第18話:騎士の想いと、お散歩の罠
夜の帳が下りた異世界の谷は、二つの月の不気味な光に照らされ、まるで巨大な獣の骸のようだった。
六つの巨大なタイヤを持つ高機動装甲車は、駆動音をほとんど立てず、巨大な黒豹が獲物に忍び寄るかのように、霧深い谷の入り口に停車した。
バッテリーエンジンが響かせる低く単調なハミングだけが、息の詰まるような静寂をかろうじて埋めている。
隣には佐藤軍曹のヴァンガードが1機だけ随伴してきている。
夜のお散歩の護衛役って訳だ。
ハッチが開くと、腐葉土と湿った岩の匂いが混じった、ひやりとした空気が流れ込んできた。肌を撫でるその風は、どこかざらついていて、科学の光に満ちた故郷のクリーンな空気とは明らかに異質だった。
俺は、鳥の骨格を思わせる軽量なアシストギアの感触を確かめながら、異世界の大地に降り立った。
一歩踏み出すごとに、足元の小石が立てるかすかな音すら、この静寂の中では心臓に突き刺さるように響く。
「愁也さん、顔色が……。無理しないでください」
アンナが心配そうに声をかけてくる。
全く知らない場所でお散歩と言う名の非正規活動。あんまり大丈夫じゃない……
「……今は、私たちの後ろに隠れていてください。必ず、お守りしますから」
その100%の善意が、逆に俺の胸に突き刺さった。
お散歩を選んだのは俺だ。
なのに年下の少女に励まされてどうする。
俺は、彼女の言葉に曖昧に頷きながら、偵察ドローンの一機を、谷の奥深くへと先行させる。
ARコンタクトに表示されるドローンのカメラ映像は、ノイズ混じりだが、谷の奥にある小さな広場の様子を鮮明に映し出していた。そこには、数人のローブ姿の人間が、揺らめく焚火を囲んでいる。
『愁也さん、聞こえますか? こちら響。熱源反応から見て、焚火を囲んでいるのは5名。周囲の岩陰に、さらに2名の伏兵の可能性があります』
インカムから届く、響の分析が、俺たち全員がつけているヘッドセットに響く。
最初こそクラウスやセレスティア、アンナも耳元で響くここからはなれた場所にいる響の声に驚いていたが、騎士団が使う声を響かせる魔法と同じものであるというので納得したらしい。
……自分達が理解できるものならまだすんなり受け入れられるのか。
学研技のお偉い研究員さんたちとは大違いだったなぁ。
あの人たちは魔法は物理法則に反してるって最初頑なに認めなかったからな。
「……間違いない。あの禍々しいマナの気配は、黄昏の旅団の術師だ」
ドローンの映像を共有モニターで見ていたクラウスが、息を呑んだ。
俺のモニターにはただの人影しか映っていないが、彼にはもっと多くの情報が見えているらしかった。
……マナというののは遠隔映像越しでも見えるのだろうか。
「エリーはどこ!?」
アンナがモニターに食い入るように叫ぶが、エリザベスと思しき姿はどこにも見当らなかった。
「ちっ…!」
クラウスが、忌々しげに舌打ちする。
「こうなれば話は早い。あそこにいる連中を締め上げて、姫君の居場所を吐かせるまでだ」
「待ってください!まずは情報を集め、リスクを分析しないと……」
だが、その慎重論は、友人たちの激情によってかき消された。
「分析ですって!?」
アンナが叫ぶ。
「あなたは、エリーが今どんな目に遭っているか、想像もできないのね! 一秒ごとに、希望が消えていくかもしれないのよ!」
リュナもまた、固い決意の目で俺を見つめていた。
「愁也さん、お願い…! エリーは、私のせいで…! 今行かないと、後悔しても仕切れない!」
セレスティアが、俺とアンナたちの間に立つように、静かに口を開いた。
「愁也さんの言うリスク分析も、あなた方の戦い方としては正しいのでしょう。……ですが、私たちの友人には、もう時間が残されていないかもしれません。今は、どちらが正しいかではなく、私たちが、何を信じて剣を取るべきかなのです」
彼女たちの言葉は、悲痛な訴えであると同時に、俺には決して理解できない「感覚」の世界の話だった。
俺がリスクヘッジという観点で考えるものはは、彼女たちが肌で感じている「危険の気配」や「友を思う焦燥」の前では、あまりに冷たく、無力だった。
クラウスは、そんな俺たちの葛藤を意にも介さず、剣の柄に手をかけた。
「話にならんな。ならば、俺一人でも行く。姫君を救うためならば、この身、惜しくはない!」
(まずい……!)
俺の脳裏に、最悪のシナリオがよぎる。ここで彼が一人で突撃して死ねば、この脆い共同戦線は完全に崩壊する。
その思考を読み取ったかのように、佐藤軍曹が、ヘルメットの通信機をオープンチャンネルに切り替えた。
「……チッ。ったく、聞いてるこっちが馬鹿らしくなるぜ。王国のお偉い騎士様が、一人で特攻なさるそうだ。俺たちは、その輝かしい自己犠牲とやらを見届けるためのお守り役ってわけか?」
その皮肉めいた言葉に、クラウスがカッと顔を赤らめる。
「なんだと、貴様!」
「だがな」
佐藤は、クラウスの怒りを無視して続けた。
「ここでてめえやリエゾンに犬死にされて、作戦失敗の報告書を書かされるのは、もっと面倒だ。それに、あんたが死ねば、こっちのお嬢様方の士気も下がる。部隊ってのは、そういうもんだ。……行くぞ、お姫様を助けに。だが、勘違いするな。これは、このリエゾン様の夜のお散歩を失敗させないための合理的な判断だ」
彼はそう吐き捨てると、ヴァンガードのコックピットに乗り込み、重いエンジンを起動させた。
鈍いエンジン音が沈黙の空気を切り裂いていく。
その重低音をBGMに騎士たちは飛び込んでいく。
「愁也さん、援護を!」
リュナさんの叫びに応え、俺はガイダンス・レーザーを構えた。
(無謀だ、だが最速の突破口でもある…!)
「佐藤軍曹、クラウスの右翼を制圧射撃! アンナさん、彼の足元を! 連携を絶やさないで!」
次の瞬間、俺の指示とシンクロするように、ドローンからの弾丸の雨が旅団の野営地の上空に降り注ぐ。
突然の奇襲に、旅団の術師たちが慌てて召喚獣を呼び出す。
だが、召喚獣がその禍々しい姿を完全に現すよりも早く、クラウスは地を蹴っていた。
マナのオーラを青白く輝かせた彼は、もはや人の目では追えないほどの速度で敵陣に突っ込む。
「アンナ! 奴らのマナの流れを乱せ!」
クラウスの叫びに、アンナが即座に反応する。
「はい! 沼となれ!マッド•ステップ!」
俺のドローンが狙いを定めていた術師の足元が、突如としてぬかるみ、術者が間抜けな声を出しながら足を滑らせる。
その一瞬の隙を突き、クラウスは召喚獣の懐に飛び込んだ。
彼の背後を援護するように、佐藤のヴァンガードが搭載された重機関砲で、他の術師たちを牽制する火線を引く。
それは、戦いというより、舞踊に近かった。刃が空を切り裂く甲高い音、そして一拍遅れて、生々しい肉を断つ鈍い音が響き渡る。
返り血を浴びたクラウスは、しかしその表情に嫌悪の色はなく、むしろ戦士としての歓喜に満ちた、獰猛な笑みを浮かべ、次の獲物へとその切っ先を向けた。
俺は、レーザーのスコープ越しに、その光景を見ていた。
モニターに表示されるのは、敵を示す赤いマーカーと、それを寸分の狂いもなく貫くクラウスの青い軌跡。
彼らが叫ぶ「マナの奔流」や「敵の殺気」といったものは、俺には全く見えない。
ただ、無機質なデータと、ゲームのような光景が広がるだけだ。
だが、スコープから目を離せば、そこには本物の血飛沫と、断末魔の叫びがあった。
胃の奥から、酸っぱいものがせり上がってくるのを感じた。
人が、人ならざるものを、何の躊躇もなく殺す。その行為に、仲間たちが喝采を送っている。
この世界の『命の価値観』は、俺の知るものとは、あまりにも違う。
『愁也さん、11時の方向、高台! 別の術師が詠唱開始! ドローンの弾幕を抜けてます! 熱源とマナの反応から見て、狙いは、おそらく指揮官であるあなたです!』
(指揮官狙い…ここも安全じゃない!)
「 響、敵の座標を佐藤さんに直接転送、即時排除を要請してくれ!」
俺は叫びながらもその場からはなれようとする。目の前に逆巻く炎が見える。
……。
一瞬走馬灯がよぎった。気がした。
同時に、セレスティアが詠唱を完了させていた。
「風よ彼のものを守れ ウインドガード!」
見えない風の壁が、俺の眼前に展開される。直後、術師が放った炎の槍が風壁に激突し、爆ぜ散った。
……いきてる。
はぁはぁと荒い息を吐く。今の一瞬で死にかけたぞ
『愁也さん、あの術師、まだ生きてます! 次の詠唱が来る前に、ヴァンガードによる直接攻撃を! 佐藤さん、聞こえますか!? 座標、デルタの4-7! 敵術師を、最優先で排除してください!』
響が、そんな危機的な状況だった俺の心情は無視をして、冷静に、しかし的確な指示を飛ばす。
「ああ!分かってる!」
ドクドクと心臓の音がうるさい。
俺は即座に別のドローンにターゲットを変更させ、高台の術師の詠唱を妨害するよう命令を送る。
心臓が、警鐘のように激しく脈打った。
戦闘は、瞬く間に終わった。
俺の脳裏にSPトレンドシュアの評価室の、戦いがフラッシュバックする。
鉄の棺桶に閉じ込められたもう動かない部隊の人たち……。
ここの雰囲気は俺の蓋をしようとしていたトラウマを容赦なく抉ってくる。
既に野営地を家捜ししているみんなからはなれる。
そんな俺を佐藤軍曹はヴァンガードを降りて声をかけてくる。
「……。戦場はどうだ?俺もそんななれている訳じゃないが…」
「最悪だな。心臓の音が止まらないし、何より半年前を思い出したよ」
そう軍曹に伝えると渋い顔をする。
「あの戦いで俺は仲間を簡単に失った。それに初めてリアルな戦いをしたよ。……俺はあの嬢ちゃんから提供された力で1体でも多くあの召喚獣とやらを倒す。それが都市の……じゃないな。俺の仲間の供養になると思ってる。リエゾン。おまえの目的を忘れるんじゃないぞ。」
そういうと佐藤軍曹は燃える野営地へと足を踏み出していった。
……彼女を守るのが、不当な扱いを受けさせないのが俺の目的だ。
そのためには……。そう決意を改めて固め、口をすすいでからあたらめて野営地へ向かった。
すでに野営地を捜索しているようだ。
アンナが、焚火の近くで何かが鈍く光るのを見つけた。
「これ……エリーのペンダント!」
それは、エリザベスが身に着けていたローゼンベルク家の紋章入りのペンダントだった。
地面に落ちたというより、まるで目印のように、焚火の跡に一番近い、目立つ場所に置かれていた。
「待て」
皆がペンダントに気を取られている中、クラウスが鋭い声で制した。彼は、地面の一点を睨みつけている。
「何かがおかしい。導師のマナの残滓に、別の『匂い』が混じっている」
「センサーは正常だ。汚染物質は検出しないが」
俺がARコンタクトの表示を確認しながら答えると、クラウスはもどかしげに首を振った。
「君の絡繰では分からんだろう。この地面の跡は……」
彼が指さした先には、不自然にえぐられた、一本の深い溝が残っていた。
周囲のなぎ倒された木々の様子も、ただの戦闘の跡にしては奇妙だ。
「この抉れ方…馬や魔獣のものではない。長大で、重量のある何かが引きずられた跡だ。まるで…竜の尾のような。そしてこの木々の倒れ方は、巨大な翼を持つ何かが、無理やりこの狭い谷に着陸した痕跡だ」
クラウスの言葉に、全員が息を呑んだ。竜騎士団のスパイは、エリザベスをここまで、徒歩で連れてきたのではなかったのだ。
「それに……」
クラウスは、地面に落ちていた数枚の鱗を拾い上げた。それは、陽光を反射して白銀に輝く、竜騎士団の飛竜だけが持つ、特徴的な鱗だった。
「……間違いない。竜騎士団の誰かが、ここに竜で来ていたんだ」
その結論に至ってから改めて捜索したところ、セレスティアがテントの燃え差し入れから、半分焼け焦げた羊皮紙の指令書を見つけ出した。
そこに記されていたのは、かろうじて読み取れる、いくつかの絶望的な単語だった。
『―――……の身柄は、…要塞に移送……。……手を誘い込み、これを殲滅……よ』
「………要塞……まさか、浮遊要塞のこと!?」
「誘い込み、殲滅……じゃあ、私たちは!?」
アンナが、その場にへたり込む。
これは、エリザベスを救出するための戦いではなかった。
自分たちが、竜騎士のスパイによって、まんまと罠に嵌められたのだと、全員が悟る。
皆が言葉を失い、絶望に打ちひしがれる中、セレスティアだけが、冷静に、しかし厳しい声で言った。
「……今は、落ち込んでいる場合ではありません。負傷者はいませんか? まずは体勢を立て直しましょう。敵の罠だと分かった以上、長居は無用です」
その言葉に、俺たちははっと我に返った。そうだ、感傷に浸っている暇はない。
その場に、重い沈黙が落ちた。




