帰っても、ひとり
どれくらい、そこに座り込んでいたのか、わからなかった。
気づけば菜月は、いつの間にか歩き出していた。
どうやって店を出たのか、どうやって電車に乗ったのか、
どの道を通って帰ったのか、まったく記憶にない。
気づけば、自宅の玄関に立っていた。
鍵は、手に握ったまま開けたらしい。
靴を脱ぐことも忘れ、菜月はそのまま、玄関にうずくまった。
帰っても、ひとり。
誰もいない。
助けを求める気力も、涙を流す力もなかった。
ただ、寒さを感じながら、玄関の冷たい床に体を丸めた。
目を閉じる。
意識が、遠のいていく。
──朝になった。
窓から差し込む薄い光で、うっすらと目を開ける。
玄関の床の冷たさが、体に沁みていた。
(……今日は、仕事、ないんだっけ)
会社は、春のキャンペーン打ち上げの翌日を休日にしていた。
みんな、思いきり飲んで、休めるようにと。
だから、今日は何もない。
行かなくてもいい。
怒られることも、責められることもない。
それなのに、
菜月は、玄関から動くことができなかった。
寒い。
でも、どうでもよかった。
お腹が空いているはずなのに、何も感じない。
何も考えられ
ぼんやりと天井を見上げながら、口が勝手に動いた。
「……じいちゃん」
誰に向かうわけでもなく、ただ、かすれた声が漏れた。
返事なんて、あるはずないのに。
それでも、たった一人、今呼びたかったのは、
もう二度と会えない、大好きだったじいちゃんだった。
胸の奥から、黒いものがじわじわと広がっていく。
冷たくて、重くて、体中にまとわりついてくる。
(消えたい)
小さな声で、心の中で呟いた。
(消えたい)
もう一度。
誰にも知られずに、
誰にも迷惑をかけずに、
このまま、静かに消えてしまえたら。
起き上がる力も、泣く力も、もう残っていなかった。
ただ、頭の中で、「消えたい」「消えたい」と、
同じ言葉を繰り返していた。
何時間経ったのかも、わからなかった。
玄関の冷たい床に、菜月はまだ、ひとりで、
まるで置き去りにされた荷物みたいに、
うずくまっていた。
どこにも居場所がないと思った夜、
帰ってきた家さえ、ただの空っぽな箱に見えた。
菜月は何もできず、ただ玄関にうずくまり、
心が壊れていく音を、静かに聞いていたのかもしれません。