縦横無尽に駆け回る中、その少女はベンチから微動だにしない。知り合いではないのか、はたまた彼女か他の子どもたちの方が無視や拒絶をしているのか。そのどちらかだろうと思い、紗奈が少女の方を振り返る――しかし、彼女はそこに答え以上のものを得た。

 紗奈と少女は目が合った。そして、少女はにっこりと微笑んだ。それだけで紗奈には十分伝わった。「ああ、この子はあたくしと同類ですわ」





「あら、逃げないんですのね?」


 紗奈も少女の座るベンチに腰掛けた。先ほどまで真ん中に座っていた少女は、少女から見て右端の方に移動した。少女はどこか遠くを見るような目つきで前を向いており、紗奈とは目を合わせようとしない。


「普通、知らない大人に話しかけられたら、警戒して一目散に逃げ出すものではなくって?」


 紗奈は少女を観察しながら、からかうように言った。が、少女の方は紗奈の方を見ないまま、


「害意は感じませんから、逃げる必要はないでしょう。そういうつもりの場合も、…………まあ、どうでも良いです」


 言葉の通り、心底どうでも良さそうにそう言うのみだった。口調がやけに大人びている。見た目よりも十年や二十年は上のようだ。賢いことには違いないが、これはどういうことだろう。背伸びしているというよりかは、むしろ無理やり引き伸ばされているような……と、考えたところで、自分がカウンセリングを始めようとしていることに、紗奈は驚いた。初めて会った少女相手に何故?

 なかなかに可愛らしい顔立ち。清潔な薄紫色のワンピースに身を包んでいる。首の後ろあたりまで伸びた髪も整っている。外傷は見受けられない……いや、虐待の可能性を示唆するものを探すつもりはないが、このくらいの齢の子どもが公園で親と共に居ないことは気になる。


「視線がくすぐったいですねえ。私なんかをジロジロと見たところで、何の益もないと思いますが」


 紗奈から浴びせられる視線がさすがに気になったのか、少女は揶揄するように言った。が、


「あなた、名前は何と言いますの?」


 紗奈は応えず、逆に少女に問いかけた。少女はようやく紗奈と顔を合わせて、口だけを動かして答える。


「…………香純(かすみ)です。私の名前は香純です」


 紗奈はその名乗りに一瞬沈黙したのち、


「香純、あなた最近苗字が変わりました? 名乗りに躊躇いを感じたのですが」

「最近ではありませんが、確かに私は苗字が変わったことがあります。何故それを?」

「初対面の人間相手にフルネームで名乗らないこと、名乗る際のわずかな沈黙と表情から、何となく。今の家族が好かないようですわね」

「……何故分かったか、という意味でなく、何故そんなことを知ろうとするのかを問いかけたつもりだったんですけれど。貴女は探偵か何かですか?」

「おや、よく分かりましたわね。察しの良いガキは嫌いじゃないですわ」

「へえ、そうなんですか、私って。であれば、好感持てるガキを見逃していただける訳にはいきませんかね」

「ハッ、いつあたくしが好感を持ったなどと言いましたか? ……見逃すには惜しい個性ではありますが」

「はっはー、サーカスにでも売り飛ばしますか?」

「香純、あなたは独りで生きるには未熟ですわ。せめて、ものを推し量る力をつけなさい」

「……何の誘いのつもりですか?」

「あたくしに師事なさい。そうすれば、あなたが身につけるべき力を授けてあげますわ」


 香純はこれまでで最も警戒の込もった視線を紗奈に向けた。香純がようやく紗奈をコミュニケーションの相手として認め始めている兆しであるように、紗奈には思えた。


「貴女の目的が測りかねます。見も知らぬ赤の他人であるところの貴女が、私を一体どうするつもりなんです? 貴女に師事して、私は具体的に何を得られるんでしょうか?」

「身につけるべき力を授ける、と説明したつもりなんですけれどね。ですが、動機の方は我ながら不明ですわ。気まぐれとしか言えません」


 紗奈は本心を語っている。

 確かに、紗奈は他人のプライバシーを好き勝手に暴いたりなど他人の領分に必要以上に踏み込むような人間ではあるが、香純という少女に対しては踏み込むアプローチが異なる。

 こういう折によく挙げられがちな「共感」という線を一瞬考えたが、その一瞬の後にそれを一蹴した。紗奈と香純とでは抱える孤独の種類が違うからだ。


「お菓子をあげるから一緒に来い、と連れ出して誘拐する犯罪者と言っていることが変わりませんよ、貴女」

「見も知らぬガキにお菓子なんてあげませんわ。笛も吹きませんし」

「ハーメルンの笛吹き男は関係ないですよね」

「これだけの情報でよくわかりましたわね。それに香純、あなたツッコミもできるんですのね?」

「……憧れている人に倣って覚えただけです」

「マセてますわね」

「普通、芸人を思い浮かべるところでは?」

「恋する乙女の顔でしたので」

「誤解も良いところですよ。……恋も何も、私の心はもう死んでしまっていますから」

「………………」

「何か訝っていますか?」

「いいえ。仕事のことを考えていただけですわ。主に頭脳を労働の手段とするあたくしにとって、会話をしながらの思考はやや負担になりまして。故の沈黙ですわ」


 表情を一ミクロンも動かさず、紗奈は嘘をついた。


「話を戻しますが、香純。あたくしの誘いを受ける気にはなりまして?」

「話を迂回させて警戒を薄めようとする意図を感じましたけど」


 それを聞いて、紗奈は目を細めて微笑んだ。およそ、子どもに向けるようなものではない、罠にかかった獲物を見遣る表情である。

 紗奈と目を合わせない香純はそれに気づかないままに、続ける。


「師事、というのがまだピンと来ませんが、時折この公園で話し相手になるくらいなら構いませんよ」

「それで結構。十分ですわ。香純、」


 紗奈は香純に手を差し出した。香純はおずおずとその手に自身の小さな手を乗せる。握手らしくない握手だった。


「これから、その、よろしくお願いします」

「ええ、よろしくお願いしますわ。質問はあります?」

「今はありませんが、追々訊いていこうかと」

「では、師から一言。まずは、あたくしの名を訊くことから始めなさい」


 こうして女性と少女の奇妙な師弟関係が始まったのだった。





 その日の夜、自室の天蓋付きベッドの上で紗奈は香純のことを思い出して、思考の海に落ちていた。

 家族とは?

 人は一人で生きていけないのと同様に、人は家族が居なければ生まれ育たない。

 しかし、家族を形成する人間が不動であるとも限らない。実際のところは知らないが、香純は一度家族を失ったのではないだろうか。それでも、あのように生活環境に不足がなさそうなところを見ると、失った後に新しい家族を手に入れたと見える。父親と母親、……きょうだいはない場合もあるが、とにかく親のポストは埋まったのだろう。

 埋められなかったのは、愛情か。

 愛情の定義付けまで考え始めるのは、その広義性故に非常に煩わしいので、紗奈が彼女なりに打ち出した「その人をかけがえのないものと認め、特別な思いを持つこと、あるいは行動を取ること」という一般的な愛情の定義に基づいて考えるものとする。

 今の香純にはその愛情が欠けている。

 ただ失ったのではなく、失ったものを取り戻した後で再び失ったのか。…………これは思考の飛躍かもしれないが、取り戻したことが錯覚だということを己の鋭さをもって知ってしまったのかもしれない。その絶望は、いくら聡い子どもであるとはいえ、幼い香純をどれだけ傷つけたことだろう。想像、もとい推理するに余りある。

 そして、何より良くないことに、香純は他の人間全てに対して心を開くことをやめてしまったらしい。

「裏切るくらいなら、最初から信じなければ良いじゃないですか」香純ならそんなことを言い出しそうだ。

 確かにそれは本心だろうが、核心は、もう一度人を信じるのが怖いのだろう。信じてもう一度裏切られるのがたまらなく怖いのだろう。

 だから、心を開かない。まるで屍を扱うように、生きた心を棺桶の中にしまい込む。

 しかし、と、紗奈は思う。まだ希望はある。

 この場合では、幸いにも、香純はまだ幼い。時間の長さだけで言えば、未来の方が遥かに永いのだ。未来をどう生きるか――どう人と向き合うかを導けば、傷ついた彼女を救うことができる。……憧れている人が居る、というのも中々悪くない。

 香純の師としての方策を考えるのとは離れた思考で、――より俯瞰したメタ思考で、紗奈は何故自分が香純にここまで干渉しようとするのかを改めて考える。

 香純と紗奈、ふたりには少なからず似ているところがある。

 他人を人並以上に見透かし、それでいてブレない我の強さ。

 この共通点が紗奈にシンパシーを感じさせ、惹きつけたことには間違いない。

 では、紗奈は自分と似た少女が傷ついていることに同情したのか?

 それは違う。

 紗奈は、自身の風変わりなアイデンティティは理解していたがそれを改めようとはせず、その姿勢と彼女の在り方を受け入れてくれた彼女の家族や友人たちの姿をすぐに思い出すことができる。

 ……そういえば、あのバカップルのところの兄妹も香純と同じ年頃かしら、と思考の寄り道ができるくらいには。

 だから、紗奈は香純に同情している訳じゃない。

 同情している訳じゃない。そのことに、紗奈は安堵した。


「これで心置きなく、あのクソガキに情けをかけることができますわ」

 仰向けになりながら、ひとり、紗奈は偽悪的な笑みを浮かべるのだった。





 打ち合わせた訳でもないが、毎週金曜の夕方に紗奈と香純は初めて出会った公園で会うようになった。

 紗奈もまだ若いとはいえ、親子ほど歳の離れたふたりが並ぶとそれこそ親子のように見えるが、血縁がないどころか、親子らしい会話すらしていなかった。……例えば、その光景を遠目から見かけた主婦も、まさかふたりがお互いを喰い合うように会話のイニシアティブを取ろうとしているとは思うまい。


「香純、『見る』と『観る』の違いは分かります?」

「はあ……画数以外に取り立てて違いはないように思いますが?」

「『観る』には観察する意味もありますわ。漢字は熟語を理解なさい」

「しかし、それを含めて広く『見る』という漢字を使えるはずですよ。専門性よりもユーザビリティを優先すべきでしょう? そちらの方が画数が短いので、書くのに早いですし」

「スピードであれば画数よりも、一目で意味を取れる『観る』――漢字の区別を几帳面にした方が早いでしょう。……あたくしが話そうとした本題は漢字の区別ではありませんわ。香純、あなた話題をズラして、あたくしに話させないつもりでしょう?」

「そのテクニックは貴女から習ったものですよ、師匠」

「そんなものを教えた覚えはありませんわ!」

「学習なんてものは人から強いてやらされるよりも、独りでに学んだ方が効率が良いのです。……それと、個人的には人からの説教って嫌いなんですよね」

「……一理ありますが、あたくしの話を遮る理由にはなりませんわね。あたくしが言いたかったのは、普段の『見る』を『観る』に変えなさい、ということですわ」

「……何となく意味はわかりますが、具体的にどのようにすれば?」

「視覚するもののどこに重きを置くか、これが重要ですわ。……どこ、というよりもどこからならより情報を得やすいか、それが判断できれば、一人前と認めましょう」

「コツは?」

「慣れですわ。慣れでできないような弟子は、そもそも弟子にしません」

「無茶言いますね」

「そもそもあたくしは、こんなこと学ぶまでもなく自然とできていましたから。それを技術として伝授されるだけ、ありがたく思いなさい」

「無茶苦茶言いますね。あんまりひどい扱いをしていますと、大人が子どもを虐待してる構図になりますよ?」

「知りませんわ、そんなこと。そもそも、人というのは赤の他人に必要以上に関わろうとしませんわ。少なくとも、現代人は」

「そんな中、赤の他人であるところの私に話しかけてきた師匠は頭がおかしいんですね。よくわかりました」

「理解の早さは褒めてあげますわ、このクソガキ」

「お褒めにあずかり光栄の至りですよ、師匠」

 

 会話というより、もはや口喧嘩になってしまっている有様…………少なくとも、師匠から弟子へ教えを授けているとは、他人は愚か、弟子である香純からも思われないだろう。

 しかし、これは紗奈の狙い通りである。元から上から下へという構図という構図を嫌悪してきた紗奈は、自分が上に立った場合においても、そのようなやり方を意識的に避けることにした。加えて、雑談形式にした理由は、「死んでしまった」と自称する香純の感情を揺り動かそうとする狙いもあったからだ。

 決して、紗奈の方が感情的に少女をいたぶろうとしている訳ではない。


「まったく、素直にこうべを垂れて、あたくしの口撃に負けてしまえば良いものを」


 決して、紗奈の方が感情的に少女をいたぶろうとしている訳ではない。

 現に、紗奈は手応えを感じ始めていた。

 香純が紗奈と――他人と目を合わせて話すようになったのである。





 前述のようなことをふたりは繰り返し、半年が過ぎた。


「師匠師匠、すべり台の近くに居る、あの母親は夫婦関係が危うい可能性がありますね。しきりに、子どもに砂場で遊ぶことを勧めていますが、あれは子どもの遊びに付き合う自身が指輪を嵌めなくても良い口実を作るため。提げたスーパーの袋の中から察するに、作られる食事はふたり分。恐らく、夫の帰りがかなり遅いのか、あるいは単身赴任で不在なのでしょう。どちらにせよ、この状況の改善がなされなければ、まずいでしょうね」

「七十五点ですわ。概ねその通りですが、得た情報がまだ足りない。子連れで公園に出るにしては派手な化粧と服装からもお察しなさい」

「はっはー、なるほどなるほど。全体的な視点が足りませんでした。流石は師匠、年季が違いますね。……年季が、違いますね」

「二度言うんじゃありませんわ」

「失礼、踏んできた場数が違う、と言うべきでしたねえ。失敗失敗」

「反省の弁を述べるのは大いに結構。しかし、その反省を表情にお出しなさい。なまじ棒読みになっていないのも腹が立ちますわ」

「それは難しいです。私、悪くないので」

「悪びれろクソガキ」

「口調崩れてますよー、師匠。……前から気になっていたんですけど、師匠って、なんでそんなお嬢様言葉なのでしょうか? 家がお金持ちなんですか? マリみてに影響されましたか?」

「口調に触れるんじゃありませんわ。まあ、確かに実家は比較的裕福ではありますけれど。ところで香純、あなたは学校で友だちはできましたの?」


 一拍置いてから、香純は答えた。


「ええ。休み時間での会話、授業時間内の助け合い、昼休みに一緒に遊んだりなどしていますよ」

「…………そう、それは良い傾向ですわね。ご家族の様子は? 近頃、何か変わったことはありましたの?」

「これといって特には。皆息災ですよ」

「息災、ね……。わかりましたわ」

「……どうかしたんですか? まさか、家庭訪問なんてしませんよね?」


 なんとなく不穏な雰囲気を察して、香純は紗奈に探りを入れる。しかし、紗奈はからかうような表情を作りながら、


「家庭訪問なんてしませんわ、めんどくさい。……あたくし、崩壊させた家庭の数は両手両足の指の数だけじゃ済みませんもの」

「探偵って怖いですね。いや、まあ、師匠の性格のせいもあるとは思いますが」

「社会人をバカにするのも大概になさい。あたくしはあたくしの人格ほど誇らしいものはないと自負しておりますわ」

「くふふ、そうですねー」

「……どうも、香純には要らぬ知恵を授けた気がしますわね……」


 その後もしばらく不毛な雑談に雑草を咲かせて、ふたりは帰宅した。その日は初めて、紗奈の方から会話を切り上げた。





 夜、紗奈は香純と初めて出会った日のように自室のベッドに沈み込みながら、この日の香純との会話を、――引いてはこの半年間を振り返る。

 香純は半年前よりも紗奈と打ち解けるようになった。さらには、紗奈の探偵技術の一部である観察眼・洞察力・推理力については、並の大人では太刀打ちできないレベルにまで到達している――香純に最も身につけてもらいたかった、「人を観る目」を会得させることはできた。

 しかし、誰に対しても閉じられていた心を開かせるのは容易ではない。

 半年経ってもなお、香純は紗奈にしか心を開いていない――紗奈と親密になればなるほど、香純は他の人間関係を築く必要性を感じなくなってしまう。

 香純の人間関係の構築を促そうとする紗奈自身がその障壁となってしまう、という皮肉。

 紗奈は笑ってしまった。笑うしかなかった。


「もう、潮時でしょうか?」


 胸の奥を締めつけるような痛みを、紗奈は無視して、携帯電話を手に取り、一本の電話を入れた。


「もしもし、家達ですわ。…………例のお話、お受けすることに決めましたわ。……ええ。……ええ。………………では、一週間後に」





 雲居(くもい)()(すみ)は五歳の頃に両親を交通事故で喪った。

 悲しみの余り生きる希望を失ってしまった彼女だが、とある少年と出会い、生き続けることを選んだ。

 しかし、後に香純は彼女を引き取った叔母夫婦の下で幸せな日々を過ごしたが、その裏にある嘘と偽りの愛情を知り、彼女は心の古傷を抉られた。人を信じることに疲れ、摩耗した心を無関心という膜で覆った――そうでもしなければ、少年に誓った生き続けることが困難だったからだ。

 心は死んだ。しかし、心以外の全てを使って生きる――そんな無謀なことをやってのけるほど、彼女には優れた才能を持っていた。

 完全記憶能力――自分にとっての都合の良し悪しに関係なく、彼女は全ての記憶を忘れない。そして、それを制御できるだけの知性の高さ。

 幼い少女が抱えるには重い痛みと才能を、彼女は無関心をもって背負いこんだ。痛みを感じないように、重みに潰されないように。

 そんな彼女に近づいてきた奇妙な大人が、家達紗奈だった。

 まっすぐに伸びたの金髪に、皮肉の混じった眼光と整った美貌、白いワイシャツにサスペンダー付きの黒いロングスカートと灰色のヒール。見た目以上に、世界から僅かにずれたところに居るような雰囲気が異様だった。

 紗奈と目が合った時に思わず、香純は一般の他人に向ける愛想笑いを浮かべてしまったが、紗奈の視線を受け流すという意味では無視をするべきだった。半端に相手をしようとしたために、紗奈に香純の異質さを見抜かれてしまったのである。

 そうして接近してきた紗奈を、香純は適当にいなして立ち去らせようとしたものの、上手くいかないどころか、香純は自身の素性を喋らされてしまった。その手腕に関しては見事と言わざるを得ないが、それ以上に、香純は紗奈との会話を拒もうと思わない自分の胸中がわからなかった。

 ただ一つわかるのは、生まれて初めて自分よりも優秀な人間に出会ったという事実だ。初めて味わった不快ではない敗北感は、香純を紗奈に惹きつけさせるには十分なものだった。

 自覚はなかったが、香純はだんだんと紗奈に対して関心を抱くようになった――言葉を積極的に発するようになった。紗奈によって身についた推理力も多少は他人への観察を促したが、元から素養のあった香純にとっては、実はあまり大きな意味は持たなかった。

 ただ、それでもあの皮肉屋の女性と会う時間は少なからず香純の憩いとなっていたため、


「香純、あたくしから教えることはもう何もありませんわ。あたくしは明日東京に発ちますので」


 出会った日と同じベンチ。紗奈の告げた別れの言葉は冷え固まった香純の心をさらに凍てつかせた。


「…………これで三度目か」

「三度目? 何がですの?」

「いえ、こちらの話です」


 全てを見抜いてくる紗奈相手には無駄かもしれないが、香純は一呼吸おいてから続ける。


「師匠、それにしても東京に発つというのは急ですね。それに、その言い方だと長い間戻って来ないような言い方ですよ?」

「……あたくし、すでに知っている事実を知らないフリするなんてことは教えてませんわよ」

「そりゃあ、そうですよ。私は貴女から習ったことばかりで生きている訳じゃない。貴女から生まれた雛ではないんですから、よちよち歩きでついて行ったりなんかしません」

「……皮肉とからかいは、明らかにあたくしと影響が見られますけれどね。まあ、良いでしょう。その通り、あたくしは東京に行ったまま戻るつもりはありませんわ。地元ではありますからたまに戻ることはあっても、向こうで腰を落ち着けるつもりですもの。そこで事務所を構えますわ」

「はっはー、おめでとうございます。精々その自慢の能力を活かして、頑張って儲けてくださいねー。応援しますよー」

「…………香純、あなたしかめ面もできたんですわね。何か気に食わないことでも?」


 香純は紗奈から目を逸らしながら答える。


「……師匠、私は別に貴女に依存している訳ではありませんよ。変人だから付き合いやすかっただけのことです。良かったじゃないですか、事務所を構えられるなんてすごいことだと思いますよ。私になんて構わず、どこへなりとも行けば良いでしょう」

「香純…………あたくしは……」

「この半年間、こう、奇妙な感覚でしたけれど、……楽しかったですよ。ではでは、私これで失礼しますね。どうかお達者で」


 香純がベンチから立ち上がり、その場から去ろうとした――――が、香純が背後から近づく足音に気づいた瞬間、首の後ろから紗奈の腕が回された。香純は久しぶりに人の体温を感じる。


「な、何のつもりですか?」


 思わず、そう問いかける声が震える。しかし、紗奈は何も答えようとしない。香純を引き寄せる腕を少し強めるだけだった。


「師匠、何のつもりですかって、私は訊いてるんですよ」


 香純は後ろを振り返れないままにそう言った。怒ったような言い方になってしまったかもしれない。背後の紗奈は香純にも降りかかるほどの重い溜息をついてから、


「何のつもり、でしょうね? あたくしにもわかりませんわ」

「へえ、師匠にもわからないことがあるんですね?」

「当たり前ですわ。何でも知っていたら、あたくしは世界征服できますわよ。それに、」

「何でも知っていると思い込むような慢心した者に世界が征服されたりなんかしたら世界の終わりですわ、……でしょう? 私も同意見です」

「意見を被せなくて結構。……ふふっ、こんな具合にあたくしたちは多くの言葉を交わしてきましたわね。しかし、あたくしが授ける最後の教えは、至ってシンプルですわ。一言で済みますもの」

「…………」

「『幸せになりなさい』」

「…………」

「香純。あなたはその歳で散々に苦しみぬきましたけれど、もう幸せになっても良いじゃありませんか。……すぐに、というのは難しいでしょうけれど、それでも、もう不幸なガキをやめても良いじゃありませんか」

「好きで不幸なガキをやっている訳じゃないんですけどね。……ねえ師匠、私って幸せになれるんでしょうか?」

「なれますわよ。あなた自身が幸せになろうとする意志があるのなら。幸せを幸せと感じる心があるのなら」

「……そういうものなんですかね」

「そういうものですわ。だから、香純、幸せになりなさい。……あたくしは別に死ぬ訳じゃありませんから、一度目と違って再び会えることもあるかもしれませんわ。ハッ、その時は幸せでだらしない顔になったあなたを『ざまーありませんわ』と笑ってあげましょう」


 そう言って、紗奈は香純から身体を離し、その場から立ち去ろうとした――――が、今度は香純の言葉が紗奈を引き止めた。


「その言葉、そっくりそのまま師匠にもお返しします!」


 紗奈は立ち止まるが振り返らない。


「幸せになれ、というのなら、貴女にだって当てはまるはずです。…………家達紗奈さん、貴女も本当は寂しかったんでしょう?」


 香純の言葉を受け止めた背中は小刻みに震え始めて、あははははははははは、という呵々大笑し始めた。笑い過ぎたあまりに出てきた涙を、紗奈は人差し指で拭う。

 そして、ようやく香純の方を振り返り、眉尻を下げて微笑んだ。


「減点なしの百点満点。合格ですわ」





 それから、数年が経った。

 同じ公園の前の歩道で、高校の制服に身を包んだ雲居香純はある少年に絡んでいた。その距離からして、絡みつくと言っても良いかもしれない。


「香純ちゃん、友人同士の関係でこの距離感はおかしいよね⁉なんで腕組んでくるの⁉ 僕、君からの告白には応じられなかったはずなんだけど」

「はっはー、何をおっしゃいますか、晴輝先輩。私の戦いはこれからだと、私自身意気込んでおりますよ。このくらい良いじゃありませんか」

「ダメだ。反応にものすごく困る」

「腕が滑ったと思っていただければ?」

「滑るか! 手や口が滑ったみたいに言うな!」

「それにしても、今日は大活躍でしたね。やっぱりなんだかんだ言って、晴輝先輩はやっぱりヒーロー体質ですよね」

「やめてくれ、僕はそんな大したことはしてない」

「昔を思い出します」

「思い出さないで。イタかった自分を思い出したくない」

「そんなことはありませんよ。素敵でしたのに」


 そんなふたりの反対方向から、ふたりの女性が歩いてきた。一人はスーツ姿にも関わらず子どもっぽい雰囲気の女性、もう一人は白いワイシャツにサスペンダー付きの黒いスカート、そしてカラフルなスカーフを首に巻いた金髪の女性だ。


「わはー、ここが紗奈ちゃんの地元かあ。良いね! 適度に都会で適度に田舎って感じだねっ!」

「それ褒めてます? それにどうしてあなたが、あたくしの帰省について来るんですの?」

「えー、決まってるじゃない! 紗奈ちゃんのご両親に挨拶するためだよっ」

「挨拶する必要性がどこに?」

「娘さんをわたしにください! って」

「色々ダメですわ!」

「わたしを娘さんのものにしてください! でも良いよー」

「ダメ! ノー! アウト!」


 騒がしいふたり組が二組、道をすれ違う。生きる世界観が異なる彼ら彼女らは互いに関心を持つこともなく、それぞれの世界観で生きていく。

 それでも、人を観ることに秀でた女性と少女はすれ違いざまに、こんな言葉を交わした。


「ざまーありませんね」

「ハッ、お互い様ですわ」


そんな訳で、自作内コラボ作品でした。本当にありがとうございました。

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― 新着の感想 ―
[良い点] かなり感情が揺さぶられたお話でした。 香純ちゃんと紗奈さんの、ぶっきらぼうながらも温かいやりとり、香純ちゃんの抱えた想いに対する紗奈さんの献身的な優しさに心を打たれました。 そして紗奈…
2020/06/09 18:41 退会済み
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