第9話:二つの篝火、境界線上の対話
晩餐会と呼ぶにはあまりにぎこちない食事が終わってから、数時間が過ぎていた。
リュナと響は、キマイラ隊が築いた橋頭保の、その最前線に二人で立っていた。
足元にはまだ生々しい戦闘の痕跡と急造された防御陣地が広がり、目の前には荒涼とした異世界の夜が横たわっている。
背後を振り返れば、そこは科学の光に満ちた世界だった。
モバイル・フィールドキッチンや指揮車両から漏れる純白のLEDの光が、野営地を昼間のように照らし出している。静かで、合理的で、そしてどこか無機質な光。
そして、視線を前に戻す。
数百メートル先に、エルドリア王国軍の野営地があった。そこにあるのは科学の光ではない。ぱちぱちと音を立てて爆ぜる、温かな焚火の赤い光だ。その揺らめく炎を、見慣れた鎧姿の兵士たちが囲んでいる。非効率で、原始的で、けれどどうしようもなく懐かしい光景。
二つの光の境界線に、二人は立っていた。科学の光に照らされながら、故郷の焚火を見つめるリュナ。その隣で、響はただ黙って、友人の横顔を見守っていた。
「……エリー」
知らず、唇から親友の名前が漏れる。
食事の間、一度も目を合わせようとしなかった侯爵令嬢。
その瞳にあったのは、かつての親愛ではなく、冷たい侮蔑と失望の色だった。
「悲しくない、と言えば嘘になります。寂しくない、と言えば、心が偽りだと叫びます。でも……」
リュナの脳裏に、愁也の言葉が蘇る。
『出自や生まれで、人の価値は決まらない。誰もが、より良く生きる権利を持っている』
「私……変わってしまったのでしょうか」
「変わったんじゃなくて、知っただけですよ」響が、静かに言った。
「リュナさんは、リュナさんのままで、もう一つの世界を知った。選択肢が増えた。それだけのことです。……羨ましい、ですよ。私には、帰る世界は一つしかありませんから」
その言葉には、友人への純粋な共感と、ほんの少しの羨望が滲んでいた。
「―――こんな所にいたら、体が冷えるぞ」
不意にかけられた声に、二人ははっとして振り返った。愁也が、湯気の立つマグカップを三つ手に持って、そこに立っていた。
彼は何も言わずにそれぞれに一つずつ差し出す。温かな液体が、かじかんだ指先にじんわりと染み渡った。甘い、コーヒーの香り。
「……ありがとうございます」
「どういたしまして。眠れないかと思ってな」
愁也は、無理に何かを聞き出そうとはしなかった。
ただ、二人の隣に立ち、彼女たちが見ていたのと同じように、王国軍の野営地に視線を向ける。その沈黙が、今の二人には何よりもありがたかった。
しばらくして、リュナの方からぽつりと口を開いた。
「愁也さん。地球では……私の世界では当たり前だったことが、たくさん、当たり前じゃありませんでした」
「……ああ」
「魔力があるかどうかで、人は判断されない。努力すれば、頑張れば、誰でもすごいことができる可能性がある。それが……それが、すごく……眩しかった、です」
言葉を探しながら、リュナは自分の胸の内を吐露する。それは、友人たちには決して言えない、本心だった。
「私、エリーたちに、ちゃんと説明できませんでした。どうして私がここにいるのか。どうして、皆さんと一緒に戦うことを決めたのか」
「…………」
「でも、分かってもらえないかもしれないって、どこかで思ってる自分もいて……。それが、すごく、悲しくて……」
うつむくリュナの肩が、小さく震える。
愁也は、彼女の言葉を静かに受け止めていた。そして、ゆっくりと口を開いた。
「君が見てきたものは、間違いじゃない。俺たちの世界は、君が感じた通りの場所だ。不完全で、矛盾だらけで、どうしようもない所もたくさんある。だけど……誰もが足掻くことを許されている場所でもある」
彼は、リュナの顔を真っ直ぐに見つめて言った。
「俺たちはチームだ。君がこの先、どちらの世界で生きていくことを選んだとしても、響も、俺も、君の味方だ。それだけは、忘れないでくれ」
その真っ直ぐな言葉が、リュナの心の奥に、温かく染み込んでいく。
「……はい」
リュナは、涙で濡れた瞳で、それでもはっきりと頷いた。
甘いコーヒーが、胸の奥の痛みを、少しだけ和らげてくれるようだった。
その頃、エルドリア王国軍の野営地でも、一つの会議が開かれていた。
ゲオルグ騎士団長の天幕の中、地図を囲んでいるのは、騎士団の副官たちと、そして場違いな三人の少女――エリザベス、アンナ、セレスティアだった。
「信じられませんわ! あのリュナが、魔力なき者たちに与するだけでなく、あのような……野蛮な文化にまで染まってしまうなんて!」
最初に沈黙を破ったのは、エリザベスだった。その声には、怒りと失望が滲んでいる。
「お言葉ですが、エリザベス様」
副官の一人が進み出る。
「事実として、我らの魔法障壁を容易く突破した敵に対し、かの者らの『鉄の杖』が有効であったこともまた、事実です」
「それに……」
アンナがおずおずと続く。
「あの愁也という男と、響という女は、リュナを『便利な魔法使い』としてではなく、一人の人間として、とても大切にしているように見えました」
友人たちの間で、意見が真っ向から対立する。
ゲオルグは、腕を組んだまま、黙ってそのやり取りを聞いていた。
やがて、彼は重々しく口を開いた。
「エリザベス嬢の言うことも、一理ある。だが、副官とアンナ嬢の言うことも、また事実だ。奴らの本拠地は、強力な魔法障壁で守られている。あの者たちの『火力』は、その障壁を打ち破るために、必要不可欠なのだ」
ゲオルグの瞳に、冷徹な光が宿る。
「よって、当面は協力体制を維持する。だが、心を許すな。あれは、あくまで我らが目的を達するための……『道具』に過ぎん」
キマイラ隊の指揮車両の中、愁也は背筋を伸ばして報告を終えた。
目の前の作戦デスクには、オオトモ大佐が、厳しい表情で腕を組んで座っている。その脇のモニターには、地球にいる牧原が、興味深そうにこちらを見つめていた。
「―――以上が、王国側との接触結果です」
「ご苦労」
オオトモ大佐は、短い言葉で労をねぎらう。
「感傷に浸るなよ、和泉連絡将校。我々の目的は変わらん。彼らはそのための駒だ」
その言葉の根底にある冷徹さは、奇しくもゲオルグ騎士団長のものと酷似していた。
モニターの向こうで、牧原が楽しそうに口を挟む。
『いやいや、実に興味深いファーストコンタクトじゃないか。異なる文化圏が初めて出会ったんだ。価値観のコンフリクトは当然起きる。…そこを調整するのが君の役目だろう、愁也。リエゾンとしてではなく『愁也』としての腕の見せ所だな』
「失礼します」
愁也は敬礼すると、二人の対照的な上官に背を向け、指揮車両のタラップを降りた。
ひやりとした夜気が、火照った思考をわずかに冷ましてくれる。
(無茶言うなよ……)
誰もが相手を自分の都合の良い「駒」か「道具」としてしか見ていない。
とはいえ、と愁也は思考を切り替える。さっき見たエルドリアの価値観がいいかと言われれば、決してそんなことはない。
魔法が使えないから、というだけで人間を侮蔑する。
それと比べれば、まだマシなのかもしれないが。
その夜、リュナは割り当てられた戦闘車両のベッドの上で、二本の杖を並べて見つめていた。
一本は、故郷に近い価値観を持つ、黒檀で作られた優美な『賢者の杖』。
もう一本は、地球のポップカルチャーと科学の象-象徴である、ピンク色で星の飾りがついた『魔法少女ミラクル・ラパンの杖』。
どちらも、今の自分だ。
どちらも、切り離すことのできない、自分の一部。
その二つを、どうすれば一つにできるのだろうか。
愁也は、再び橋頭保に立ち、二つの野営地を見比べていた。
科学の白い光と、焚火の赤い光。その間にある、深い闇。
この共同作戦の本当の難しさは、黄昏の旅団との戦いそのものではないのかもしれない。
この、あまりにも深く、そして暗い価値観の溝を、どうすれば渡ることができるのか。
その答えは、まだ誰も知らなかった。




