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安楽椅子探偵はスパチャで謎を解く ~住所特定班と挑む心霊事件簿~  作者: 伊達ジン


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第11話 初めての企業案件:呪いのVR

 午前10時。

 私の安息の地であるマンションの最上階には、平穏な静寂が満ちている……はずだった。だが現実には、卓上のiPadから悲痛な鳴き声が響き渡っている。


「ほらチャイ、大丈夫よー。怖くないからねー」


 画面越しに、岡本純の猫撫で声が聞こえる。

 画面に映っているのは、近所の高級動物病院の診察台だ。

 その冷たいステンレスの台の上で、生後2ヶ月半の柴犬・チャイが、純の腕に必死にしがみついている。


 今日はチャイの初めてのワクチン接種の日だ。

 当然ながら私は外出という致死レベルの苦行を拒否し、純と中野月子の二人にチャイのお使いを頼み、こうしてビデオ通話で遠隔保護者をしている。


『さあ、チクッとしますよー』


 白衣を着た優しそうな獣医が、小さな注射器を構えた。

 チャイはそれが何であるか本能で察したのか、耳をペタンと後ろに倒し、たぬきのような丸い体を震わせている。

 黒曜石のようなつぶらな瞳が、助けを求めるようにカメラを見つめてきた。


「……純、月子。もし獣医が少しでも手元を狂わせたら、即座にその場を制圧してチャイを奪還しろ」


『店長、ただの予防接種ですから物騒な指示出さないでください』


 月子が呆れたように突っ込む。

 次の瞬間、獣医の針がチャイの首の後ろにスッと刺さった。


「キャンッ!!」


 チャイが短く悲鳴を上げる。

 私の心臓がギュッと縮み上がった。

 チャイは純の胸元に顔を埋め、ブルブルと小刻みに震えている。涙目で見上げるその姿は、守護欲を極限まで刺激する破壊力を持っていた。


『はい、終わりましたよー。お利口さんでしたね』


 獣医が注射箇所を優しく揉んでやると。


「……クゥン?」


 チャイは痛みが消えたことに気付いたのか、震えをピタリと止めた。

 そして、わずか3秒後。

 チャイは短い尻尾をちぎれんばかりに振りながら、先ほどまで自分に針を刺していた獣医の手のひらを、小さな舌でペロペロと舐め始めたのだ。


『あはは、人懐っこい子ですねぇ』

『チョロすぎでしょ、この犬……』


 純と月子が苦笑している。

 全く、誰にでも愛想を振りまく無防備な犬だ。だが、そこがたまらなく可愛い。


「……よく頑張った。帰ってきたら、最高級の国産ササミを茹でてやる」


 私がデレデレと画面に向かって語りかけていると、背後から冷ややかな声が降ってきた。


「本当に、すっかり親バカね。あなたのその甘い声、録音してネットに流したら100万再生はいくわよ」


 振り返ると、いつの間にかリビングに上がり込んでいたセシリア・クロスが、オーダーメイドのスーツ姿で腕を組んでいた。


「……勝手に入るな、顧問弁護士」


「オートロックの暗証番号くらい、とっくに解析済みよ。……それより、仕事の時間よ、金子さん。私たち『チームQ』にとって、初めての企業案件を持ってきたわ」


 セシリアは、分厚いファイルの束をダイニングテーブルに叩きつけた。


「VR空間内の殺人未遂……?」


 帰宅した純と月子も交え、私たちはセシリアの説明を聞いていた。

 私の膝の上では、注射を終えて安心したチャイがスヤスヤと眠っている。


「ええ。クライアントは大手ゲームメーカーの『ネクスト・リアリティ』社」


 セシリアがタブレットを操作し、モニターに映像を映し出す。

 それは、中世ファンタジー風の美しいCG世界だった。


「彼らが先月リリースした新作VRMMO『アヴァロン・オンライン』。現在、10万人以上のプレイヤーが接続しているメガヒットタイトルよ。でも、一週間前から奇妙な噂が立ち始めたわ」


「奇妙な噂?」


 純が首を傾げる。


「『廃城エリアの隠しクエストを受けると、現実世界で呪われる』……という都市伝説よ。実際、そのエリアに足を踏み入れた3名のプレイヤーが、プレイ中に突然意識を失い、現在も重体で入院しているわ」


「ゲッ。それ、マジの呪いじゃん」


「警察は『過労や睡眠不足によるてんかん発作、あるいはVR酔いの重症化』として処理していて、事件性はないと判断しているわ。でも、ネットでは『呪いのVR』として大炎上中。このままではサービス停止に追い込まれる」


 セシリアは青い瞳を細め、私を見た。


「クライアントからの依頼は、この『呪い』の原因究明と、ゲームの安全性の証明よ。……報酬は、1000万円。あなたたちにとっては破格でしょ?」


「……なるほど。確かに悪くない案件だ」


 私はチャイの柔らかな背中を撫でながら、思考を巡らせる。

 オカルトめいた噂、そして現実に起きている健康被害。

 もしこれが「事故」ではなく「事件」だとしたら、ハッキングやサイバー攻撃の領域だ。私の土俵である。


「よし、引き受けよう。純、月子、VRゴーグルの準備だ。僕たちは今から『アヴァロン』へダイブする」


 午後2時。

 純はリビングのソファに寝転がり、最新型のVRヘッドセットを装着した。

 万が一の身体的な異常に備え、横には月子が待機している。

 さらに、別回線でソフィア・アンゲロプロスが純のスマートウォッチからバイタルデータをリアルタイムでモニタリングし、ナオミ・セント・ジェームズがゲーム内の音響データを解析する態勢を整えている。

 まさにチームQの総力戦だ。


 私は自室のゲーミングチェアに深く沈み込み、デュアルモニターとハイスペックPCを通じて、ハッカー用の特殊な接続ルートからゲーム内に侵入した。


『うわぁーっ! すっごいリアル!』


 純の声が、ボイスチャットを通じて聞こえてくる。

 ゲーム空間内。

 純のアバターは、彼女のリアルの趣味を反映したド派手なギャル風の魔法使いだった。

 一方、私の使用するアバターは、普段の配信で使っている『黒いシルエットに、椅子の影』という、バグのような見た目の代物だ。管理者権限をいじって強制的に外見データを書き換えている。


『ちょっとQちゃん、何そのアバター! 浮きまくってるんだけど!』


「いいから進め。目標は廃城エリアだ」


 私たちはゲーム内の石畳の街を抜け、噂の発生源である廃墟のフィールドへと向かった。


『……ねえ、なんか空気が気持ち悪くない?』


 廃城エリアに足を踏み入れた途端、純の足取りが重くなった。

 ゲーム内の環境エフェクトだけではない。何かがおかしい。


『Q、聞こえる?』


 別回線から、ナオミの鋭い声が飛んできた。


『このエリアのBGM、裏で変なノイズが乗ってるわ。可聴域ギリギリの高周波と、左右の耳でわずかに異なる周波数を流すバイノーラル・ビートよ。脳波を強制的にいじって、不快感や焦燥感を煽るように作られてる』


「……なるほど。音響兵器のデジタル版か」


『ソフィアよ。純のバイタル、心拍数が異常に上がり始めてるわ。交感神経が過剰に刺激されてる。……気をつけて、この状態が続くと脳に深刻なダメージが行くわよ』


 ソフィアの警告が響く。


『特定班、報告します!』


 さらに、一般プレイヤーとしてゲーム内に潜入させていた数千人の「特定班」たちから、コメント欄経由で情報が上がってきた。


『廃城の最奥部、王座の間に不可視のオブジェクト判定あり!』

『テクスチャの裏側に、不自然なスクリプトが隠されてるぞ!』


「純、王座の間だ。急げ」


『わ、わかった……!』


 純がフラフラとした足取りで、廃城の奥深くへと進む。

 王座の間にたどり着いたその瞬間。


 ――バチッ!!


 空間が激しく歪み、視界を埋め尽くすような幾何学模様が、強烈な光の明滅と共に爆発した。


『キャアアアアアッ!?』


 純の悲鳴。


『ダメ、純の脳波に光過敏性発作の兆候が出てる! 月子、純のゴーグルを外して!』


 ソフィアの叫びと同時に、現実世界の月子が動こうとする音が聞こえた。


『ククッ……外させないよ』


 不気味な声が、ゲーム内から響いた。

 光の明滅の中に、ドクロの面を被った黒魔道士風のアバターが浮かび上がる。

 犯人だ。


『VRゴーグルの安全装置はロックした。無理に外せば、デバイスに過電流が流れて眼球が焼けるぞ』


「月子、待て! 手を触れるな!」


 私が制止する。

 犯人はゲームのシステムに深く入り込んでいる。


『お前らも、このバグの海で意識を沈めろ……! クソみたいな会社の、クソみたいなゲームと一緒に炎上して消えろ!』


 犯人は狂ったように笑い、さらなる悪意のスクリプトを展開しようとする。

 過剰な光と音が、純の精神を削っていく。

 

「……くだらないな」


 私は、自室のキーボードに両手を乗せた。


「ただのスクリプトキディが。神の領域で、僕に勝てると思ったか?」


 ターンッ!!

 私の指が、キーボード上で目にも留まらぬ速さで踊り始めた。


 VR空間内のコードに直接アクセスし、犯人が仕掛けたサブリミナル・スクリプトのパケットを次々と迎撃する。

 

『なっ……!? なんだお前!? 俺の管理者権限が……上書きされていく!?』


 犯人が狼狽える。

 当然だ。私を誰だと思っている。かつて「Q」の名で裏社会のサイバーテロリストどもを震え上がらせた、天才ハッカーだぞ。


「ナオミ、ノイズの逆位相データを送れ。ソフィア、純の視覚フィードバックを遮断するパラメータを教えろ」


『了解! アンチノイズぶち込むわ!』

『視神経へのアクセスレベルを下げて!』


 ヒロインたちの専門知識と、私の処理速度が融合する。

 王座の間の狂った光と音が、一瞬にして消え去った。


『嘘だろ……俺のトラップが、たった数秒で……っ!』


「これで終わりじゃないぞ。お仕置きの時間だ」


 私は新たなコードを打ち込む。

 ゲーム空間内で、私の黒い影から無数の「電子の鎖」が放たれ、犯人のアバターをがんじがらめに縛り上げた。

 ログアウト不可の、完全な拘束状態。


「……IPアドレス、抜いたぞ。多段プロキシを使っているが、僕の逆探知からは逃れられない」


 私はニヤリと笑い、インカムの別チャンネルを開いた。


「原田刑事、聞こえるか」


『ああ。スタンバイしている。場所はどこだ?』


 公用車の中で待機していた深美からの応答。


「新宿区〇〇町、ネットカフェ『サイバーエデン』のフラットブース32番だ。……急げ、犯人は今、VRゴーグルを被ったまま身動きが取れない『無防備な肉の塊』だ」


『了解した。確保に向かう』


 数分後。

 ゲーム内の犯人のアバターが、急にビクッと痙攣し、そのまま強制的にオフラインとなった。

 深美が現実世界で、犯人のVRデバイスごと物理的にひっぺがして制圧した証拠だ。


「……ゲームクリアだ」


 私はキーボードから手を離し、大きく伸びをした。


 事件は終わった。

 犯人は『ネクスト・リアリティ』社を不当解雇されたと逆恨みしていた元プログラマーだった。

 彼は自分が開発に関わった廃城エリアに、光と音でプレイヤーの脳に過負荷をかけるトラップを仕込み、会社の信用を失墜させようとしたのだ。


 純たちも無事にログアウトし、後遺症もなくケロリとしている。

 セシリアの巧みな交渉により、ゲーム会社から約束の1000万円が振り込まれ、さらに「バグを発見し解決に協力したインフルエンサー」として、チャンネルの企業案件実績まで獲得することができた。


「いやー、一時はどうなることかと思ったけど、最高の結末ね!」


 リビングで、純がホクホク顔でスマホの口座残高を見つめている。

 

「お疲れ様でした! 店長のタイピング速度、凄まじかったですね!」


 月子も笑顔で親指を立てる。


「……まあ、悪くないチームワークだったな」


 私が烏龍茶を一口飲んだ時、足元で「ワフッ!」と元気な声がした。

 チャイだ。

 すっかり機嫌を直した毛玉は、短い足で私の膝によじ登ろうと必死にアピールしている。


「よしよし」


 私はチャイを抱き上げ、そのもふもふとした温かい体を胸に抱いた。

 チャイは私の顎をペロペロと舐め、安心したように目を細めた。


「お前も、今日はお疲れ様だったな」


 私がそう呟くと、チャイは「クゥ」と応えた。

 

 危険なサイバー空間での死闘と、現実世界の愛らしい仔犬の温もり。

 私の引きこもり生活は、ますます充実し、次の事件への期待に満ちていた。


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