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勇者と魔王

   三


 シイカ・ドラゴンの背に乗り、マーチやガンファ、さらには期せずして多くの領民に見送られながら上空へと旅だったセトだったが、晴れやかな気分でいられたのは、シイカがセトに注意をうながして自分の背中の上に腹ばいにさせ、本格的な加速をはじめるそのときまでだった。

 かなり上空まで高度をかせいだシイカは、空気抵抗が少なくなるように首をぐんとのばし、ひとつ大きくはばたくと、急降下をはじめたのだ。

 セトは突然襲いかかってきた風圧に全身を押さえつけられ、うめき声しか出せなくなった。

 シイカは急降下によって速度をかせぐとはばたいて上昇し、また落下して速度を上げるということを何度か繰り返した。そのあいだ、セトは両手に巻き付けたシイカのたてがみだけを頼りに、飛ばされないようにしがみついているだけで精一杯だったのである。

 シイカが十分な速度と風を得て姿勢を安定させたころには、セトははやくも疲れはてていた。

「大丈夫、セト?」

「・・・なんとかね」

 シイカが首を曲げてそう聞いてきたので、セトはやっとのことでそう答えた。

 高度は安定したとはいっても、速度がでているので快適な状況とはほど遠い。セトはシイカを安心させるために、なんとか自分の顔だけは上げて見せた。

 それだけで風が容赦なく吹き付けて痛いほどだ。ユーフーリンからもらったゴーグルがなければ、目を開けることも出来なかっただろう。

「一アルン(約二時間)ぐらい飛んだら休憩に降りるから。それまでは我慢していてね」

 シイカはそう告げて、首をもどした。

 セトはそれを聞いて、一アルンもの間この状態だなんて、と思ったが、当然そんな弱音をシイカに聞かせるわけにはいかなかった。だいいち、こうしなければ転移の魔法をつかえるフェイ・トスカが儀式を行うことを止めることは出来ないのだから、我慢するほかはない。

 それでも、竜の背中に乗って飛ぶのがちょっと楽しみだと言ったことをほんのちょっと後悔しながら、セトはシイカの白銀の鱗とたてがみに覆われた背中に顔をうずめるのだった。


 シイカは言葉どおり、一アルン飛んだあと休憩におり、一クラム(約三〇分)ほど休んだあとまた飛びたった。ほどなく日が落ちてしまったが、シイカは気にする様子もなくそれまでと変わらぬ速度で飛び続けた。

 今度はさきほどよりいくらか長い時間飛んだあとでまた地上へ降り立った。

「明け方までここで休むわ」

「時間は大丈夫なの?」

 セトが言うと、シイカは大きな両眼を細めた。それがほほえみに近い仕草なのだと、今ではセトもわかっていた。

「大丈夫よ。それに、夜じゅうずっと空を飛んでいたら、セトは眠れないでしょう。体調は万全にしておかなければ、ここから先はもたないよ」

 確かに、地上に降りたとたん、セトは頭の奥がしびれるような強い眠気を感じていた。すでに夜はとっぷりと暮れている。普段なら間違いなく眠っている時間だ。

 それに、シイカの背中にしがみついているのはなかなかの重労働だった。風圧にはようやくすこしは慣れてきて、身体を起こして下の風景を見る余裕も出てきてはいたものの、手でつかんでいるたてがみのほかにシイカとセトを結びつけているものはないため、つと居眠りでもすればその身を大空に滑らせかねない。

「うん、そうだね」

 セトは同意すると、シイカのすぐ脇の地面に腰を下ろした。背の低い草が繁っていて、身体が汚れる心配もなさそうだ。セトの暮らしていたシュテンの町のあたりでは、この時期はまだ夜になると肌寒いこともあるのだが、だいぶ南の方に降りてきているからか気候も穏やかで、このまま眠っても風邪を引くことはなさそうだった。

 セトは上空での防寒着として身につけていた長衣を脱ぐと、身体の上にかけなおした。それからシイカに「ちょっと身体を貸してね」と告げると、そのどっしりとした後ろ肢にこてんと身体を預けてきた。

 セトは目を閉じたが、すぐには眠れないと思ったのか、シイカに話しかけた。

「そういえば、上から大きな川が見えたよね」

「もう下を見る余裕ができたのね。あれはカカリ川。北のエルストラーデ川と双璧をなす、南の大河よ」

「月の祭壇は、川を越えた先にあるって、ユーフーリンさまが言っていたよね。あの川を越えていくの?」

「そうね、月の祭壇は確かにあの川を越えた先だけれど・・・今向かっているのは祭壇じゃなくて、本都グローングのほうよ」

 シイカがそう言うと、セトは驚いて閉じていた目を開けた。「そうなの?どうして?」

「祭壇はまず間違いなくグローングの軍勢が守っているわ。いきなりそこへ突っ込んでいったら、フェイ・トスカと立ち会う前にその軍勢と戦わなければいけなくなるでしょう。まずはグローングに会って、私たちの目的を伝えて、祭壇に通してもらえるようにお願いするのよ」

「グローングって、確か魔族で一番偉い人じゃなかった?いきなり行って、会わせてもらえるのかな」

 セトは不安を感じたが、シイカの方は問題にしていないようだった。

「大丈夫よ。グローングは竜が自分のところに来ることが、どういうことか知っているから。少なくとも会うのを拒んだりはしないと思うわ」

「ふうん?」

 セトは首を傾げたが、詳しいことを聞こうとするよりも先にあくびが出てしまった。

「ほら、もう寝たほうがいいわ。あと三アルン(約六時間)もしないうちに夜は明けてしまうから」

「え、もうそんな時間なんだ・・・」

 セトの感覚ではまだ日付が変わるには早いと思っていたのだが、実際にはとっくに変わってしまっているらしい。

 となれば、ゆっくり会話をしている時間もない。セトはあらためて目を閉じた。もともと寝付きのいいセトは、野宿であってもあっという間に寝入ってしまうのであった。


 魔族の王・・・今では世界の王となった魔王グローングが治める本都グローング。かつてはサンクリーク王国の首都アルメニーであったその都は、支配するものが替わった今でも世界の中心であることは変わらない。

 この地は、魔族が人類を完膚なきまでに打ち破った解放戦争が終わりを迎えた場所でもある。魔王軍と、抵抗を最後まで続けたサンクリーク王国軍が最後に戦火をまじえたのはここより二〇〇アンログ(約一四〇キロメートル)ほど南のリディア平原だが、王国軍が壊滅し、人類に戦う力が残されなくなった後、魔王は戦争の終結を世界に知らしめるため、人の世の象徴であったサンクリーク王城と城下町を徹底して焼いた。

 実のところ、魔王が大規模かつ無差別に都市を焼くことを容認したのはこのときだけである。その他の地を征服したときには、むしろ無意味に都市を破壊する行為や、無抵抗の人間を陵辱、虐殺するようなことは戒めていた。ただそこは戦争の常で、小規模な破壊や虐殺行為を完全に防げるものではなかったのだが。

 魔王は戦争後、焦土とかしたこの地に再び都市と城を築いた。それもまた、世界の支配者が代替わりしたことを示すための象徴的な行為であったと言っていい。

 戦争集結から一〇年あまりが経ち、新たな魔王城は先年無事落成を迎えた。都市からも戦争の名残はほとんど消え失せ、かつての王都アルメニーがそうであったように、いや、もしかしたらそれ以上に、世界でも有数の都市として成長を果たそうとしている。

 魔王グローングは魔王城の最上階に設置されたテラスから、眼下の風景を眺めていた。戦争集結以来、都市の復興と整備に多大な労力を使ってきた魔王にとって、遙かさきまで広がる本都の様子を眺めることが、多忙な彼にとって貴重な癒しとなる。

 だが今は、休息の時間ではない。予定にあった会議をすべてとりやめにしてここに出てきたのには理由がある。

 白銀の竜が、ここへ向かっている。空を警戒する見張りから報告が来たのだ。

 グローングには、かつて配下であった黒竜グレンデル以外に見知っている竜はいない。ただでさえ稀少種である竜は、まず世俗に関わろうとしないのだ。グレンデルのように、使命を持っているものをのぞいては。

 グローングは上空を見通した。彼の持つ四つの目は、人間などよりはるか遠くまでを正確に見ることができる。その視界に、今はまだ黒い点でしかないが、明らかにこちらへ向かっている影が見えはじめていた。

 こうしておおやけに出てくるということは、白銀の竜も使命を持っている。

 そしてここへ向かっているということは、その使命はグレンデルと同じもの──魔王と勇者にかかわることに違いないのだ。


「あそこへ降りるわ、セト」

 シイカが声をかけ、魔王城最上部のテラスへ向かって着陸姿勢にはいる。

「誰かいるよ、シイカ」

「あれが魔王グローングよ」

 セトが目を凝らすと、比較するものがないので大きさはよくわからないが、翼をはやした魔族がこちらを見ているのがわかった。まだらに見える身体は、近づくにつれて獣毛と鱗に覆われているのだとわかった。

「大丈夫なの?」

 セトの声が少し不安げになった。

「ここでいきなり攻撃してくるくらいなら、まずこんなに近づけさせる前になにか対応してくるよ」

 テラスはシイカ・ドラゴンが降りるのに十分な広さがあった。魔族にはいろんな種族があるので、さまざまな魔族が訪れる魔王城は高さ・広さに関しては巨人族が基準になっている。

 シイカは翼を器用にあやつって速度を落とし、高度を合わせてふわりと着地した。少しだけ風が舞ったが、乗っているセトもテラスにいるグローングもほとんど衝撃を感じない見事な着地であった。

「初めまして、グローング王。わたしはシイカ。グレンデルの使命を引き継ぐ竜です」

 シイカは、背中にセトを乗せたままグローングへ挨拶をした。

 グローングは身長が五ログ(約三・五メートル)ほど。シイカはセトを背中に乗せているため身体を倒しているが、それでやっと両者の目線の位置は同じくらいだった。

「やはり、グレンデルの関係者か」グローングは特に警戒している様子もなく、シイカに向かって数歩近づいてきた。

「それで、背中にいるのは?」

 シイカの首の後ろを見やりながら聞いてくる。

「あ、はい」セトは返事をすると、シイカの背から飛び降りた。ここへくるまでに何度か乗り降りしたので、だいぶコツをつかんでいる。

 シイカの脇へ降り立ったセトは、駆け足気味に彼女の前にでると、グローングを見上げた。体つきはガンファをさらにひとまわり大きくしたくらいだ。

 はじめて目にする魔王は、セトがこれまで知っているどの魔族よりも異様な姿をしていた。四つの目玉を持つものも、手が鉤爪になっているものも、翼があるものも獣毛や鱗をはやしているものも知っていたが、それらの特徴をすべてまとめて持っている魔族など見たことがなかった。

 だが、とりたてて恐怖感や嫌悪感が湧くということはなかった。かつてはフェイ・トスカと互角に戦い、『竜の加護』の力添えがあったとはいえ倒しているのだから、どんな迫力があるのかと思っていたが、こうしてただ向き合っているだけならなんということもなかった。

 セトはとりあえず、はじめて会った人にはそうするものだと昔グレンデルに教えてもらったとおり、ぺこりとお辞儀をした。

「初めまして、セトです」

 ほかになにを言えばいいのかわからなかったので、しごく簡単な挨拶になった。

「セト?どこかで聞いたな・・・」

 グローングは首をひねって思い出そうとしたが、さきにシイカが補足をした。

「彼はフェイ・トスカの息子です」

「ん?ああ、そうだった。しばらく前に報告を受けていたな」

 グローングが納得すると、シイカはすぐに本題を切り出した。

「私たちはこれから、月の祭壇へ向かいます。あなたの勢力が、わたしたちを攻撃することのないよう取りはからってください」

「月の祭壇・・・ということは、やはりフェイ・トスカが『太陽の宝珠』の力を使おうとしているということか。──うん?」

 グローングはまた首をひねった。

「おまえがフェイ・トスカの息子なら、なぜ生きておる?『太陽の宝珠』の最後の鍵はおまえの死に際の血であったはずだ」

「セトは、一度殺されたのです。フェイ・トスカに」シイカが答えた。「彼を救うために、彼の精神に試練を受けさせ、『竜の加護』を与えました」

「なるほど」グローングは合点がいったとばかりにうなずいた。「ここ数日身体が重いと思っておったが、そういうことか」

「?」今度はセトが首を傾げた。シイカを見上げ、「どういうこと?」と問う。

「『竜の加護』は、同時にひとりにしか与えられないの。セトに加護を与えたことで、セトの前に加護を受けたもの──グローング王からはその力は消えたということよ」

「でも、魔王さまに加護を与えたのはじいちゃんなんでしょ?シイカとは別じゃないの?」

「『竜の加護』とはいうけれど、厳密には竜の力ではなく竜に使命を与えた神の力なの。与えた竜がだれでも、力は同種のものよ」

 シイカは、セトの方へ向けていた首をまたグローングへと向けて、言った。

「フェイ・トスカが今どこにいるのかはわかりますか?」

「いや、実は数日前にこの城にいたのだが、そこを出た後の消息が不明なのだ。それでもしやと思っていたのだが──」

 どうやら、グローングの元にはユーフーリン領で起きた事態についての情報はまだ届いていないようだった。

 シイカが、フェイ・トスカはすでに『太陽の宝珠』に力を満たし、今は月の祭壇へ侵入するタイミングをどこかでうかがっているはずだというと、グローングは頭を振ってうめき声を上げた。

「やはりあの場で無理矢理にでも拘束してしまうべきだったか。見誤ったわ」

「フェイ・トスカに、宝珠を返すように言ったのですか?」

「そうだ。密告があってな。あいつが宝珠の力をかすめ取ろうとしておると。宝珠を取り上げてしまえば動きを止められると思ったのだが、逆に急がせる結果となってしまった。しかし、そうか・・・あいつには期待しておったのだが」

 グローングはセトとシイカから顔をそらすと、嘆息した。

「期待?」セトが問うと、グローングの四つの瞳が一斉に動いてセトをみた。

「そうだよ、フェイ・トスカの息子。わしはあいつに、人間と魔族をつなぐ存在になってほしかったのだ」

「人間と魔族を、つなぐ・・・」

「人間と魔族の争いは、解放戦争が最初ではない。遠い昔から、幾度となく繰り返されてきたのだ。最初に魔王が生まれ、勇者によって倒されたのが今から何年前か知っているかね?」

 セトは首を振った。

「実は、わしも知らん。というより、もう正確に知っているものは誰もおらんのだ。一説には一〇〇〇〇年前とも二〇〇〇〇年前とも言われているがな。ほとんど伝説の世界で、文献も残っていない。わしが知っているもっとも長生きの魔族はいまおよそ五〇〇〇歳で、その方も知らないと言っておるから、すくなくとも五〇〇〇年よりは昔のことだ。神の使いである竜は、もっとくわしい歴史を知っておるかな?」

 グローングに話を振られたシイカは、静かに首を振った。

「ならば、引き続きわしが話そう。それほど昔の時代から、人間と魔族は争ってきた。あまりにも戦いが続くので、このままでは世界そのものが滅びてしまうと案じた神は、人間と魔族に戦いのルールを課した。それが勇者と魔王の存在だ。人間の代表として勇者、魔族の代表として魔王が生まれ、一対一か、それに近い状況で戦う。そして勝った方の種族が、この世界をおさめることになる」

「負けた方は?」

「この世界を追い出され、異世界へ逃れることになる。あそこは厳しい世界だぞ。気候は常に厳しく、食料も足らない。人びとは生きていくだけで精一杯になり、限られた食料をめぐって毎日のように同種族で殺しあいがおきる。当然、異世界に閉じこめられたほうは何とかしてそこを出ようと、またこの世界へと戦いをしかける。だが実際に戦うのは勇者と魔王だから、世界そのものを焼きつくしてしまうようにはならない。戦いはなくならないが、世界が滅びることもない。神の思惑どおりというわけだ」

 神の思惑どおり、という部分で、グローングの語調が強くなった。

「あれ?でも・・・」セトが口を挟んだ。「この前の戦争では、人間が負けたのに、人間はまだこの世界にいますよね?」

 すると、グローングは口の端をぐいっと吊りあげ、なかなかにインパクトのある笑顔になった。

「その通りだ。そしてそれこそが、歴代の魔王や勇者とわしの違うところなのだ」

「それは、どういう・・・?」

 シイカが聞いた。

「わしが考えたことは、戦いそのものをなくしてしまいたい、ということだ。これまでの歴史では、魔王が勇者に勝利したことも何度かあった。だが、いずれも支配期間は長くなかった。いくら人間を異世界に送り込んで数を減らしても、強力な勇者がひとり現れれば同じことだ。逆の立場でも言えることだがな。異世界に閉じこめられて、そこから出たくないなどと考えるものはいない。となれば、戦いをなくすためには、わしが勝利したあと、人間を異世界に送らなければよい」

 それは確かに、画期的な考え方だった。だが、従来と異なる思想は排除されがちなのはどこの世界でも常識である。グローングは続けた。

「もちろん、配下の魔族からは反対の意見が多く出た。人間とともに暮らすなど受け入れられない、と言ってな。彼奴(きゃつ)らの言うことを無視してしまうと、今度は魔族どうしで争いになりかねん。わしは間をとって、人間には対等の権限を与えず、奴隷とすることで納得させたのだ」

 グローングは、ふたたびセトを見た。

「わしは、個人的には人間になんの恨みもない。だから、こういう形で罪のない人びとに苦痛を強いていることを、申し訳なく思っている」

 セトは驚いた。まさか謝罪されるとは思っていなかったのだ。

 セト自身は、物心ついたころからずっとグレンデルに育てられていたこともあり、奴隷としての苦痛を直接味わったことはほとんどない。だが、シュテンは逃亡奴隷も多く、彼らが逃げ出す前にどんな生活をおくっていたか、話に聞くことはたびたびあった。

 それを聞けばセトだって、魔族にもいいひとと悪いひとがいるけれど、人間を奴隷にした魔王はきっとよくないひとなんだろうと思うことはあったのだ。

 だが、事実は少し異なっていたようだ。

 この言葉を、マーチが聞いたらなんていうかな。セトは、ユーフーリン領で母の首飾りとともに帰りを待ってくれている恋人の顔を思い出した。

「もちろん、ずっとこのままにしておくつもりはない。それでは、またいずれ奴隷の中から勇者が生まれるに違いないからな。時間をかけて、少しずつ人間たちの地位を安定させていくつもりだった。いつかは奴隷の身分から解放することも視野に入れてな。──フェイ・トスカには、その際には人間側の調整役になってもらおうと考えておったのだ」

 グローングは残念そうに下を向いた。

「あやつにはこの考えのすべてではないが、いくらかは話してあったのだがな・・・。わしが信用されなかったのか、それともあやつ自身が魔族の頭の固い連中同様、魔族と共存するのではなく、放逐しなければ気が済まないと考えておったのか・・・」

 その言葉に、セトも下を向いた。

 フェイ・トスカはやはり、魔族の存在が許せないのだろうか。月の祭壇で再びフェイ・トスカに会っても、説得は難しいのかもしれない。

 しばらく沈黙が落ちたあと、気を取り直したようにグローングが言った。

「だが、そうなってしまった以上は仕方がない。わしのこれまでの努力を潰されてしまうわけにはいかんからな。だが──」

 グローングは、今度は品定めするようにセトのことを上から下まで眺めた。

「正直に言って、『竜の加護』を得ているとは思えないのだが・・・。白銀の竜よ、本当にこやつはフェイ・トスカを止められるほどに強いのか?」

 真正面から遠慮なしに言われて、さすがにセトはすこしむっとした。

「心配はいりません。セトは日々成長していますから」

 シイカがフォローしても、グローングはむずかしい顔をしていたが、やがてよし、といって右手の鉤爪をかちりと鳴らした。

「わしも一緒にいこう。『竜の加護』を失ったいま、一対一ではフェイ・トスカに勝てんかもしれんが、ふたりがかりならなんとかなるだろう」

「王様がお城にいなくて大丈夫なんですか?」

 セトがちょっとだけおもしろくなさそうにそう言った。

「それに、フェイ・トスカを止められたとしても、万が一グローング王に何事かあれば、安定しはじめた世界が再び混乱するかもしれません」

 シイカも懸念を伝えた。

「むう・・・一日くらいの遅れは取り戻せるし、そういうことならわしは後方支援に徹しよう。いずれにせよ、わしがいかねば祭壇には入れぬ。旧魔王城全体に、結界が仕掛けてあるからな。解除するにはわしがいくのが一番早い」

「でも、シイカには乗れませんよね」

「わしの翼は伊達ではないぞ、こぞう」

 グローングは背中にはやした翼をはばたかせた。

「ま、竜と競争はできんがの。ここから旧魔王城まで、わしの翼でも二アルン(約四時間)といったところじゃ。フェイ・トスカが現れるのは明日の夜。となれば、明日の昼には発てば十分間に合う」

 どうやら、連れていくほかないようだ。実際、グローングのような強力な魔族が援護についてくれるならこれほどありがたいことはない。

「それでは、よろしくおねがいします」

 シイカが首を垂れて礼を言った。グローングはうなずくと、セトとシイカにに背を向けてテラスから中へ入っていく。入り口のところで振り返り、その場で佇んでいるふたりに声をかけた。

「なにをしている、おまえたちも来い」

「え、でも・・・」セトはシイカを仰ぎ見た。

「部屋を用意してやる。せいぜい長旅の疲れをとっておけ。心配せずともここはすべての魔族の中心たる城だ。全長十ログ(約七メートル)の巨人も滞在できるように設計されておるわ」


 その後、セトたちは城内の客間へ案内された。巨人族用の一番大きな部屋だ。セトには別の部屋が用意されていたが、シイカと一緒にいる方が落ち着くので、セトは断った。

 食事も供されたが、シイカには大量の果実が、セトにはふつうに調理されたものがふるまわれた。

 セトがうれしかったのは、その料理が米粥を中心に、あの試練の世界で母がつくってくれた料理と似ていることだった。母もきっと、生前はこんな食事をしていたのだ。

 湯まで使わせてもらい(これはセトのみ)、あとは明日に備えて眠るだけとなったが、もう夜も深まっているというのに、セトはちっとも眠くならなかった。

「眠れないの?」

 わざわざ運び込んでもらった寝台の上で身を起こしたセトに、シイカが声をかける。彼女用の寝台はさすがにないので、シイカは二重に敷かれたカーペットの上に丸く寝そべっていた。

「うん・・・なんだかまだ、お昼みたいな感じ」

 セトはまばたきをしながら答えた。どうにも体内時計が狂ってしまっている感じなのだ。

「長距離を一気に移動したから、仕方ないね。それでも、目を閉じていればいずれは眠れるものよ」

「うーん・・・ねえ、そっちへ行ってもいい?」

「え?うん、いいけど──」

 すこしとまどいながらもシイカが了承すると、セトは寝台から降りてシイカのそばまでやってきた。そして、シイカのおなかの脇に座ると、シイカの寝そべっているせいですこし見えている白い蛇腹の部分に頭をつけた。

「思った通り、ここはやわらかいんだね。一度試してみたかったんだ」

「もう、セト」

 シイカは鼻を鳴らしたが、追い払おうとはしなかった。セトは目を閉じた。

「あ、これ、すごい落ち着く・・・」

 しばらくたってから、そうセトがつぶやいた。

「ひょっとしたら、昔おじいちゃんがこうやってセトを寝かしつけていたのかも」

「うーん・・・でも僕、じいちゃんが竜だったすがたなんて、ぜんぜん覚えてないよ。兄ちゃんや姉ちゃんたちからも聞いたことなかったし」

「だから、セトがずっと小さなころよ。お母さんから預けられたばかりのころ」

「そうなのかなあ・・・」

 答えながらも、セトのまぶたは下がり、呼吸が深くなりはじめていた。どうやら眠ることができそうだ。

 明日は正念場だ。フェイ・トスカを説得することも、戦って倒すこともいずれも簡単なことではないが、そのためにもセトにはせめてしっかり眠り、体調を万全にしてもらわなければいけない。

 フェイ・トスカは転移の魔法を使って月の祭壇に現れるだろう。となれば、魔力は消耗しているはずだ。さらにグローングが援護してくれるとなれば、セトにも勝算があると考えることは十分に可能だった。

「でも、ちょっと変な感じ」

 シイカの思索を、セトの声がさえぎった。セトの目はもう閉じられており、半分寝言のようになっている。

「・・・なにが?」

「父さんは勇者で、グローング様は魔王なんでしょ?で、僕はまた勇者で・・・。それで魔王様と手を組んで、勇者の父さんを止めにいく、なんてさ・・・」

「──そうね」シイカの声がすこし沈んだが、ほとんど眠っているセトには気にならなかっただろう。セトは返事をせず、深い寝息をたて始めた。


 グローングがセトに語って聞かせた、「神が定めた戦いのルール」は、正確なものではない。だが、シイカはあえて指摘しなかった。知らなくても特に影響があることではないと考えたからだ。

 だが、教えておけばよかったと、彼女は後悔することになる。

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