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システムエンジニアと迷いし少女の物語  作者: 書との契約者
第2部 二つの世界の交響詩
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第14話:竜の背と鉄の翼

 前日の会議で、自らに課せられた任務のせいで俺の心は、鉛のように重かった。

(……仕事だ。これは、そういう『仕事』なんだ)

 俺は、自分にそう言い聞かせる。感傷に浸っている時間はない。

 俺は、この巨大なプロジェクトを成功させるための潤滑油であり、歯車なのだから。


 テントの中の空気は、刃物のように冷たく張り詰めていた。

 テーブルの中央で静かに回転する立体的なホログラムだけが、唯一の光源だった。その青白い光が、一同の顔に深い陰影を刻みつけている。

 向かい合って座るのは、二人の指揮官――オオトモ大佐とゲオルグ騎士団長。

 そして、その傍らには、俺と、文化・言語アドバイザーとして同席を許可された響、そして王国側からはエリザベスたちが席についていた。


 一夜明け、再開された現場での作戦会議。

 昨日のようなあからさまな敵意こそないが、互いの腹を探り合うような沈黙が、鉛のように重くのしかかっていた。


「まず、現状の脅威について、我々の観測結果を共有したい」


 オオトモ大佐がそう言うと、ホログラムが斥候ドローンから送られてきた浮遊要塞の鮮明な映像に切り替わった。

 禍々しく、そして巨大な岩塊。その映像は、やがて寸分違わぬ精巧な三次元のワイヤーフレームモデルへと姿を変える。


「―――!」

 ゲオルグ騎士団長の喉が、かすかに鳴った。

 隣に座るエリザベスも、その瞳を驚愕に見開いている。

(馬鹿な……どうやってこれほどの詳細な地図を? 斥候を飛ばしたとて、これほどの正確さはあり得ん…これが奴らの言う妙な絡繰…『科学』とやらの力か。我らの魔法と同等の、あるいはそれ以上の技術だというのか)


「要塞の規模は、一つの小規模な城塞都市に匹敵する」

 大佐は、淡々と事実を告げる。


「そして、これを守っているこの壁――我々の世界では『エネルギーフィールド』と呼称するが、貴殿らの言葉で言う『魔法障壁』のことだ。騎士団長、貴殿らの報告では、敵は組織化された『軍隊』とのことだったが、これほどの拠点を持つとは我々も想定外だった」


 その冷静な指摘に、ゲオルグは苦渋の表情でホログラムを睨みつけた。


「……ああ、奴らが単なる狂信者の集まりでないことは掴んでいた。だが、せいぜい山中に砦を構える、大規模な野盗の類と見ていた。我が王国騎士団の力で十分に鎮圧可能と判断し、竜騎士団は決戦まで温存するつもりだった。……空に浮かぶ城塞を相手に、国盗りを仕掛けてくる『国家』レベルの軍隊だったとはな。我々の戦略は、根本から見直さねばなるまい」


 ゲオルグが自軍の戦略の完全な破綻を認めた、その瞬間を待っていたかのように、この場にいた如月博士がさらに絶望的なデータを叩きつけた。


「問題は、その魔法障壁が持つ『自己修復機能』です。我々の飽和攻撃をもってすれば、一時的に障壁を削り取ることは可能でしょう。ですが、シミュレーションによれば、突入部隊が接近する前に、障壁は再生してしまう可能性が極めて高い」


 映像モデルがエネルギーフィールドに攻撃を仕掛ける映像が流れるが、すぐにフィールドが復活するのが目の当たりになる。


「……ちっ」

 ゲオルグが、誰にも聞こえないほど小さく舌打ちした。

 その表情は、不敵などではなく、己の無力さと、好敵手への苛立ちが入り混じった苦渋に満ちている。

(……結局、奴らの力を借りるしかないというのか。首都の金と権威を笠に着た、あの気障な連中の…!)


 彼は、意を決したように顔を上げると、吐き捨てるように言った。


「……話は早い。障壁に穴が開いたその一瞬、我が王国が誇る……『竜騎士団ドラグーン』を突入させる」


 ゲオルグの口から出た『竜騎士団』という言葉。

 その響きに、エリザベスたちの顔には安堵が、しかしゲオルグ自身の顔には一瞬、屈辱の色が浮かんだのを、俺は見逃さなかった。

(……何かあるな


 俺がそう感じたのと、隣の響が俺の袖を引いたのは、ほぼ同時だった。

「愁也さん、小声で失礼します」

 響が、専門家としての鋭い目で囁く。

「今の反応、気になりませんか? 彼女たちから聞いた限り、エルドリアの騎士団は一枚岩ではありません。ゲオルグ騎士団長が率いる地方貴族中心の『王国騎士団』と、首都の中央貴族が牛耳る『竜騎士団』は、古くからのライバル関係にある、と」


 響の言葉に、パズルのピースがはまる。ゲオルグは、最強の戦力であると同時に、最も使いたくないカードを、今まさに切ろうとしているのだ。

 この場の空気は、単なる作戦会議ではない。異世界における、複雑な政治交渉の最前線なんだ。


「ドラゴン!?」

 その単語に、これまで神妙な顔でデータを眺めていた如月博士が、椅子を鳴らして身を乗り出した。


「本物の、翼と鱗を持つ、あの伝説の生物のですか!? ブレスは吐くのか!? 生態系における分類は!?」

「博士、落ち着いてください」

 俺は、空気が読めない科学者の白衣の裾を、そっと引いた。


 ゲオルグは、そんな俺たちの様子を意にも介さず、説明を続ける。


「竜騎士団は、高貴なの血筋にのみ心を許す飛竜にまたがり、空を駆ける精鋭部隊だ。数日のうちには、この前線に到着する予定となっている」


「素晴らしい戦力だ」

 オオトモ大佐は、感心した様子も見せず、即座に現実的な問いを返す。


「だが、その竜騎士団で、どれだけの兵士を一度に要塞へ輸送できる?」

「部隊総数は20騎。一騎当千の精鋭が20名いれば、内部の制圧は可能と見る」


 ゲオルグは自信を持って答えたが、大佐は表情一つ変えずにホログラムを操作する。

 要塞のマップの横に、突入部隊の推奨人数――最低でも2個中隊、約200名――の数字が、無慈悲に表示された。


「――20名で十分だ」

 ゲオルグは、大佐の提示した数字を鼻で笑った。

 それは、竜騎士団の実力を信じているからではない。

 自らが率いる王国騎士団の存在意義を、ここで消してたまるかという、彼の最後の抵抗だった。


「大佐殿、貴殿らは我らを侮っている。我がドラグーンは、一人ひとりがマナによる身体強化で鉄の鎧を紙のように引き裂く、一騎当千の精鋭だ。数だけを揃えた脆弱な兵士200名より、よほど戦果を挙げられると確信するが?」


「それは、敵がこちらの常識で測れる場合に限る」

 大佐は、ゲオルグの挑発を意にも介さず、ホログラムを操作する。斥候ドローンが捉えた、魔獣の群れの映像が追加された。


「この個体数を見ていただきたい。我々の分析では、要塞内部には最低でも500以上の戦闘体が確認されている。一騎当千とやらが事実だとしても、単純計算で貴殿らの戦力では足りない。これは精神論ではなく、数字の問題だ……騎士団長。無論、貴殿らが率いる王国騎士団を遊ばせておくつもりもない。彼らには、突入部隊の側面支援という重要な任務についてもらう」


 その言葉に、ゲオルグはぐっと言葉を詰まらせる。そして、絞り出すように言った。


「……ならば、問う。貴殿らには、我らの兵を一度に運ぶ鉄の船でもあるというのか?」

「船はない。だが、兵員輸送ヘリがある」


 大佐がそう言うと、ホログラムに、巨大な鉄の蜻蛉のような機体の映像が映し出された。

 凄まじい轟音と共に太い羽根を回転させ、多くの兵士を乗せて空に浮かび上がる。


 ゲオルグは、その異様な機体を睨みつけた。

 理屈は分からぬ。

 だが、竜の翼の代わりに鉄の羽根を高速で回し、浮力を得ているのだろう。

 文明は違えど、やろうとしていることは同じか。

 彼は、自軍の常識だけではこの戦には勝てないと、改めて理解した。


「……よかろう。その鉄の蜻蛉とやらが、本当に我らの兵を一度に運べるというのならば、信じてみるしかあるまい」


 輸送問題は解決した。

 だが、依然として「障壁の穴を、どうやって突入完了まで維持するか」という、根本的な問題が残る。

 オオトモ大佐は、その答えを提示した。


「飽和攻撃で障壁が弱まった瞬間、リュナ特務技術顧問の最大魔法で、再生が追いつかないほどの風穴を開ける。その一点から、全軍を突入させる」


 そして、彼は続けた。

「その成功確率を最大化するため、『魔法少女ミラクル・ラパン』の杖と衣装の使用を、作戦の絶対条件とする」


「お待ちあそばせ!」


 エリザベスが、弾かれたように立ち上がった。その声は、怒りと侮蔑に震えている。


「その一撃のために、あの……あの戦場を愚弄するかのようなフリルの杖と衣装を、リュナに纏わせると言うのですか!? 魔術師は、我ら騎士が命を懸けて守護すべき、国の宝ですわ! 敵の目を引くためとしか思えぬ道化の姿で彼女を矢面に立たせるなど……それは我らの騎士道と、神々への許されざる冒涜です!」


「博打ではない。現状、最も確実性の高い『一点』だ」

 大佐は、冷静に返す。


「騎士の名誉を優先し、無為に兵を失うことこそ、指揮官として許されざる怠慢だと私は思うが」


 大佐の反論は、どこまでも合理的だ。

 だが、その合理性こそが、火に油を注いでいる。

 どうすれば――俺がそう思い悩んだ瞬間、隣に座る響が、俺だけに聞こえる声で囁いた。


「愁也さん、これはただの意地やプライドじゃありません。……彼女たちの世界における『魔法』は、私たちの世界の『科学』とは成り立ちが違うんです。それは神々や精霊への祈りに源流を持つ、一種の『信仰』なんです」


「信仰……?」


「はい。だから、あの杖と衣装は、彼女たちの目には『聖なる儀式を、子供のオモチャで執り行う』ように映っている。それは、彼女たちの文化と信仰そのものを否定する、耐え難い『冒涜』行為なんです」


 響の言葉に、俺は唇を噛み締めた。

 そうだ、俺たちは、文化も常識も、信仰さえも異なる世界と対峙しているんだ。

 大佐の正論は、異文化に対する無理解が生んだ、もう一つの暴力なのかもしれない。


 議論が紛糾する中、テントの入り口が開き、リュナが入ってきた。

 その瞬間、テントの中の全ての視線が、全てのプレッシャーが、疲れた顔をした一人の少女に突き刺さる。


 エリザベスの、燃えるような軽蔑。

 ゲオルグの、真価を問うような疑念。

 大佐の、作戦の成否を測る冷徹な眼差し。


(……そうだ。俺は歯車だ)

 市長の、感情のない目が脳裏をよぎる。それが、俺に課せられた「仕事」だ。

 ここで俺がすべきことは、この場の全員を説得し、リュナという『最強のカード』を切らせること。

 彼女の心の負担など、プロジェクトの成功という大義の前では、無視すべきノイズでしかない。


(……リュナ、すまない。これも、君の未来を守るためなんだ)

 俺は、心を鬼にして口を開きかけた。リュナを「説得」するために。


 だが、……目の前に立つ彼女の、あまりにもか細い肩を見て、言葉が詰まった。

 憔悴しきった顔。仲間たちのプレッシャーに耐え、唇を噛む姿。


(……違う。俺は何をしようとしてる? これじゃあ、あの時の上司と、市長と、何も変わらないじゃないか!)

 俺は、彼女を『部品』として見てたまるか。


 俺は、たまらず一歩前に出た。

 大佐やゲオルグではなく、まっすぐにリュナだけを見て、静かに語りかける。


「リュナさん……これは、俺たちの世界の、俺たちの防衛戦だ。君は、学術研究技術都市の軍人じゃない。保護している難民だ。だから、この作戦に、君が絶対に参加しなくちゃいけないなんてことはない。断る権利が、君にはある。……でも、それでも、俺は……君に、力を貸してほしい。君を、仲間として、頼りにしている」


 公的な要請でも、高圧的な命令でもない。

 俺からの、一人の仲間としての、個人的で、誠実な「お願い」


 その言葉が、リュナの心の最後の迷いを打ち消した。彼女は、俺にだけ、はっきりと頷いてみせた。


「……やります。愁也さん。仲間たちが突入するための道を、私が開きます。そのために、最も確率の高い方法が『あの杖』を使うことなら……私は、『魔法少女ミラクル・ラパン』として、この一撃を放ちます」


 その言葉は、エリザベスにとって、世界の終わりのように響いた。

(友達、だったのに……)


 脳裏に蘇るのは、身分も家柄も関係なく「エリー」と呼び、屈託なく笑いかけてきた少女の姿。あの頃のあなたは、どこへ行ってしまったの。どうして、こんな野蛮な者たちの、野蛮な理屈を、受け入れてしまったの。

 エリザベスは静かに立ち上がると、リュナに氷のように冷たい一瞥をくれた。


「……そう。あなたも、あの者たちと同じ『確率』という名の野蛮を選んだのね。もう、あなたに言うことは何もないわ」


 彼女はアンナとセレスティアの制止も聞かず、硬直した背中を向けて、一人テントを出ていった。


 重苦しい空気が流れる会議の後、一人落ち込むリュナの元に、アンナとセレスティア、そして響がやってきた。

 アンナとセレスティアは、リュナの選択の全てを理解できたわけではない。

 だが、友がどれほどの覚悟でその決断を下したのかは、痛いほど伝わっていた。

 響が、沈痛な面持ちで口を開く。


「リュナちゃん、ごめんね……。エリザベスさんの気持ち、理解できるのに、私、何もできなかった……。でも、リュナちゃんの選択は、絶対に間違ってない。二つの世界を繋ぐために、一番勇気のいる決断だったと思う」

「響さん……」

 セレスティアが静かに続ける。


「わたくしには、まだ理解できません。エリザベスの言う、神々への礼を欠くという懸念も、正直なところ、わたくしの中に無いわけではありません。……ですが、あなたがそれほどの覚悟で選んだ道なのであれば、わたくしたちは、それを否定しません」


 アンナが、あえて明るい声でセレスティアの言葉を遮る。


「理屈じゃないって! 友達が、あんな顔してたら、支える! それだけでしょ!」


 エリザベスとの決別という大きな代償を払いながらも、リュナは友との新たな、そしてより強い絆を確かめる。

 やがて始まる、浮遊要塞への突入作戦。

 その過酷な運命に向かって、物語は静かに動き出すのだった。


【同時刻・学術研究技術都市 市長執務室】


 前線の喧騒など、分厚い防音ガラスと次元の壁に隔てられた市長執務室には届かない。


 男は、革張りの椅子に深く身を沈め、デスクに投影された巨大な立体地図を、満足げに眺めていた。

 それは、オオトモ大佐たちが睨む戦術マップではない。

 地質調査ドローンが収集したデータを基に、AIが弾き出した、エルドリアのマナ推定埋蔵量マップだった。


「……ふむ」


 市長は、地図の中でもひときわ濃い赤色で示された地域――浮遊要塞が浮かぶ谷の周辺――を、指でそっとなぞった。まるで、極上のワインを吟味するかのように。


「まずは、この油田地帯を押さえねばな」


 彼の呟きは、誰に聞かせるでもない。

 それは、為政者としての冷徹な計算であり、揺るぎない決意の表明だった。


 モニターの隅には、前線基地から送られてくるライブ映像が小さく映し出されている。

 そこには、仲間たちに励まされ、涙をこらえて前を向こうとする、一人の少女の姿があった。


 市長は、その映像を一瞥すると、まるでチェスの駒を置くように、地図上の赤い一点に、そっと指を置いた。

 彼の目には、少女の葛藤も、兵士たちの覚悟も映らない。ただ、この先に手に入るであろう、莫大な利益だけが見えていた。



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