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心に根差すのは

    二


「ふむ。彼女はなにが気に食わなかったんだろう。鳥が嫌いだったとか?」ユーフーリンは傾げていた首を戻すと、金髪の成人男性の姿になった。姿だけでなく、服装も毎回それに合わせたものに変化している。

「マーチは、人間だけの隠れ里でずっと暮らしてきたんです。・・・父親を魔族に殺された、とも言っていました」

「ふうん。・・・まあいい」ユーフーリンは本当に興味がない、といわんばかりに鼻を軽く鳴らした。「君の話に戻ろう。私がグレンデル殿から保護を依頼されていたのは君ひとりであって、後はおまけだ」

 あからさまな物言いにセトは少しだけ顔をしかめたが、なにも言わなかった。

「話の腰を折られてしまったが、君が生き延びるために一番簡単なのは今言ったとおり、君を奴隷にしてしまうことだ。私が主になることは出来ないが、そこのガンファ君を正式に私の配下に置き、領地を与えることは出来るし、ガンファ君が領地経営や屋敷の維持のために君を奴隷にすることは出来る。そうなれば君の扱いはこれまでとさほど変わらないだろう」

「でも僕は・・・シュテンでも奴隷でした。じいちゃ・・・グレンデル様は本当によくしてくださったから、つらい思いをしたことはぜんぜんなかったけど。でも、結局は見つかってしまいました」

「あまり言いたくはないが、グレンデル殿の失策をひとつあげるとするなら、領地を広げる努力を怠ったことだ。あまり目立ちたくないと思ってらしたんだろうが、領土を広げ、奴隷を多く抱えれば、その中から特定の誰かを捜し出すのはそれだけ難しくなる。このユーフーリン領は、大陸西方では一番といっていい規模だ。グレンデル領と比べて領地は三倍、人口は五倍ある。そこから君一人を捜し出すのは並大抵のことではないだろうな。・・・ちょっと喉が渇いた」ユーフーリンは言葉を切って自分のカップをのぞいたが、紅茶はすでに空になっていた。部屋の隅に控えていた老小鬼の執事がその動きに気がついて近づいていく。だが、その手にお茶のポットはない。ユーフーリンはまた姿を歪ませて・・・なんと自分自身がポットになってしまった!

 それを見てセトは目を丸くしたが、執事は全く動じず、ポットとなったユーフーリンに近づくと優美な手つきでポットを持ち上げて、空になっている主のカップに注ぎ口を傾けた。果たして香り高い湯気を上げながら、紅茶がポットからカップへ注がれていく。

 主のカップが紅茶で満たされると、執事は横目でガンファ、セトの順にそれぞれのカップを確認したが、いずれもまだ半分以上紅茶が残っていたので、なにも言わずにポットを円卓の上に置いた。執事が一礼してその場を離れ、元居た場所にたどり着いた頃、ポットの姿が歪んだ。今度は美しく長い黒髪を持つ妙齢の女性の姿になったユーフーリンが、湯気を上げるカップを口元に近づけ、上品な仕草で一口飲んだ。

「・・・うん、いい味だ。君たちも遠慮せずに飲みたまえ」

 セトはユーフーリンを見、ガンファを見、それから自分の前に置かれた紅茶のカップを見た。さっき飲んだときは確かにおいしい紅茶だったのだが、ひょっとしてこの紅茶も同じように注がれたのだろうか?


 シイカは、屋敷の中を大股で進んでいくマーチに、必死に走ってようやく追いついた。

「マーチ・・・待って」

 マーチは最初無視して振り切ってしまおうかとも考えたが、走っておいすがるシイカが余りにもつらそうな顔をしていたので少々不憫になり、歩幅を狭めた。

「どうして追ってきたの?セトのそばにいてあげなよ」マーチはシイカと視線を合わせないようにしながらそう言った。歩幅を狭めたといっても早足には変わりなく、シイカはときおり小走りになりながら、必死にマーチの横に並ぼうとしている。

「マーチこそ、セトの隣にいてあげて」シイカがそんなことを言ったので、マーチは思わず振り向いてシイカを見てしまった。シイカは真剣だった。

「セトは味方がとても少ないの」ようやくマーチに並んだシイカは切実に訴えた。「お願い、マーチ。セトのそばにいて、彼を助けてあげて」

「シイカがいれば、十分でしょう。むしろあたしがいない方が・・・」

 隠れ里でともに過ごすうち、マーチはシイカとセトの関係について、セトが最初に言ったように「兄妹」であると考えているのはどうやらセトの方だけだとわかっていた。シイカの方は、少なくともセトを兄としては見ていない。はっきりと恋愛感情を持っているとも断言はできないが、何かにつけ彼を気にしているのは明らかだった。兄妹としてではなく、憎からず思っているのであれば、ふたりにしてやれば遠からずそういった関係へと変化しても不思議ではないだろう。

 だがシイカは、マーチの言葉に首を振った。

「私じゃだめなの、マーチ。だって私は・・・」シイカは言葉を濁した。マーチはほんの少しの間、シイカが続きを話すのを待ったが、すぐに思い直して前を向きなおした。

「いずれにしても、あたしには無理。魔族と一緒に暮らすなんて出来ないし、奴隷なんてもってのほか」

 やりとりの間にもマーチの足は止まらず、すでにふたりは領主の屋敷の正面玄関を抜け、敷地の外にでようとしていた。門の脇に立っている猿顔の魔族がそこを通り抜けようとするふたりを見やったが、何もいわなかった。マーチは目を合わせず、少しだけ歩く速度を上げて門をくぐり抜けた。

 シイカは立ち止まり、一度だけ屋敷を振り返ったが引き返すことはせず、先へ行ってしまったマーチを追って門をくぐった。


「・・・とまぁつまり、君が奴隷として生きることを納得してくれさえすれば、君はこの地で安全に生きられるということだ。もちろん、君の主になる魔族には君が奴隷だからといって理不尽な扱いを受けることはないように取りはからうようよく言って聞かせる。ガンファ君が主になるならそんな心配はいらないだろうがね」

 ユーフーリンは紅茶を飲み終えた後、セトがここで安全に暮らせる根拠を延々語って聞かせたが、その間にもその姿は何度も変わった。本人がそう言っていたように、全く同じ姿は一度もない。老若男女問わず、人間も魔族も問わず、果ては動物や魔物、もっと言えば有機物も無機物も彼にとっては関係がないことのようだった。今はあちこちに宝石をあしらった豪奢な服に身を包んだ中年男性の姿をとるユーフーリンは、ガンファとセトへのプレゼンテーションを終え、どこからともなく葉巻を取り出してくわえると、指先から魔法の火を出して葉巻に火をつけた。大きく吸い込み、さも満足げに煙を吐き出すと、葉巻の先端をセトに向けた。

「さて、君の方から何か要望はあるかな?ここを出て奴隷としての暮らしを始めてしまえばこうして面と向かっては話す機会はそうそうないだろうから、今のうちに言っておくといい」

 セトはユーフーリンの話を聞き終えた後、しばらく下を向いて考え込んでいたが、やがてのっそりと顔を上げた。

「ユーフーリン様。僕なんかのために手を尽くしてくださること、本当にありがたく思います」

「気にするな。それが旧友の願いだったのだからな」

「でも、僕は・・・生きていていいんでしょうか」

「ふむ?」

「なにを言うんだ、セト」

 ユーフーリンは葉巻をくわえたまま首を傾げただけだったが、隣にいたガンファは思わず身体ごとセトに向けてそう言った。

「僕は、殺されるかもしれないといわれて、逃げてきました。生きていてほしいといわれたし、死にたくないっていう思いも、確かにありました。でも、ここへくるまでに、僕は人をひとり殺しました」

 最初はユーフーリンへ向けて発せられていた言葉は、重ねるごとに独り言のようになっていく。セトは言葉を続けながら、その顔はまた段々と下を向いていった。

「それで、わからなくなったんです。僕は死にたくないって思っていたけど、兄ちゃんも、死にたいなんて思っていなかったはずなのに。僕と兄ちゃんに、違いなんてなかった。なのに、僕は自分が生き延びるために、兄ちゃんを殺したんです」

 セトの思い詰めた表情を見て、ガンファはまた内心で自分を責めた。セトはあのときからずっと、このことを考え続けてきたのだろう。今朝、鐘の音を聞くまえに少しだけ話しかけていた。そのときに、もっとしっかり話を聞いてやるべきだった。

「そんな自分が、またこうしてガンファに護ってもらって、ユーフーリン様にもご迷惑をおかけしている。僕はそんなに、価値のある生き物でしょうか。自分ではとてもそんな風に思えないんです」

「価値、ね・・・」黙って葉巻をくゆらせながら話を聞いていたユーフーリンは、セトの言葉が一段落ついたところで大きく煙を吐き出した。

「自分の価値というものは、基本的に自分自身で決めるものじゃない。君の周りにいる他人が決めるものだ。たとえば私にとって、君を生かすということは、かつて旧友と交わした約束を守ることにつながる。そうすることで私は旧い友情を思い出すことが出来るし、『義理堅い自分』という自分自身のイメージを守ることが出来る。これが私にとっての君の価値だ」セトがなにも言わずにいるので、ユーフーリンは言葉を続けた。

「君を捕らえ、殺そうとする連中は、そうすることで得るものがあるのだろう。つまり君は、生きるにしろ死ぬにしろ、他人に影響を与える、価値のある人間だということになる」

「ユーフーリン様、そんな言い方は・・・」セトを落ち着かせるどころかあおるような物言いに、珍しくガンファが口を挟んだ。

「もちろん、こんなこといわれたって納得はできないだろうね。だがね、セト君。君に価値をつけるのは君自身ではなく他人のすることだが、自分自身が生きる動機というのは、君自身にしか見つけられないんだ」

「動機・・・」セトがユーフーリンをみた。ユーフーリンは大仰にうなずく。

「生きていていいのかと考えるのは、生きていたいと考えていることにほかならない。君は今まで、生きていることが当然だと思っていた。だけど不幸にも他人の命を奪ってしまったことで、それが当然ではないことを初めて知ったんだ。そして知ってしまった以上、なにも考えずに生き続けることはもう出来ない。食事をすれば身体を生かすことは出来るが、心を生かすにはそれでは足りない。君は君自身が生きるための動機を探さなければならない」

 ユーフーリンの姿が歪み、その姿がセトそっくりのものになった。

「私は君の姿を真似られる。だが、心の奥までは真似られない。そこだけは君自身のものだ。よく考えたまえ。君は生きたがっている。きっと君の心のどこかに、その理由は眠っているはずだ」

「・・・はい」セトから思い詰めた表情は消えていなかったが、鏡写しのようにセトそっくりのユーフーリンに返事をしたセトの声はしっかりとしていた。

「よろしい」ユーフーリンは満足げにうなずいた。その姿が歪むとそこから鏡写しのセトは消えた。中肉中背で色黒の男性の姿になったユーフーリンが首を巡らすと、いつの間にかその背後に老小鬼の執事が立っている。

「仕事の時間か?」ユーフーリンが尋ねると、老執事はユーフーリンだけではなくガンファとセトにも聞こえるように口を開いた。

「ご報告がございます」

「何だ」ユーフーリンが続きを促した。

「先ほど席を立たれたおふたりですが、屋敷の外に出られたようです。すでに半アルン(約一時間)ほど経ちましたがお戻りになられません」

「ふむ・・・」ユーフーリンの顔が渋くなった。「あまりよくないな」

「どういうことですか?」セトが聞いた。

「君を追っている彼らはおそらく、君たちがこのユーフーリン領へはいったことはつかんでいるだろう。だが私の持っている情報では、フェイ・トスカ本人は今魔王様に召還されていて本都グローングにいる。たとえ君たちがこの屋敷にいることまで彼らが知っていたとしても、さすがにフェイ・トスカ本人がいなければ強引な手段はとれない。だがそれは私の権力が直接及ぶこの屋敷に限ってのことで、屋敷の外では完全な保証は出来ないということだ」

「ねらわれる可能性がある、と?」

「プリアンは私のお膝元だ。治安には自信があるからそうそうは、と思うが・・・。何しろ彼らはフェイ・トスカが不在の中でセト君を取り逃がす、という失態を犯している。少々の無茶はしてくるかもしれない」

「そんな・・・」

「君が探しに行くのは無しだよ、セト君」無意識に腰を浮かせたセトを、ユーフーリンがたしなめた。「それじゃわざわざエサ場にエサを撒きに出向くようなものだ。みんな喜び勇んで飛び出してくるぞ」

「でも、心配です」セトは腰を下ろしたが、気持ちまで落ち着いたわけではないだろう。ユーフーリンはセトを落ち着かせるため、できるだけ優しい目つきで言葉をつないだ。

「あまりおおっぴらにはやれないが、こちらから何人か出して捜させよう。シイカ君が説得に成功すれば、自分たちで戻ってくるだろうから、心配しすぎないことだ」

 セトは険しい表情のままそれでも一応はうなずいた。

「ガンファ君、彼を連れて部屋に戻っていてくれたまえ。彼女たちの消息をつかむか、彼女たちが戻ってくるかすればすぐに伝えるから」

「わかりました」ガンファが立ち上がってセトを促すと、セトは素直にそれに従った。

「セト君」ユーフーリンが声をかける。「今は、彼女たちを心配するよりも、自分のことを考えなさい。悩みから抜け出す方法はいろいろあるが、大切なのは悩みから目を背けないことだ。落ち着くのは難しいかもしれないが、考えることを放棄しないように」

「はい、ありがとうございます」セトは一礼すると、ガンファとともに部屋を出ていった。


「さて、彼のためにも心配ごとは減らしてやりたいんだが」ユーフーリンの姿が歪み、また別の姿に変わったが、渋い表情はそのままだ。

「予感というものは悪いもの程良く当たるという。いやな教訓だけどね」

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